表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻の国のアリス  作者: 深見 鳴
ChapterⅠ 不思議の国への招待
6/85

第5話 ハートの女王

 



「だってあなた、男じゃないですか」


 そう。赤いドレスを着たブロンドヘアの可憐な『女王』は残念なことに少年だった。どうりで背が高いわけである。


「何で男なのに女王なんですか」

「この国の王は女がなるってしきたりなんだが、王位を継げるのが俺しかいなかった。それでこんな不愉快な格好をしているというわけだ」

「へえ……」


 変わったしきたりだ。そしてここは、なんて変わった国なのだろう。王様が女装した少年だなんて、ちょっと信じがたい。さすが『不思議の国』である。

 アリスはひとり納得していた。


「何はともあれ、不思議の国へようこそ、アリス。私たちはあなたを歓迎する。今日は突然のことでお疲れだろう。部屋を用意させたので、この後はゆっくりと休まれるがよい」

「ああ、いえ、申し出は有り難いのですが、お断りします。もう帰るので」


 ここで、女王の美しい柳眉がぴくりと寄った。


「……あなたは何を言っているんだ」

「ですから、もう不思議の国は充分に堪能したので、そろそろ帰ります、と……もともと日帰りのつもりでいたので」


 女王の眉間の皺は、消えるどころか深くなるばかりだった。

 どうしたんだろう、何か不快にさせるようなことを言っただろうか。

 だんだんと不安になってきて、頼りの白ウサギを横目で伺う。ところが彼は、額を押さえて俯いていた。その様子といったら、まるで許されざる失態を働いた人間のようである。

 女王はそんな白ウサギをじと目で睨みつけた。


「……おい、白ウサギ」

「ほんまにすまんかった」

「お前なにも説明してないな?」

「減給処分は勘弁してや……」

「なに言ってるんだ、そんなことするわけないだろう。お前向こう一ヶ月タダ働きな」


 こう言われると、白ウサギは完全に沈黙した。左隣で重苦しいため息が吐き出される。アリスは何が何だかわからないままだ。


「……あの、つまりどういうことですか?」

「アリス、それは俺から説明させてもらうわ」


 見るからに沈んでいた白ウサギだったが、すぐに気持ちを切り替えて仕事に取り掛かった。


「まず、すまん。俺が言葉足らずやった」

「え、うん……?」

「『アリス』は、一度この世界に落ちてきたら、自分の意思では帰れへんのや」


 音の繋がりを文章として理解するまでに、数秒を要した。

 帰れない。

 その言葉が重石となって、胸の上にのしかかる。


「……どういうこと?」


 硬い声で聞くアリスに、白ウサギは気の毒そうに目を伏せた。


「歴代のアリスは、いずれもある日突然行方を眩ませとる。茶会の途中、部屋でくつろいどったとき、森を散策しとったとき……ふとしたときに、アリスは突然、この世界から消えてまう。せやけど、自力で帰ったっちゅう記録は一つもあらへん」


 話を聞いているうちに、最初に感じた驚きは薄れていった。その代わりに、背筋を這い上ってくるような恐怖が広がってゆく。

 青ざめているアリスを見て、白ウサギは慌てた様子で付け足した。


「どのアリスも長くて一年……早ければ半年くらいで帰ってるで。待っとったらいずれは帰れるんやから、そないに気落ちせんでも……」


 広い謁見の間に、重苦しい沈黙が訪れる。しばらくは誰も言葉を発さなかった。


「……うさぎは」


 水を打ったように静まり返った空間に、掠れた声が波紋を起こす。


「私のいた世界にいたよね? あれってどうやったの?」

「あれは……」


 少し言い淀んだ後、白ウサギは言いづらそうに口を開いた。


「ラビットホールの中に、扉がぎょうさんあったやろ? あれは全部、どこかの世界のいつかの時間に繋がる扉や。俺はある扉をくぐって、君のいた世界へ行った」

「じゃあ、その扉をくぐれば……!」


 白ウサギは哀れむような目でアリスを一瞥し、力なく首を振った。


「無理やな。くぐった扉には何の印もつけてへんし、何処にあるのかわからへん」

「くぐった扉を全部覚えてるんじゃないの? だって、ラビットホールの中をあんなに迷いなく歩いてたんだから……」

「俺かて全部覚えとるわけやないよ。覚えとるのは不思議の国の主要な扉がいくつかだけや。異世界の扉まではわからへん」


 アリスは力なく項垂れて拳を握った。額に汗がにじむ。

 二度と帰れないわけじゃない。待っていれば必ず帰れる。この状況では、それだけが唯一の救いだ。

 だけど、最短半年、最長一年、という期間はまずい。何がまずいって、そんなにこっちに滞在していたら留年してしまう。それだけはごめんだ。


「……うさぎ、その扉を探してもらえないかな」

「扉を探すって……そんな非効率的なことせぇへんでも、いずれは帰れるんやで?」

「できるだけ早く帰りたいの。一年も待てない」


 きっぱりと言い切る。白ウサギはあからさまに狼狽した様子を見せた。


「せやかて、扉は何千何万もある。その中からたった一つを見つけ出すのは、いくらなんでも無茶や」

「何万……」


 腕を組んで、眉間にしわを寄せる。

 確かに、そんな数の中からたった一つを見つけ出すのは難しい。闇雲に探し回るだけでは駄目だ。

 考えろ、と自分に命じる。

 考えろ。考えろ。なにか手がかりはあるはず。帰る方法はあるはず。

 じっと考え続けて、アリスははっと息を呑んだ。


「鞄!」


 がばりと顔を上げる。目の前で、白ウサギが面食らった顔をしていた。アリスはかまわず彼に詰め寄る。


「くぐった扉の近くに鞄があるはず! 落ちてくるときには持ってたのに、ラビットホールでうさぎに声をかけられたときにはもう持ってなかった。穴の底にもそれらしいものは落ちていなかった。ってことは、ラビットホールのどこかに私の鞄が今も引っかかってるはず」


 目を丸くしてぽかんと口を開けている白ウサギに、アリスはさらに言い募った。


「うさぎ、ラビットホールで私の鞄を探して欲しい。紺色の生地で、灰色の取っ手が付いた長方形の鞄」


 真正面から白ウサギの目を見上げて、アリスはどんと自分の胸を叩いた。


「私も私で元の世界に帰る方法を探す。今んとこ具体策はないけど、絶対に手がかりを掴んでみせる」


 白ウサギはしばらく呆然とした顔でアリスを見つめていたが、やがて力強く頷く。


「……わかった。見つかるかどうかは分からへんけど、やるだけやってみるわ」

「ありがとう」


 まだ手がかりは残っている。扉が見つかる可能性はある。

 現状を嘆くより先に、前に進むことを考えなくちゃいけない。

 心に決めて、アリスは屹然と顔を上げた。


「話は纏まったようだな」


 いつの間にか玉座に座り直していた女王が、よく通る声で言った。足を組んでトントンと指で肘掛を叩くさまは、早くこの場から立ち去りたいという彼の思いを顕著に表していた。


「はい」


 アリスは凛とした声で女王に答えた。女王はそんなアリスを見下ろし、ゆっくりと口を開く。


「よろしい。滞在中の衣食住についてはこちらで用意するので心配するな」

「後で高額の滞在費を要求されたりしませんか」

「しない。アリスは基本的に国賓として扱われる。金の請求は一切しないので、あなたも自由に振舞われるとよい。何か不満があればそちらの白ウサギに申し付けるように」


 なんて好待遇の居候なんだ。

 アリスは密かに感動した。住むところも食事も着るものまで、全部面倒を見てくれるらしい。


「あの……ありがとうございます。お世話になります」


 上品なお礼の言い方なんて知らなかったので、普通にお礼を言ってぺこりと頭を下げた。女王は少し目を細めて、どこか興味深そうな顔で見てくる。だがそれもつかの間、すぐに視線を逸らした。


「では私は下がる。お前達も下がってよい」


 女王は玉座のある壇から下りて、横にある小さな扉から出て行ってしまった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ