第1話 魔王様、召喚
暗黒の空間を突き抜けた私の目に映ったのは、石造りの壁だった。私は足元に目を遣る。床には緻密な紋様で召喚魔法陣が描かれていた。次に私は、周囲をぐるりと見回す。ここは石造りの建物の1室であり、床だけでなく天井にもびっしりと魔法陣が描かれている。更に床の魔法陣の周りには、仄明るい光を宿した、何らかの力を宿したと思しき宝珠が8つ、円を描くように配置されていた。
と、ここで私は妙なことに気付いた。魔法陣の紋様……魔法文字の意味が判るのだ。私の補助頭脳に記録された地球の魔道知識による魔術とは体系が異なる、別種の魔法であるのだが、それがことごとく理解できるのである。私は床と天井の魔法陣の効果を、ざっと解読した。
「……やはり召喚の魔法陣、か。しかも数多ある平行世界の中から完全にランダムで接触できた世界から無理矢理に対象を引っ張り込み、その後さくっとその世界との接触を断ってしまう。帰還方法は無し。平行世界は文字通り無数にあるから、独力で帰ろうとしても事実上自分の世界を特定することは不可能。……なんて悪辣な。
けれど、これで私がこの魔法陣を読める理由が分かったな。」
私が見たところ、この召喚魔法陣は召喚された者に対し、強力な力を与える効果があった。莫大な魔力と奥義魔道の知識しかり、強力な肉体的戦闘能力しかり、その他様々な能力強化しかり。私がこの魔法陣の魔法文字を読めるのも、召喚された際にこの世界における奥義魔道の知識を得られたことによる物だ。
ちなみに魔法陣の周囲に配置された8つの宝珠が、召喚された者を強化するための知識と力の源であった様だ。だが不思議なことに、召喚魔法陣を起動させるためのエネルギー源が見当たらない。だがまあ、その辺は後からゆっくり調べるとしようか。
「なるほど……。召喚される対象が、注ぎ込まれる力に耐えられないといけないのか。あの場所にいた中で耐えられそうなのは、デス=キング将軍か私だけか。デス=キング将軍には私が『抗魔結界』を張ったから、私の方が引っ張り込まれた、と見るべきか。
……む?」
そのとき私の改造人間としての超感覚に、微かな思念が引っ掛かった。その思念は今にも途切れそうで、思念の主が今にも死にそうであることがはっきりと感じられた。私はその思念を辿り、方向を特定して急ぎそちらへ向かう。
どうやらこの建物は、城か何かの様だ。それも西洋風の城である。どうやら謁見の間とおぼしき場所で、私はその思念の主を発見した。それは10代前半……12歳前後に見える、軽装の鎧を着用した少女であった。髪と眼の色は黒の、日本人風の顔立ちをしている。ちょっと見ただけでも、かなり高レベルな美少女だ。自らが流したであろう血の海に横たわる彼女の背中には、おそらく心臓にまで達しているだろう深い傷がある。
私は少女の傍らにしゃがみ込んだ。
「……まだかろうじて、脳だけは生きているか。心臓が潰れているから、まもなく死ぬが……。さて、どうするべきか。
……?なんでこうも落ち着いてるんだ、私?あれか?改造によって体内に埋め込まれたプラントから、精神安定効果のある薬物でも分泌されてるのか?それとも召喚時に様々な能力が強化されているために精神力まで強化されたせいか?もしくはその両方か?」
私がぶつぶつ呟いていると、微かなとぎれとぎれの思念が流れ込んで来た。
(死に、たく……な、い……。死、に、た、く……な……い……。)
「……まあ、やむを得んか。」
私は補助頭脳にアクセスし、『復元』の魔術をもって少女の潰れた心臓と傷口を修復し、『造血』の魔術で失われた血液を補った。ちなみに、あの召喚魔法陣によって強制的に与えられたこの世界の魔法でも、彼女を癒すことは可能であった。だがとっさのことでもあったし、一度も使ったことの無いこの世界の魔法よりは、わずかでも経験のある元の世界の魔術を選択したのだ。と言っても、元の世界の魔術もこれまでで使ったのは1回だけであるが。
とりあえずの応急処置が済み、なんとか命を取り留めた少女を抱き上げた私は、周囲を見回す。先ほども触れたが、ここはどうやら謁見の間であるようだ。豪奢で壮麗な空間に、豪華な玉座が置かれている。だがしかし、ここで何か戦闘があったらしく、謁見の間はあちこちが破壊され、玉座もあちこちが欠けていた。
そして玉座の少し手前に、美麗な衣装に身を包んだ、しかし怪物としか言いようがない化け物の死体が転がっていた。私は思わず呟く。
「まるで魔王だな。冠もかぶってるし。……ちょっと調べてみるか。」
魔王っぽい化け物の死体に歩み寄り、私は『過去知』の魔術を行使する。『過去知』とは『未来予知』の正反対の効果を持つ魔術である。『未来予知』と違うのは、『未来予知』によって知ることができる未来は不確定であり、知った未来を変えることが可能であるのに対し、『過去知』によって知った過去は確定された情報であることだ。ちなみに遠い過去を探るほど、消費する魔力は多大なものとなる。だが1~2時間程度であれば、私にとってはそう大きい負担ではない。
私は過去を覗き込んだ。
『ふはは、甘いわ!闇の槍よ!』
『くっ、さすが魔王ね!ディンク、回復をお願い!』
『わかりましたアオイ。御神の癒しの光よ、勇者アオイを照らしたまえ。』
『過去知』の魔術で覗き込んだ過去において、魔王っぽい化け物と、あの死にかけていた少女が戦っていた。魔王っぽい化け物は、本当に魔王だったらしい。そして少女は勇者だそうだ。何かいかにもありがちな、剣と魔法のファンタジー世界だった。ちなみに余談だが、ファンタジーと言うのは空想とか幻想とか言う意味であり、ファンタジーがイコール剣と魔法の世界、というわけではない。
それはともかくとして、勇者には仲間が3人ほど付き従っていた。1人は先ほど勇者を魔法で回復させた、いかにも神官っぽい青年。1人は黙々と魔法攻撃で支援する、魔法使いっぽい青年。そして最後の1人は勇者と並んで剣を振るっている、いかにも戦士っぽい青年だった。
だが私の目には、勇者一行の連携が微妙な物に見えた。なんと言うのか、魔法の支援は今一歩タイミングが遅く、戦士は腰が引けていてその攻撃は牽制以上にはなっていなかった。何か勇者1人だけが必死になっている、そんな雰囲気があったのだ。なんと言うべきか、勇者のパーティーにしては何やら挙動が怪しい。
やがて光り輝く勇者の剣が、魔王の胸板を貫く。
『ぐ、ほっ!』
『これで、終わりよ!』
だが魔王はにやりと笑う。私の耳には、魔王の思念が聞こえた。
(魔王召喚魔法陣よ、わが命を糧として起動せよ!……くくく、わしが盗み出させた勇者召喚魔法陣を改造した、魔王召喚魔法陣。現れる新魔王は、わしよりも強大になることは必定!新たな魔王に踏みつぶされるが良いわ。これがわしの命をもってする、最後の報復よ!)
『何を笑ってるのよ、魔王!』
『く、くく。我が死すとも、いつの日か新たな魔王が現れる。その魔王が地上を滅ぼすのを、我は冥府の底から見て、嘲笑って、や、ろう、ぞ。は、ははは、はははは!ぐふっ……。』
私はあきれ返った。『いつの日か新たな魔王が』と言うが、お前が死に際に召喚したんじゃないか、魔王よ。『いつの日』もくそも、あるものか。……と言うか、私が新たな魔王!?……冗談だろう?そんな大役は、ウチの大首領様とかに任せるべきだろう。
と、そこへ勇者の声が響く。
『終わった……。長かった……。やっとこれで、これで元の世界に帰れる……。』
最後の方は、涙声になっていた。勇者は俯いて、両手で顔を覆った。そして次の瞬間、その唇から苦悶の叫びが漏れる。私はなんとなくそれを予想していたため、驚きはしなかった。
『ぐっ!?』
『悪いな、アオイ。』
背中から勇者を剣で貫いたのは、勇者の仲間であったはずの戦士だ。剣の切っ先は、勇者の心臓に達しているだろう。勇者は茫然自失しつつ、戦士に問いかける。
『ジャン、な、なんで……。』
『あー、ちょっとばかり国に人質を取られてるんだわ、俺たち。すまんな。』
ちっとも悪いと思っていなさそうな口調で、戦士は笑いながら言う。それに続けて、魔法使いが淡々と言葉を発した。
『どうせ貴女を元の世界に返すことは不可能なんです。国は魔王ゾーラムを確実に倒すため、勇者召喚の魔法陣に手を加えたんですよ。勇者を召喚する際に与えられる力を水増しする様に、とね。で、勇者の力を水増しする代わりに魔法陣から削られたのが、帰還の術式と帰還先の世界座標を記録する箇所だったんです。
私たちは最初から、貴女が魔王ゾーラムを倒したら、不意をついて貴女を殺すことを命じられていたんですよ。そのために私たちは貴女に付けられたんです。魔王を倒すほどの者が、万一復讐に来たら大変ですからね。聞こえてますか?
……。
死にましたか。ディンク、聖剣を回収してください。勇者以外に聖剣を持ち運べるのは、神官である貴方だけですからね。』
『……神よ、お許しを。』
『へっ、何をいまさら。お前も同じ穴のムジナだってことを忘れんな。確かに家族を人質に取られちゃいるが、鞭だけじゃなしに飴もたっぷり与えられてるだろうがよ。金銭に地位に名誉ってな?さ、いくぜ。』
戦士が先頭に立って、謁見の間を出ていく。私がそのまま見ていると、勇者の身体を弱い光が包む。どうやら微弱な回復魔法の様だ。勇者が死ぬに死にきれず、足掻いているのだろう。だがそんな弱い回復魔法では、貫かれた心臓を修復することなどできないはずだ。やがて回復魔法の光が途切れる。だがその僅かな回復は、無駄にはならなかった。その回復魔法は、ほんのちょっとだけではあるが、彼女の生命を保たせたのだ。
そして幾ばくかもしないうちに、身長3mはある恐ろしい化け物が謁見の間に入って来た。身体のあちらこちらに角や棘や刃が突き出ており、背中には大きな翼の様な物が生えている。更には全身に、眼の様な生体レーザー発生器官や生体熱線砲、生体粒子ビーム砲が……。えーと。……私だった。
そう言えば、私は改造人間としての戦闘形態のままであった。一応潜入活動などもできる様に、人間形態になることも可能ではあるのだが。
この後のことは私自身が知っている。見るべきものは見た。私は『過去知』魔術を打ち切った。
そして丸一日が経過した。とりあえずあの後私は、せっかく助けた勇者の少女をそのまま死なせてしまうのも面白く無いと、彼女を治療することにした。魔術や魔法で応急的な手当てはしたものの、彼女は衰弱が激しく、このまま放っておけば死にかねない状態であったのだ。しかし魔術や魔法で回復させようかとも一度は考えたのだが、私は知識や魔力はあれど術の行使については素人同然である。緊急性が高い場合であればともかく、衰弱している怪我人を魔術や魔法の練習台兼実験台にするのはためらわれる。
仕方なしに私は、城……魔王城の広間にあった、色とりどりの魚が入っていた巨大な水槽を1つ空けてそれに魔術で合成した薬液を満たした。そして魔王城の武器庫にあった武具などの金属を魔術や魔法で変性させたり形状を整えたりして薬液の浄化装置を製作し、水槽の中に据え付ける。その後その水槽の中に、勇者を裸にして浸け込んだ。簡易的ではあるが、私を改造人間にした改造手術の最終段階で使っていた、巨大試験管状の水槽と同様の物を作ったのだ。この装置があれば多少時間はかかるが、彼女の傷を癒すと同時に体力を回復させ、体調を整えることが可能である。
ちなみに勇者の少女の生命維持、および薬液の濃度などの監視は、制御コンピュータなどが即興では作れなかったので、私が自ら手動でやっている。改造人間としての超感覚が、非常に役に立った。
そして今、私は勇者を浸けている水槽の傍らで、ぶつくさ文句を言いつつ魔王城にあった様々な書類を調査しているところである。ちなみにこの世界の文字は、召喚された時に読めるようになった。
「うーん、この魔王城……使えないなあ。設備が中世ファンタジー物レベルだし。魔法関係の研究設備は一応整ってるみたいだけど、21世紀の科学水準を知ってる私からすればなあ……。滅菌とかも満足にやってないし。
だいいち、トイレにトイレットペーパーが無いのは我慢できんな。この勇者のお嬢さんは、たぶんけっこう長くこの世界にいたんだろうけど、よく我慢できたなあ。あー、いや。我慢せざるを得なかったのか。」
先代の魔王が倒された直後、魔王城にいた魔王の配下はその殆どが逃げ散ってしまったらしい。ゴーレムなどのうち、勇者に壊されなかったものは私の命令に従った。どうやら先代の魔王が自らの命をもって私を召喚したので、先代魔王の被造物への命令権が私に移った様だ。
私はゴーレムに命じて、先代魔王や配下の魔族たちがこの城に残した書類を集めさせ、今現在一時的に私室として使っている客間へと持ってこさせた。そしてその書類を今しがたまで徹底的に検めていたところなのである。
ちなみに勇者の少女を浸けている水槽も、いつ何時勇者の容体が急変するかもわからないため、この部屋に持ち込んでいたりする。見た目からはそうは思えないかも知れないが、別に私に変な趣味があって勇者を鑑賞するためにこうしているわけではない。万が一に備えて、24時間体制で備えているだけなのだ。
「……ふーむ。最悪だな、先代魔王。侵略した領土の統治、ぜんぜんまともにやってないじゃないか。民に重税をかけてその上略奪したりして、徹底的に収奪するだけじゃあないか。何考えてたんだろう。
ただ、魔王軍は一応組織化されてはいたんだな。あくまでも一応レベルでしかないけど。まあ、そうでなけりゃ人類の軍勢とまともに渡り合うことは不可能だったろうしな。」
私は大きく溜息を吐いた。
「はぁ~。どうしたもんだろうなあ。こんな世界に放り出されて、何の目的もないし……。人間形態になって、人間社会に紛れ込むっていうのも面白くなさそうだし。中世レベルだもんなあ。
あー、大首領様か、せめて三幹部の方々のうち1人でも、この世界に一緒に来てればなあ。そうすれば世界征服に励む気にもなったろうに。私が魔王だなんて、器じゃあないよ。
……ん?」
私はふと、目を傍らの水槽へと遣った。自らの超感覚で監視している勇者の少女のバイタルに、ちょっとした変化があったのだ。明らかに目覚める前兆だった。私は考え込む。
(さて、どうすべきか。どうするにせよ、結局はこの世界で生きていかなきゃあならない。私もこの勇者の少女も。どう足掻いたところで、元の世界には帰れないんだ。だったら無駄に足掻くよりも、建設的な方向で足掻くべきだよな。)
私の視界の中で、勇者の少女の瞼がピクリと動いた。
第1話です。ヒロイン?登場しました。まあ深く考えず、お気楽にお付き合い下さい。