オタサーの姫編⑥
8月13日。同人誌即売会当日。大井町駅に6時集合の予定だが、肝心の百々子が来ていない。
グループのチャットにメッセージを入れても百々子からの返信がない。
「まずいっすよこれー」
しげるは足をカタカタさせてイライラを隠し切れないでいる。
「どうする?サト先」
しげるは絶対タンクには聞かない。タンクは百々子に首ったけだからだ。
「あと10分で百々子ちゃんがこなければ、先に行こう」
「それしかないっすね」
しげるも同意した。
「姫は会場の行き方まだ把握してないと思うんだが?」
タンクが言う。しげるの視線が突き刺さる。
「昨日行った場所なんだが?」
「俺らは何回も来たことあるからいいけど、一回ぐらいで分かるかよ!」
「スマホで調べりゃ何とかなるべ」
しげるは呆れた表情。
「会場の中のどのブースかまではわかんねぇだろうが!」
「あのさぁ。昨日あんだけ言って遅刻して、チャットにも返信しないでいるやつに、どこまで手を貸せばいいの?」
「姫が居なけりゃ写真集すら作れなかったんだが?」
しげるとタンクの言い争いはリアルトーンで繰り広げられている。
流石にサト先が間に入る。
「やめとけって。せっかくのイベントなんだから……」
サト先は困った顔をしている。
そう言ってるうちにグループチャットに百々子から返信が来る。
『ごめんいまおきた』
全てひらがなで構成される文、焦りが伝わって来る。
「どうする?サト先」
「この時間だとなぁ、やっぱり置いてくしかないよなー」
サト先の表情から笑顔が消えた。
「俺、残るわ」
タンクが口を開く。
「姫待つわ」
しばらく全員が沈黙するが、しげるもサト先も納得した様子だ。
「じゃあ後で合流な」
「百々子ちゃんに会えたらまたチャットしてくれ」
もうこのイベントを楽しめる予感がしない3人だった。
マンガ研究部のイベントブースは外にあり、コスプレした百々子を自由に撮影できる。かつ写真集を買える場所ということになっている。
しかしここには百々子が居ない。
当然写真集を買うものなどおらず、むさい男が二人だけ。周りには肌色のコスプレイヤーたちが大勢いることが二人を気まずくさせる。
新参者にはお客が着かないとはいえ、百々子さえいれば少しは変わったのかもしれないという思いがしげるの中で蔓延していた。
「なぁサト先、ジュースでも買ってこようか?」
「やめておけ。この会場から自動販売機を見つけ出すだけでも一苦労だし、人にもまれて想像以上の体力を使うぞ」
「だよなぁ」
「ジュースが飲みたきゃクーラーボックスにあるぞ」
「別にジュースが飲みたいわけじゃないんだけどさ」
お互い明後日の方向向きながら、けだるい姿勢で椅子に座っている。言葉も空中に浮いていくほど軽い。
しばらく時間がたってお昼時。周りのブースも少しお客が減ってきた頃、百々子とタンクが現れた。
急いでくるわけでもなく、焦っているわけでもなく、申し訳なさそうにするでもなく。
タンクと百々子がじわじわと近づいてくる間、しげるはこの怒りをどうぶつけてやろうか考えていた。
「来たよ」
開幕一言目はタンクだった。
「遅かったな?姫」
しげるはタンクを無視して百々子へ攻撃を仕掛ける。
「は?遅かったけど?」
百々子の方もしげるの態度を察してイラついていた。
「何か言うことがあるんじゃないのか?」
「しげるがなんかしてくれたの?」
「は?」
百々子のその言葉にしげるは驚く。
「サト先は衣装用意してくれた。タンクは写真を作品にしてくれた。私がモデルをやった。しげるがなにかやった?」
しげるはしばらく言葉を失った。
タンクが追い打ちをかけるように言う。
「たかが遅刻ぐらいで、姫がこのイベント楽しめなくなったらどうすんだよ!?せっかく来てくれたのに、俺たちのために来てくれたのに姫のテンション下げるなんて意味わかんねーよ!!」
しげるはまだ黙っている。
「しげる、おまえ、姫に何か言うことがあるんじゃねーのか?」
「それだけはねーよ」
しげるが立ち上がる。
「クソが」
引き留める声を無視してしげるは会場の中の、奥の方へ歩いて行ってしまう。
しげるにとってこのイベントの価値がゼロになっていた。自分は何もしていないと言われ、百々子の失態の責任転嫁をされ、どうせお客なんか来やしない。
「ああそうだよ……」
足を止めず、ひたすら出口へと向かうしげる。
どうしてこうなった。なんでこうなる。何が原因。いつからこうなった。無限サイクルが頭を埋め尽くして、惨めな思いが心を埋め尽くしていた。
「もしかしてうちの学校の……」
声の方へ目をやると、しげる前方向から手を振って来る美少女がいる。
しげるはまさか自分の事ではないだろうと思って顔を下に向ける。
「ねぇ、うちの学校の人だよね?」
今度は肩を叩かれるしげる。
「うちの学校じゃないです」
一瞬固まる。驚きすぎて意味の通ってない言葉を言ってしまう。
「えー絶対うちの高校の人だよ!廊下で何回もすれ違ったもん!」
しげるはここで初めて相手の顔を見る。
平林凛だった。
学校一のデカいコミュニティを持つ、学校一頭の良い、学校一モテる女。
「平林凛……」
「私のこと知ってくれてるんだ!うれしー!」
この一瞬でしげるの心は奪われた。学校一の笑顔、学校一可愛い声、学校一可愛い顔。
「なぜ平林凛がこんなところに……?」
当然の疑問であった。リア充の権化みたいな女がオタクの集まりに参加する理由など想像できない。
「ん?あぁ、今休憩中だからわかんないよね。私、コスプレイヤーなの」
「こ、ここ、ここおここコスプレイヤーななっなななんだ!」
しげるは百々子と初めて会った時のようなドモリ方で対応する。
「ハハハ!急にどうしちゃったの?しゃべり方、変だよー?」
「ははは話したことないから……」
顔真っ赤にして俯く。
「名前聞いてなかったね?教えてくれる?」
サト先の10倍爽やかな笑顔で訪ねてくる凛。
「しげる……」
「しげる君ね。うん。私、一度聞いたら絶対忘れないから」
といってニコッと笑って見せる。
「しげる君は一人で来たの?」
「うちのマンガ研究部の奴らと一緒」
「そうなんだー!今はお昼ご飯を買いに出ようって感じ?」
人の流れとは逆方向に向かっているしげるはどう考えても不自然だった。凛は買い出しと勘違いしてくれたようだ。
「そんなところ」
「じゃあ私も一緒してもいい?」
「え?ぁぁあ、うん。」
コンビニに着いて、しげるは装いのためにおにぎりとサンドイッチを人数分買う。さっきまで帰ろうとしてたのにとか思いながら。
さっき会ったばかりなのに凛は、しげるのパーソナルスペースにぐいぐい入って来るのだ。
「うらやましいなー。私って、コスプレとかアニメとか理解してくれる友達いないから、みんなでイベント参加ってあこがれちゃう」
「そうかな……?」
「そうだよ!絶対!しかもあのクラス一可愛い百々子ちゃんをモデルにして写真集を売ってるんだもんね!これは、事件です!事件です!至急応援お願いします!って感じだよ」
コンビニを出て、会場に戻って、凛は
「私さ、コスプレ衣装に着替えるからちょっと更衣室の前で待ってて」
「え!?うん……いいけど一緒に行くの?」
「うん!私もみんなに会いたいし!いいでしょ?」
「わかった……」
更衣室の中できっと凛はあんな姿で鏡を見ながら胸の形とか気にしてるんだろうな……と妄想を膨らませるしげるであった。
「お待たせ!行こ?」
これは!?『ファンタジーボンバー3期』に出てくるヒロインの『山谷キョウ』だ!!しげるが愛してやまないキャラのコスプレだった。
そしてしげるは新たに思う。凛は学校一胸が大きくて、学校一エロい女だと。
しげるは道中の記憶はほとんどないが山谷キョウと並んで歩いた経験は一生の物となった。
マンガ研究部のブースに凛を連れて来たしげる。当然みんなから驚かれる。
「のこのこと戻ってきたのか?」
タンクが挑発の一言を投げかける。
しかし、しげるにとってさっきまでのギスギスは関係ないのだ。頭がお花畑になっている。
「みんな!昼飯買ってきたよ!」
と言ってコンビニ袋を掲げる。
マンガ研究部の3人は、この不可解な現象にお互い顔を見合わせる。
「あと、途中で平林凛さんと会ったから、一緒に連れて来た!」
しげるの後ろからひょこっと顔を出し、凛がお辞儀をする。
「初めまして!平林凛です!あ!百々子ちゃんは初めてじゃないよね、私のこと分かる?」
「うん、わかるよ……」
と百々子は苦笑い。圧倒的に押されている。
「百々子ちゃん、今日はコスプレしないのー?」
「す、するよ!遅刻しちゃったから間に合ってないだけ……」
「すっごい楽しみ!私、百々子ちゃんのこといつもかわいいなーかわいいなーって思って見てたんだから!ずっとラブビーム送ってたんだからね!」
「ラブビーム!?」
「うんうん!その百々子ちゃんがコスプレしてるって聞いて絶対見に行きたいって思ってきちゃった!!」
「あはは、どーもどーも」
またしても苦笑い。
「あ!これが写真集ですか?おいくらですか?」
凛はタンクに向かって聞く。
「1000円になります……」
「うそ!?フルカラーの写真集で1000円でいいんですか!?」
「赤字覚悟ですから(メガネクイッ)」
凛は1000円渡して写真集を受け取る。早速中を見始めるとすぐに大きな声を上げる。
「すっごーい!かわいいー!!」
更にタンクに詰めよって
「これってー、誰が仕上げしてるんですかー?」
「い、一応、僕です(メガネクイッ)」
「すっごーい!!プロですよこれ!」
更に読み進める。
「あー、ここ家庭科室!体育館!中庭のベンチ!うちの学校だ―!!すごい!一生もいっぱいある!衣装は誰が用意してるんですか?」
「それはわたしが」
サト先が軽く手を上げる。
「すっごーい!!百々子ちゃん超かわいいし、写真集超クオリティ高いし、ほんとにすごい!!」
凛の目は輝いてた。
「私、売り子やってもいいですか?」
男どもは満場一致でうなずいた。
百々子は着替えに更衣室まで行く。その間は凛が売り子を一人でやりくりする。その捌き方が上手いわ声が可愛いわでみんな釘づけになっていた。
当然のことながら凛に対して『写真撮らせてください』というリクエストが殺到し、写真集は爆売れした。
凛は徹底して『うちの百々子ちゃんの写真集をお願いします』という一言をつけていた。
タンクとしげるとサト先はサポートに徹していたが、山谷キョウの衣装で半分見えてる凛のお尻を目で追わずにはいられなかった。
百々子が着替えて戻って来ると、凛を撮影する人だかりが目に入る。
圧倒的スター感に怖気づいてしまう。
百々子は人の群れをかき分けて、恐る恐るブースに入る。百々子だって肌の露出の多い人気キャラのコスプレ姿である。
しかし、大衆は依然として凛に集まっている。
集団の中のボッチを今一度味わう。
またこの女によって……。
頭が良くて、運動が出来て、可愛くて、スタイルが良くて、コミュニケーション能力が高くて、人気があって、悩みがなくて、私とは大違い。
写真集は完売。
しげるもタンクもサト先も、凛と親密になった。
凛は百々子にも興味を示して、たくさん話をしてくれた。
イベントが終わり。辺りの静けさ。
百々子にとって写真集の完売は心から喜べるはずの物だった。華々しいはずの物だった。
なんとなくみんなが片付け始めて、百々子はお姫様だから手伝う必要がなくて。
みんなが帰り始めて、百々子は後ろをついていく。
なんとなく駅に着いて、解散しようとしている。
「私もマンガ研究部に時々お邪魔してもいいですか?」
凛が笑顔で言う。
「とは言ってもバスケ部もあるんで、本当にたまにですけど」
「もちろんいつでも待ってるよ」
とさわやか笑顔サト先。
「平林さんがオタクって知ってマジで驚いたわ」
としげるは今までに見たことの無い笑顔。
「またオタクトークに花咲かせようぞ」
とタンクは不器用に笑顔。
『じゃあここで解散』とサト先が言ってみんな散らばる。
「そういえばタンク」
サト先が言う。
「百々子ちゃんに言うんじゃなかったのか?」
タンクの耳元でヒソヒソしゃべる。
タンクは首を横に振ってため息を吐く。
「いや、もういい。俺どうかしてたわ」
タンクと凛は同じ方向らしく、二人で帰ってった。
百々子、サト先、しげるが同じ方向で、イベントの盛り上がりからかサト先としげるは話が尽きないようだった。
百々子はたまたま空いてた椅子に一人座る。
「はぁ……。オタクって……キモっ」
テーマは『自分を特別だと思うな』です。これ言うと反対意見をよくもらいますが。
私は子供のころ『法律のできる相談所』という番組を見て、将来は弁護士になるんだ!って思ってました。
でも弁護士って私ではなれないんですよ。次にゲームが好きだったんでゲームクリエイターになりたいと思うんですが、そこそこ頑張ってもなれなかったんですよね。好きな子に告白しても振られたんですよね。
もちろん死ぬほどの努力をしたわけでもないので、努力が報われないとかそういう話がしたいのではなく、特別な人間ってのが他にいて、その人たちが全てを持っているのではないか?という気がしてくるのです。
私がなりたかったその職業になる人がいて、私の好きだった子の隣にいる人がいて、人生しょっぱいことばかりなんだから『自分を特別と思うな』なんです。
今回の話では、自分が特別になれると思った百々子が平林凛にすべてを持っていかれたので、最初から期待なんてするもんじゃなかったと思ってしまいます。
でも傍から見て特別じゃなくても自分の中では自分が一番特別なんだと思いますよ。




