第十八話
部屋の中へと足を踏み入れると、そこは十五畳ほどの和室だった。大きな仏壇に小さめのちゃぶ台。隅っこには畳まれた布団。
そして、窓際に座り込む加藤さん。その前には佐々木さんもいた。
「梨花ちゃん。何で? 鍵はかかっていたのに」
「そんなことはいいの! 佳奈ちゃん、大丈夫?」
加藤さんの疑問は当然のものだったが、佐々木さんはさらっと流す。
「とりあえずは見守るのじゃ」
「ああ」
言われずともそうするつもりだ。部屋の入り口に佇む俺。ここは口出ししないほうが良いだろう。
「駄目。来ないで! お婆ちゃんが……。梨花ちゃんと仲良くしたら、許さないって……」
「それは悪い妖怪が見せる、ただの悪夢です! 美都子さんは関係ありませんよ」
ずんずんと近づき。加藤さんの目の前に座り込む佐々木さん。
それを見守っていた俺だったが、途中で目に入ったものに意識が奪われる。あれ? あれは確か……。
仏壇の脇に置かれている写真立てに入った写真。そこには見覚えのあるお婆さんの姿があった。
「でも……」
「昨日も言ったように美都子さんが、佳奈ちゃんを恨むはずがない。夢のことは気にしないで」
必死に言葉をかける佐々木さん。
そっちも気になるが、思考は写真立てに引っ張られる。写真に写っていたのは、三日前森林公園で出会った幽霊のお婆さんだ。
ここに写真立てが置かれているってことは……。あの幽霊のお婆さんは加藤さんの祖母、美都子さんということになるよな。
「それは所詮夢です。美都子さんとは何の関係もない。だから気にしちゃ駄目ですよ」
「だけど。もし本当にお婆ちゃんだったら? 幽霊はいるんでしょ?」
「そうだけど……。それは――」
「それはない。なぜなら、俺は三日前、美都子さんの幽霊に会っている。そして美都子さんは君のことを、恨んでなどいなかった」
たまらず口を挟んでしまった。だが、お婆さんの幽霊と会った俺には、我慢できなかったのだ。
だって三日前、森林公園で出会った美都子さんは、孫である加藤さんのことを、とても大切に思っているように見えたから。
そう俺は美都子さんが、加藤さんを恨んでないということを、知っているのだ。
「夢に出てくる美都子さんは偽者だ。妖怪が見せた、悪夢にすぎない」
「えっと……」
いきなり話に割って入ってきた俺に、加藤さんは困惑した様子。すかさず、佐々木さんがフォローをしてくれる。
「ああ、こちらは昨日話した窪田先輩。古くから代々続く、由緒ある祓い屋の家系の方で。素晴らしい霊能者なのです」
「ほう、大層なものじゃ」
ええっと。何時の間にそんなことに? 困惑する俺の隣で面白そうにする照子。
「祓い屋の窪田幸一です」
とりあえず、佐々木さんに合わせる。何か考えてのことのはず。
「……加藤です」
未だ困惑しつつも、律儀に挨拶をしてくる加藤さん。
「さあ先輩。佳奈ちゃんを診てください」
俺を加藤さんの前に押し出す佐々木さん、こっそりと耳打ちしてくる。
「もう、このまま妖怪祓いをしてしまったほうがいいですよ。だから先輩、それらしくお願いします」
いや、それらしくって言われても……。つまり、俺に凄腕の祓い屋のふりをしろと。そう言いたいんだよな。
うーん、そういう方向に話を持っていくなら、事前に言って欲しかった。
ただ、今から妖怪を祓うということには賛成だ。佐々木さんは、昨日きちんと加藤さんを説得したのに。
一晩明けると、悪夢の影響から、加藤さんの意見が変わっていた。その事実を考慮すると……。
「ふむ。佐々木の奴、なかなか状況がわかっておるの。幸一、できるならこの提案に乗るべきじゃ。時が経てばより説得が難しくなるぞ」
やっぱりそうだよな。丁度、そこに思い至ったばかりだ。となれば……。のるしかあるまい。
加藤さんのほうへ近づき。両手を前にかざし加藤さんを見つめる。
「ええっと……」
「動かないで。今、診ています」
気まずげに身じろぎする加藤さんだったが、俺の言葉に動きを止めた。
「ふーむ……。確かに悪い妖怪が憑いてるようですね。これは確かに妖怪祓いが必要です」
しばらく加藤さんを見つめたのち、顎に手をあて。それっぽいことを言ってみる。こんな感じで良かっただろうか?
「ほら。やっぱり妖怪の仕業だったんです!」
「そうなのかな……?」
「間違いありません。ねっ、先輩」
半信半疑の加藤さん。駄目押しをしろと、こっちに目配せする佐々木さん。
「ええ、間違いなく妖怪がとり憑いています。それも、このままでは大変なことになる。すぐにでも妖怪を祓わなければなりません」
うーむ、我ながらこれは……。これではまるで。
「まるで詐欺師じゃのう」
ああ、やっぱり照子もそう思うか。
「さあ。すぐにでも妖怪を祓わないと。これから先輩に祓ってもらいましょう」
有無を言わせず、勢いで畳み掛ける佐々木さん。
「確かに、それが良いでしょう。ただ、準備が必要なので。……佐々木さん、俺は奉祈を持ってきてないぞ」
後半は、加藤さんに聞こえないように、こっそりと佐々木さんに耳打ちする。
「では、うちの寺で行いましょう! 場所もありますし、寺の境内ならば妖怪の力も弱まります。先輩、寺で待ち合わせでいいですよね」
「ああ、構わない」
うまく、奉祈を持ってくる時間をつくってくれたか。
ただ、まだ加藤さんの返事をもらっていない。加藤さんは、話を聞いていたものの。まだ、不安そうにしている。
そんな加藤さんの腕を、佐々木さんが強引に引っ張り、無理矢理加藤さんを立ち上がらせた。
「さあ。佳奈ちゃん」
「えっ……」
「出かける準備をしよう」
佐々木さんが、加藤さんを引っ張っていこうとするも、加藤さんは動かない。
俺の方へ向き直る加藤さん、小さな声で尋ねる。
「……本当に、妖怪がとり憑いているんですか?」
うーむ、まだ疑われているのかな? しっかり答えないと。
「ええ。間違いありません」
「悪夢も……。妖怪の仕業なんですか?」
「その通りです。だから、妖怪さえ祓えば悪夢も見なくなるでしょう」
「お婆ちゃんの幽霊に会ったって……」
もうひと押しってところかな。
「確かに美都子さんでした。あなたのことを、『あの子寂しがり屋だから』と。とても心配している様子でした」
「そうですか……」
そうつぶやくと、加藤さんは黙りこんだ。
加藤さんの瞳が揺れる。いろいろ葛藤があるのだろう。俺と佐々木さんは黙って見守る。
そうして、しばらく待っていると、加藤さんは口を開く。
「……わかりました。お祓いを受けてみます」
「本当ですか! 良かった……。なら、先輩。準備をお願いします。私は加藤さんを連れて行きますから」
ふむ、お祓いを受けると言った加藤さんは、しっかりと決意している様子。これなら、加藤さんに任せて大丈夫だろう。
「わかった。奉祈を取ってくる。寺の前で待ち合わせだな?」
「ええ。それでお願いします」
加藤さんは佐々木さんに任せて、一旦別れることに。
そして三十分後、蛟の杖を家まで取りにいった俺が、寺の前へとやって来ると。そこには、佐々木さんと加藤さんが待っていた。
「待たせたな」
「先輩。こちらへどうぞ」
佐々木さんは加藤さんの手を取り、寺の境内を進む。その後に続く俺と雷ちゃん。そして、風ちゃんに乗った照子。
「ここなら、人に見られる心配もありません。それに広さも十分でしょう」
佐々木さんが案内した場所は広く。そして境内の奥のほうなので、人も来ないだろうと思われる。
確かに、ここなら問題なさそうだ。
「ああ。ここでいいだろう。じゃあ、佐々木さんは離れていてくれ」
「じゃあ、佳奈ちゃん。見守っているから」
「うん」
妖怪が抵抗する可能性があるので、十分に距離をとってもらう。
「照子。予定通りに頼むぞ」
「うむ」
頷いた照子。風ちゃんから飛び降りると、佐々木さんの後を追う。
結果、その場には俺と加藤さん。そして雷ちゃんと風ちゃんが残る。風ちゃんと雷ちゃんは、妖怪祓いを手助けしてくれる予定だ。
そうして、佐々木さんが二十メートルほど距離をとったところで、俺は布袋から蛟の杖を取り出した。
「髪が……」
驚いた表情を浮かべる加藤さん。
ああ、そういえば蛟の杖に触れていると、髪の色が金色に変わるのだった。こんなことなら、カツラでも用意するべきだったか。
どうしたものか……。誤魔化す方法が思い浮かばない。仕方ない。不思議に思われただろうが、強引に進めよう。
「ああ、この髪は気にしないで。とにかく、体を楽にしてくれるかな」
「……わかりました」
不審に思っているだろうに、疑問を飲み込んでくれた加藤さん。そんな加藤さんのほうへ近づき。俺は蛟の杖を構える。
「それでは、始めましょう」
音頭をとると、蛟の杖をそれっぽく掲げ。祝詞を唱える。
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え!」
これで、蛟の杖によって引き出された力が、妖怪を祓う力に変わったはず。
後は蛟の杖を加藤さんに触れさせるだけ……。俺がそう思ったとき。加藤さんが突然、胸を押さえ蹲る。
「ううっ……」
何だ? どうした?
「加藤さん?」
加藤さんの様子を確認するため。肩膝をついた俺。そんな俺の耳に、照子の焦った声が届く。
「馬鹿者! さっさと奉祈を加藤に触れさせるのじゃ」
「うわ!」
照子の言葉を受けて、慌てて動こうと俺だったが……。それより早く、加藤さんが掴みかかってきた。
俺は突然の出来事に対応できず。そのまま加藤さんに押し倒されてしまう。倒れた衝撃で、蛟の杖が手から放れる。
「く……」
馬乗りになった加藤さんは、ものすごい力で俺を押さえ込んでくる。なんて力なんだ……。
しかも、よく見ると加藤さんの目はまったく焦点が合っていない。
これは尋常な事態ではない!
「大丈夫ですか?」
声をあげる佐々木さん。こっちに近づこうとしている。
「不味い! 近づかぬよう佐々木に伝えるのじゃ!」
「こっちに来ちゃ駄目だ!」
照子と俺の声が同時に発せられる。すぐに動きを止める佐々木さん。同時に加藤さんが、俺の首に手をかけた。
くっ! 息が……。加藤さんの腕掴み。必死に首からを引き剥がそうとするが、びくともしない。
それでも、なんとかしようともがく俺。そこへ響く声。
「ええい! 雷ちゃん!」
声と同時に、普段の五倍ほど。三メートル以上にも膨らんだ雷ちゃんが加藤さんに迫り、そのまま体当たりを食らわす。
雷ちゃんによって押しのけられる加藤さん。解放された俺は、すぐさま蛟の杖を拾いながら、立ち上がる。
「照子。どうなっている!」
乱れた息を整え、叫ぶ俺。
「妖怪に体を乗っ取られておる! おそらく加藤の心が弱っておったことが原因じゃ!」
なんと! てことは、今加藤さんの体を動かしているのは、妖怪か! まったくめんどうな!
「とにかく。やることは同じじゃ。蛟の杖を加藤に触れさせよ! そうすれば加藤から、妖怪は離れるのじゃ!」
やることは同じね。簡単に言ってくれる。
雷ちゃんに押しのけられた加藤さんは、俺の様子を窺っている。そんな加藤さんに俺は素早く近づき。蛟の杖を突き出す。
が、それに合わせて加藤さんは後退。蛟の杖をかわす。素早い!
すかさず俺は、さらに踏み込むと手加減しつつ、蛟の杖を横振り。しかし、それも交わされる。
その後も、なんとか蛟の杖を加藤さんの体に触れさせようと、遮二無二振り回すが、当たらない。
駄目だ……。予想以上に動きが素早い。
と、そこへ的確なサポートが入った。雷ちゃんと同じ大きさまで膨らんでいた風ちゃんが、加藤さんの後ろに回り込んでいたのだ。
攻撃を続ける俺。それを避けるために後退しようとする加藤さん。しかし、風ちゃんにぶつかる。これなら!
隙を逃さす、俺は蛟の杖を振るう。蛟の杖は加藤さんの左肩に命中。よし! やった!
内心でガッツポーズを決める俺。同時に、糸が切れた人形のように倒れる加藤さん。そんな加藤さんの体から黒い靄が噴き出した。
うわ! 俺は慌てて加藤さんから距離をとり、様子を窺う。加藤さんは完全に意識がないようで、ピクリとも動かない。
容態を確認したいが……。空中に飛び出した黒い靄は一所に集まり。そして形を成していく。妖怪を祓うのが先だな。
黒い靄が固まり。ついに姿を露にする妖怪。いつぞや出会ったときのように、ずんぐりした体系。顔には大きな目玉。
相変わらずの姿で…………。あれ? でかくない?
数日前より、明らかには大きいぞ。前は成人男性程度の身長だったのに、今や二メートルは越えている。
「どうやら。思ったよりも力を増しておるようじゃ!」
マジかよ……。勘弁して欲しいのだが。そう思ったその瞬間、妖怪が跳びかかってくる。
咄嗟に右へと転がるように避ける。
「次は繋がりを断ち切るのじゃぞ!」
言われずとも段取りはちゃんとわかっている。繋がり……。妖怪の背から伸びている、あの黒い紐みたいなやつだな。
その黒い紐は加藤さんの体に伸びている。
ただ、妖怪は加藤さんの体の前に立ちふさがっているから。一度回り込まねば、繋がりを断つことはできそうにない。
妖怪の隙を探す俺。妖怪のほうもこちらの様子を探っているのか、動かない。場は膠着状態に陥った。