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藤田徹 -捕捉-

 視界に彼女の姿を捉えたとはいえ、僕の体からは瀧のように汗が流れ出していたし、ひょっとしたらこのまま脱水になって倒れて救急車で運ばれてしまうんじゃないかっていうくらい限界に近い状態であることは間違いなかった。良いか、慎重にだぞ、慎重に。僕は少しだけ走るペースを落として、サバンナでシマウマに詰め寄るライオンのように息を殺した。いや、実際はゼーハーゼーハーとかなり不快で荒い息を周囲に撒き散らしていたことは誰の目からも明らかだったかもしれない。ふと前方を走る女の子が、チラリと左手に聳えるビルを気にする素振りを見せる。なんだろうと思って見ると、それはこの地域では最大の本屋だった。僕はもっぱら漫画しか買いに来ないのだが、そういや三階でCDやゲームも売っていたっけ。高校時代にハマっていたロールプレイングゲームの最新作が先日発売になったことを思い出した。主人公が剣を振り回してそこら辺を闊歩しているモンスターたちをバッサバッサとぶった斬りながらストーリーを進めていくゲーム。久々にやりたくなったけれど、あれは確か僕が持っていない最新のハードでしかプレイできないはずで、試験もあるのに今日だってバイトしている貧乏人の僕にはハードもソフトも買い揃えるなんて芸当は出来っこなかった。いや、よくよく考えると僕は今お茶を持って走っているだけであって、バイトしているなんてとてもじゃないけど言える立場ではなかった。不意に、彼女の走るペースが落ちる。シメた。これは詰め寄るチャンスだ。僕はそう思って、再びペースを上げた。しかし、これが失敗だった。マラソンをする上で重要なのは、一定のペースを保って走ることであって、速度を上げたり下げたりを繰り返しているとすぐにバテてしまう。今僕がやっていることはそれで、彼女に追い付こうとペースを上げたは良いがすぐに息が上がり、今なら人差し指一本でツンツンってやるだけで僕の鼓動が止まるんじゃないかっていうくらい心臓はバクバクと脈打っている。しんどい。きつい。もうダメだ。追い付けない。すると女の子は僕の方を振り返り、僕がすぐ後ろまで迫っていることに気付いた。嗚呼、こりゃダメだ。もうダメだ。お終いだ。汗だくでブサイクな僕はきっとか弱い少女を追い駆ける不審者にしか映らないんだ。そして彼女は悲鳴を上げながら逃げるんだ。そう思ったが、意外なことに彼女は悲鳴を上げなかった。こんなにも醜い僕が追いかけているというのに。そう。そうじゃないか。ようやく僕は気付いた。これではまるっきり不審人物にしか見えないじゃないか。それは非常に困る。僕は彼女のお茶を届けたいという親切心のもと走っているというのに、全速力で女の子を追い回す変質者としてしか周囲の人達は見えないんじゃないだろうか。そうこうしているうちに、正義感溢れる男に「何やってるんだこの変態め!」と体を捉えられ、そのまま警察に突き出されてしまうんだ。そうに違いない。世の中はいつだってか弱い女の子の味方なんだ。こうやって冤罪は生まれるんだ。そう思うと、僕は急に怖くなった。とは言え、彼女に待てと言って叫んだところで止まってくれる訳もないだろうし、僕が変質者にしか見えないことに変わりはないだろう。どうしたら僕が変人であることから逃れられるのか。考えた末、彼女を追いかけているのには正答な理由があるのだと周囲の人間に分かってもらう必要があるなという結論に至った。うん、そうだな。「彼女がお茶を忘れたから追いかけているだけで、僕は変質者じゃありません」なんてどうだろう。いや、まてまてダメだダメだ。そんなこと今全力疾走している中で叫んだら舌を噛んでしまいそうだし、何より長ったらしくて息が続く自信が無かった。そうこう考えているうちに、彼女との距離が少しずつ開いていく。マズいな。どう足掻いてももう追い付ける気がしない。自分だけの力ではもう彼女を捉えられそうになかった。誰かが彼女を捕まえてくれたら──あ。そうか。その手があったな。

「誰か、誰かその人を捕まえて!」

 その声に驚いたように彼女は振り向いて、そして目をギョッとさせた。おいこら待て、おとなしくお茶を受け取ってくれ頼む。なんでこれだけのために僕は全身全霊を捧げて大通りを駆け抜けなければならないんだ。おかしいだろう、本当。しんどい。しんどいよぅ。ダメだ、もう限界だ。僕の右足が、左のふくらはぎあたりに絡まる。あ。これ結構ヤバい奴だな。冷静にも僕はそんな事を考えながら、タイルが敷き詰められた歩道の上を派手に転がった。同時に、全身に痛みが走る。咄嗟に手をついたものの、突然の衝撃に体の至るところから痛みが放散した。あいたたた。そして二十三歳にもなって激しく転んだことに恥ずかしさが込み上げてくる。うわあ。周りに結構人いるよ。見られてるよ。もう嫌だ助けて誰か。そんな風に思いながら駅に向かって走る彼女の姿を目で追うと、僕の思いが届いたのか、一人の正義感溢れるおばちゃんが両手を広げて彼女の前に立ちはだかるのが見えた。そして、突然のことに慌てて方向転換しようとした彼女だったが避けきることは出来ず、ガッシリとその両腕に捉えられたのだ。おばちゃん、ナイスディフェンス。観念したのか、その手を振りほどこうと暴れることもなく、女の子はおとなしく項垂れているだけだった。僕は体を起こし、ゆっくりと二人の元に駆け寄った。

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