3
けど、オレはピカの家も親父の顔も知らない。大体、夜中に人の家に潜んで待ってはいられないだろう。
【ピカを連れて行けないかな】
オレは額の中の石に聞いていた。
するとすぐに翔の声が響く。
【事情はわかった。しかたがないね。今回だけだよ。お兄ちゃんと一体になるようにピカちゃんを抱きしめて、深呼吸。そうすれば一緒に行くことができる】
やったぁと思う。
【けど、よく聞いて欲しい。ピカちゃんを助けたら、今現在に戻る。でもその時のピカちゃんはもう同じピカちゃんじゃないからね。お兄ちゃんのことを知らないよ。それでもいいんなら】
【それでもいい。ピカが親父の手から逃れられるなら】
二年前の夏、詳しい日時はわからないが、大丈夫だろう。
「ピカ、お前を連れて行く。案内してくれ」
「えっ、あたしを連れて?」
「うん、一瞬だ。我慢しろ」
そう言ってもうオレは深呼吸の準備。肺にいっぱい息を吸い込んでいた。ピカがパニックになる前に向こうへ跳ぶため。
ぎゅっと華奢な体を抱きしめた。ピカはオレの腕の中でムギュウという声を出す。マジでピカチュウだ。笑える。
三回目の深呼吸、頭が一瞬くらっとなり、オレ達はもうその現場となった家の前にいた。
すげえな、この能力。時間だけじゃなくて、その必要な場所にも移動できる。
【ん、お兄ちゃんは特別だよ。この力をかなり有効に使えてるね。普通は時間だけ戻って、場所は自分で移動しなければならない。人のために何かをするっていう感情がそうさせているんだろうね】
翔が照れることを言った。
大きな平屋の一軒家だった。知ってる。あの騒ぎの後すぐにこの家は売りに出された。一年くらい後にやっと買い手がついたんだ。
ピカは懐かしいような、それでいて複雑そうな顔をしている。
気を取り直した様子でオレを見た。
「こっち、裏のドアの鍵、外せる」
裏へ廻った。裏のドアは暗証番号のドア、鍵が必要ない。
「すげえ」
「偶数の月は母の誕生日とイニシャルって決まってた。毎月変更していたんだ」
金持ちの家だ。オレ達は裏から家の中へ入った。
台所、そして広い廊下、リビングルーム、ピアノの部屋もある。その奥がピカの部屋だった。
親父がその部屋に入ろうとするところを殴ればいいんだよな。
「親父は酔って帰ってくるよ。酔っぱらったせいで何が何だかわからなかったって証言している」
酔ったって自分の娘かどうかわかるだろう。
オレ達は台所に潜んでいた。そこから表の様子も見えた。
一台のタクシーが止った。帰ってきた。ピカの親父。
しかし、よく見ると二人だ。べろべろに酔っているらしく、タクシーを降りてすぐに地面に転がった。
部下らしい人がタクシーの運転手に何か言っていた。
タクシーはそこを去っていった。親父を家に運ぶのに時間がかかるから、行ってもらったのだろう。ここからなら、すぐに大通りに出られる。他のタクシーを拾うのは簡単だ。
「あの人、佐伯さんって人。親父の部下」
「知ってんのか」
「うん、あの時、あの人がすぐに駆けつけてきて助けてくれた人」
「ああ、そうか」
佐伯は苦労して、親父をかかえて家に入ろうとしていた。親父のカバンの中から鍵を取り出し、家の中へ入ってきた。
「部長、家に着きましたよ。ここで大丈夫ですか」
「ううん、だいじょう・・・ぶ」
すぐに玄関で寝転んだらしい。
「ああ、部長。そんなとこに寝たら・・・・ああ」
よいしょという声と佐伯が親父をなんとかリビングの廊下まで引きずっているらしい。
「ここでいいか。毛布でも探して・・・・」
台所にいるオレ達には佐伯の声しか聞こえない。
ふと佐伯が黙った。耳を澄ませているらしい。誰もいないのかと確認している様子。親父は廊下に突っ伏していびきをかいていた。
オレとピカが顔を見合わせる。どう考えても泥酔している親父が今からピカを襲おうとするなんて考えにくいから。
そのうちに佐伯がブツブツ言うのが聞こえた。
「部長、不用心ですよ。娘さんが一人で寝ている夜にこんなになっちゃうなんて、部長がいけないんですからね」
佐伯は部長をまたいで、廊下を行く。その先にはピカの部屋。女の子の部屋らしく、ドアノブにピンクのフリルカバーがされている。すぐにわかるだろう。
まさか、まさか。
襲ったのはピカの親父じゃなかったのか。
思いもしない展開にオレ達は戸惑っていた。
佐伯が玄関の電気を消していた。そして台所の前を通り過ぎ、ピカの部屋の前にいた。その姿が見えた。
佐伯の表情は、真剣な顔だったが、再び廊下に寝転がっていびきをかいている部長の方をみた。そして意味ありげにニヤリと笑った。
なんだ、どうしてだ。
佐伯がピカの部屋のドアを開けた。そっと様子を見ているらしい。
ピカがその様子を見て真っ青になっていた。
「親父じゃない、あいつだったんだ・・・・・・」
このままだとピカが起きる。それは避けたい。
オレは意を決して廊下へ出た。
「こんばんは、佐伯さん。お父さんをここまで送っていただいてどうもありがとうございました」
急にオレがそう声をかけたから、佐伯は飛び上がって驚いていた。誰もいないと思っていたからだ。
振り返るその目には恐怖と驚きの色。それになぜ、佐伯の名前を知っているのかという疑問。
「あ、オレですか。親戚の者です。ひかりが一人の時は不用心だから、泊りにきてるんです。今日もガードマン役です。どうしたんですか。そこ、ピカのへやですよね」
「えっ、ああ、そうでしたか。部長、ここで寝てしまいまして、なにかかけるものを探していたんです。ああ、親戚の方がいたんですね。そうですか。知らなかったな。じゃ、僕はこれで」
そう何事もなかったかのように、佐伯は愛想笑いを浮かべ、慌てて帰っていった。オレは部屋を覗いた。ピカが台所から出てくる。
一緒に何も知らないで寝ている二年前のピカを見ていた。
「あの人があたしを襲ったんだね。だってお父さん、自分で歩けないくらい酔ってるもん」
親父は何も知らないでグーグー寝ていた。
「よかった。親父じゃなかったんだ。それだけでもよかった。そしてここにいるあたし、無事だった。おっさん、本当にありがとう」
高校生のピカは、男性恐怖症なのに、オレに胸に飛び込んできて泣いていた。どうやら、治ったらしい。
「あたし、親父を信じてあげられなかった。そんなこと、する人じゃないってわかってたけど、あの人が見たって証言したから、確証がなかったのに、あたしはそうじゃないって言うことができなかった」
「うん、でももういいよ。終わった。もうピカチュウは何もなかった普通の高校生に戻れるんだから」
オレがそういうとピカが新たな涙を流す。
「もとに戻るってことは、あたし、おっさんのこと、忘れるってこと」
「うん、しかたがない」
「でも、あたし、忘れたくない。もし、あたしに会ったら、ピカチュウって呼んで。きっと思い出す」
「わかった」
オレは再びピカを抱きしめて、額を三回軽くたたいた。
翌日の午後。オレはいつものバイトに出掛ける。あの大きな交差点を渡っていた。前方から大勢の高校生が笑い声をあげながらこっちに向かって歩いてきた。
もう下校時間かと思う。
その中の一人、ひと際かわいい女子高生に目がいった。すぐにピカだとわかった。髪も黒のストレートで化粧もしていない。けど、目をひくかわいらしさがあった。
オレはずっと見つめていた。あっちもすれ違いざまにオレをみた。一瞬、ピカの目が大きく開かれる。しかし、隣の友達に話しかけられて、視線を外された。
そうだ、ピカがオレのことなんて覚えているはずがない。
けど、約束だ。
「ピカチュウ」
そういうとピカが振り返った。オレに笑顔を向け、会釈をした。しかし、すぐに友達の後を追って行ってしまった。
いいんだ。これでいい。もうピカにはトラウマはない。
オレはいつものつまらないバイトを精一杯頑張るつもりでいた。なんだか、元気が出てきた。