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西村あずさ -研鑽-

藤田さんに手を振り返した後、私は公園を後にした。大通りに戻り、すぐ側に見えている駅を目指しスクランブル交差点を斜めに横断する。タクシーのロータリーとちっぽけなバスターミナルの間の通路をすり抜けるようにして、駅舎内へと歩みを進めた。財布から定期券を取り出し改札口に差し込むと、ガタンと音を立てて敷居が開いた。隣りで、駅から出ようとするおじいさんがピンポンと改札機に行く手を阻まれている。あら、と首を傾げながら吐き出された切符を受け取り、駅員に声を掛けていた。

「すんません、これ、どうなってるんですか」

 駆け寄る駅員を横目に、私は篠山方面と書かれた看板が示すホームへと上がる。この駅は終点だったので、結局のところホームはひとつしか無く間違いようは無いのだけれど、なんとなく習慣的にそう確認する癖ができていた。

「なんか、疲れたな」

 誰に話しかけるでもなく、ポツリと呟いて階段を昇る。ホームに上がると、何両編成かの短い電車が乗客を待ち侘びていた。降りる駅の階段の位置を思い出しながら、私は前から二両目の車両に乗り込む。通勤ラッシュは過ぎているとはいえ空席はなく、適当なつり革を掴んで私はふぅと溜息をついた。喉が渇いたことを思い出して、私は手提げ鞄から緑茶を取り出し、ペットボトルの蓋を開けた。冬であるおかげで、買ってしばらく経ってはいたのにまだ十分に冷たかった。ピンポンパーンとアナウンスの音が響き渡る。

“まもなく、一番線から各駅停車、篠山行きが発車致します”

 プシューッ、という音とともに扉が閉まる。が、恐らく何処かの車両で誰かが駆け込み乗車をしたのだろう、一度扉が開いた。しばらくして再びドアは閉ざされ、モーター音を唸らせながら電車がゆっくりと動き出す。二十分程電車に乗って、目的の駅で降り大学の研究室を訪れると、タイミングの悪いことに教授の姿があった。チラリと私の方を一瞥してから、「いつになったら終わるのかなあー」と誰に向けて言ってるわけでは無いんだけどね、とでも付け足して言うかのようにあらぬ方向を向きながら彼は呟いた。私に向かって言っているのは明らかで、こういう嫌味な言い方しかしないので私は彼のことが苦手だった。

「すみません」

 軽く頭を下げて、自分の席に腰を下ろす。荷物を机の上の空いたスペースに置いて、鞄からお茶と飲むヨーグルトを取り出して並べた。マジマジと飲むヨーグルトを見つめながら、私は今日一日のことを思い出す。本当に、おかしな一日だった。お茶をレジに忘れ、藤田さんがそれを持って追いかけてきたが私は逃げ出した。万引きと勘違いされたのではという不安から、走りだす私。それを追う彼。思い出しただけでも、藤田さんに対する申し訳ない気持ちが沸々と湧き上がってくる。飲むヨーグルトを手にとって、背面に貼り付いているストローをベリベリと剥がした。袋を破り、ストローを突き刺す。ズズズと吸うと、ほんのりとした酸味のある甘さが口の中に広がった。美味しいな、やっぱ。朝から想定外の運動をしたことで体は疲れているのだが、奇妙な体験をしたためなのか、なんとなく気持ちが上向いているのを感じた。もし数ヶ月して東京へ行き、私が同じようにドジを踏んでコンビニのレジにお茶を置き忘れて出て行ったら、その店の店員は私のことを追いかけてくれるだろうか。きっと、声を掛けるだけ掛けて気付かなければそのままにされるに違いない。そして私が気付いて取りに戻るまで、何処かで保管しておくのだろう。やっぱり、この街の人だからこそ温かいのだと、そんな気がしてならなかった。だから、素直に藤田さんの優しさに感謝する。

「美味しそうな匂いはするけど、手が動いてないんじゃあなあー」

 口笛を吹きながら、教授が背後を通り過ぎて行く。すみません、と私は小声で謝って、机の端に置きっぱなしにしていたノートパソコンを広げた。電源を入れると、カラカラと音が鳴る。相変わらず言い方は嫌らしいが、卒論の仕上がりが遅いことは確かなので、言い返したい気持ちをグッと抑え込んで我慢した。今ここで教授の機嫌を損ねると、卒論の評価に支障をきたすかもしれない。そうなると、東京での新生活も泡沫の夢となることも考えられた。ひょっとすると、もう十分に手遅れかも知れないけれど。しばらくしてようやく起動したパソコンのデスクトップから、青いダブリューの文字が書かれたファイルをカチカチとクリックする。立ち上がった文字の羅列を最後のページまで早送りし、カタカタとキーボードを打った。今日も頑張ろうと、自分で自分を励ましながらフウと大きく息を吐く。心なしか、台風が過ぎ去った翌日の空のように心の中は晴れ渡っていた。

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