第二十一話
気が付くと、俺は薄暗い空間にいた。そこはとても不思議な空間だった。真っ暗というわけではなく、ほんのり明るい。
だから、明るさ的には遠くまで見通せそうなのに、先を見通せない。それなのに、自身の周囲だけは、はっきりと鮮明に見える。
「うまく言ったようじゃ」
後ろで照子の声がした。振り向くと、そこには美都子さんと、その横に浮かぶ青いリボンを首に巻いた、小さなてるてる坊主。
「そっちの小さいの。もしかして照子か?」
「うむ」
ふむ。やっぱり照子か。しかし、随分と小さいな。二十センチもない。
「何でそんなに小さいんだよ」
「なに。妾たちがおっても邪魔じゃろうと思うてな。ゆえ、この姿じゃ。ちなみに、お主もちんまいぞ」
え? 照子に言われてすぐに、自分の体を確認する。
マジかよ……。照子の言う通り、俺の体も小さなてるてる坊主になっていた。照子とまったく同じサイズと姿。
唯一照子と違う点は、リボンが赤色だということだけだ。
うーむ。まあ夢だし。別に姿なんてどうでも良いと言えば良いのだが、この体、手も足もないぞ?
まあ、浮いたまま、思うように移動できるみたいだから、文句を口には出さないでおくけどさ。
「ここが、佳奈の夢の中なのかい?」
「そうじゃ」
「佳奈はどこだい?」
「それは、これから探さねばならぬ」
それは意外と骨が折れそうだな。加藤さんを探すと言っても。相変わらず辺りは薄暗く。
まったく先を見通せない。
「それじゃあ、行くよ」
歩き出そうとする美都子さん。しかし照子が待ったをかける。
「まあ、待つのじゃ」
「なんだい?」
「……」
黙り込む照子。何か考えているのか? てるてる坊主姿だと、表情がないのでいまいちわからんな。
てるてる坊主姿の照子の表情は、スマイル一択である。
「何かあるなら、進みながらにしておくれ」
逸る気持ちが抑えきれない様子の美都子さん。照子を急かす。
「ふむ。やはり、この状態ならばできそうじゃ」
ふよふよと、照子は俺のほうへ近づいてくる。
「幸一、少し力が抜けると思うが、意識を強く持つのじゃぞ。でないと、お主だけ先に夢から覚めてしまうからの」
いったい何をする気だ? 疑問に思いつつも。言われた通り、意識を強く保つ。
すると突然、体から何かが抜けていく感覚、大きな虚脱感が俺を襲う。何これ? すごくしんどい。
夢の中だというのに、危うく意識を持っていかれるところだった。
「何したん――」
尋ねようとする俺だったが、劇的に変化した目の前の光景に、言葉が途切れた。
「おお! なんと」
俺の隣では美都子さんも驚いている。
無理もない。さっきまで薄暗い、陰気な空間が辺りに広がっていたのに。雲が晴れるかのように、急に明るくなったのだから。
「何をしたんだい?」
「なに。こ奴に宿っておる、妾の力を使い。加藤の心の曇りを晴らしただけじゃ。これで妖怪に蝕まれた心も、少しは癒されるじゃろう」
「そんなことができたのかよ!」
それなら、もっと早く言って欲しかったものだ。そんな風に直接、心を癒す術があるなんて。
いろいろ悩んでいた俺の苦労が……。
「妾も今気付いたのじゃが。どうやら、夢の中ならお主の体に宿る力を、少しは使うことができるようじゃ」
「そうなのか」
つまり、できると思わなかったと。それなら文句は言うまい。
「照子ちゃん。ありがとうね」
「気にするでない。さて……」
美都子さんの感謝の言葉を軽く流した照子。そんな照子の横に、三十センチほどの大きさの黒い雲が出現する。
「雷ちゃん。加藤の所へ案内するのじゃ」
雷ちゃんは美都子さんの周りを一周すると、先導を始める。
「この雲が、佳奈の所へ案内してくれるのかい?」
「うむ」
雷ちゃんが進み。その後を美都子さんと俺、照子が続く。辺りは明るくなったが、やっぱり先を見通すことはできない。
薄ぼんやりと、まるで白い霧が立ち込めているかのように、ある一定の範囲までしか、はっきりと見えないのだ。
しかし、そのくせ近くは鮮明に見えるし。空は綺麗な青空が広がっているのが見えるんだよな。
本当に不思議な空間である。そんなことを思いつつ、俺は進み続ける。
「何もないねぇー」
思わずと言った風に、美都子さんがつぶやく。確かに、けっこう進んだと思うのだが、未だに何も発見できない。
「なに。もうすぐじゃ」
照子には、何か感じるものがあるのか。そんなことを言った。そうして、さらに進み続けると。
突然、雷ちゃんが動きを変えた。
今までは、俺たちの前方二メートルほどを先導するように、ゆっくりと飛んでいた雷ちゃん。
しかし、今は何かを示すかのように、ある一点を中心に一メートルほどの距離で、くるくると孤を描き、旋回し始めた。
「ふむ。そこか」
「そこ? 何もないじゃないか」
美都子さんは疑問を口にしながら、雷ちゃんのほうへ一歩近づく。すると、それを合図にして、いきなり周囲の霧が晴れていく。
現れる、木々が生い茂った景色。ここは……。森林公園か? 多少、風景に違和感を覚えるが……。
辺りに広がる景色は、俺が妖怪祓いの練習のために使った、森林公園そのものだった。
「ここは……。森林公園だね」
つぶやく美都子さん。それを尻目に雷ちゃんが、また先導を始める。
「そっちじゃ」
照子が促し、再び動き出す俺たち。雷ちゃんに続く。
森林公園の中、遊歩道を進む。すると、遠くのベンチに一人の女の子が座っているのが、見えてくる。
小学三年生ぐらいだろうか。ショートの黒髪に愛嬌のある顔立ち。どこかで見たことがある気が。
「佳奈!」
女の子に気が付いた美都子さんが、大きな声を出した。
「どうやら、加藤の奴は昔の夢を見ておったようじゃの」
「お婆ちゃん……」
美都子さんの声に反応して、俯いていた顔を上げる女の子、加藤さん。美都子さんを見ると、悲しげに顔を歪ませ。
さらに、素早くベンチから立ち上がると、美都子さんから逃げるように、駆け出した。
「佳奈。待っておくれ!」
慌てて後を追いかける美都子さん。俺と照子も後に続く。小学生とはいえ、加藤さんのほうが足が早い。
美都子さんはどんどん距離を離される。
それでも、必死に後を追いかける美都子さん。にしても、加藤さんは何で逃げるんだ?
「ふーむ。どうやら悪夢のことを引き摺っておるようじゃのう」
俺の疑問に答えるかのように、暢気につぶやく照子。
「それってつまり、加藤さんは美都子さんがまた自分を責めに、夢に現れたと思っているわけか?」
「うむ」
「なんと! 違うんだよ、佳奈。待っておくれ!」
追いすがる美都子さん。しかし、距離は一向に縮まらない。
「仕方ないのう」
照子がつぶやき。同時に俺は体に違和感を覚える。
「これは……」
見ると、俺の体はてるてる坊主姿から、元の姿へと戻っていた。
「ほれ。お主が捕まえるのじゃ」
「わかった」
照子の意図を理解した俺は、走り出す。美都子さんを追い越し、加藤さんとの距離を詰める。
運動が得意ではないとはいえ、さすがに小学生に負けるはずもなく。俺は加藤さんになんなく追いついた。
加藤さんの腕を掴み、制止させる。
「放して!」
暴れる加藤さん。
「落ち着いて! 美都子さんは、君を責めたりしない!」
説得の言葉をかけるも、加藤さんは尚、暴れ続ける。
それでも、俺は腕を放さない。ついには美都子さんが追いついてくる。
「佳奈。会えて嬉しいよ」
笑顔を浮かべて加藤さんに近づく美都子さん。しかし、加藤さんは俺を盾にして、後ろに隠れてしまう。
「お婆ちゃん。ごめんなさい」
「何を謝ることがある。佳奈は何も悪くないよ」
美都子さんはしゃがみ込み、加藤さんに目線を合わせ微笑むが、加藤さんは俯いてしまう。
「私があの日出かけなかったら。お婆ちゃんはきっと――」
「佳奈! こっちを見なさい!」
加藤さんの言葉を遮り、一喝する美都子さん。加藤さんはびくっと震え、顔を上げる。
ここで、俺の体がてるてる坊主姿へと戻る。目の前にあった俺の体が消えたことで、加藤さんと美都子さんの間には何もなくなった。
「……」
「……」
無言で見つめ合う、加藤さんと美都子さん。美都子さんは、優しい微笑を浮かべ、口を開く。
「大丈夫。大丈夫よ、佳奈。私は加奈のことを責めたりしないわ」
「でも――」
何かを口にして、後ずさろうとした加藤さん。そんな加藤さんを、美都子さんは有無を言わさず抱きしめた。
「佳奈のことが大好きな私が、加奈を責めるはずないじゃない」
「でも、お婆ちゃんは、一人で倒れて。苦しかったんでしょ。だから、私を恨んでるって」
弱弱しく、途切れ途切れに話す加藤さん。
「馬鹿言わないの、私が加奈を恨むわけない。確かに、倒れたときは苦しかったけど……。それは、佳奈を一人にすることが苦しかったの」
加藤さんをあやすように、美都子さんは加藤さんの背中をなでる。
「加奈は昔から寂しがり屋だったからね」
「お婆ちゃん……」
「だからね。頑張ったんだけど。それでも駄目だったの。でも、それは佳奈のせいじゃない」
優しく諭すような口調で語りかける美都子さん。
「加奈は何も悪くないのよ。だから、ほんとに気にしないで。じゃないと、私は安心して成仏できないわ。私は佳奈に笑って欲しいの」
「……」
「笑って、前を向いて生きて欲しいの」
「うわぁ……」
加藤さんは感極まった様子で、美都子さんの胸に顔をうずめる。美都子さんは、しばらくの間、嗚咽を漏らす加藤さんの背中を、撫で続ける。
そんな二人の邪魔をしないように、黙って見守る俺と照子。
「お婆ちゃんは、本当にお婆ちゃんなの?」
しばらくして、落ち着いた加藤さんが、そんなことを尋ねる。
「ええ、そうよ。それとも違うように見える? だったら、そうねえ……」
そこから美都子さんはいろいろな想い出を話した。
小学生の頃の、運動会や発表会などの行事の出来事や。あるいは、誕生日やクリスマスといった日常におけるイベントのこと。
そして最近、初恋が実り加藤さんに彼氏ができたという話。嬉しかったことや、楽しかったこと。どこにでもある小さな幸せ。
加藤さんと美都子さんの、二人の想い出は聞いているこっちも、ほっこりと暖かい気持ちになるような。そんな話ばかりだった。
「そんなこともあったね」
美都子さんが話しているうちに、加藤さんにも笑顔が戻る。すると加藤さんからも、いろいろ話をするように……。
想い出を共有する二人。いったい、どれくらいの時間そうしていただろうか。
ただ、何事にも終わりはくる。
「すまぬが。そろそろ限界のようじゃ。戻らねばならぬ」
「あら、そうなのね。まだ話し足りないのに……」
照子の言葉に、心底残念そうな美都子さん。
「お婆ちゃん。行っちゃうの?」
「ええ、そうなの。ごめんね佳奈。もう行かないといけないみたい」
加藤さん、美都子さん。二人の目には涙が滲む。
「お婆ちゃん……」
すがるような声の加藤さん。
「佳奈。そんな顔しないで。私はもう傍にはいられないけど。それでもあなたの両親と一緒に、佳奈のこと、見守っているから……」
後半は涙声になる美都子さん。それでも笑顔を浮かべてみせると。
「だから、いつも笑顔で元気に生きていくのよ」
「わかった。絶対そうする」
涙をこぼしながらも、必死に笑顔を浮かべてみせる加藤さん。
俺は、自分の姿がてるてる坊主姿で良かったと思った。この体は涙が出ないみたいだから。
「じゃあね佳奈。ずっと、ずっと見守っているから」
微笑む美都子さんの体が、徐々に透け始める。
「うん、お婆ちゃん」
涙を拭い、満面の笑顔を浮かべてみせる加藤さん。
その光景を最後に俺の意識は薄れていった。
「だるい……」
次に目を覚ますと、俺はベッドに横たわっていた。全身を疲労感が襲う。それでも、体を起こすと周囲を見渡した。
時計。時刻は、午前二時十分か。夢の中にいた時間は、だいたい二時間三十分くらいか。思ったより時間は経っていない。
体感時間は、もっと長く感じたのだが。にしても……。本当にだるい。何でこんなに体が疲れているのだろうか。
「照子。なんだかすごく疲れているのだが」
「夢の中で、お主から無理矢理力を引き出したからの。そのせいじゃ」
「ああ、なるほど」
あの謎の空間を明るくしたときのか。
「それより、美都子さんは?」
美都子さんは部屋の中にいなかった。
「知らぬ。まあ、ここにおらんのだ。成仏したのではないか」
「そうか」
ベッドに寝転がる。成仏ね。……やすらかに逝けただろうか。いや、きっとやすらかに逝けただろう。
なにせ、夢の中で最後に美都子さんが浮かべた笑顔は、あんなにやすらかだったのだから。
「これで、終わりだな」
「うむ。お主にできることはすべてやったじゃろう」
ああ、そうだな。最初はどうなるかと思ったが……。うまく収まって良かった。そう思ったのを最後に俺は再び、眠りに落ちていった。




