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西村あずさ -謝罪-

 彼が差し出したお茶を見て、私は全てを理解する。違った。私は万引き犯と間違えられていた訳では無かった。彼はとても親切な人だったのだ。確かに、私はお茶を購入した。あのコンビニで今日、研究室で卒業論文を書いている間の水分補給にと思って九十八円のペットボトルのお茶を購入したのである。百円を支払い、二円のお釣りを貰った。それは間違いない。それは私がとんでもない妄想癖の持ち主でも無い限り紛れもない事実だ。なのに私は、購入したはずのそのお茶を置き忘れて店を出てきてしまった。それなのに、碌に彼の話も聞かず、逃げ出してしまったのだ。買ったお茶を忘れただけでも恥ずかしいのに、壮大な勘違いをした自分自身にも恥ずかしくなる。穴があったら入りたいとは、こういうことを言うのだろう。どうしよう。顔から火が出るほど恥ずかしい。師走だというのに、全力疾走して体が温まったせいなのか、それとも本当に顔から火が出ているせいなのか、体中が火照るのを感じた。嫌な汗が全身をダラダラと流れる。

「私はそんなことのために体を張ってこの子を捕まえたの? 何よ、誰か捕まえてって、紛らわしい!」

 おばちゃんは急に私の手を突き放すようにして、そう怒鳴りだした。彼女が言うことも一理ある。そう。紛らわしいのだ、彼の行動は。私だって、万引きと勘違いされたと思い逃げていたのだ。周囲の人間だってそう思って興味津々に私達の成り行きを見守っていたのだろうに。そこまで怒らなくてもという気もしたが、彼女が声を荒げる気持ちも分からなくも無かった。彼女まで恥をかかされた形になってしまったのだから。

「ややこしいことして、本当にすみませんでしたっ!」

 そう言って彼は深々と頭を下げる。彼は善意で私を追いかけてくれていただけだというのに、とても申し訳ない気持ちになって、私も頭を下げる。

「すみませんでしたっ!」

 そんな私の行動に驚いたように首をこちらに向けた。おばちゃんに対する謝罪の気持ちも一割ほどあるのだけれど、残りの九割は藤田さんに対するものだった。しかし私まで頭を下げたことに、おばちゃんの方もビックリしたらしく、ちょっとマゴつきながら、「こ、今度から気を付けてね」とぎこちない笑顔を浮かべてその場を去っていく。それを皮切りに、周囲に群れを為していた人たちもザワザワと去っていく。顔をあげると、店員さんは苦笑いを浮かべていた。私も、思わず笑みを零す。

「すみませんでした、本当に、逃げてしまって」

「いや、こちらこそごめんなさい、紛らわしかったですね」

 彼はそう言って、キョロキョロと周囲を見渡した。集まっていた人だかりは解消されたものの、道行く人達がチラチラと私達を見ている。さすがにちょっと、居心地が悪い。

「ちょっと、移動しましょっか」

 どうやら彼も同じことを考えていたらしい。このままお茶を受け取って大学へ向かうことも出来たが、彼に対する申し訳無さがあり、どうして逃げたりしたのか弁明する必要があるなと思い私はその申し出に応じることにした。多分彼も、その理由は知りたいだろう。

「そうですね、とりあえず……人目が少ない所に」

 フッと彼が笑った。

「裏手に公園がありましたよね、そこ行きましょう。あ、でも、大学は大丈夫?」

 彼が尋ねるので、私は首を縦に振った。

「卒論書きに行くだけなんで、特に何時に行かないといけないとかは無いんです」

 答えて、私はあれと首を傾げる。この人、どうして私が大学生だって知ってるんだろう。まさかストーカーか何かで私のことを知っていたとか。そう考えて、やっぱり大学生だったか、と彼が呟いたことで、予想で言っただけなのかということを知る。

「僕と同い年くらいに見えましたし、結構カジュアルな私服だし、大学生なのかなって思ってですね。だから駅から通学する途中だったんじゃないかと思って」

 彼が答えて、納得した。だから、うまく撒いたと思ったのに見つけられてしまったのか。私の行動は予測されていたのだ。駅へ向かう途中にコンビニに寄ったのなら、駅に近付けば私を見つけられるんじゃないかと。恐るべし。でも、それなら私が逃げた理由も予測して欲しかったな。

「本当にすみません。私、てっきり万引きに勘違いされてるんじゃないかって思ってしまって」

 私が言うと、彼は苦笑い。

「うん、さっき気付きました。あのおばちゃんもそんな顔してましたし、そういうことかって。僕も、お茶のことを予め言えば良かったんですけど」

 ふと、年上だろう彼が律儀に敬語を使うのを聞いて少しむず痒くなった。そう言えばさっき同い年くらいと言っていたけど、いくつなんだろうこの人。もしかして、私も二十五、六歳くらいに見られているのだろうか。それはそれでショックだ。しかしよくよく考えると二十五、六歳なら既に就職していたっておかしくない年齢だ。今どき流行りのフリーターという奴だろうか。

「あの、すみません、藤田さんっておいくつなんですか?」

 大通りから路地裏に入り、住宅街の合間から緑溢れる公園が姿を現す。私の問に少し驚いたように彼は眉をしかめたが、二十三だよとすぐに答えてくれた。これは──またもや私の失礼な勘違い。

「卒論ってことは、君も二十二歳くらいかな?」

「はい、そうです」

「あ、ちょっとまってね。走ってたら喉が乾いちゃって。ちょっと飲み物でも……ってあれ」

 彼はポケットを弄りながら気付く。そう、彼は今、コンビニの制服を着ているのだ。きっと、財布はお店に置いてきているに違いない。そういえば、彼はバイトは大丈夫なのだろうか。いや、彼が慌てて居ないのだから、きっと大丈夫なのだろう。

「あの、お金貸しましょうか?」

「え?いや、でも……」

「大丈夫です。なんだか、ものすごく申し訳ないことをしてしまった気がするので」

「それは……僕も一緒ですよ。でも……すみません、今度返すので!」

 誠心誠意、彼は頭を下げた。どうやら相当、喉が乾いているらしい。それもそうか。あれだけ汗を掻いていたのだ。下手したら熱中症で死んでしまうんじゃないかっていうくらい。こんな真冬なのに。ピーポーピーポーとサイレンが鳴り響く脳内で、担架に乗せられ担がれていく藤田さんの姿を妄想して、ちょっと笑えなくなった。そんな事態に陥ったら、私はどうやって罪を償えば良いのか分からなくなる。髪の毛でも剃り上げてシスターにならなければいけない。それか尼さんでも良いのかもしれない。無理にでも、ここは何か飲み物を飲んでもらわなければならない。だから私は、良いですよと答え財布から百円玉と五十円玉を一枚ずつ取り出し自販機に入れた。

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