「フローラル・ニダウのリコちゃんが見た、ウィルとムーがいない桃海亭」<エンドリア物語外伝46>
「いい天気ですね」
空いっぱいに広がる、明るい陽射し。
ジョウロから散る水に光が反射して、キラキラと輝いている。
「本当にいい天気」
あたしと一緒に空を見上げたのは、あたしが働いている花屋フローラル・ニダウの奥さん。
小さいけれど平和でのんびりしたエンドリア王国。
その王都ニダウの朝。
抜けるように青い空。
その青空を見上げるあたしの気分は、最高に良かった。
天気が良いこと。
花も草も元気なこと。
新種の花がいくつか入ってきたこと。
なにより、
「まだ、帰ってきていませんよね?」
「大丈夫。まだ、留守よ」
斜め前の古魔法道具店”桃海亭”のウィルとムーが留守なこと。
ウィルがいないから抜き身の剣や斧を持った人達はいないし、ムーがいないから脳が痙攣しそうな変な召喚獣がうろつきまわったりもしない。
あたしが望んでいた、普通の商店街の日々。
「リコちゃん、大丈夫?」
奥さんが心配そうな顔であたしを見ている。
「大丈夫ですけれど」
「それなら良いのだけれど……笑いながら、ブツブツ言っていたわよ」
「気をつけます」
ブツブツは気をつけたけれど、気分高揚はとめられなくて、歌を口ずさみながら店の前を掃除した。
青い空も、白い雲も、みんな大好きと叫びたい。
ドォーーーンという音が響いて、桃海亭の2階が吹き飛んだ。
商店街の通りに、屋根や壁の破片が落ちてくる。
その破片と一緒に、3人の泥棒が落ちてきた。
奥さんが微笑んだ。
「あら、今日の泥棒さんは腕がいいみたいね」
3人の泥棒たちは全員、音もなく足から着地した。猫のような柔らかな身のこなしで、怪我もしていない。
「何か盗めたのかしら」
「盗めたとしたら、初めての快挙ですね」
泥棒3人が顔を見合わせた。
うなずくと通りの外に向かって掛けだした。
「失敗ね」
「そうみたいですね」
一度だけ、桃海亭から宝石を持ち出した泥棒がいた。
すぐに魔法の武器達が取り巻いてボコボコにした。武器が追いかけていないということは何も盗めていないということ。
桃海亭の扉が開いて、シュデルが姿を現した。
「お騒がせして申し訳ありません」
扉の前で深々と頭を下げると、持っていた紐で落ちた品物を囲み始めた。
木や土の瓦礫に混じって、コップや本が落ちている。それらをひとつひとつ、紐で囲っている。
壊れた2階を見上げた奥さんが言った。
「変わらないわね」
「変わりませんね」
フローラル・ニダウから見て正面、桃海亭の店舗の上には部屋が3つある。他にも部屋はあるけれど、裏側になるから、壊れることが少ない。
最も壊れる回数が多いのが左側のウィルの部屋。
防御システムがないから、泥棒たちの侵入口としてよく使われる。そして、脱出口にも使われるから、よく壊れる。
「いつもと同じで、何もないわね」
「いつもと同じで、ベッドはあります」
「そうね。薄い布団もあるわね」
半壊して、部屋が丸見えになったウィルの部屋。シンプルな木のベッドに薄い布団。たまに畳んだ服も見えるけれど、今日はそれすら見えない。
桃海亭の最初の大規模全壊で、持っていた荷物のほとんどを失ったらしい。お金がないから買えないらしくて、簡素な部屋のままだ。
「あれは、なんとかならないのかしら?」
「なれば、なんとかしていると思います」
隣の真ん中の部屋はムー。荷物がぎっしり詰まっている。分厚い本が積み重なったタワーがいくつもあり、棚に詰め込まれたスクロールの間には、ロッドや杖に混じって、渦巻きキャンディが刺さっていたりする。奇妙な形の実験道具や数え切れないほどの薬品瓶が、壊れた机の上や斜めに積まれた本の上に置かれている。
「いつかは惨事が起きると思うの」
「惨事なら、もう色々と起きています」
「そうね。でも、あの辺りを見ると、すごいの来そうだと思わない?」
三角フラスコの中で、紫の何かがグニュグニュと動いている。
「あっちの方が危険な気がします」
隣のビーカーには20センチほどのヒトデのような生き物が入っていた。星形で、全身赤いからヒトデにしか見えない。黒い粒のような目が2つあり、三角の手をビーカーの端に掛けて、こっちを見下ろしている。
「あら、可愛いわ」
奥さんがヒトデに手を振った。
ヒトデも手を振り返した。
「ねえ、見て。手を振ってくれたわ」
「しっかりしてください。あれはおそらく魔法生物です」
奥さんが口をとがらせた。
「可愛いのに」
キケール商店街の住人は、ムーのせいでモンスターに鈍感になっていると思う。変なモンスターを頻繁に見ているせいだと思うのだけれど、ヒトデ型の魔法生物が『可愛い』と思えるのは、明らかに変だと思う。
ムーの部屋は壁がなくなって丸見えだけれど、右隣の部屋の壁は壊れていない。
「もう、壊れないのかしら」
「壊れないでしょうね」
一番右の部屋はシュデル。
最初の頃は壊れたけれど、最近は壊れない。道具達が守っているのだと思う。
壊れたときに見えた部屋は、綺麗に整頓されていて、人が住んでいる感じがしなかった。ショールームの部屋のような感じだった。
道具の周りに紐で囲っていたシュデルが、あたしたちが見ていることに気がつくと頭をさげた。
「すみません。ムーさんの持ち物が落ちてしまいました。気をつけてください」
「できるだけ早く片づけてね」
奥さんにしては厳しい声で言った。
ウィルは最初の桃海亭全壊で私物のほとんどを失った。でも、ムーもシュデルもほとんど失わなかった。
シュデルの私物は道具達が守ったからだけど、ムーは違う。
なぜ、ムーは失わなかったのか。それこそが、奥さんが厳しい声を出した理由。
「はい。ただ、ご存じのように僕には触れることができません。少しだけ時間をください」
ムーの部屋にある私物のほとんどに魔法がかかっている。三流魔術師の保護魔法ならシュデルでも解除できるらしいのだけれど、ムーの魔法は、魔法道具を使っても無理みたい。
「昼の12時にモジャさんが来る予定になっています。そうしましたら移動しますので、それまで、申し訳ありませんが、この状態でお願いします」
瓦礫以外に落ちた物は3つ。分厚い古い本、栓がついた細いガラス瓶、ぞうさんの絵がついた木製のカップ。シュデルはそれぞれを紐で囲っていた。
どの紐のにも【所有者ムー・ペトリ】【危険、触るべからず】【盗った場合、命の保証はできません】と書かれた布がつけられている。
シュデルは店に戻ると、ホウキとちりとりとバケツを持ってきた。瓦礫や建物の破片をひとつひとつ拾ってバケツに入れると、ホウキで掃除を始めた。
奥さんとあたしは、花屋の仕事に戻った。売り物の鉢物を並べたり、水をやったり、花束を作ったり。
シュデルは掃除が終わっても、店には戻らなかった。近くを通りかかる人に「ご迷惑をおかけします」「危険ですので、紐の中の品物には触らないようにお願いします」と声をかけている。
商店会会長のワゴナーさんが駆け足でやってきた。
「泥棒が入ったと聞いたが、怪我はなかったかい?」
「はい、大丈夫です」
「それは良かった」
ホッとしたようで胸をなで下ろしている。
「盗まれたものはあったかい?」
「盗まれはしませんでしたが、見ての通り、ムーさんの物が3点ほど道に落ちてしまいました。申し訳ありません」
「それは困ったね」
「申し訳ありません。昼の12時にはモジャさんが来るので、それまでは僕が見張っています」
「それだと店が開けられないだろう。わかった。アーロン隊長に桃海亭に盗賊がはいったことを伝えにいく…」
「あっ!」
一瞬の隙をついて、通りがかりの男性がムーの本をつかんで逃げた。
5メートルほど走ったところで倒れた。
駆け寄ったシュデルが屈み込んだ。
「大丈夫ですか?」
「……た……す……」
男の人が口から泡を吹いている。
「助けて差し上げたいのですが、ムーさんの本を握られているので、難しいと思います」
「…………は、はな……」
「手から離れないのですか?それでは、申し訳ないのですが、お昼までお待ちください」
あと3時間。
男の人が何かいいたそうだけれど、口から泡がでているから話すのがつらそう。身体は全然動かないみたい。
商店街の人も集まってきた。みんな、困っている。助けてあげたくても、ムーの本を握っているから怖くて近づけない。
ワゴナーさんがシュデルの隣に立った。
「今からアーロン隊長のところに行くから、その後、魔法協会エンドリアガ支部によってガガさんにも頼んでこよう」
「よろしくお願いします」
倒れている男の人は30歳くらい。よくある麻のシャツとズボンを着ているけれど、雰囲気が魔術師のような気がする。
みんなが倒れている男の人に気を取られていた。
「キャアーー!」
観光客らしき女性が悲鳴を上げていた。
その女性の前には、高さ1メートルほど青い子象。
「ジョン、ジョン、どうしたの!?」
半狂乱で子象にすがりついている。
「大丈夫ですか?」
最初に飛んでいったのはシュデル。
子象の足下に転がっているカップに気がついたのだと思う。
女性の人がカップを指した。
「そのカップに息子が触って……」
そこで、女性は言葉を止めた。
シュデルの顔を、間近で見てしまったらしい。
真っ赤になったが、すぐに我に返った。
「子象に変わってしまって……」
子象が歩き出した。
「ジョン、動かないで」
女性がとめようとしたが無視して、歩き出した。
「ここにいれば、元に戻れるから」
シュデルが言ったけれど、子供は象になったことが楽しいらしく、鼻を大きく振りながら、ステップするように歩いている。
その前に立ちはだかったのは、肉屋のモールさん。
「小僧、母さんがここにいろと言っているんだぞ。ジッとしていろ」
腕組みをして見下ろした。
子象はUターンをすると母親らしい女性とシュデルの方に向かって駆けていった。そして、シュデルをはね飛ばした。
「わっ!」
シュデルが地面に転がった。
桃海亭の扉が開いて、ラッチの剣が姿を現した。
「大丈夫だから。子供がちょっとぶつかっただけだから」
シュデルが慌てて起きあがって、ラッチの剣をなだめている。
子象は母親の手からもすり抜けて逃げようとしたところで、アーロン隊長に捕まった。首に手をかけて、軽くコロリと地面に転がす。怒った子象は、起きあがってアーロン隊長に突進したけれど、軽く避けられた。また、突進する。避けられるを繰り返している。
その間もアーロン隊長は、転がっている男の側まで近づいてきた。
「何が起きた」
「すみません。ムーさんの私物が落ちてしまいました」
「この男が持っている本が、ムー・ペトリの私物か?」
「はい」
「対処法はあるのか?」
「昼の12時にモジャさんがきます」
「それまで放置だな」
あっさりと言った。
「……たすけ……て……」
男が苦しそうに言った。
「ムー・ペトリの私物だと書いてあっただろう。危険と書かれているものに手を出すお前が悪い」
正論だけど、本当のところは違う気がする。
いつもの隊長なら、なんとかしようと部下をガガさんのところに送ると同時に解除系の魔術師を捜そうとロイドさんや王宮に連絡を取る。
きっと、アーロン隊長は、今日は少しだけ楽をしたいんだと思う。昨日の朝までウィル達が桃海亭にいた。あの2人がいるとニダウ全体を巻き込むような大がかりなトラブルを起こすから、2人が留守の今は少しだけ楽をしたいんだと思う。
「……希覯……本………った……」
「希覯本だろうが、世界にたったひとつの幻の本だろうが、ムー・ペトリの本に手を出したお前が悪い。そこで反省していろ」
突進してきた子象を、隊長はコロリと転がした。そして、子象に言った。
「こいつも盗人だったな。牢屋に入れておくか」
子象が逃げ出した。母親の方に向かって駆けていき、またシュデルを突き飛ばした。
「大丈夫だから」
転がったまま、ラッチの剣に言った。
「なんか、こうシュデルくんて、あれよね」
「あれですよね」
掃除や商店街の手伝いをしている時は、キビキビと動くし身も軽い。ムーに比べれば走るもの速いし、動きも滑らかだ。運動音痴には見えない。
それなのに、
「鈍くさいのよね」
奥さんが頬に手を当てて、残念そうに言った。
ムーは短足でよく転ぶ。でも、火の玉が飛んできたら、魔法で防御したり、壊したりする以外にも、走ったり、屈んだりして、ちゃんと逃げる。
でも、シュデルは、そんな感じがしない。
もし、火の玉が飛んできて、道具達が守らなければ、顔や身体に直撃しそうな気がする。
「道具達が過保護になるのもわかるわ」
奥さんが2階を見上げながら言った。
壊れたウィルの部屋から、シュデルの魔法道具達が見下ろしている。
いざとなったら、力を使って守るつもりなのだろう。
子象は母親らしき女性の足下にベッタリとはりついた。起き上がったシュデルが母親に近づいた。
「昼の12時になれば元に戻れます。それまで、この商店街にいていただけますか?」
「わかりました。どこによろしいですか?」
「入り口のアーチの側に喫茶店があります。そこではどうでしょうか?」
女性がうなずくと、シュデルはアーロン隊長に目で合図を送って、女性と子象を連れて、喫茶店に向かった。
「ウィルくんだと、ああはいかないわよね」
「比較すること自体、無意味です」
女性の客が維持できているのは、シュデルの涙ぐましい努力のおかげだ。ウィルとムーだけだったら、女性客は店に入らない。奇跡的に入ったとしてもリピーターになってくれる確率はゼロだ。
「シュデルが帰ってきたら、詰め所に戻るぞ」
アーロン隊長が、一緒にきた3人の部下に言った。
「こちらの方は、本当にこのままでいいのですか?」
部下の1人が心配そうに本を握って苦しそうに倒れている男性の隣に屈み込んだ。
「しかたないな。お前はエンドリア支部のガガさんに事情を話して協力をあおげ。それだけでいい」
「わかりました」
その部下が駆けていく。
「今日はこれから……」
アーロン隊長が鋭い目をしていた。
視線の先、ムーの部屋から落ちた瓶を、奇妙なハサミでつかんでいる男がいる。
「…そいつを置いて行け。そうすれば、見逃してやる」
「断る」
瓶をハサミでつかんだまま、後ろに飛んだ。
身のこなしが軽い。普通の人じゃない。
「皆さん、危険です。商店街の店の中に避難してください」
警備隊の部下2名が観光客の誘導を始めた。
集まっていた商店街の人々も、自分の店に戻り始めた。あたしと奥さんは、店の中に入ってきた避難客を窓際に案内した。
商店街の住人は見慣れているけれど、観光客には新鮮な出来事が起こるかもしれない。
アーロン隊長が剣を抜いた。
飛び上がると、瓶をつかんでいる男を真上からたたきつけるように剣を切りおろした。
男は飛び退いて避けたが、驚いている。
「何を!」
「殺すと言ったぞ」
「いや、見逃すと言っただけだ」
「瓶を置かなかったから、殺すに自動昇格だ」
アーロン隊長が踏み込むと同時に、剣を下から上に切り上げた。男は身体をそらしたが、剣先が男の右袖を切り裂いた。
「本気か!」
「当たり前のことを聞くな。ここはキケール商店街桃海亭前、お前が持っているのは、あのクソちび魔術師の怪しげな瓶だ。殺して回収する以外の選択肢はない」
「さすが、桃海亭だな」
もし、ウィルがいたら『桃海亭は関係ないだろ!』とか『アーロン隊長が武闘派なだけだ!』とか騒ぎそう。
男がポケットから魔法の文字が書かれた布を取り出した。
アーロン隊長が剣を横になぎ払った。男は後ろに飛んで剣を避けると、ハサミで持っていた瓶を布に包み込んだ。そして、ハサミと瓶を包んだ布をコートのポケットに入れた。
男は後ろに飛んで、数歩下がるまでの短い時間にそれらを終わらせた。
「そいつを地面に置け」
「一般人など怖くない」
男は薄笑いを浮かべると、ふわりと浮かび上がった。
「置けと言っているのが、聞こえないのか!」
小型のナイフが男のコートの裾に刺さった。
次の瞬間、爆発した。
バランスを崩して落ちてくる男を、アーロン隊長はジャンプして切りつけた。
「ひぃ!」
コートと右足をかすめて、血が飛び散った。
上空3メートルほどで体勢を立て直そうとする男に、アーロン隊長が上着の裾を跳ね上げて、腰のベルトを露わにした。
「地獄に行ってこい」
ズラリと並んだ小型ナイフ。
爆薬がしこんであるものから、瞬間睡眠剤塗布されているものまで、様々なナイフが並んでいる。
桃海亭のせいで、アーロン隊長の戦闘力がどんどんアップする。あたしがニダウで働き出したときには、穏やかで優しい警備隊のお兄さんだった。それが今ではニダウで屈指の武闘派になってしまった。
「返す!返すから、待ってくれ」
男が何かを包んだ布を放ってきた。アーロン隊長は落ちてくるそれに向かって、ナイフを投げた。
爆発して、黒い粉が空中に散った。アーロン隊長が手で口をふさいだ。
「隊長!」
部下のひとりが、腰のポーチから白い袋をアーロン隊長に投げた。それをアーロン隊長が切る。白い粉が散り、黒い粉を吸着して地面に落ちていく。
「キケール商店街に毒をばらまいた罪は重いぞ」
「ばらまいたのは、お前だろ」
体勢を立て直した男はせせら笑うと、再び空に逃げようとした。
「お願いします」
涼やかな声が響いた。
同時に雷鳴が響き、電撃が男を襲った。痙攣している男が落ちてくる。それを薄い雲のようなものが弾いて、地面に転がした。
起き上がろうとした男の腹を、アーロン隊長が蹴飛ばした。胃液を吐いて地面に倒れた男の頭を踏みつけると、首に剣を当てた。
「やめてくれ」
そう言ったのは商店街の会長ワゴナーさん。
「頼む。キケール商店街で人を傷つけないで欲しい」
「こいつは厄介なタイプだ。見逃すと他に被害を及ぼす恐れがある」
桃海亭の2階から金属の鎖が飛んできて、男に巻き付いた。
モルデと呼ばれる魔法道具だ。
「アーロン隊長、モルデには魔力を抑制する力があります。もう、逃げることはできませんから、殺す必要はありません」
シュデルの説得に、アーロン隊長は渋々剣を納めた。
「シュデル、ムーの瓶を回収できるか?」
「12時まで待って、モジャさんに頼むのが無難だと思います」
「わかった。我々は引き上げるから、何かあったら警備隊の詰め所に来い」
「わかりました。それから、この方のことですが……」
地面に倒れている男はモルデにグルグルに巻かれている。
「知り合いか?」
「いいえ、違います。ただ、僕が掃除をしたばかりの道に、粉を散らかせたので掃除をしてもらいたいのですがよろしいでしょうか?」
「いいぞ。好きに使え」
「ありがとうございます」
アーロン隊長が部下を連れて引き上げて、シュデルは店からホウキとちりとりをもってきた。
「お掃除をお願いします」
モルデが転がった男を強制的に引き起こした。
「誰が、掃除なんか……や、やめろ………」
モルデが胴をしめあげながら、腕を前に出させる。
「これをどうぞ」
シュデルがホウキを差し出した。
男は手に押しつけられても、握らなかった。
「この体勢で力づくだと痛くなると思うのですが」
ワゴナーさんが駆け寄った。
「だめだよ、シュデルくん」
「はい?」
「そんな風に掃除を強要してはいけないよ」
「なぜですか?この方が地面を汚したのですが?」
「いいかい、この人は戦っただけなんだ。この人にはこの人の理由があって、ムーくんの瓶を盗んだ。その時に戦いになって地面を汚した。この人が自分から掃除をするならば、とてもいいことだけど、強要するのはだめだ」
「意味がわからないのですが」
シュデルがキョトンとしている。
「まだね」
「まだまだ、です」
シュデルが特殊な環境で育ったらしいことは、すぐにわかった。桃海亭に来た頃のシュデルはものすごく純粋で、豊富な知識があるのに常識外れ行動が目立った。
面倒くさがりやのウィルだけれど、シュデルのことは頑張ったんだと思う。常識外れの行動は少しずつ減っていった。
ウィル以外の人とも普通に接することができるようになると、ワゴナーさんが、シュデルに色々と教えてあげるようなった。若いウィルには難しいことを代わって導いてあげている。
「それでは、この方はどうすればいいのでしょうか?」
「12時まで桃海亭にいてもらったら、どうだろう?」
「わかりました」
「おい、この鎖をほどけ!」
「このように言っていますが」
「ほどいたら、みんなに迷惑だからね。12時にはアーロン隊長がくるから引き渡せばいいよ」
「わかりました。では、こちらに」
モルデが巻き付いた状態で、地面を引きずっていく。
「痛い、痛い!」
「シュデルくん、その人は生きているからね。もう少し優しく」
「モルデ、もう少し優しくしたほうがいいみたい。うん、わかっている。店長だと逃げられるけど、この人は大丈夫みたいだから」
モルデが鎖をクネクネさせて男の人を店に運んだ。
その後、すぐにガガさんが、解除魔法が使える魔術師を連れてきてくれたのだけれど、本を握っている男の人の魔法は解けなくて、そのままということになった。
シュデルは汚れた道をホウキで掃除したり、大工さんが持ってきた壁を2階にはめ込むのをチェックしていたりしていた。
壁が壊れたときは、柱に横板を張って直すのだけれど、大工さんがムーの部屋に入りたくないということで、窓をつけた壁を大工さんの仕事場で作ってきて、それを外側からはめ込むことになっている。隣のウィルの部屋も同じようにして壁をはめ込んで、すぐに直った。ウィルの部屋は横の壁も壊れていたけれど、そこには廃材の板から大きい物を選んで、打ち付けてふさいでいた。大工さんも『どうせ、すぐに壊れるから』と適当にやっていた。その代わりに代金を安くしてあげていた。
12時にモジャさんとアーロン隊長がやってきた。モジャさんはムーの本とカップと瓶を回収して、子象を子供に戻し、2人の盗人をアーロン隊長に引き渡した。ついでに【ムーのせいで騒がしたお詫び】ということで、商店街の通路を舗装していってくれた。
あたしはお昼のリンゴジュースとサンドイッチを食べて、午後の仕事に入った。入荷は一段落していて、店頭に飾られている鉢物の手入れをしていた。
「あら、可愛いですね」
通りかかった上品な老婦人が、あたしを見て微笑んだ。手入れをしていたのは小さな白い花がたくさんついた背の高い草の鉢。
「フォッグ草という名前です。北の国では畑の周りによく植えられるそうです」
「ごめんなさい。私がいったのは、その飾りのことなの」
老婦人が指したのは、あたしの白いエプロンの右隅についていた赤い星。
星の大きさは約20センチ。
どこかで見たような。
「え、えっーーー!」
ムーの部屋のビーカーにいたヒトデによく似ている。似ているというか、そっくりだ。
全体が赤くて星形。張り付いているからわからないけれど、ひっくり返して目があれば、間違いなく、ムーの部屋にいたヒトデか、あのヒトデの同種だ。
「どうしたの!」
奥さんが飛び出してきた。
「ひ、ヒトデ」
あたしがエプロンを指した。
「あら、あの時のヒトデさん?」
触ろうとしてので、慌てて身を引いた。
「毒とかあったら大変です」
「大丈夫だと思うけど」
「その根拠は?」
「ないけど」
あたしは斜め前の桃海亭に飛び込んだ。
入るのは初めて。
でも、怖いなんて言っていられない。
「いらっしゃい……リコさん?」
カウンターにいたシュデルがあたしを見て不思議そうな顔をした。あたしが桃海亭に近づかないことに気がついているから。
「ヒトデ!ヒトデ!」
「ヒトデがどうかしましたか?」
「ここ、これ、ムーの」
「ムーさんがどうかしましたか?」
うまく説明できない。
シュデル専用裏技を使うことにした。
「道具に聞いて!」
シュデルが黙った。
たぶん、道具達がシュデルに何か言っているのだと思う。
少しして、口を開いた。
「わかりました。それはムーさんが先週作ったヒトデ型の魔法生物です。先ほどまでムーさんの部屋のビーカーの中にいたのですが、壁を取り付けるときの衝撃で、転がり落ちてしまったそうです。すみませんが、ムーさんが帰ってくるときまで預かっていただけますか?」
「無理!」
「モジャさんが次に来るのは明日の昼の予定です。ムーさんが帰ってくるのが明日の朝ですから、ムーさんに頼んだ方が早いと思います」
「そういう問題じゃないの!急いで、あたしのエプロンからこれを取って!」
「僕には難しそうです」
「なんで、わざわざ店内に入ったと思うの。道具を使って取ってよ!」
シュデルが少し黙った。
その後、店に置かれたテーブルの引き出しから薄い石の板を出した。大理石のようなマーブル模様だけれど人工的に作った石のような感じもする。
真ん中に小さなくぼみがあった。
「リコさん、ここに指を当てていただけますか?」
「当てたら、ヒトデを取ってくれるの?」
「解決の糸口にはなるかもしれません」
ムーと違い、シュデルは人を陥れるようなことはしない。指をそっと当てた。
「やはり、そうですか」
薄い板に浮かび上がった魔法の文字を読んでいる。
「わかりました。方法はひとつしかありません」
シュデルが店から奥に入っていった。階段を上る音がして、少しして降りてくる音がした。
「リコさんに、これを差し上げます」
差し出されたのは、ポシェット。
赤い細い革紐で、四角い布でできた袋がついている。
「これは、どんな魔法道具なの?」
「普通のポシェットです。魔法はかかっていません」
「これを、どうすればいいの?」
「斜めに掛けてください」
「掛けたら、この布袋にヒトデが飛び込む、っていう落ちはないわよね?」
「いえ、その通りです」
先ほどの石の板を差し出された。
「ここを見てください。リコさんに魔力はありません。このヒトデは魔力のあるものに触れると変調を及ぼす力があるので、僕しかいない桃海亭では引き取れません」
「ムーの部屋のビーカーにいたわよ」
「あのビーカーはムーさんの特製で、このヒトデの能力を閉じこめる力があるのです。先ほどの壁をはめ込むときに割れてしまって使えないそうです」
あたしが疑いの目で見ていることに気がついたのだろう。
シュデルが早口で言った。
「信じられなければ、魔法協会に行ってみてください。あそこの入り口にある護符にヒトデを当てれば、ガガさん達がすぐに飛んできます」
「なぜ、飛んでくるの?」
「護符が変調をきたしますから、協会内の警報が鳴り響きます」
実行できそうもない方法を提案された。
「魔力がない人でいいなら、アーロン隊長に引き取ってもらって大丈夫よね?」
「だめです」
「なぜよ!」
「このヒトデには知性があります。気に入らない人間だと抵抗したり、攻撃したりする可能性があります」
「魔法生物でしょ」
「ムーさんが作りましたから」
チビ魔術師を抹殺したい人々の気持ちが、ちょっとわかった。
「このヒトデが、殴ったり、蹴ったりするの?」
「わかりません。設計図を書いて制作したのはムーさんです。魔力を持つものに変調を起こさせるという能力は設計図から道具が読みとってくれましたが、その他は難しくてわからないそうです。作られてからは、ずっとビーカーの中にいましたから、どのような行動をするのか予測もつきません」
ヒトデはまだ、あたしのエプロンにしがみついて、プラプラしている。
「ムーさんが帰ってきたら、すぐに対処しますから、それまで預かってください。このポシェットは差し上げますから」
上質な革紐、袋に使われている布も金糸を使った極上品だ。
シュデルの提案を拒否した場合、あたしが自分でエプロンからヒトデを引きはがずことになる。
そこまではできるけど、その先はどうしていいのかわからない。
試しにポシェットを斜めに掛けてみた。エプロンにしがみついていたヒトデがよじ登ってきて、自力でポシェットに入った。
ご機嫌なのか、身体をひねって、あたしを見上げた。
そんなに悪い魔法生物じゃないかもしれない。
「何かあったら、またくるから」
「よろしく、お願いします」
シュデルに見送られて、桃海亭を後にした。
「可愛いわね」
「まあ、可愛いですね」
あたしが枯れた花を丁寧に取っていると、ヒトデがポシェットから手を伸ばして、同じように枯れた花を取ってくれる。シュデルが『知性がある』と言っていたけれど学習能力は高いようで、桃海亭から帰ってきて1時間もしないうちにあたしの真似をして花の手入れを始めた。
ポシェットからでる気はないようで、花に届かないとおとなしくしている。好奇心は強いようで、ポシェットの縁に手をかけて、キョロキョロしている。
あたしにヒトデがくっついたことをのぞいて、3時頃までは特別なことはなかった。桃海亭から変な木片を片手に走り出てきた老年の魔術師が『やったー、ついに見つけたぞ』と叫んで、転んで、捻挫をして、診療所に運ばれたくらいだ。
夕方になると学校帰りの若い女の子達が窓に群がっていた。店番が100パーセント、シュデルとわかっているから、みんな笑顔で交代しながらのぞいていた。入り口の左脇にもいつもは置かれない手作りお菓子が山積みになっている。シュデルに食べてもらえると思っておいているのだと思う。ウィルやムーが明日の朝に帰ってくることを教えてあげるべきか迷ったけれど、夢を見るのも大切だから放っておいた。
日が落ち始める少し前、梯子を持った3人の男達が走ってやってきた。2階に梯子をかけるとウィルの部屋を斧で壊した。中に入ろうとして、吹き飛ばされて通りに落ちてきた。
「怪しい3人組が城壁を越えたという連絡を受けたが、こいつらのようだな」
いつの間にかきたのかアーロン隊長が桃海亭の前に立っていた。
すでに剣を抜いている。
2人はすぐに起き上がり、剣を抜いて隊長に対峙した。残りのひとりはフローラル・ニダウ前まで転がってきた。血は流れていないし、大きな怪我もしていない。見た感じでは魔術師のようで肉体はあまり鍛えていないみたい。
「大丈夫ですか?」
動かないので、声を掛けてみた。そうしたら、顔はあげずに手をのばしてきた。その手をヒトデがペシペシと叩いた。
「リコちゃん、危ないから、店に入っているように」
「はぁーい」
隊長に言われて、店内に入った。転がっている魔術師の人は落ちた衝撃で動けなかっただけみたいで、呻きながらもゆっくりと起き上がった。
「どけ」
不機嫌な様子で仲間に言うと、片手をあげて隊長に向けた。
「ファイアー!あ、あ、あちぃーーーー!」
炎が渦巻いて腕を焼いた。
前に見たことがある。
魔法の暴発だ。
剣を抜いた仲間が駆け寄った。
「どうした!」
魔術師が火傷した腕を押さえている。
「魔力の流れが狂った」
ヒトデがあたしをペシペシたたいた。
「君がしたの?」
うなずいた。
2つのことがわかった。
シュデルの言っていることは事実だった。ヒトデが触れると魔力に変調をきたすみたい。
もうひとつ。
「言葉がわかるの?」
ヒトデがうなずいた。
「いつ覚えたの?」
作られてからビーカーの中にいたとシュデルは言っていた。ムーが教えるはずがないから、どうやって覚えたのか不思議だった。
ヒトデは桃海亭の2階を指した。そのまま、その手をフローラル・ニダウの店先に下ろした。
思わず、笑顔になった。
なぜ、ヒトデがあたしのエプロンに張り付いたのかもわかった。
「あたしの会話を聞いて覚えたんだ」
ヒトデがうなずいた。
フローラル・ニダウで店先に一番長くいるのはあたし。買いに来たお客さんに商品の説明をしたり、世間話をしたり、商店街の人と噂話をしたり、奥さんと雑談に興じたりしている。
2階の窓際にいたヒトデには、あたしの会話が聞こえていたのだ。
また、ペシペシたたいた。
ヒトデが何をいいたいのか、わかった気がした。
「魔力を変調させるなんて、すごい力だね。頑張ったね」
誉めてみた。
育ての親とは言えないけれど、あたしの会話で言葉を覚えたと知って、ヒトデに親近感を持ち始めていた。
欲しかった言葉だったようで、ヒトデは前を向いて観戦を始めた。
桃海亭に押し入ろうとした盗人の残り2人は魔法が使えないみたいで、剣で隊長と戦おうとした。
「今日はのんびりしたかったんだぁーーー!」
隊長の渾身の一撃で、前にいた長剣の男が吹っ飛んだ。靴屋の看板にたたきつけられ、崩れ落ちたところを警備隊の隊員に捕まった。
「くそぉーー!」
残った男が剣を滅茶苦茶に振り回した。
「絶対に定時に帰るんだぁーー!」
隊長は大振りなのにブレのない剣さばきで、残った男をパン屋まで吹っ飛ばして、剣を鞘に納めた。
「よし、帰るぞ」
詰め所と逆方向に向かおうとした隊長は、部下に「まだ、この3人の調書が終わっていません」と止められ、イヤそうに詰め所に帰っていった。
入れ替わりで来たのが、午前中に修理のきた大工さん。
盗人達が残した梯子で、ひょいと2階にあがると散乱した板をうまく組み合わせて打ち付けてウィルの部屋の壁の穴をふさいだ。修理代を払おうとしたシュデルに「代金はこいつでいいぜ」と梯子を持って帰った。
日が沈んで、あたしが店から帰る準備をしていると、アーロン隊長がやってきた。
「先ほど桃海亭に押し入った盗人のメンバーの魔術師が、リコちゃんのポシェットに入っているヒトデに触れられたことで魔力の流れが狂ったと言っている。どういうことだ?」
あたしとポシェットにいるヒトデを、アーロン隊長が交互に見た。
「このヒトデが触れると魔力に変調をきたすとシュデルが言っていました」
「シュデル?このヒトデは桃海亭の魔法道具なのか?」
「違います。魔法生物だそうです」
「なぜ、桃海亭の魔法生物をリコちゃんが持っているんだ?」
アーロン隊長が不思議そうだ。
あたしが桃海亭を苦手に思っているのをアーロン隊長は知っているから。
「壁を修理したとき、2階から落ちたんです」
「すぐに桃海亭に返したほうがいい」
隊長のいうことはわかる。
あたしがいま『魔力に変調をきたすから返せない』と言っても、桃海亭のどこかに置いておけばいいという諭されると思う。
ヒトデを見た。
ポシェットの縁に両手を掛けて、下を向いている。
なんとなく、しょんぼりしているように見える。
「隊長、あの」
「リコちゃんが桃海亭を怖いなら、私が返してこようか?」
隊長が優しく言ってくれた。
アーロン隊長にこのヒトデのことをなんといったらわかってもらえるのか、頭が混乱して良い説明が思いつかない。
アーロン隊長には、ヒトデを預かっていることをイヤではないこと。ヒトデを明日の朝まで預かって世話をするつもりでいること。
ヒトデには、ヒトデがあたしの会話から言葉を覚えてくれてうれしかったこと。可愛いと思うようになっていること。
伝えたいのに、言葉がまとまらない。
そして、混乱したまま、あたしは思いを口にした。
「隊長、このヒトデは、あたしの弟なんです」
翌朝、ムーが帰ってきて、昼前には作り直したビーカーをフローラル・ニダウに持ってきた。
ヒトデはひどくしょんぼりしていて、それでも素直にポシェットからビーカーに移動した。
頭では言わない方がいいとわかっていたけれど、感情に負けて『ポシェットはお店に掛けておくから、時々なら遊びに来ていいから』と言ってしまった。
それ以来、週に2、3回。朝、店に行くとヒトデがポシェットに入っている。ポシェットを掛けて仕事をすると、ヒトデの手が届くところは手伝ってくれる。ヒトデはポシェットから絶対に出ないし、奥さんや客が触ろうとするとポシェットに潜り込んで触らせない。日が沈む頃になると、ポシェットから出て、走って桃海亭に戻っていく。外壁をのぼって、ウィルの部屋の壁の割れ目から中に入っている。
ヒトデが誰にも触らせないのは、魔術師に触れないよう注意しているのだと思っていた。普通の魔術師がヒトデを触ると約1日魔力が狂い、魔力量が多いムーやシュデルが触ると、逆にヒトデの方が壊れてしまうらしい。
ヒトデを観察して、その後、話してわかった。あたしの深読みだった。ヒトデは内気な性格だった。
商店街の人達は【フローラル・ニダウの内気なヒトデ】で受け入れてくれた。ヒトデになぜ言葉がわかるのかとか、突っ込みどころはたくさんあるはずなのだけれど、桃海亭のおかげで気にもされなかった。
ヒトデが遊びに来るようになったけれど、桃海亭とあたしの関係は変わらない。ウィルとムーは、前と同じくあたしの名前すら知らない。
ウィルに名前を呼ばれると不幸になりそうで怖かったから、周りの人に教えないように頼んだからだけれど。
「あ、ヒトデのお姉さんだ」
「本当しゅ、ヒトデのお姉さんしゅ」
リコ・フェルトンという本当の名を教えるべきか、悩んでいる。