6.先代マイアの護衛士
(2016.3.12)後半を修正
(2016.4.10)一部修正
「さあ、エアさま、どれがいいですか?」
満面の笑顔でスワニーにきかれ、エアはうなった。
「ええと……」
掃き清められた床いっぱいに、色とりどりの服地が広がっている。
エアとスワニーは、三か月後にせまったマイアの披露式のために、新調する衣装の布を選んでいた。
花模様を散らした華やかな綾織。上品な光沢のばら色の絹。淡雪のような繊細なレース……
どの布もそれぞれに美しく、目移りする。
「たくさんありすぎて、決められないよー!」
「それじゃ、気に入ったのを片っ端から言ってください。ほら、この濃紫の繻子にこっちの銀糸を織りこんだ紗を重ねたら、素敵じゃありません? あっ、そこの深草色も似合いそう」
言いながら、スワニーが次から次へと布を拾い上げてエアにあてがう。
「エアさま、意外と濃い色が似合うんですよね。先日の赤い衣装もよくお似合いでしたし」
顔うつりを確かめては、傍らに控える神使たちに渡していく。
「ちょ、ちょっと、スワニー。そんなに選んでどうするの。いったい何着仕立てるつもり?」
「エアさまこそ、ちゃんと選んでくださいよ。ご自身がお召しになる衣装なんですから。でないと、全部あたしの好みで決めちゃいますよ。夜会用に、少なくとも五着は絶対に必要なんです。それから、昼用も三着……いいえ、四着は作らないと」
「そんなに!?」
目をむくエアに、スワニーがうきうきと言う。
「披露式の前後あわせて七日間は来賓の方々との面会や夜会が続きますからね。これくらい用意しておかないと」
「えぇぇー」
エアはげんなりしてうめいた。
披露式に各国の代表を招くとは聞いていたが、式のほかにそんなオマケがつくとは知らなかった。
これは、もしや式そのものよりも、面会や夜会をこなすほうが重い課題なのではないか。
「それにしたって、そんなにたくさん衣装を新調する必要ある? 披露式の衣装は別に準備してるんでしょう?」
「ええ。先日、ようやっと生地が織り上がったと連絡がありまして、二、三日中には届くはずです。間に合わなかったらどうしようかと思いましたけど、なんとかなりそうでよかったですわ。織子がだいぶ頑張ってくれたみたいです。通常十二、三年かかるところを、ほぼ十年で仕上げてくれたんですから」
エアはぎょっとなった。
「ちょっと待って。今、十年って言った? 衣装一着分の布だよね。織り上げるのに、なんでそんなに時間がかかるの?」
「エアさま……、他ならぬマイアの披露式の衣装に使う布ですよ? そんじょそこいらの布と一緒に考えてもらっては困ります。極細の糸を使って織り柄や刺繍を入れながら織りますから、どうしてもそれくらい時間がかかってしまうんです」
「それにしても十年って……、いったいどんな布なのよ……」
とほうもない時間に、ちょっとくらくらする。十年前というと──
「それって、ちょうどわたしが《女神の庭》に来た頃じゃない?」
「そうですよ。あら、ご存知ありませんでした? 披露式の衣装は、マイアが《女神の庭》に入ったときから準備をはじめるんです。披露式はマイアの十六歳のお誕生日に執り行うのが慣例ですから、通常だと、二、三年前には準備がととのうものらしいんですけれど──」
スワニーがはっと言葉を途切らせる。
具合悪そうな表情になるスワニーに、エアは苦笑いした。
「わたし、ここに引き取られるの、遅かったものね」
「す、すみません、エアさま……」
「謝ることないよ。本当のことだもの」
地上で暮らしていたエアが、《神護院》に見いだされ、マイアとしてこの《女神の庭》に迎えられたのは、五歳のときだ。
《神護院》は、占いによって次代のマイアの誕生を予知する。
本来、マイアは生まれてすぐに《神護院》の迎えを受け、生みの両親のもとを離れて《女神の庭》に保護されるが、エアの場合は《神護院》からの迎えが五年も遅れたのだった。
「わたしが生まれる直前に、両親が住んでいた村が争乱に巻きこまれて離散しちゃったんだって。そのせいで、《神護院》はわたしを見失ってしまって──探し当てるのに、五年かかったらしいんだ」
「聞きました。エアさまを最初に見つけたのは、ラベルさまだったそうですね。ご両親はすでに亡くなられていて孤児院にお暮しだったけれど、その村が再び焼き討ちにあったところだったとか」
「うん……」
村を襲った惨事の記憶はおぼろだけれど、炎の中から幼いエアを救い出し、マイアと呼んで抱きしめた力強い腕のぬくもりと胸に広がった安堵だけは、今でもはっきり覚えている。
(……まさか、あんなに口うるさくて頭の固いヤツだとは思わなかったけど)
スワニーが気づかわしげな顔をしているのに気づいて、エアは話題を変えた。
「だけど、神使長たちも、わたしが生まれているのは占いでわかってたんでしょうから、先に準備をはじめておいてくれればよかったのにね」
「残念ながら、そうはいきませんよ。披露式の衣装はマイアの瞳の色とあわせるのが慣例ですもの。エアさまの瞳の色を確かめないことには、糸を染めることもできなかったでしょうから」
ふぅん、とつぶやき、はたとエアは気がついた。
「あれ、それじゃ、披露式でのわたしの衣装って黒いの?」
「そうですけど……。言ってませんでしたっけ?」
「聞いてなーい」
がっかりしたエアに、スワニーが戸惑ったようにまばたく。
「黒、お嫌いでしたっけ?」
「そうじゃないけど……。ただでさえ緊張しそうなんだから、せめて着るものくらい、元気が出そうな明るい色がよかったなあ」
「なんだ、そんなこと」
スワニーがくすりと笑う。
「それなら、ほかの衣装は思いっきり華やかにしましょう? それに披露式の衣装も、地の色は黒ですけど、ちゃんと記念の式にふさわしいすてきな衣装に仕立てますからご心配なく。──そうそう、先代マイアも、たしか披露式には黒い衣装をお召しだったはずですよ」
エアはどきりとした。思わず、胸元に手をやる。
神衣の下には、先日、中庭で拾った大ぶりのガラスのペンダントがある。
散々隠し場所に迷ったが、部屋のどこにしまっても何かの拍子にラベルやスワニーに見つけられそうな気がして、結局持ち歩いているのだった。
夜中に中庭で飛空船の青年に出くわしてから、三日がたっていた。
あれ以来ずっと、先代マイアが交わしたという約束のことが頭を離れない。
彼らが面会を求めているという報告が届くのを、この三日間じりじりしながら待っているのだが、今のところそんな気配さえなかった。
(まだ神使に頼んでいないのかな。もうっ、なにをぐずぐずしているのよ)
それとも、約束などと言うのはやはりでたらめで、だから面会を求めてこないのだろうか。
こんなに気になるなら、いっそあの時、マイアだと名乗ってでも、約束とやらの真偽と詳細を確かめておけばよかった。
ちらりとスワニーをうかがう。
(たしか彼女って、わたしが《女神の庭》に来る前からここにいたはずだよね)
もし青年が本当のことを言っていたのなら、先代マイアが交わしたという約束について、彼女は何か知らないだろうか。
「ね、ねえ、スワニー」
自然に、さりげなく……と、胸のうちで自分に言い聞かせながら尋ねる。
「先代のマイアって、どんな方だったのかな」
「マイア・ルドゥーテですか?」
スワニーがきょとんとする。
「そう。ほ、ほら、マイア・ルドゥーテのはなしって、あまり聞いたことないから。一代前のマイアなのに、遺物も記録も残っているものがすごく少ないし……。たしか、若いうちに亡くなったんだよね?」
「ええ。亡くなられたとき、十八歳だったと聞いていますわ」
「えっ、そんなに若かったんだっけ」
たしか以前にも聞いたことがあるはずだが、もう少し年齢が高くなってからのことだと思っていた。
十八歳なら、今のエアと三歳しか違わない。
「亡くなった原因は何だったんだろう。ご病気だったのかな?」
「さあ……。あたしが《女神の庭》に来たのは、先代マイアが亡くなられた後だったので、詳しいことは……。ああ、ただ、そういえば、事故があったというはなしを聞いたことがあるような気がします。──あれ、違ったかな? 亡くなった原因はご病気だけれど、その直前に事故にあわれたんだったっけ……?」
スワニーが周りの神使たちに尋ねるが、彼女たちも知らないらしく、首をかしげた。
エアに向き直ると、スワニーは肩をすくめた。
「マイア・ルドゥーテのことなら、ラベルさまが詳しいと思いますよ。あの人なら、先代マイアのお人柄も、亡くなられた理由も、よく知ってるはずです。以前はマイア・ルドゥーテの護衛士だったらしいですから」
「本当に?」
エアはびっくりして言った。
そんなはなし、初耳だ。
「だけど、ラベルは神使でしょう?」
「先代マイアがいらした頃は、神兵だったらしいですよ。マイアが亡くなられた後、神使に転向したんですって。本人から聞いたわけじゃありませんけど、古株の神使から聞いたはなしですから、確かです。あ、ただ──」
そのとき、部屋の扉を叩く音がした。
「エア、失礼します──」
扉を開けて入ってきたのは、当のラベルだった。後ろに年配の神兵を連れている。
部屋にいた娘たちがぴたりと沈黙して自分を見るのに、ラベルは怪訝そうに眉をよせた。
「なんですか?」
「ラベル、先代マイアの護衛士だったって、本当?」
次の瞬間、ラベルが浮かべた表情に、エアは驚いた。
すぐにいつもの感情のうかがえない鉄面皮に戻ったが、眉間のあたりに苛立ちが残った。
「……誰に聞いたんですか、そんなこと」
「え、ええと……」
とっさに口ごもったエアの視線をたどり、ラベルが冷ややかな目を向ける。
「……おまえか」
スワニーはちょっとひるんだが、すぐに開き直ったようにおとがいを上げた。
「いいじゃないですか、べつにー。本当のことなんでしょう? それより、エアさまがマイア・ルドゥーテのはなしを聞きたいんですって」
ラベルに視線を向けられ、エアは慌てて口を開いた。
「その、これから披露式にのぞむにあたって、参考にできればと思って……」
「すでにあなたが知っている以上のことで、俺からお話しできることは特にありませんよ」
「えー、そんなこと言わないでくださいよ」
スワニーが口をとがらせる。
「何かあるでしょう、護衛士だったんですから。……べつに、言えないことまで話せなんて、言いませんから」
「……何のことだ?」
瞳の色を険しくするラベルに、スワニーが視線をそらさず挑むようににらみ返す。
「べつに。ただ、あんまりきっぱり拒否されるから、言いたくないことでもあるのかと思っただけですわ」
二人の間の空気がぴりぴりと緊張を増す。
思いがけず険悪ななりゆきに、エアはとまどった。
エアをはさんでぶつかることの多い二人だが、いつもの口喧嘩とは様子が違う気がする。
ラベルの意外な経歴にびっくりして尋ねただけなのだが、どうしてこんな流れになったのか。
「あの……」
「先代や歴代のマイアを意識する必要はありませんよ」
エアの言葉を封じるように、ラベルが言った。突き放すようにスワニーから視線を外し、エアに向き直る。
「歴代マイアの業績を研究するのは大いに結構ですが、やみくもにまねる必要はありません。あなたは、あなたなりのマイアを目指せばいいんですから」
「う、うん……」
満足のいく答えではなかったが、重ねて問うことができる雰囲気ではなく、仕方なくこの場は引きさがる。
スワニーがつんとして言う。
「――で、いったい何の用ですか? 用があるなら、さっさとしてください。見てのとおり、あたしたち、今忙しいんですから」
「おまえがエアによけいなことを吹きこんだせいだろうが」
ラベルが、連れてきた神兵をふりむく。
「どうやら例の遊民が、庭内をうろついているらしい」
エアはぎくりとした。
思わず、衣の上からペンダントをおさえる。
スワニーが眉をひそめる。
「それ、本当ですか?」
「証拠はつかめていないが、まず間違いない。この奥庭にも入りこんでいた可能性がある」
神兵が苦々しげに口を開く。
「そこの中庭で、樫の枝が不自然に折れているのが見つかりました。おそらくこの数日以内に、明らかに何らかの力がかかって折れたものです。さらに、木の上に足跡も見つかりました。この庭で木に上る者がいるとすれば園芸班の樹木担当ですが、この二週間ほど、彼らは中庭で作業していません」
「遊民がすぐそこまで侵入してたってことですか? そんな……!」
しだいに早くなる鼓動を、エアは懸命におさえた。
中庭の樫は、三日前の晩、飛空船の青年が引っかかっていた木だ。
枝に引っかかった青年を下ろすときに、小枝を何本か折ってしまった。それにたしか、青年がすべり落ちたときに、幹の表皮がはがれたり枝を数本折っていたような気がする。その痕跡が見つかったのだろう。それに、足跡が残っていたなんて。
「何か気がついたことはなかったか?」
「そう言われても……」
あごに手をあてて考えこんだスワニーが、ふとエアを見る。
「そういえばエアさま、先日、夜中に中庭にいらっしゃいましたよね。あのときいらしたのって、樫の木の近くじゃありませんでしたっけ?」
「夜中に中庭へ……? なんでまたそんな時間に」
ラベルに不審そうに見られ、エアは慌てた。
「ええと、その……」
「ほら、東棟の屋根が崩落して、あたしたちが点検に走り回ってた夜ですよ。騒がしくしていたせいで、起こしてしまったんです。エアさまは、それで様子を見に来てくださって」
ね、とスワニーがエアをふりむく。
心の中で感謝しつつ、エアは大きくうなずいた。
「そ、そう! そうなの!」
「ですが、それでどうして中庭なんかに入りこんだんですか。夜中なら真っ暗だったでしょうに、回廊を通らなかったんですか?」
「部屋に戻る途中で猫を見つけたの。今まで見かけたことのない、白っぽい灰色のきれいな猫で……。そのコが中庭に入っていったものだから、つい追いかけて行っちゃって……」
「あ、ラベルさま、この件についてお小言はなしですよ。エアさまには、あたしからすでにご注意申し上げましたから」
スワニーの言葉を無視して、ラベルが神兵をふりかえる。
「たしか、遊民の連中が猫を連れていたな?」
「はい。灰色だか銀色だか、たしかそんな色の猫です」
「……どういうことです?」
眉をよせるスワニーに、ラベルが言う。
「遊民が、エアのはなしに特徴のあう猫を連れている」
「え、もしかして、あの時近くに遊民がいたかもしれないってことですか?」
それには答えず、ラベルはエアをするどく見やった。
「エア、見たのは猫だけですか? ほかに人の姿はありませんでしたか?」
「う、うん……」
「本当に? よく思い出してみてください。人影でなくても、何か気になったことはありませんでしたか?」
エアは瞳をゆらした。神衣の下のペンダントが重く冷たい。
(どうしよう……)
正直に、あったことを言ってしまったほうがよいか。
「……もし、飛空船の人たちが中庭に入りこんでいたら、どうするの?」
「むろん、即刻この《女神の庭》から退去させます」
断固とした口調に、揺れていた気持ちが一方に定まる。
まだだめだ。あの青年が口にした、約束とやらの真偽を確かめるまでは、彼らにはここにいてもらわなくては。
エアは息を吸いこんだ。
「猫しか見てない。ほかには何も気がつかなかったよ」
「……そうですか」
ラベルに問われたスワニーが、あたしも気づかなかった、と答える。
「それにしても、警備をかいくぐってこんな奥まで入りこんでたなんて、どういうつもりかしら。神使長補に報告して、とっとと追い出したほうがいいんじゃありません?」
「むろん、早急に庭内をうろついている証拠をつかんで退去させるが――。さしあたりは、エア、今後一人での行動は控えてください」
「えっ、奥庭でも?」
「ええ。この奥庭といえど、安心できないことがわかりましたから。警備は増やしますが、ご自身でも身辺にご注意くださいますよう。特に、夜中に中庭に入りこむような軽はずみなまねは、今後一切控えてください。──スワニー、ちょっと来い」
スワニーと神兵をうながして、ラベルがきびすを返す。
エアは急いで呼び止めた。
「──ね、ねえ、飛空船の人たち、今はどうしてるの?」
「気になりますか?」
視線をあわせて問い返され、エアはたじろいだ。
たった今ついた嘘を、見透かされているような気持ちになる。
「そりゃ、……気になるよ」
「ご心配なく。この件はこちらで早々に片づけますので。あなたは、あなたのすべきことに集中してください」
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