西村あずさ -希望-
大通りが見えてきたことで、私は安心した。後ろを振り返っても追う者の気配は無い。もう大丈夫かな。でももしかしたら、何十分の一かの確率で私が走った経路をあの店員も偶然選んで追いかけているかもしれない。数学が苦手な私にはその確率を計算することなんて出来ないけれど、それはおそらく随分小さい確率のように思えた。しかしながら、万が一を考えると不安になるため、息も整ってきたこともありもう一度だけ走ってみることにした。左手に白いヒラヒラとしたスカートに水色のシャツ、その上からベージュのジャケットを着たマネキン人形が店頭に立つ洋服屋さんが見えて、そのまま視界の後方へと遠ざかっていく。ちょっとかわいらしい服だったな、なんて思いながら私は走る。そういえば、私が着ているこのコートもあのお店で買ったんだっけ。大通りから少し入った所にあるため、客入りが少ないせいか服の値段もそう高くない。高校生や大学生には嬉しい価格設定で、特に大学二年生ぐらいの頃はよく足を運んだのを覚えている。卒論が落ち着いたら、また服を買いに出掛けてみようかな。そう思うと、今日もちょっと頑張れるような気がした。そんなことを考えながら大通りの歩道に飛び出すと、キキキッとブレーキの軋む音がした。見ると、驚いた表情のおばちゃんがその音を発した自転車に跨っていた。
「ビックリするでしょ!」
「すみません、ごめんなさい」
ペコリと謝って私が再び走り始めると、おばちゃんは全くもう、と呆れたように私を睨みつけて去っていく。後方で、何度かキキキッという音が響いた。確かにいきなり飛び出してきた私も悪かったかもしれないが、案外危ない走り方をしているのはあのおばちゃんもだったんじゃないかと思えた。そう思うと、怒られ損だった気がしてきて少し陰鬱とした気分になる。パッと後ろを振り返るが、もうおばちゃんの姿は見えなかった。それと同時に、あの店員の姿も見えないことに安心する。もう少し。もう少しで駅に着く。私はそう自分に言い聞かせ、酸素を求めて喘ぐ体にムチを打った。