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3.真夜中の騒動

(2016年2月17日)誤字を修正

 漆黒の空に高く火の粉を散らし、狂ったように炎が踊る。

 小さな村は火の海だった。

 燃えさかる炎に照らされて、あたりは真昼のように明るい。

 悲鳴、怒号、入り乱れる足音──

 ふだんののどかな景色は一変し、村は悪夢のような狂騒のただなかにあった。

 逃げ惑う大人たちにまじって、少女は泣きながらかけていた。

 大人たちの手が、足が、幼い彼女を容赦なく押しのけ、つきとばす。か細い手足は傷だらけだった。

 熱風にあぶられた肌がちりちりと痛い。空気が熱く、息が苦しい。

 けれどそれ以上に、不安と恐怖、焦燥で胸がちぎれそうだった。

 優しい養母や孤児院の仲間たちはどこにいってしまったのだろう。

 涙でかすむ目をこらして、必死に彼らの姿を探す。

 と、少女の背中に、後ろから走ってきた誰かの腕がぶつかった。かるい体は勢いよくはね飛ばされて、道の端に転がる。

 強い衝撃に、一瞬呼吸が止まる。

 咳きこみながらなんとか身を起こすと、頭の上で爆ぜる音がした。

 目の前の家で、ドォッという轟音とともに窓枠が吹っ飛び、炎が噴き出す。

 まばたきもできずに凍りついた少女の視線の先で、炎はあっという間に壁を伝い、屋根の上に立ち上がった。

 ギシ、と音がした。

 炎の中、黒く沈んだ家の輪郭がかすかに揺らぐ。次の瞬間、耳の痛くなるような破砕音とともによじれた。

 金色の火の粉を雨のように降らしながら、真っ赤に燃える壁が少女の頭上に崩れ落ちる──


       *       *       *


 悲鳴を上げて、エアは飛び起きた。

 しんと冷えた暗い部屋に、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。

 窓辺から差しこむかすかな月明かりが、部屋の中を淡く照らしている。

 天蓋つきの広い寝台。肌触りのよい清潔な寝具。かたわらの小卓には、花を活けた小さな花瓶と、ガラスの水差しがのっている。壁にかかっているのは、緑のしたたる森を描いたスケッチ。

 華美ではないが、上質なもので居心地よくととのえられた部屋。

 エアの寝室だ。

(……夢?)

 エアは大きく息をついた。

(また、あの夢か……)

 いつもの夢。幼い頃から、何度となく繰り返しみてきた夢だ。

 汗ばんだひたいをぬぐい、激しく鳴っている胸をおさえて、ひざに顔をうずめる。目を閉じて、夢の余韻が消えるのを待つ。

 大丈夫。恐ろしいのは夢をみている間だけだ。

 目覚めてしまえば、夢の中では息のつまるほど生々しかった恐怖も焦燥も、はじめからなかったようにすぐに消えてなくなる。それは経験からわかっていた。

 子どもの頃から、落ちこんだり気がかりなことがあるときに、決まってみるのがこの夢だった。

 エアがこの《女神の庭》に連れてこられる以前──まだ地上で暮らしていたときに遭遇した出来事。

 当時、あまりに幼かったせいか、それほど恐ろしい記憶として残っているわけではなく、起きている間はほとんど思い出せないくらいなのに、不思議と夢では細部まで鮮やかによみがえってくる。

 けれど、いったん夢からさめてしまえば、またたく間に夢の情景はおぼろになって、ほとんど思い出せなくなるのがいつものことだった。

(だけど、どうして今夜、こんな夢をみたんだろう……)

 昼間の、神使長補たちとのやりとりのせいだろうか。たしかに会議の途中で追い払われたのは悔しかったが、こんな夢をみるほど落ちこんだつもりはなかったのだが。

 それとも、神力の発現に失敗したせいか。それだって、がっかりはしたけれど、そこまで沈んではいないつもりだった。けれど、ほかに思いあたるようなことはない。

(わたし、自分で思っているより焦ってるのかな……)

 いまだに戻らない、歴代マイアの記憶と神力。そのうちあらわれるだろうから様子を見ようと言われ続けて、十年もたってしまった。

 とうとう三か月後には、正式に《マイア》として各国代表の前に立つ。

 このままでいいはずはないけれど、どうしたらこの身に記憶と神力が戻るのかわからない。

 息を吐き、かるく頭をふる。

 考えたり悩んだりしても仕方がない。ラベルが言っていたように、今はできることをやるしかないのだ。

 目を開けて、気分を切り替えるようにもう一度深呼吸する。

 だいぶ鼓動は落ち着いてきた。

 耳の奥では、まだ夢の中で響いていた人々の声や逃げ惑う足音が聞こえているような気がするが、それもじきに消えるだろう。

(声と……足音?)

 エアははたと顔を上げた。

 違う。夢の残響ではない。遠くかすかだが、聞こえてくる声と足音は明らかに現実のものだ。

 寝台から飛び下り、エアは窓に走りよった。カーテンを開けておもてをのぞく。

 三階にある寝室の窓からは、中庭のむこうの回廊のほうでいくつもの明かりが動いているのが見えた。

 詳しい内容までは聞き取れないが、慌ただしくやり取りする声やかけまわる足音も聞こえる。

 エアは眉をひそめた。

(何だろう、こんな時間に)

 空にかかった青白い月の位置からして、まだ真夜中と言っていい時間のはずだ。あれほど多くの明かりを灯しているなんて、ただごとではない。

 闇の中をいくつもの明かりがちらちらとゆれる様子は、どことなく不安をかきたてる眺めだ。

 先ほどの夢のせいか、やけに胸がざわつく。

 エアは手早く寝巻を着替えると、部屋を飛び出した。


 回廊にかけつけると、そこでは灯火を手にした神使や神兵が慌てた様子でせわしく行き来していた。

 通りがかった一人を呼び止める。

「ねえ、これって──」

「わっ、マ、マイア・エウフェミア……!」

 声をかけられた神使が、エアの顔を見るなり飛び上がる。

 その反応に、エアは相手が普段接することのない下位の神使であることに気がついた。

 マイアの側近くに上がることができるのは、原則として上位の神使のみと決まっている。

「忙しいところをごめんなさい。ちょっと教えてほしいのだけど──」

 つとめておだやかに話しかけるが、若い神使は動転しきって耳に入らない様子だ。

(困ったな……)

 そのときだった。

「エアさま……!」

 ふりむいたエアは、よく知った人物の姿にほっとなった。

「スワニー!」

 回廊をかけてきたスワニーが、エアを見下ろして言う。

「お休みじゃなかったんですか? こんなところまで出ていらっしゃるなんて、どうなさったんです?」

「それはわたしのセリフだよ。これ、いったい何の騒ぎ? 何があったの?」

 スワニーはああ、とひたいに手をやった。

「ご心配をおかけして申し訳ありません。……実は、少し前に、東棟の屋根の一部が崩落したんです。どうやら昼間、隊商船が墜落したときの揺れで損壊していたみたいで」

「えぇっ!?」

 庭園の東棟には神使や神兵の宿舎がある。

 顔を強ばらせたエアに、スワニーは安心させるようにちょっと微笑んだ。

「幸いケガ人は出ていません。ですがそれで、ほかにも壊れた場所を見落としていないか、再度確認が必要だということになりまして」

「こんな時間に? かえって危ないんじゃ……?」

「ええ。ですから、本格的な確認作業は夜が明けしだい開始することになりました。ただ、庭園の航行機関だけは万が一問題があっては大変ですから、先に確認することになりまして。その対応で、少しバタバタしているんです。お騒がせして申し訳ありません。起こしてしまいました?」

「ううん、そうじゃないの。たまたま目が覚めて、明かりに気がついただけ」

 さほど深刻な問題が発生したわけではないとわかって、ちょっと安堵する。

「わたしにも何か手伝えることはない?」

 スワニーはにこりとした。

「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで十分ですわ。どうぞ部屋に戻ってお休みください。明日、改めてご報告しますから」

「だけど、みんな忙しそうにしてるのに……」

「もうまもなく終わります。ご心配にはおよびませんわ」

 それから、所在なさそうにしている若い神使に目を向けて、エアを部屋まで送るよう言いつける。

 神使が緊張に顔を引きつらせるのを見て、エアは急いで言った。

「いいよ、スワニー。大丈夫。一人で戻れるよ」

「そうはいきませんわ。こんな時間に、エアさまをお一人で歩かせるわけにはいきません」

「平気だってば。そのひともスワニーも、まだやることがあるんでしょう。そっちを優先してよ」

「ですが……」

 そこへ、回廊の先からスワニーと神使を呼ぶ声がした。数人の若い神使が指示と支援を求めているようだ。

「ほら、呼んでるよ。二人とも行ってあげて」

 スワニーが迷うように回廊の奥とエアを見比べ、申し訳なさそうに肩をすぼめる。

「すみません……。ですけどエアさま、まっすぐ部屋にお戻りくださいね。寄り道しちゃだめですよ」

「……わかってるよっ。子どもじゃないんだから。スワニーまでラベルみたいなこと言わないで!」



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