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西村あずさ -哀愁-

 しばらく進むと、一際大きな本屋が左手に姿を現す。三階建てのその店は、この辺りでは最も品揃えが良い本屋で、漫画や小説はもちろんのことながら高校受験や大学受験の時お世話になった参考書から単なる授業中の安眠枕と化した漢和辞典まで、多くの書物を取り揃えていた。卒業論文の資料もここで仕入れたし、そもそも本好きで機械音痴であるアナログ人間な私にとってそこは憩いの場であり、絶好の暇潰しスポットでもあった。また、これはひょっとすると私だけが考えていることなのかもしれないが、大学や高校に通学する際に通過するチェックポイントとしている目印の一つだった。先ほど立ち寄ったコンビニと、そしてこの本屋は家から駅までの道のりをちょうど三等分するような位置にあって、例えば何分にこのチェックポイントを通過したら歩いても余裕で電車に間に合うとか、この時間なら走ればギリギリセーフだとか、そういった基準となる目印だった。だからこそ、私の寄り道ランキングトップ2でもある本屋とコンビニは無くてはならない存在なのだ。もしどちらかが潰れてしまうなんてことがあろうものなら、私はいったい何を基準に駅までの時間を目測すれば良いのだろうかと思うほど大切なものであったし、何より生活が不便になることはこの上なかった。コンビニは他にもあるにはあるが家から駅の最短ルートにはあの店舗しか存在しなかった。本屋だって少しマニアックな小説が読みたくなっても手にすることはできなくなるのだ。とは言え四月からこの地を離れ、東京で過ごすことが決まっている私にはもはや関係の無いことになるのかもしれない。東京なら立ち寄るコンビニなんていくらでもあるだろうし、買えない本だってめったに無いだろう。そんなことを考えて、少し胸が苦しくなる。長らく過ごしたこの街とも、お別れかぁ。寂しくなるなぁ。大学生になっても私はこの街に残ったが、多くの友達は東京や大阪やいろんな所に離ればなれになっていた。彼らは、彼女たちは、いったいどんな思いでこの街を離れていったんだろう。「猿渡駅 この先500m」の標識の下を潜り、見慣れた街並みの中を駆け抜けていく。駅から乗れる電車だけで行ける範囲においては、おそらくこの猿渡駅周辺が最も栄えている地域であることは間違いなかったけれど、それでもちっぽけな田舎町に他ならないこの場所は、やっぱり私が二十二年間と少しの間生活を続けてきた場所に他ならなかった。二十二年以上の記憶が詰まっていて、それは日本中の何処でもない、この街にしか無いものなのだ。涙が出そうなくらいセンチメンタルな思いが溢れだして、そして私はフフッと失笑する。こんな、万引きと間違われてコンビニ店員から逃げる最中に、私は一体何を考えているんだろう。馬鹿みたいだなぁ。本当、私って馬鹿みたい。今は、あの藤田という名の店員さんから逃げ切らなければならないんだ。だから、切ない気持ちに浸るのはもう少ししてからにしよう。そう思って、耳を澄ますと、背後から足音が聞こえてきていた。おそるおそる振り返ると、全身から汗を吹き出しながら必死の形相で追いかけてくる藤田さんの姿がそこにあった。あぁ、ほら、やっぱりそんなこと考えてる場合じゃなかった。馬鹿だなぁ。本当に馬鹿だなぁ。でもなんとなく今なら、正直に私は無実だと店員さんに切実に訴えれば伝わるんじゃないかって、そんな気がしたのだった。特に理由がある訳ではないけれど、今ちょっと切ない思いに駆られていたせいかもしれない。そんな私の予感が間違いであったことを、私はその直後に知ることとなる。

「誰か、誰かその人を捕まえて!!」

 死に物狂いな表情で、彼が叫んだのだ。私はとんでもないくらいに驚いた。心臓から手が飛び出すくらい驚いた。いや、喉から心臓が飛び出すくらい。そんな思い違いをするくらい、私の心拍数は加速していく。やっぱり、捕まったらダメだ。全然よくなかった。「ねぇ、君、なんでこんなことしたの?」と、卓上のスタンドに眩しく照らされながら尋問を受ける自分の姿がほわんほわんと私の脳裏に浮かぶ。机の向かい側に座る警察官は、偉そうにタバコを吸いながら、私に君も吸うかいと促した。ゲホゲホと咳き込みながら、要りませんと答える私。嗚呼、私の人生ももうお終いかなぁ。東京じゃなくて牢獄に入るために私はこの街を去らないといけないのかなぁ。だったら、さっき感じたセンチメンタルは無駄じゃなかったようにも思える。いや、そういう問題じゃないか。両足は凄い勢いで悲鳴をあげているのに、休ませて挙げられなくてごめんね。誰にともなく謝りながら、私は走る。

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