第十七話
夕食を食べた後、俺は宿題をしていた。そんなとき、デスクの上に置かれた携帯が震える。メールが届いたようだ。
誰からだろう? 宿題をする手を一旦止めると携帯を確認する。メールは佐々木さんからだった。
すぐさまメールを開く。加藤さんの様子を見に行くと、加藤さんの家に行った佐々木さん。ずっと気になっていたのだ。
うーん。かなりの長文だな。えっと……。おお! 吉報だ。どうやら、妖怪祓いを受けてもらえるように、加藤さんを説得できたらしい。
ただ、少し嫌な話も付随している。妖怪が加藤さんを周囲から孤立させようと、悪夢を見せているね。
さっき照子に確認した内容と一致する。
照子によると、妖怪がとり憑いた人間を弱らせるため、周囲から孤立するように仕向けることは、よくある話だそうで。
心に働きかける攻撃。気持ちが沈むように仕向けたり、悪夢を見せて追い詰めたりなど。そういう方法を妖怪はとるとのこと。
佐々木さんから、妖怪はとり憑いた人間の心を弱らせるため、周囲から孤立させようとする。
そう聞かされた俺は、家に帰るなり。その事実を照子に尋ね、確認していた。
「照子、これを見てくれ!」
「ふーむ。良いところなのじゃが」
ベッドに寝転がり、テレビを見ていた照子。文句を言いつつも、俺が差し出した携帯を覗き込む。
「……なるほどのう。確かにこれは妖怪の仕業の可能性が高いの」
「やっぱり……」
妖怪が悪夢を見せる。それも加藤さんの心の弱い所を的確に突いた、加藤さんの、お婆さんに対する負い目を利用する、意地の悪い悪夢。
しかも、妖怪が見せる悪夢は普通の夢より鮮明で、さらに現実感があり、起きてもなかなか忘れない。そう照子に聞いている。
そんな夢を毎日見せられた加藤さん。そりゃあ、気持ちがめいって、心も弱っていくはずである。
すでに加藤さんは、眠るのが怖いと感じる、それほどの領域まで、追い詰められているらしい。
まったくもって、許し難い話である!
「悪夢は、妖怪さえ祓えば見なくなるんだよな?」
「うむ。見なくなるのじゃ」
そうか、それならもう少しの辛抱だ。すでに、妖怪祓いを行うための段取りは、決まりつつある。妖怪め、覚悟しろよ。
佐々木さんからのメールには、明日の放課後、俺が加藤さんと顔を合わせ。そして、今週中には妖怪祓いを行うと書いてあった。
となると、早ければ明後日には、妖怪を退治できるだろう。ならば、明日は照子にもついて来てもらおう。
「照子。頼みがあるんだが、明日の放課後――」
「加藤と会うのに付き添うのは嫌じゃぞ。別に妾が行かずとも、問題ないじゃろうし。面倒じゃ」
俺の言葉を最後まで聞かずに遮った照子。
うーむ、そう言われるとそうなんだけどさ。できれば一緒に来て欲しい。顔合わせのつもりだが、妖怪が襲ってこないとも限らない。
そうなったとき、照子がいたほうが安全だろう。それに、他に不測の事態があるかもしれない。そのとき知恵を貸して欲しいのだ。
「そう言うなよ。妖怪が出てきたらどうする?」
「おそらく、それはないのじゃ」
「うーん。ついて来てくれるなら、モンブラン以外にも、もう一つケーキを買ってやろうと思ったんだが……」
「本当か! ならば仕方ない。面倒じゃが、ついていってやるのじゃ」
俺の提案に、間髪入れずに飛び付く照子。意外に簡単に釣れたな……。照子を動かすコツがわかってきたぞ。
「じゃあ、明日頼むぞ」
「うむ。任せるのじゃ」
照子の了承も取れたので、俺は宿題の続きをするため、デスクに向き直った。
そして早くも、次の日の放課後。雷ちゃんを連れた俺は、昨日と同じで校門前に佇んでいた。
照子も佐々木さんもまだ来ない。
おそらく佐々木さんは、また学園祭の準備で遅れているのだろうが、照子の奴は何をしているんだ。
照子は前回学校に来たとき、退屈だったことを学習してか。放課後に顔を出すと言っていたが。
それにしても、今日も加藤さんは学校を休んでいるというのが気になる。今日の放課後、学校で顔合わせをする予定だったのに……。
佐々木さんの話では昨日、加藤さんに学校へ来てくれるように説得したそうなのだが。昨日の今日で約束を違えるなんて、変だよな。
何かあったのかな? 嫌な予感を感じる俺。そこへ、ようやく照子がやって来る。いつも通り風ちゃんに乗った照子。
「待たせたの」
「遅いぞ。何してたんだ」
周りに不審に思われないよう、小声で文句を言う。きちんと授業が終わる時間を、言っておいたというのに。
十五分も送れて来やがって。まったく。
「いや、漫画を読んでおったら、時間を忘れてしもうての」
はぁー。どうせ、そんなことだろうと思ったよ。
まあ、佐々木さんも遅れているうえに、予定が変わって加藤さんの家に行くことになっていたから、問題はないけどさ。
「して。佐々木と加藤はどうした? もしや、もう顔合わせが済んでしもうたのかの?」
「いや、まだだ。それと予定が変わった。これから加藤さんの家に行く」
「なんと、めんどくさいのう」
照子と小声で会話をしていると、佐々木さんもやって来た。
「すみません。また学園祭のことで少し居残りを」
「大丈夫だ。それより、急ごう」
「はい」
佐々木さんの案内で加藤さんの家に向かう。
「加藤さんの家は遠いのか?」
「十分ぐらいの距離です」
あんまり、こっちのほうには来たことないな。
学校を挟んで、俺の家や佐々木さんの家がある方向とは、反対方向に向かっている。そうして、しばらく歩き続けると。
「次を右に曲がったら、すぐそこです」
いよいよ。到着するようだ。佐々木さんが指差した曲がり角を曲がる。すると、視界に見覚えのある男が……。
うん? あれは木下じゃないか。何してんだ?
「佳奈ちゃんの家の前に、誰かいますね」
「佐々木さん。ちょっとこっちに」
俺は佐々木さんを引っ張って、元来た道へと戻る。そして、角からそっと顔を覗かせ、木下の様子を窺う。
「何やっているんです?」
うーむ。そう言われると俺は何をやっているのだろう。でも、なんというか気まずいだろ?
おそらく木下は、加藤さんと話しに来たのだろうから。
「あの男は俺の友人で。そして加藤さんの彼氏なんだよ」
佐々木さんに答えつつ、考える。
やっぱり、昨日俺が焚きつけるようなことを言ったから、木下の奴、加藤さんに会いに来たのかな?
「そうなんですか」
「ほう。おもしろそうじゃな」
納得を見せる佐々木さんと照子。照子は、木下のほうへと飛んでいく。見えないことを良いことに話を盗み聞く魂胆だな。
しかし、やっぱりここは、出て行くわけにはいかないな。邪魔をしても悪い。
「しばらく様子を見るぞ」
「了解です」
二人して角からそっと顔を出し、木下の様子を窺う。
「うーん。佳奈ちゃん、塩対応ですね」
確かに。木下はインターフォン越しに、必死に話しかけているが、加藤さんが出てくる気配はない。
まあでも、昨日佐々木さんから聞いた、加藤さんの現状を考えると当然かもしれない。
うーむ。焚きつけるタイミングを間違えたかも。どうせなら、妖怪を祓った後、木下を突撃させるべきだった。
「むっ、駄目だったみたいですね」
みたいだな。肩を落としてこっちに歩いてくる木下。照子も一緒だ。てっ。こっちに来てるじゃないか!
どうする? 今木下に会うのは非常に気まずいのだが……。
いったい、どんな顔して会えば良いのだ! 慌てるも、どうにもならず。されど、隠れているわけにもいかず。
「よっ、よう。木下」
角を曲がると、こちらから声をかけた。
「窪田。何でここに……」
「いやー。なんていうか……」
「もしかして、ずっと見てたのか?」
ああ、あっさりとばれた。
「あ、ああ。といっても、ここにいるのはたまたまで……」
本当に見てしまったのは、偶然なのだ。
「……はぁー。まあいいけどさ。……見ての通り駄目だったよ。もう来ないでくれって言われたんだ」
落ち込んだ様子の木下。うーむ、俺にも責任あるかも? 少し木下を焚きつけるのが早過ぎたのだ。
昨日聞いた、悪夢の内容から考えても。加藤さんは今一番、木下には会いにくいだろうし。
「そうか。だけど加藤さんにも、のっぴきらない事情があるわけだし。もう少ししたらなんとかなるかも……」
尻すぼみになる俺の言葉。その場に嫌な静寂が舞い降りる。
「あの先輩。私はどうしたら」
小声で尋ねてくる佐々木さん。いや、そんなことを言われても。俺自身、この状況をどうしたら良いのかわかってないのに。
そっちの面倒までみきれない。佐々木さんは巻き込まれただけなのはわかるが、自分で考えてくれ。
「加藤の現状を考えると、こ奴もタイミングが悪かったのう。嫌われておるわけではなさおうじゃったが」
それはわかっているんだよ、照子。間接的にこの状況を招いた原因である俺としては、そうはっきり言われるとへこむ。
「そういえば、そっちは?」
話題を変えるかのごとく、佐々木さんのことを木下が尋ねる。どうやら、沈黙に耐えかねていたのは、木下も同じだったようだ。
「ああ、こちらは一年の佐々木さん」
「一年の佐々木梨花です。よろしくお願いします」
俺の紹介に合わせて前に出ると、ぺこりとお辞儀する佐々木さん。
「ああ、よろしく」
それっきり会話は続かず、場は再び静寂に包まれる。どうしようかと迷っていたら、またしても木下が先に口を開く。
「じゃあ、俺はこれで」
「お、おう。また明日、学校で」
とぼとぼと去っていく木下。その背には哀愁が漂っている。
「行ってしまいましたね」
「ああ」
今はそっとしておくしかないだろう。
「ほれ。何をぼけっとしておる。加藤に会うのじゃろう?」
遠く離れていく木下を見送っていた俺を急かす照子。まあ、木下のことはまた後で考えることにしよう。
心配ではあるが、気持ちを切り替える。
「さて。じゃあ、加藤さんに会いに行くぞ」
「わかりました」
佐々木さんを先頭に加藤さんの家の前までやってくる俺たち。
「では、行きますよ」
佐々木さんはそう言ってインターフォンを鳴らす。
「はい。どちらさまですか?」
「佐々木です」
「梨花ちゃん……。ごめんなさい。やっぱり私……。帰ってください」
インターフォンから聞こえてくる加藤さんの声は、か細い。
「え? 佳奈ちゃん。どうしたの?」
「お婆ちゃんが、梨花ちゃんと会ったから怒って。だから帰って」
「ちょっと待ってください、佳奈ちゃん! それは、悪い妖怪の仕業です!」
「ふむ。どうやら、妖怪が悪さをしたようじゃ」
なにやら、雲行きが怪しい。
「でも、お婆ちゃんが――」
「とにかく、中に入れてください!」
「駄目。帰って」
ぶつりと切れるインターフォン。
「佳奈ちゃん? 佳奈ちゃん!」
うーむ。面倒なことになった。おそらく、加藤さんは昨晩、妖怪に悪夢を見せられ、何か吹き込まれたに違いない。
妖怪は加藤さんを孤立させたがっているわけで、そこから考えて佐々木さんは邪魔者以外の何者でもないからな。
「先輩、佳奈ちゃんが……」
「わかっている。妖怪の仕業だな」
しかし、どうしたものか。説得しようにも、拒絶されてしまっては。だが、このまますごすごと帰るわけにも。
「どうしましょう?」
「なんとか説得したいが……」
「佳奈ちゃん! 開けてください」
佐々木さんは、門を潜ると玄関まで行き、そして扉を叩く。
しかし、加藤さんからの返事はない。くそ! どうすれば。これでは打つ手がない。さっきの様子を見るに、加藤さんの精神状態はかなり不味い。
なんとかしなければならないのに……。何もできず歯噛みする俺。すると、照子が動いた。
「仕方あるまい」
風ちゃんに乗って飛んでいく照子。佐々木さんと玄関をすり抜け、消えていく。そしてすぐに、玄関の鍵の開く音が。
「開いた! 佳奈ちゃん! あれ?」
勢いよく扉を開く佐々木さん。一瞬、呆けた後そのまま中へと入っていく。玄関に残る照子の姿。
「おい照子。おまえ」
「うむ。妾が鍵を開けたのじゃ」
やっぱりか! というかそれって大丈夫なのか? いや、この際、気にしないでおこう。やっぱり照子を連れて来て良かった!
「でかした!」
俺も佐々木さんの後を追って、加藤さんの家へと上がり込む。佐々木さんはどこへ行った?
上がりこんだものの佐々木さんの姿はない。
「佳奈ちゃん!」
奥のほうの部屋から声が。俺はその部屋へと飛び込んだ。