西村あずさ -覚悟-
グシャッという音がして振り返ると、店員さんが派手に転んでいた。うわ、痛そう。あいたたた。見てる私まで痛くなってきた。同時に、なんとも言えない罪悪感。彼が転んだのって、ひょっとして私のせいなんじゃないだろうか。別に何も悪いことはしていないのに私が逃げているせいで彼は転んだのだ。いや、何も悪くないのに追いかけてくる彼が悪いような気もしてきた。でもこのまま逃げたら、なんか私、本当に悪い人みたい。
「待ちなさい!」
突然、目の前を五十歳くらいのおばちゃんが立ちはだかった。いきなり行方を阻むものだから、私はビックリして体を捩らせ逃れようとする。しかし、結構なスピードで走っていたものだからブレーキが効かず、上手く躱すことが出来なかった。ガッと抱きしめられるようにして私は身動きが取れなくなった。全力疾走し続けたダメージは大きく、体力を消耗した今ではその両腕から逃れることも出来ない。諦めるしか無さそうだ。ちょっと署まで来てもらおうか。若い警察官が私にそう声を掛ける姿が想像される。おしまいだ。内定取り消しかなぁ。嫌だよぅ。
「あなた、何をしたの?」
何もしてないんです。そう答えようとしたのに、乱れた呼吸のせいで言葉を発する事ができない。ふと見ると、おばちゃんは目をキラキラと輝かせていて、まるで公園でカブトムシを発見した子供のように好奇心旺盛な表情を浮かべていた。なんだろう。いわゆる野次馬という奴だろうか。二十代の男女が全速力で追いかけっこしているなんて稀有な光景を目の当たりにして、一体何事なんだろうとワクワクしているのだろう。確かに、私も第三者なら何事かと思って立ち止まって見てしまうかもしれない。今もワラワラと人だかりが出来始めている。そんな、私、本当に何も悪いことはしてないんです。冤罪なんです。
「あ……ありがとう、ございます」
気が付くと、藤田さんはいつの間にやら立ち上がり私達のすぐ側まで来ていた。彼も相当しんどかったのだろう、息も絶えだえにお礼を言う。私も少し呼吸が落ち着いてきたこともあって、少しだけ言葉を発してみる。
「私、何も、悪いことは、してません」
やっとこさそれだけ言うと、彼はえっと顔をしかめた。何を言っているんだこいつはっていう表情をしている。何を思っているんだこいつは。私が万引きしたから追いかけていたんじゃないのか。それにしては、今の私の発言に対する反応がおかしい。率直に、疑問に思って尋ねようとしたら、私の言葉と彼の言葉が重なった。
「なんで、追いかけて来たんですか?」
「なんで、僕を見て逃げたんですか?」
きょとんとする、私と彼。そしておばちゃん。変な空気が流れて、私は思わず聞き返す。
「え?」
「……え?」
どういうことだろう。私が、逃げた? いや、確かに逃げた。逃げたんだけれど。妙な違和感を感じる。もしかして私はとんでもない思い違いをしていたのでは無いだろうか。ひょっとして、私は取調室でカツ丼を食べなくて済むのかな。そうだとしたら、嬉しい。
「どういう、ことでしょうか」
恐るおそる、私は尋ねた。