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 一七二〇年三月――事件が起こった。

 ラカムら一行は、相変わらず西インド諸島近海を航行する船を襲っていたのだが、そうした船の一つに、ウォルター・スコットという名の若者が乗っていた。

 青白い顔をした線の細い青年であったが、医学の心得があるということで、ラカムらは彼をむりやり仲間に引き入れた。

 当時、医者は、どの船でも欲しがる貴重な存在であった。なにしろ、腕や脚が簡単になくなる稼業である。

 数日後、仕事中に珍しく怪我をしたメアリーは、この新参者のもとを訪れた。

 ひ弱そうな男だ、というのが、メアリーのウォルターに対する第一印象であった。

 腕の刀創を診てもらっていると、

 「女の人みたいな腕だね」

 ウォルターが、突然どきりとすることを言った。

 メアリーは、反射的に腕を引っこめていた。

 そうだった。普段は、体毛の薄さから女であることが発覚するのを恐れて、常に長袖長ズボンを着ているのである。そのため、顔以外の肌は、驚くほど白く滑らかで美しいのだった。

 「あ、まだ……」

 「うるせえな、いいよ、もう」

 わざと荒々しく言う。

 ウォルターは、しまった、と思った。

 男に向かって女みたいな腕だなど、侮辱以外の何物でもあるまい。

 「ごめん、そういうつもりじゃないんだ。ただ、本当にきれいな肌だったからさ」

 と、フォローになってないことを言う。

 「うるせえ!」

 叩きつけるように言って、メアリーは去って行った。


 数日後、昼食時にメアリーが甲板に座ってパンをかじっていると、ラムの入った革袋とパンを手にしたウォルターがやって来た。

 「ここ、いいかな」

 とメアリーの隣を指す。

 「だめだ」

 メアリーは即下に言った。

 「どうして?」

 「理由が必要か」

 「僕のことが嫌い?」

 「ああ、嫌いだね」

 「僕、何か君の気に障ることをしたかい? こないだのことかな?」

 「そんなんじゃねえよ。ただ、おまえみたいな青っちろい奴は大っ嫌いなんだ。ただそれだけさ」

 「……そうか」

 ウォルターは、おとなしく帰っていった。背中が寂しげであった。

 少し可哀想な気もしたが、仕方がない。

 医者は苦手なのだ。いつ自分の正体がばれるともしれない。

 翌日。

 同じことが起こった。

 ウォルターがやって来て、メアリーが追い払う。

 そのようなやりとりが、以降も繰り返された。

 メアリーが場所を変えても、ウォルターはついてきた。

 「勝手にしろ」

 七日目、メアリーがついに折れた。

 ウォルターは、ひまわりが咲いたような笑顔を満面に浮かべた。嬉々としてメアリーの隣に座った。

 可愛い奴だ、と認めざるを得ない。

 「どうして、俺につきまとうんだ」

 「だって、この前みたいなことが起こったら困るからね」

 「この前?」

 「つまり、君が大きな怪我をしたとき、治療をさせてもらえないんじゃ困るだろ?」

 「放っときゃいいじゃねえか」

 「そうはいかないよ。死んだらどうするんだい」

 「死にたい奴は死なせとけばいいのさ。どうせみんな悪党だ」

 「それは違う」

 ウォルターは、きっぱりと言った。

 「誰を生かして誰を殺すのか、それを決める権利なんか、医者にはない。裁きは、司法と神の手に委ねるべきものだ。医者にできるのは、ただ治療することだけさ」

 ほう、とメアリーは微笑した。

 いっぱしの口を叩く。

 「だから、君が怪我をした時は、たとえ君がいやがっても、僕は君を治療するよ」

 「そうかい」

 言いたいことを言ったのか、ウォルターは満足げに一つうなづくと、ラムをぐっとあおった。

 むせた。

 「飲めないなら飲むなよ」

 咳きこむウォルターの背中に、呆れながら言った。

 「飲めるさ」

 ウォルターは、もう一口飲んだ。

 たった二口で、真っ赤になっていた。

 「おまえ、年はいくつだ」

 「二十七だ」

 メアリーは驚いた。同い年ではないか。

 それで、この十代の少年のような純真さは何だろう。

 「ところで、この船は、赦免を受ける予定はないのかい?」

 「さあな。前回の赦免はもう期限を過ぎてるし、次回の赦免の話はまだ聞いてない」

 「そうか」

 ウォルターは落胆の色を浮かべた。

 「海賊がいやか?」

 「そりゃそうさ! 人を救うべき医者の僕が、人を殺す海賊の片棒を担いでるんだぜ。こいつは、ひどい喜劇だと思わないか?」

 メアリーは、呆気にとられた。

 「さっきと言ってることが違うじゃねえか」

 「違わない。目の前に怪我人がいれば、海賊だろうが山賊だろうが治療する。それが医者の義務だからだ。でも、人殺しなんか救いたくない。だったら、船をおりればいいだろう。目の前にいなければ、救わないで済むじゃないか」

 そんなことを、真っ直ぐな瞳で言ったのだ。

 メアリーは、たまらずに笑い出した。

 「何がおかしい」

 「いや、気持ちはよくわかるがな、そういうことは、大声で言わないほうがいいぜ。よく思われない」

 「そうか、気をつけるよ」

 しかつめらしく答えるものだから、ますます笑いが止まらない。

 普段、滅多に笑わないエドワードが大笑いしたというので、このことはずいぶん仲間たちの口の端に上ったものであった。

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