8.《神護院》の顔
2016.04.17 一部改稿
2016.07.18 一部改稿
エアが窓を開けると、青年は身軽に窓枠を乗り越えて部屋に上がりこんできた。
「ちょ、ちょっと! 入っていいなんて言ってないよ」
「え? そのつもりで開けてくれたんじゃないの?」
「違っ……」
「うわ、すっごい眺め!」
部屋いっぱいに散らばった色とりどりの布の山を見回して、青年が口笛を吹く。
エアは青年を気にしつつ、窓から首を出してざっと外を見わたした。
人影が見あたらないことを確かめて、窓を閉める。
(こんなところ、誰かに見られたら大変だよ)
焦っているエアをよそに、青年は部屋の中をぶらぶらと歩き、布の山を検分する手つきで無遠慮にひっくり返しはじめる。
「デール王国の絹織物に、リンデン地方のレースに……、おっ、南方諸島の文様染まである。さすが《神護院》。――ねえ、こんなに集めて、この布何に使うの?」
「……その中から、マイアの衣装にする布を選ぶのよ。もうすぐ、マイアの披露式があるから。……それより――」
エアは息を吸いこんだ。
最初の驚きが落ち着いたら、だんだん腹が立ってきた。
この青年は、また神使たちから言いわたされた禁止事項を破って、七区を抜け出してきたわけだ。先日のエアの忠告をまったく無視して。
「君が何を言おうとしてるか、当ててみようか」
口を開きかけたエアをひょいとふりむいて、青年が緑の瞳をきらめかせる。
「――この男、また勝手なことしてる。見つかったら、ここを追い出されるって言ったのに。性懲りもなく、今度は真昼間にこんなところをうろつくなんて、何考えてるの! ――だろ。当たった?」
「――っ、わかってるなら、なんでこんなところにいるのよ!」
「怒らないでよ。はい、これ」
青年が片手をひらめかせると、手の中にほころびかけた薄紅色のつぼみがあらわれた。眉をよせるエアをのぞきこみ、にっと笑う。
「この前、助けてもらったお礼。受けとってよ。君のために摘んできたんだから」
「……」
薄紅色のつぼみと、得意げにしている青年の顔を交互に見やり、エアはしかめっ面でため息をついた。
「……よく言うよ。この花、下の植え込みでむしったでしょう。園芸班に知られたら、袋叩きだよ」
「へ?」
青年がぱちくりする。
なんとなく怒りをそがれて、エアはもう一度ため息をついた。
「……もういいわ。わたしもあなたにききたいことがあったから」
「ききたいこと? 俺に?」
「この前あなたが言っていた先代マイアの約束のこと、詳しくおしえてほしいの。先代のマイアは、いったい誰と何を約束したの?」
ああ、とまばたき、青年がにやりとする。
「じゃあ、かわりにマイアの居場所をおしえてよ。そしたら、話してあげる」
エアは即答できず、青年をにらんだ。
今この場で、自分がマイアだと明かしてよいものだろうか。
つい先ほどまで、もう一度青年に会えることがあったら、身分を明かしてでも先代マイアの約束について聞きだそうと思っていた。けれど、いざその機会を前にすると、ためらいが先に立った。
先代マイアの約束というのが、本当にあったことかどうかさえわからないのに、そこまでこの青年を信用してよいものか。
「……マイアに会いたいなら、きちんと神使を通して面会を願い出てって言ったでしょう」
「頼んだけど、ダメだって言われたよ」
「えぇっ?」
目を丸くするエアに、青年が肩をすくめる。
「君に言われたとおり頼んだけど、即却下だったよ。俺たちみたいな遊民がマイアに面会できるわけないだろうってさ。約束のことも話したけど、マイアが遊民なんかと約束なんてするはずない。でたらめ言うなって、えらい剣幕で怒られた」
エアは額に手をやった。言わないことではない。
「……おこないが悪いからだよ。神兵たちを出し抜いて、庭内を好き勝手に動き回ったりしてるから嫌われるんだわ」
だが、それはそれとして、
「面会の希望を退けられたのって、いつのこと?」
「一昨日かな。君に会った次の日だよ」
エアは眉をよせた。
(そんなことがあったなんて、聞いてない……)
ラベルもスワニーも、そんなことは一言も言っていなかった。彼らのところにも、報告が上がっていないのだろうか。
「俺たちとしては、だからって諦めるわけにはいかないんでね。君がマイアに会わせてくれると、助かるんだけど」
「どうして、わたしが……」
「君って、マイアの衣装にする布を選ぶような立場なんだろ? ということは、マイアに直接かかわる役目にあるわけだ。この前も、マイアのことをよく知ってるような口ぶりだったよね」
知っているも何も、本人だ。
「君、やろうと思えば、俺をマイアに会わせることができるんじゃない? 頼むよ。居場所をおしえてくれるだけでもいい」
「それは……」
エアは瞳をさまよわせた。
どうする。自分がマイアだと明かしてしまうか。
青年がすでにマイアへの面会を退けられているなら、このまま待っていても、あらためてはなしを聞く機会は得られないだろう。
ラベルたちに知られたら、絶対に叱られるだろうが、
(どうしよう、言ってしまう?)
逡巡するエアに、青年がすいと目を細める。
「……それとも、君たちには、外の人間をマイアに会わせられないわけでもあるのかな。例えば、君たち、実はマイアを監禁してるとか」
「はぁっ?」
「あるいは、今のマイアは偽物だとか」
(……っ!)
エアは目をみひらいた。
何をバカなことを言うのだ。
怒鳴りつけてやりたいのに、とっさに声がのどに絡んだようになって、うまく出てこない。
「な……何よ、それ……」
「だって、不思議なんだよねえ。どうして当代マイアが、おとなしく《神護院》に担がれているのか。マイアって、歴代の生まれ変わりの記憶を全部もってるんだろ? ってことは、当代のマイアには、《神護院》に殺された先代マイアの記憶があるんだよね」
青年が発した言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
(殺された……? 誰が、誰に……?)
「当代のマイアにとって《神護院》は、かつて自分を殺した奴らだろ? そんな連中のもとに、どうしておとなしくとどまっているのかな。君たち、何か強引な手段を使って、マイアを無理やり手元にとどめているんじゃない?」
「ま――待って。言ってることがよくわからないんだけど……?」
エアは困惑して青年をさえぎった。
「さっきから、先代マイアが《神護院》に殺されたみたいに聞こえるんだけど……?」
「とぼけなくていいよ。公式発表では事故死ってことにしたみたいだけど、本当は殺されたんだってことは知ってるから」
エアはぽかんとして青年を見た。
「何言ってるのよ。そんなこと、あるはずないじゃない」
どうして《神護院》が先代マイアを殺すのだ。自分たちが奉じる女神を。
もしかして、からかわれているのだろうか。そう思って青年をうかがう。
けれど青年は、反対にどこか憐れむような視線をエアに向けてきた。
「君、もしかして知らなかった? 《神護院》内でも伏せられてるのかな。……まあ、当然か。マイアの使いを自称している《神護院》が、その女神を殺したなんて、自分たちの存立の意義が危うくなるような大事件だものね」
「ちょっと、いいかげんにしてよ」
エアは青年に向き直った。
「冗談だって、言っていいことと悪いことがあるよ。《神護院》がそんなことするわけないじゃない。どうしてそんなひどいことを言うの?」
「だって本当のことだもの。嘘だと思うなら、マイアにきいてごらんよ。先代はどんなふうに死んだのかってさ」
エアはくちびるをかんだ。
(それができたら……)
エアに先代の記憶があれば、即座に否定してやれるのに。
同時に、つい先ほどスワニーたちと交わした会話がよぎり、胸にかすかな不安がきざす。
先代マイア・ルドゥーテの死の詳しいいきさつを誰も知らなかった。
そしてラベル。先代マイアの護衛士だったのかと尋ねたときに、彼が一瞬浮かべた表情。
とても大切なものと、とても忌まわしいものを同時に見せられたような、苦しげな顔。思慕と哀惜、懐古と後悔、慈しみと怒り、さらに言葉にあらわしようのない、もっと複雑な感情……。それらすべてが入り混じり、今なお癒えることなく彼をさいなみ続けている生々しい傷跡をさらけだしたような。
(――ううん、そんなの関係ない!)
不安をはねのけるように、エアは拳を握って青年をにらみ上げた。
「きくまでもないことだわ。何を誤解してるんだか知らないけど、あなたが言ってることは《神護院》への侮辱だよ。《神護院》は清廉と慈愛が信条なの。マイアだろうがほかの誰だろうが、人殺しなんてするはずない!」
「清廉って……、君ねえ」
青年が呆れたように眉を上げる。
「本当に清廉だったら、これだけ贅沢な布の山を集められるわけないだろ。言っておくけど、これ、一国の王宮並みだよ。かつては女神の使いを名乗るにふさわしい、君が言うような集団だったのかもしれないけど、今じゃ、水と緑の分配をたてに地上から富を吸い上げて、大小の国々を従える、ただの利権組織じゃないか」
「そんな……!」
言い返そうとして、エアは自分が反論の材料をもたないことに気がついた。
《神護院》の外部とのかかわりについて、彼女が知っていることはあまりにも少ない。
握ったこぶしに力をこめる。
「……だけど、それと先代マイアが亡くなったこととは関係がないでしょう。《神護院》が人殺しなんかするはずない。《神護院》に、先代マイアを殺すどんな理由があったって言うのよ!」
「マイアに、約束を履行させないためだろ」
なに、と眉をよせるエアに、青年が肩をすくめる。
「先代マイアが交わした約束が、《神護院》にとって都合が悪かったんだろ。だから、彼女が約束の内容を実行する前に殺した。おかげで約束は果たされないまま。こうして俺たちが、当代のマイアにあらためて履行を頼みに来るはめになってる」
エアはゆるく首をふった。
青年の言うことは、とても受け入れられるものではない。けれど、まったくのでたらめだと切り捨てることもまた、ためらいを感じさせるものがあった。
「いったい……、先代マイアはどんな約束を交わしたっていうの?」
「知りたいなら、マイアに会わせてよ。そうしたら、君にも聞かせてあげる」
そのとき、窓の外で鳥のさえずりのような音がした。
窓をふりむいて、青年が顔をしかめる。
「しまったな、ちょっとのんびりしすぎたか。もう時間がないや」
え、とまばたくエアに、青年が早口に言う。
「今日――、いや、明日の晩にしよう。誰にも内緒で、この場所にマイアを連れてきて。そこで話すよ」
「え、――ちょ、ちょっと待って」
きびすを返した青年の袖を、慌ててつかんで引き止める。
「無理だよ。そんなふうにあなたをマイアに会わせることなんてできない。そのかわり、わたしにおしえて。わたしからマイアに、あなたの言葉を伝えるから」
「ダメだね。俺が直接マイアに話す。先代マイアの約束について知りたいなら、明日の晩、君がマイアをここに連れてくるんだ」
一方的な要求に、エアはむっとなった。
「そんな約束して、わたしがほかの人に話すとは思わないの? 神使も神兵も、あなたたちが庭内を好き放題にうろついていることに気づいてるわよ。証拠をつかんで、とっととこの《女神の庭》から追い出そうと躍起になってる。わたし、みんなに話して、あなたを捕まえようと待ち構えているかもしれないよ?」
「そうするつもりなの?」
まともに尋ね返されて、エアは返答につまった。
かるく笑って、青年が窓へ走る。
その背中を見て、エアはもう一つ青年に言わなければならないことを思い出した。
「あ――待って。これ、あなたの物じゃない?」
衣の下からガラスのペンダントをひっぱり出して見せる。
「この前の晩に拾ったのよ」
「あー、君が持ってたんだ。よかった、どこで落としたのかと思ってたんだ」
青年の顔が明るくなる。エアが首から外そうとするのを止めて言った。
「返さなくていいよ。君に預ける。それ、マイアにわたしといて」
「ええっ?」
顔をしかめるエアに、青年が緑の瞳をきらめかせて言う。
「マイアに会ったとき、本人から返してもらうよ。それ、絶対にわたしといてね」
「バーム兄、早く!」
窓の下からひそめた声が呼ぶ。
頼んだからね、ともう一度エアに念押しして、青年が身をひるがえした。猫のように窓枠をひらりと飛び越える。
「――あっ、ちょっと……!」
青年を追って、窓から身をのりだす。
身を低くして庭木の繁みに走って行く金髪の青年の後ろ姿が見えた。そのすぐ後ろを、茶色の短髪の小柄な影が続く。
(男の子……?)
金髪の青年の仲間だろうか。窓の外から青年を呼んだのは、あの少年だったようだ。
(明日の晩って言ってた……)
すがるように窓枠を握りしめる。
また、約束の中身を聞きそびれてしまった。
けれど、今はそれと同じくらい、考えなければならないこと、確かめなければならないことが増えてしまった。
《神護院》という組織のこと。先代マイアの死のこと。
でたらめだと聞き流すには、どれもいささか重すぎるはなしだ。
(とにかく確かめなきゃ。だけど、どうやって……?)
世界が揺らぐような心もとなさを感じて、すぐには動き出すことができず、エアはその場に立ちつくしていた。
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