第十話
俺は家の近くにある森林公園を目指し、歩いていた。
それにしても、照子の奴。昨日、風呂から戻ってきたらいなくなっていたが、どこへ行ったのやら。
まあ、護衛の雷ちゃんを、きちんと残して行ってくれたから良いけどさ。上を見ると、雷ちゃんは頭の上に浮かんでいる。
そうして、しばらく歩くと、森林公園に辿り着く。ふむ、土曜日だからか。この時間でも人がいるな。
丁度、十時ごろ。平日ならほとんど人がいないはずの時間なのだが。まあ、広い公園だから人がいない場所もあるだろう。
そこで妖怪祓いの練習をしよう。そこらに浮かんでいる妖怪を見ながら、良い場所を探し、公園の中を歩く。
本当なら家でやりたかったのだが。昨日今日で、部屋の中にいた練習台となる妖怪は、皆逃げてしまった。
「ここなら、いいか」
森林公園の一角、左右を垣根に囲まれた遊歩道で立ち止まる俺。ここなら、人に見られる心配もないだろう。
俺は近場の妖怪を捕らえ。そして、祝詞を唱える。
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え」
うーん。相変わらず、妖怪に変化はない。ただ、昨日と違い少しだけ、周囲の空気が澄んだような気が……。
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え」
やっぱり感じる。俺も少しは成長しているのだろうか? といっても、力のちの字も感じないのは変わらないが……。
それでも成果が出ないわけではないらしい。
さあ、どんどんいこう! 俄然やる気が増した俺、手のひらに収まる妖怪に対して、数度祝詞を唱える。
すると、昨日と同じように、急に掴んでいた妖怪の手ごたえが消える。空へと逃げていく妖怪。
嫌がって逃げていくときだけは素早いよなぁ……。そんなことを思いつつ、俺は別の妖怪を捕まえる。
そうして、遊歩道を歩きながら、公園内を移動し。人目を避けながら順調に妖怪祓いを繰り返していると。
「おやめ! こっちに来るんじゃないよ!」
俺の耳に、そんな声が飛び込んでくる。なんだ?
「あっちに行きな!」
ふむ、右の垣根の向こうからだな。
その声が気になった俺は、すぐさま垣根を掻き分けて、様子を窺う。そこには、小さな妖怪にたかられているお婆さんの姿が……。
「あっちへ行きなって!」
尻餅をついたお婆さん、必死に妖怪を追い払おうと、杖を振り回している。
しかし、妖怪は意に介すことなく、お婆さんに纏わりつく。
「来ないどくれ!」
「大丈夫ですか。お婆さん!」
慌てて駆け寄る俺。お婆さんにたかっている妖怪を打ち払い、追い払う。
俺が割り込むと、妖怪たちはすぐに周辺に散っていった。
「大丈夫ですか」
妖怪を追い払ったところで、お婆さんを助け起こす。
「おまえさん。見えるんだね!」
なぜか興奮して俺の右腕を強く掴むお婆さん。
「え、ええ。見えます」
おそらく、妖怪が見える人に会えて感激したのだと思うけど。そんなに興奮しなくても。
「それなら、頼みがあるのだ」
ぐいっと俺に近づくお婆さん。右腕を掴んで放さない。
「な、なんでしょう?」
俺は若干気押されつつも、尋ねる。
「実は、家に帰れなくなってね。一緒に家を探して欲しいのだ」
なんと、それは大変ではないか。
「住所は? この辺りなら案内できますよ」
この辺り以外なら交番に案内しよう。
「それが……。住所は覚えていないのだ」
マジか……。となると俺では手に負えない。
「そうですか。なら、近くの交番に案内します。ついてきてください」
ずっと掴まれたままの右腕。そのままお婆さんを連れていこうとする。
しかし、お婆さんは動かない。
「どうしました?」
「交番は駄目だよ。一緒に探しておくれ」
いや、そう言われても、手がかりが少な過ぎるので……。
「すみません。俺にはなんとも……。交番に行くのが一番なんです」
なぜか、お婆さんは警察のお世話になるのが嫌みたいだが、他に方法もないし。
「……そうかい。仕方ないねえ」
しぶしぶといった様子で納得を示すお婆さん。俺の右腕を解放する。
「じゃあ、ついてきてください」
歩き出す俺。お婆さんもちゃんとついてきてくれる。
「ありがとうね」
しばらく歩き、森林公園から出たところで、お婆さんが話しかけてくる。
「いえいえ、困ったときはお互い様です」
ここから交番までは、大した距離でもない。時間もあるし、問題ない。
「優しいね。まだ若いのに。高校生くらいかねえ?」
「ええ、そうです」
「そうかい。私の孫も高校一年生だよ。とてもかわいい子でねえ」
「そうですか」
「そうなんだよ。早く家に帰って孫の顔が見たいものだねえ」
なんだか、しばらく見てないような言い方だ。
「一人にしてしまったから、とても心配でねえ。あの子、寂しがり屋だから」
「そうなんですか」
相槌を打つが、お婆さんの言葉はつぶやきに近く。答えを求めたものではなさそうだった。
それっきり会話が途切れる。杖をつきゆっくりと進むお婆さん。その足に合わせて歩く俺。
そこへ前方から自転車に乗った大橋がやってくる。こちらに気付いた大橋、自転車のスピードを緩めた。
「よう窪田。こんな所で何してるんだ?」
俺の横で自転車を止める大橋。
「おう、大橋。お婆さんを交番に案内しているところだよ」
挨拶を返しながら、状況を説明。すると大橋は不思議そうな顔をする。
「お婆さん。そんなのどこにいるんだ?」
はあ? 何言ってんだ。俺の後ろにいるだろ。
「こっちのお婆さんだよ」
後ろを指差す俺。そこにはちゃんとお婆さんが。
「どこだよ? そっちには誰もいないだろ」
俺が指差した方向を見る大橋だったが、明らかにお婆さんに焦点があっていない。遠くばかりを見ている。
それでも、お婆さんが視界に入らないはずはないが……。
一体どういうことだ? 確かにそこにいるだろう。大橋がふざけているのか? いや、大橋は怪訝な顔をしている。
訳のわからないという顔だ。え? ほんとにお婆さんが見えてないのか? どうなって? 俺も訳がわからず混乱する。
そんな俺に、お婆さんは悲しそうな顔を向ける。同時に、徐々にお婆さんの体が透け始めた。
ええ! 嘘だろ? どうなってんだ! 内心、大慌ての俺。その目の前で、お婆さんは跡形もなく消えてしまった。
えええ! どういうこと? なんで消えて……。まさか! あのお婆さん。幽霊とかそんな感じ?
ええ! 嘘だろ? そんなことって……。
「窪田。どうした?」
大橋が話しかけてくるが、それどころではない!
すうっと、煙のように消えてしまうなんて、普通ではありえない現象だぞ。それに大橋にも見えていないみたいだったし……。
お婆さんがいた辺りを、手で触ってみる。うん、何もないね。当然、手は空を切った。ううっ、突然寒気が……。
背筋が凍る。やっぱり幽霊に違いない! まさか、生きている人間と区別がつかないなんて!
「おーい。窪田」
いや、それより体は大丈夫だろうか? 何かされていないだろうな。慌てて、体の調子を確かめる。
ふむ、体には異常は見当たらないし、感じない。お婆さんに掴まれた腕も、なんともない。大丈夫そうか?
「窪田、聞いてるか?」
「お、おう。聞いてるぞ」
大橋に肩を触られ、びくっと驚いてしまう。
「大丈夫か? 顔色悪いけど」
「大丈夫だよ。問題ない」
大橋に不審がられないよう、俺は務めて冷静さを心がける。
「そうは見えないが……。あっ、もしかしてお婆さんとはぐれたことが、不味いのか?」
いや、はぐれたのはまったくもって本当に、ありがたいことだ。幽霊なんかと一緒にいたくない。
「交番に連れていくところだと、言ってたよな。不味いなら、俺もお婆さんを探すの手伝おうか?」
「いや、いいよ。おまえも忙しいだろ」
大橋、おまえに手伝ってもらったところで……。
お婆さんが見えないおまえでは、役に立たない。というか、俺はもう。あのお婆さんに会いたくない。
「別に、ちょっとスーパーまで買出しに行くだけだったし。問題ないぞ」
「いや、本当に大丈夫だ。お婆さんの足なら遠くに行ってないだろうし。元気そうなお婆さんだったからな。大事には至らないさ」
だから、気にせず買い物に行ってくれ。頼む! いやもうこれは、俺がさっさと立ち去ったほうが良いな。
「じゃあ、またな」
「あっ。おい」
踵を返した俺の背に、大橋の声がかけられるが、無視して駆け出す。幸いにも大橋は追いかけてはこなかった。
大橋から十分離れると走るのをやめ、とぼとぼ歩く俺。はぁー。さっきのは、やっぱり幽霊だよな。
何もされてないよな? 再度体に異常はないか確かめる。それが終わると、頭の上の雷ちゃんを見る。
雷ちゃんは、お婆さんに反応しなかった。悪いものからは守ってくれると照子が言っていたが……。
お婆さんは悪い幽霊ではなかったのか? 危険だったら、雷ちゃんが動いてくれたはずだ。
うーん。お婆さんからも害意は感じなかったし、きっと大丈夫なんだよな? すごく不安である。
うん、照子に相談しよう。照子、帰ってきていると良いが……。
そうして、早足で家に帰って来た俺。さっさと部屋に向かうが。
「ああ、幸ちゃん」
リビングの前を通るとき、母親に声をかけられる。
「なに?」
「お昼は素うどんでいい?」
リビングのソファーに腰掛け、テレビを見ている母。昼食は手抜きにするつもりらしい。
「いいよ」
さらっと答え、俺はさっさと自分の部屋へ。おお! 良かった。すでに照子は帰って来ていた。
着物姿の照子。カーペットが敷かれた床に座り込み、ベッドに背中を預けてゲームをしている。
そんな照子の、伸ばした両足の先には昨日と同じように、無造作に床に脱ぎすたられたレインポンチョのような外套が。
照子の奴、家の中ではレインポンチョのような外套を着ないことにしたようだ。
まあ、床に引きずるほど丈があって、そのうえ布を捲らないと腕が出せないもんな。そら、邪魔だとは思う……。
しかし、一張羅で、正装だとか、言ってなかったか? そんなぞんざいに扱って良いのか? いや、それよりも!
「照子! 大変なんだ」
「なんじゃ。どうした?」
「出たんだよ。幽霊が!」
「それがどうしたのじゃ」
「いや、どうしたじゃないだろ。俺は、大丈夫なのか? とり憑かれたりとかしてない?」
「問題ないじゃろう。雷ちゃんがおったのじゃし」
照子の前で、体を一回転させてみせるも。照子は、こっちを見向きもしない。慌てる俺とは裏腹に、マイペース。
照子はゲーム画面から顔をあげることなく。淡々と答えを返すだけだった。
「ほんとに? ほんとに大丈夫なのか?」
「うるさいの、まったく……」
ようやく顔をあげた照子、こっちを見てすぐに続ける。
「見たところ問題はなさそうじゃぞ」
「そうか。だったら、いいんだけど……」
良かった。なんともないようだ。安堵した俺は、デスクから椅子を引き出し、腰掛けた。
なんだか疲れたな……。
「それにしても、幽霊っているんだな」
「そら、おるじゃろうな」
まあ、妖怪もいたわけだし。幽霊もいるよな。……あっ、そういえば聞いて欲しいことがあった。
「なあ、照子。今朝から、妖怪祓いをすると。若干、周囲の空気が澄んだみたいな。そんな気がするようになったんだが」
「ふーん。良かったの」
「これって、力を認識できる前兆なのかな?」
「知らぬ」
「えっと……」
そんなどうでも良さそうに。おざなりに返さないでくれよ。俺の不満が伝わったのか。照子が口を開く。
「そもそも妾は最初から力を自在に使えたゆえ、修行する必要がなかったのじゃ。それに力の感じ方なぞ。個人差があるのでな」
「だから、わからないと」
「そうじゃ」
こちらに微塵も興味を示さない照子。その様を見ていると、ちょっとばかり成果が出たんじゃないかと。
上がっていたテンションが、いとも容易くダウンした。やれやれ、少しは進展があったと思ったのだが……。
「はぁー。昼飯食べてくるわ」
時刻は、十二時三十分。昼食には、丁度良い時間だ。
「昼食か。妾の分はあるかの?」
飯の話だと食い付きが良いな。というか、昼食までたかる気か?
「ない」
ここはきっぱりと断っておく。照子は甘やかすと、際限なく甘えてくるタイプな気がする。
部屋を出た俺は、ダイニングへと向かう。
「幸ちゃん。恵美を呼んでくれる」
「了解」
ダイニングに入ると、母にそう言われる。テーブルにはすでに、うどんが三つ。タイミング良く、昼食ができていた。
「恵美! 昼飯だぞ!」
階段下から、大きな声で妹を呼ぶ。
「はーい!」
返事がして、すぐにドタドタと階段を下りてくる妹。
「そういえば、お兄ちゃん。テレビつけっぱなしだったから、消しといたよ」
ダイニングへ向かう途中、妹に注意された。
「ああ、悪い」
これは照子のせいだな。俺はきちんとテレビを消した。というか、今日はつけてすらいない。
まったく、後で注意しなければ。
そう心にきめながら、テーブルに着くと、手を合わせる。
「いただきます」
「おお。うどんか」
げっ! 天井をすり抜けて、照子が現れやがった。諦めていなかったらしい。
「のう。少しわけてくれぬかの?」
さっそく、照子のおねだりが開始される。はぁー。やれやれだ。
「やっぱ、部屋で食べるよ」
仕方がないので、うどんを部屋へと持っていくことにする。
分けてやらないと食べている間、照子はずっと絡んでくるからな。たちの悪い神様もいたものである。
お盆を取りにいくついでに、小さいお椀を食器棚から拝借。照子を引き連れて、部屋へと戻った。




