黒いクリス
小雪の舞い散る異国の裏路地。聳え立つ冷たい石壁に、傷ついた暗殺者のエリカは、倒れこむように靠れ掛かった。
暮れも押し迫った十二月の二十四日、真冬の夜の事出来事。
エリカは確かに依頼を果たし、暗殺には成功していた。しかし、強欲な貴族の館から脱出したまでは良かった。だが彼女は、どうやら何者かに嵌められたようだった。
依頼内容が漏れたのか、エリカの任務はまんまと利用され、用済みになった彼女を消そうと謎の集団に十重二十重に取り囲まれたのだ。
追手に囲まれながらも、なんとか逃げ延びたエリカだったが、左肩に深い傷を受けてしまっていた。
白い粉雪の舞う、薄暗い路地裏の石畳の上に、彼女の赤い血が滴っていく。
「クッ。つぅ‥‥」
自らの黒い衣服を裂き、包帯代わりに巻いてなんとか止血をしたエリカだったが、状態はあまり芳しくない。
厳冬のおり、血の滲みと共に体から熱も奪われていく。彼女の強い意志のこもった射干玉の黒い瞳からも、次第に光が薄れてゆき、意識も遠ざかりそうだった。しかし、傷口の焼けるような痛みが、かろうじて彼女の正気を保っている。皮肉なものだ。
「私もここまでか‥‥」
追手の気配は無いが、深手を負い、裏路地の物陰に潜みながら、さすがに観念しかけたエリカは、抑揚の無い声で弱気な呟きを漏らす。
朦朧としかけながらも、物陰から表の通りを窺えば、街灯に照らされた夜の街を行く異国の人々は、どこか浮かれているようだった。
クリスマスの華やいだ異国の表通りを行きかう幸福そうな人々。
しかし、通りを一本隔てた裏路地には、追手から逃れる手負いの暗殺者が、少し震えながら身を潜めている。
エリカはその道を隔てたむこう側の光景には、特に思う事は無かった。
世の中には、二種類の人間がいる。幸福な人間と、そして不幸な人間。しかし暗殺者はそのどちらにも入らない。
ふと、今は亡き父親が語った、そんな言葉をエリカは思い出す。
傷のせいだろうか、あるいは寒さのためだろうか。走馬灯のように、幼いころの出来事が脳裏を駆け巡ってゆく。とっくに忘れ、消え去っていたはずの思い出達。
肩で息をし、痛みに僅かに喘ぎながらエリカは、いつも肌身離さず持ち歩いている黒い短刀を取り出していた。
それはエリカが物心ついた頃、父親から、彼女の誕生日でもある十二月二十五日に、始めて贈られたものだった。
当時すでに暗殺者の頭目だった無骨な父が、そっけなく渡してきた短刀。エリカの父親が手ずから鍛えたものだという。幼い娘へのプレゼントとしてはどうかと、彼女の母は苦笑する。
表の仕事を取り仕切る快活な母親だった。何時になく、そんな過去のもう戻らない光景が、彼女の心に懐かしく感じられる。まるで昨日のことのようだ。
刹那の間の走馬灯のような夢が晴れて、うっすらとエリカの視界が現実に戻ってくる。彼女の黒い瞳は短刀の黒い切っ先を見つめていた。
粉雪の舞う冬の夜でも、うっすらと白い光を集めて刃を煌めかせる、黒い短刀。
エリカには、僅かにうねる黒い刀身は、まるで彼女自身のこれまで歩んだ短い生涯そのものの様にも感じられる。
今まで気にも留めなかったが、何度も彼女の窮地を救い、数えきれないほど閃かせた刃は、幾年月、幾度の修羅場を潜っても、歪みの無い凛とした風合を保ってみせている。
母親がせめてもと、柄にあしらった紅玉は、こんな寒空の下でもわずかに温かく感じられた。
気付けば、刀身の鋭い輝きがわずかに増している。追手の気配が迫っているのかもしれない。
小さく一つ息を吐く。
傷は深いが、もう大丈夫だ。自らの四肢を黒い短刀の様に閃かせると、エリカは粉雪を舞わせながら跳ねると、都市のさらに深い闇の中へ再び身を躍らせていった。
クリスマスという事で、ふと、忍者の贈り物。という題でなにか書いてみたかったけれど、結局こんな感じになりました。




