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 困ったことになった。

 さきの一件以来、アンのエドワード――メアリーを見る目つきがおかしい。

 彼女の危機を救ったことが、はからずも彼女の心を奪う結果になってしまったようだ。

 そのうち、

 「おまえら、できてんのか」

 と仲間達がからかうほどに、あからさまに近付いてくるようになった。

 かてて加えて、ラカムのメアリーを見る目つきまでおかしくなってきた。こちらには、明らかに嫉妬の色が含まれていた。

 ははあ、とメアリーは事情を察した。

 全く、頭を抱えたいような気分であった。

 そうして、ついに恐れていたことが起こった。

 ある夜、アンがメアリーのベッドに忍びこんできたのである。

 「おい、俺はそんな趣味はないぞ」

 メアリーはとぼけようとしたが、通用しなかった。

 「いいんだよ、それで。ほら」

 アンはメアリーの手を取ると、自分の胸に導いた。

 嬉しくもない隆起があった。

 「わかるだろ? あたしは女なんだよ」

 アン・ボニーは、大柄な女だった。

 太りじしというよりも、骨が太いという印象を与える体つきをしている。

 髪は黒髪ブルネット。肌は灼けた赤銅色。

 顔の部品パーツも全てが大ぶりで、とくに口の大きさが際立っていた。美形というわけではないが、下品と紙一重の野性的な魅力があった。

 声も野太く、男装をしていなくても首から上だけを見れば充分男に見えた。

 その女が、今、メアリーに迫っている。

 「待っ……!」

 言おうとする口を、アンの唇がぬめりと塞いだ。

 首に腕を回された。

 凄い力だ。

 歯の間を割って、アンの舌がねじりこむように入ってきた。

 メアリーの口内を蹂躙しながらも、アンの眼はかっと見開かれたままだった。濡れて、爛々《らんらん》と輝いている。火がついていた。

 メアリーは、肉食獣に襲われる草食獣の気持ちを知った気がした。

 歯茎の裏までたっぷりとねぶられた後、メアリーはようやくアンを引き離すことに成功した。

 「ちょ、ちょっと待った!」

 「なんだい、待てないよ。あたしが嫌いかい?」

 「そうじゃなくて――」

 言ってから、しまった、と思った。

 「だったら、いいじゃないか」

 アンの顔が近付いてくる。

 メアリーはアンの肩を必死で押さえると、覚えず言っていた。

 「あたしも、女なんだ!」

 アンは、きょとんと目を丸くしたあと、

 「そんなに、あたしのことが嫌いかい……?」

 悲しそうに言った。

 どうやら、断るための嘘と思ったらしい。

 「そうじゃなくて……」

 「だったら何? 誰かいいでもいんのかい?」

 「だから……」

 「かまわないんだよ、あたしは。体だけでも。ね、試してみてよ。あたし、すっごいんだよ。絶対気に入るからさ」

 そう言うと、アンはメアリーの右手の人差指を口に含んだ。

 「う……っ!」

 人差指から送りこまれる舌技の感触に、メアリーは思わず声をもらしそうになった。

 メアリーとは、場数に天地の開きがあるのだろう。確かに、すごいものを持っていそうであった。

 押し寄せる快感の波に抗いながら、メアリーはどうにか指を引き抜いた。

 「待てって」

 「なに、よくなかった?」

 「そうじゃなくて……」

 「もしかして、あんた、ホモ?」

 「だから、あたしは女だって言ってるだろ」

 「まさか。こんないい男が女のはずないさ」

 アンは一笑に付した。

 処置なしである。

 やむなく、メアリーは証拠を見せることにした。

 シャツの前を開き、寝るときも外さないサラシを取ると、驚くほど豊かで真っ白な双丘がこぼれた。

 同時に、アンの顎も落ちた。

 固まった。

 どれほどそうしていただろうか。

 「……そうかい……」

 アンは、長い、本当に長い溜息をついた。憑物つきものの落ちた顔をしていた。

 「まあ、ついてない(、、、、、)んじゃ、仕方がないよねえ」

 しみじみと言った。

 だますつもりはなかった、とは言えないメアリーは、

 「悪かったね」

 とだけ言った。

 「ま、お互いさまだからね」

 「何故、男装してまで船に? やっぱり、ラカムといるため?」

 「気がついてたのかい?」

 「なんとなくね」

 「まあ、そうなんだけどね。でも、ガキの頃のクセもあったのかな。別におかで待ってても良かったんだし」

 「ガキの頃のクセ?」

 「まあ、いろいろあってね」


 アン・ボニーは、一六九四年、アイルランドのコーク州で生まれた。

 弁護士の父親が女中であった母親に産ませた、不義の子である。この浮気が原因となって、父親とその正妻は別居することになった。

 まずいことに、彼の実母が正妻の味方についた。そして、遺産を全て正妻と、彼女が産んだ二人の子供に譲って、他界してしまったのである。

 生活費の大部分を実母に頼っていたアンの父親には、これは大打撃であったが、正妻は天使の如き優しさを発揮し、別居中の夫のために毎年いくばくかの金を送った。

 そんな生活が五年ほど続くと、父親はアンをひきとって一緒に暮らしたいと思うようになった。しかし、そんなことを彼の正妻が知ったら、ただで済むはずがない。

 そこで、アンの父親は彼女に男の服を着せ、親戚の子供と偽って育てることにした。

 しかし、そんな嘘はすぐにばれる。天使の優しさにも限度はあり、送金は打ち切られた。

 結局、父親はアンと母親を連れ、カロライナへ渡った。

 幼い頃男として育てられたせいかはわからないが、長じたアンは、男まさりの気性の烈しい女になっていた。ついでに、男の出入りも激しかった。父親はどうにかこのじゃじゃ馬娘を落ち着かせるため、良いおとこをあてがってやろうともしたが、奮闘努力もむなしく、アンはジェームズ・ボニーなどというどこの馬の骨ともわからぬ男と結婚してしまい、勘当同然で家を追ん出た。

 二人は、プロヴィデンス島に渡った。

 ジェームズは、以前は海賊だったが赦免を受け、今はまっとうな船乗りをやっていた。

 しかしアンは、まっとうな男の手におえる女ではなかった。結婚しても男癖の悪さは治らず、次々と浮気をくり返した。

 そうして、ジョン・ラカムと知り合ったのである。

 二人はジェームズにアンとの離婚を迫ったが、この話を総督が耳にし、アンとラカムの不品行の数々を知ると、アンの離婚を禁じ、もし離婚などしたら二人とも牢にぶちこんで、鞭打ちの刑に処してやると通告した。

 これに対するアンとラカムの答えは、ジョン・ヘイマンのスループ船奪取であった。

 つまりは、駆け落ちである。


 「あんたは、どうして男装を?」

 今度はアンがきいた。

 「似たようなもんさ。あたしも、ガキの頃から男として育てられてね。もっとも、あたしの場合、人生のほとんどを男の格好して過ごしてきたんだけどね」

 「どうりで、男っぷりがいいわけだ」

 アンはくすくすと笑った。

 「それにしても惜しいなあ。本当に、あんたが男だったら良かったのに」

 「ついてなく(、、、、、)て悪かったね」

 「いや、この際、ついてなくてもいいや。ねえエディー、いや、メアリー、しようよ」

 アンはメアリーにしなだれかかってきた。

 「ちょ、ちょっとよしてよ。それこそ、そんな趣味はないんだからさ」

 「ふふ、冗談だよ」

 アンはメアリーに軽くキスをすると、

 「おやすみ」

 とベッドに潜り込んだ。


 翌日、アンとメアリーは、ラカムの船室に呼ばれた。用件は、訊くまでもなかった。アンがメアリーの部屋から出てくるところを、誰かが見ていたのだろう。

 部屋の中には、剣呑な香りが充満していた。火薬庫の中に、火打石(フリント)を抱いて立っている気分である。ちょっとの刺激でも爆発しそうであった。

 「あー、てめえら、その、あれだ……」

 気持ちがたかぶり過ぎているためだろう、ラカムは、なかなか言葉が出てこないようであった。

 眼が、半分イッている。

 メアリーは、先手を打った。

 「はじめに言っとくけど、あたしは女だからね」

 二拍の間を置いて、

 「……あ?」

 とラカムは言った。

 「これが証拠よ」

 とメアリーはシャツの前を開け、胸の谷間がわかるところまでサラシをめくってみせた。

 あまりの展開に、ラカムは言葉を失っていたが、やっとのことで、

 「……そうか」

 と、間の抜けた声をしぼり出した。

 「だからね、アンとは、あんたが考えてるようなことは何もなかったの。わかった?」

 と、ラカムには、新たな疑念が浮上したようであった。

 「おい、おめえ、本当に何もなかったんだろうな?」

 とアンに向かって言った。

 「あんた、あたしがどれだけ男()きかって知ってるでしょ?」

 アンは、自慢にもならないことを堂々と言った。

 「それもそうか」

 ラカムは、あっさりと納得した。

 しかし、メアリーが退室した後も、ラカムは、疑念は晴れたが、釈然とはしないようであった。

 俺は、女に愛人おんなを寝取られそうになったのか?

 そう言っている顔である。

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