第十五話
翌日、俺はいつも通りに授業を受けていた。護衛の雷ちゃんは、俺の頭の上に浮かんでいる。
「では、この問題を……。南部、解いてみろ」
数学の授業を聞き流しながら考え込む。
佐々木さんはうまく加藤さんと接触できただろうか? うまくいっていると良いが……。
うーん、やっぱり、こっちはこっちで、できることをしないとか……。目線が、木下へと注がれる。
確証はないが、おそらく木下の彼女は、加藤さんだと思う。木下は、彼女が同じ学校の生徒だと言っていた。
そして、木下が語った彼女と疎遠になった理由。彼女の身内に不幸があってから、すっかり疎遠になってしまったという話。
この話は、佐々木さんが語った加藤さんの境遇と一致している。身内に不幸があった時期も、一ヶ月半前と同じ。
ゆえに、木下の彼女は加藤さんなのではないかと、俺は疑っている。
「よし。正解だ。このように……」
もし、この仮説があっていれば、木下と加藤さんがよりを戻せるように、木下をたきつけたい。
木下が加藤さんとよりを戻せば。加藤さんの心を癒すことに、一役買ってくれるはず。恋人関係なら、きっと心の支えに……。
「じゃあ、今度はこの問題を……。窪田、解いてみろ」
ともかく、事実を確認したいところだ。どうやって切り出そう? やっぱり普通に尋ねてみるしかないかな?
ただ、間違っていたら恥ずかしいうえに、木下がほっといてくれと言った問題に口を突っ込むことになる。
「おい窪田。聞いてるのか?」
うーむ。難しい問題だ。
「窪田くん。先生が」
「え? なに?」
考えに没頭していた俺の肩を、誰かが揺すった。揺すったのは隣に座る女子、彼女は前を見ろと促す。
慌てて前を見ると。そこには、にっこりとほほ笑む数学教師。もっとも目はまったく笑っていない。
「どうした窪田。俺の授業は退屈か?」
「えっと……」
やばい。もしかしてあてられていたのか? 考え事に夢中だったから、全然気付かなかった。
「まあ良い。窪田、聞く必要がないと言うなら。さっさと、この問題を問いてくれ。当然、できるよな」
やっぱりあてられていたらしい。俺はそれに気付かず、無視し続けてしまったようだ。先生が怒るのも無理はない。
「はい。わかりました」
俺は席を立ち黒板に向かう。ええっと、ここをこうして。確かこうなって……。その場でなんとか解答する。
数学は、まあまあ得意なほうだから、なんとか解答できた。
「ふむ。解法はあってるが……。ここの計算を間違えている。正解はこうだ」
慌てていたせいか、計算を間違えてしまったらしい。まったくツイていない。何も考え事をしているときに、あてなくても。
まあ、授業中に考え事をしている俺が悪いけどさ。
「窪田、ちゃんと授業は聞くように」
「はい……」
その後は、先生に言われた通り、きちんと授業を聞く。しばらくして、数学の授業は終わった。
「窪田、さっきは災難だったな」
「でも、珍しいよな。おまえが授業中に」
「ああ、ちょっと考え事をな」
授業が終わると、丁度昼休み。木下と大橋が近くにやってきた。
「まあ、それは置いといて。昼飯にしようぜ」
弁当箱を掲げてみせる大橋。木下と大橋は適当に周りの空いている席から、椅子を拝借している。
俺もカバンから弁当箱を取り出す。
さて、木下に話を聞くとしたら、やはり昼休みがベストだ。放課後、木下は部活があって、時間を取れないだろうし……。
「ん? 俺の顔に何かついてるか?」
おっと、木下の顔を見つめ過ぎたか。
「いや、別に。ちょっと考え事をしていただけだ」
「何だ。そうなのか」
「おいおい。何をそんなに考えてるんだよ。あっ、さてはエロいことだろ」
弁当を食べ始める木下。茶化してくる大橋。
「そんなわけないだろ」
「冗談だって。それよりもさ……」
他愛ない話ばかりが続き。すぐに昼食を食べ終わる。
「はぁー。午後の授業はかったるいよな。特に、歴史の授業。お経のように教科書を読み上げるだけで、最悪だよな」
「いや、おまえはいつも、寝てるじゃないか」
大橋はいっつも、机に突っ伏していたと記憶している。
「あれは退屈過ぎるからな。寝ても仕方ないって。……だけど、そのせいで歴史の成績がよぉー」
まあ、退屈なのは俺も認めるところではある。ただ、成績が悪いのはおまえのせいだろ。だって、そもそもの話。
「いや、おまえ中学の時から社会科系は苦手だったじゃないか」
そう。木下の言う通りである。とっ、そんなことどうでも良い。木下に話を聞かなければならないのだった。
「いやいや。実際のところ。ただでさえ苦手なのに、退屈過ぎて大問題なわけよ」
「なんだよそりゃ」
「木下。少し話があるんだが」
二人の会話に割って入る。
「何だ?」
「えっと、ここではちょっと。できれば二人で話がしたい」
「構わないが」
立ち上がる俺に続き。木下も立ち上がる。
「おいおい。二人で内緒話か? 仲間はずれは寂しいぞ」
「いや、悪いな。大橋」
「まあ、いいけどよ」
不満そうではあったが、大橋がついてくることはなかった。
教室を出た俺と木下。人がいない廊下にやってくると、木下が口を開く。
「でっ。話ってなんだ?」
「えっと、間違っていたら、悪いんだけどさ。おまえの彼女って、一年四組の加藤さんじゃないか?」
回りくどいことはなしに、単刀直入に尋ねる。
「……」
押し黙る木下。この反応はどうやら正解か?
「……どうしてわかった」
やや逡巡した後、木下は口を開いた。
「知り合いの後輩が、加藤さんと友人だったみたいでな。そこから加藤さんの身内に不幸があったことを知って。もしかしてと思ったんだ」
「……なるほど。相変わらず、おまえの行動力には驚かされる。よく調べたな」
え? いや、別に調べたわけではないのだが。なんというか、偶然ってやつだ。事件と事件がたまたま繋がって。
まさか、本当に木下の彼女が加藤さんだったなんて、概ね予想していたとはいえ。俺も驚いているよ。
「だが、悪いけどこれは俺の問題だ。心配してくれているのはわかるけどな」
話はこれで終わりだと言わんばかりに、教室へと戻ろうとする木下。そんな木下の腕を掴み、引き止める。
「待て、木下。話を聞いてくれ」
悪いが、この問題をほうってはおけない。それは加藤さんのためでもあり、木下のためでもある。
加藤さんを助けたいし。木下が落ち込んでいるのもなんとかしたいのだ。ゆえに、待ってくれ。
「だから、おまえが口を出すこ――」
「加藤さんは苦しんでいる」
振り返った木下が、拒絶の言葉をつむごうとしたところを遮った。ゆっくりと、力強く続ける。
「最後の身内を亡くして。加藤さんは、一人ぼっち。とても苦しんでいる。だから、誰かが支えてあげないといけない」
「……」
黙り込む木下、話を聞く気にはなった様子。
「木下、おまえならきっと加藤さんを支えられる」
「だが、俺は拒絶されたんだ。しばらくほっといて欲しいって」
悲痛そうな表情をする木下。ああ、確かにそう言っていたな。だが、それでも加藤さんのこと好きなんだろ?
今の反応がそれを物語っているし。俺は木下が、彼女ができたと嬉しそうにしていたのも、知っている。
「それだけで諦めるのか? まだ好きなんだろ? もう一回ちゃんと話しあってみたらどうだ?」
俺には、木下が大げさに悩み過ぎているだけだと感じる。
「別れるって言われたわけじゃないんだろ?」
木下の話しぶりでは、別れたという雰囲気ではなかった。だからきっと、加藤さんも混乱していただけだと思う。
祖母が亡くなった事に対して、心の整理が追いつかなかったのだ。
「きっと、大切な人が突然亡くなって。気持ちの整理がつかなくて。それで、木下とも距離をとっただけさ」
そう。それだけの話。おそらく加藤さんだって木下のことを、嫌いになったわけではないはず。
「だから、もう一度、ちゃんと話をしたほうが良いと思うんだ」
俺はそう締めくくる。黙って話を聞いていた木下。その表情は険しい。
「……確かに、そうかもしれない」
ややあって、ぽつりと言葉をこぼす木下。さらに続ける。
「俺、少し悩みすぎていたかも。嫌われるかもって思って、ちゃんと話をしようとしなかった……」
そこで一度言葉を切ると、顔をあげまっすぐこっちを見る木下。そして。
「ありがとな。俺。もう一度、加奈と話し合ってみるよ」
どうやら焚きつけることに成功したらしい。あとは加藤さん次第か。
「おう。頑張れ」
「ああ」
話が纏まったところで教室へと戻る俺たち。
途中、携帯にメールが届いていることに俺は気が付く。ふむ。佐々木さんからだな。どれどれ……。
『加藤さんのことで、お話したいことができました。放課後、校門前で待っていてください』
メールにはそう書かれていた。うーん。何かあったのだろうか? まあ、とりあえず返信。
『了解』
それから、午後の授業を受け。そして放課後。
「佐々木さん遅いな」
校門前で佐々木さんを待つが、なかなかやって来ない。さらに待つこと三十分。ようやく佐々木さんがやってくる。
「お待たせしました。すみません。学園祭の準備で少し遅れました」
そういえば、もうすぐ学園祭だったか。
うちのクラスはフリーマーケットだから、準備など必要ないが、他のクラスは頑張っていたことを思い出す。
「それは仕方ないな。でっ、何があった?」
「とりあえず。歩きながら話しましょう」
佐々木さんに促され、帰り道へ歩き出す俺。佐々木さんが話し始める。
「実は今日、加藤さんは学校を休んでいまして。でも、加藤さんと親しい人からいろいろ情報を仕入れたのです」
なるほど。それをわざわざ俺に報告しに来たのか……。
というか、加藤さん学校を休んでいるのか。大丈夫だろうか? 妖怪のこともあり心配になる。
「それでですね。どうも加藤さんはここ最近、付き合いが悪くなったようで……」
加藤さんは最近、一人で塞ぎこんでいることが増えているそうだ。心配した友人に対して「一人にして欲しい」と拒絶するような言葉を言い。
さらにサッカー部のマネージャーもやめてしまったりと。周囲の人間を拒絶するような行動をとっているらしい。
「彼氏もいたようなのですが、その彼氏とも最近会っていないみたいです」
「なるほど」
「それで……。これって、妖怪の仕業だと思うんですよ」
「え? どういうこと?」
なぜ、ここで妖怪が出てくる?
「あれ? 照子様から聞いてませんか」
佐々木さんは不思議そうに首を傾げると、続ける。
「妖怪は、とり憑いた人間の心を弱らせるため。周囲から孤立させようとするんですよ」
むっ。そんなことは照子から聞いていない。けっこう大事な情報だと言うのに。照子の奴……。
いや、それはともかく。つまり、加藤さんが木下や友人から離れようとするのは、妖怪が悪さをしているからってことか!
「大変じゃないか!」
「はい。大変なんです! 加藤さん、今日は学校にも来ていないですし。不味い状況かもしれません」
確かに考えてみると不味い。学校に来ていないということは……。加藤さんの心が弱っている証拠ではないだろうか。
「それで私。これから加藤さんの家まで行ってみようと思いまして」
「俺もついていっていいか?」
そう勢い込んで尋ねる俺。しかし、佐々木さんは苦い表情になる。
「えっと。いきなり先輩が加藤さんに会うのはちょっと……」
うーむ。そう言われるとそうだな。知り合いでもない俺がいきなり押しかけるのは、良くないだろう。
佐々木さんとともに会いに行くとしても、雰囲気は悪くなるだろうし。むしろ、佐々木さんの邪魔をしてしまうかも。
「そうだな。悪い。心配でつい」
「いえ、お気持ちはわかります。ですが、ここは私に任せてください」
それしかないだろうな。加藤さんのほうは佐々木さんに任せるしかない。俺のほうは、照子に意見を聞いてみるか。
「何かあったら、すぐに連絡して欲しい」
「ええ、わかっています」
「じゃあ、頼んだぞ」
「はい。任せてください」
やり取りを済ませると、佐々木さんは元来た道を戻っていった。