八
一七二〇年三月――事件が起こった。
ラカムら一行は、相変わらず西インド諸島近海を航行する船を襲っていたのだが、そうした船の一つに、ウォルター・スコットという名の若者が乗っていた。
青白い顔をした線の細い青年であったが、医学の心得があるということで、ラカムらは彼をむりやり仲間に引き入れた。
当時、医者は、どの船でも欲しがる貴重な存在であった。なにしろ、腕や脚が簡単になくなる稼業である。
数日後、仕事中に珍しく怪我をしたメアリーは、この新参者のもとを訪れた。
ひ弱そうな男だ、というのが、メアリーのウォルターに対する第一印象であった。
腕の刀創を診てもらっていると、
「女の人みたいな腕だね」
ウォルターが、突然どきりとすることを言った。
メアリーは、反射的に腕を引っこめていた。
そうだった。普段は、体毛の薄さから女であることが発覚するのを恐れて、常に長袖長ズボンを着ているのである。そのため、顔以外の肌は、驚くほど白く滑らかで美しいのだった。
「あ、まだ……」
「うるせえな、いいよ、もう」
わざと荒々しく言う。
ウォルターは、しまった、と思った。
男に向かって女みたいな腕だなど、侮辱以外の何物でもあるまい。
「ごめん、そういうつもりじゃないんだ。ただ、本当にきれいな肌だったからさ」
と、フォローになってないことを言う。
「うるせえ!」
叩きつけるように言って、メアリーは去って行った。
数日後、昼食時にメアリーが甲板に座ってパンをかじっていると、ラムの入った革袋とパンを手にしたウォルターがやって来た。
「ここ、いいかな」
とメアリーの隣を指す。
「だめだ」
メアリーは即下に言った。
「どうして?」
「理由が必要か」
「僕のことが嫌い?」
「ああ、嫌いだね」
「僕、何か君の気に障ることをしたかい? こないだのことかな?」
「そんなんじゃねえよ。ただ、おまえみたいな青っちろい奴は大っ嫌いなんだ。ただそれだけさ」
「……そうか」
ウォルターは、おとなしく帰っていった。背中が寂しげであった。
少し可哀想な気もしたが、仕方がない。
医者は苦手なのだ。いつ自分の正体がばれるともしれない。
翌日。
同じことが起こった。
ウォルターがやって来て、メアリーが追い払う。
そのようなやりとりが、以降も繰り返された。
メアリーが場所を変えても、ウォルターはついてきた。
「勝手にしろ」
七日目、メアリーがついに折れた。
ウォルターは、ひまわりが咲いたような笑顔を満面に浮かべた。嬉々としてメアリーの隣に座った。
可愛い奴だ、と認めざるを得ない。
「どうして、俺につきまとうんだ」
「だって、この前みたいなことが起こったら困るからね」
「この前?」
「つまり、君が大きな怪我をしたとき、治療をさせてもらえないんじゃ困るだろ?」
「放っときゃいいじゃねえか」
「そうはいかないよ。死んだらどうするんだい」
「死にたい奴は死なせとけばいいのさ。どうせみんな悪党だ」
「それは違う」
ウォルターは、きっぱりと言った。
「誰を生かして誰を殺すのか、それを決める権利なんか、医者にはない。裁きは、司法と神の手に委ねるべきものだ。医者にできるのは、ただ治療することだけさ」
ほう、とメアリーは微笑した。
いっぱしの口を叩く。
「だから、君が怪我をした時は、たとえ君がいやがっても、僕は君を治療するよ」
「そうかい」
言いたいことを言ったのか、ウォルターは満足げに一つうなづくと、ラムをぐっと呷った。
むせた。
「飲めないなら飲むなよ」
咳きこむウォルターの背中に、呆れながら言った。
「飲めるさ」
ウォルターは、もう一口飲んだ。
たった二口で、真っ赤になっていた。
「おまえ、年はいくつだ」
「二十七だ」
メアリーは驚いた。同い年ではないか。
それで、この十代の少年のような純真さは何だろう。
「ところで、この船は、赦免を受ける予定はないのかい?」
「さあな。前回の赦免はもう期限を過ぎてるし、次回の赦免の話はまだ聞いてない」
「そうか」
ウォルターは落胆の色を浮かべた。
「海賊がいやか?」
「そりゃそうさ! 人を救うべき医者の僕が、人を殺す海賊の片棒を担いでるんだぜ。こいつは、ひどい喜劇だと思わないか?」
メアリーは、呆気にとられた。
「さっきと言ってることが違うじゃねえか」
「違わない。目の前に怪我人がいれば、海賊だろうが山賊だろうが治療する。それが医者の義務だからだ。でも、人殺しなんか救いたくない。だったら、船をおりればいいだろう。目の前にいなければ、救わないで済むじゃないか」
そんなことを、真っ直ぐな瞳で言ったのだ。
メアリーは、たまらずに笑い出した。
「何がおかしい」
「いや、気持ちはよくわかるがな、そういうことは、大声で言わないほうがいいぜ。よく思われない」
「そうか、気をつけるよ」
しかつめらしく答えるものだから、ますます笑いが止まらない。
普段、滅多に笑わないエドワードが大笑いしたというので、このことはずいぶん仲間たちの口の端に上ったものであった。