五
ジョーとラカムらの一行は、双方とも人員不足で難渋しているという事情から、行動を共にすることになった。
ジョーたちがラカムの船に移り、乗っていた船は沈めた。
海賊船の役職には、船長、砲手、甲板長、船大工、操舵手などがあるが、話し合いにより、船長はジョン・ラカムとなり、ジョー・バンスは操舵手と決まった。
メアリーが船首でボンヤリと海原を眺めていると、ジョン・ラカムとボン・スチュアートことアン・ボニーがやって来た。
「よう、エドワード、だったな。飲るかい」
ラカムは、ラムの入った革の袋を振ってみせた。
「もらおう」
メアリーは袋を受け取ると、飲み口に口を当てて呷った。
首に巻いたスカーフから覗く喉の白さが、アンの眼に眩しかった。
メアリーは、あまり酒が好きではなかった。彼女にとって酒とは、愉しむものではなく憂さを紛らわせるものなのだ。が、仲間といるときは、極力飲むようにした。海賊船では、酒を飲まないと、しばしば軽侮されたり要らぬ懐疑を招いたりするからだ。
「いい船だな」
メアリーが言った。
船脚が軽く、水を裂くように進む。これだけ速い船というのは、メアリーは初めて見た。
「そりゃそうだろう。なんたって、あのジョン・ヘイマンの船だからな」
ラカムが得意気に言う。
「なに!? サブリナ号か」
「今は改名して、ゴールデン・グローリー号だがな」
ジョン・ヘイマンといえば、この辺りではちょっとした有名人であった。
プロヴィデンスの近くの小島に家族だけで住んでいる男で、理由は知らないがスペイン船を専門に襲撃するという。が、有名なのはそのためではなく、その船の快速のためであった。海賊というよりも、一昔前のバッカニアと呼ばれる男達の生き残りというのが、メアリーの印象だった。
ラカムはその快速スループ船サブリナ号を、夜陰に乗じて奪取したというのだ。
「こいつの下調べが精確だったおかげで、完璧な襲撃計画が立てられたんだ」
と、ラカムは背後のアンを指さした。
「ほう」
「勇気と無謀を履き違えてる奴が多いがな、大切なのはここさ」
と、ラカムは人差し指でこめかみをトントンと叩いた。
「なるほど」
メアリーは興味なさそうに言った。
この手のセリフを吐く奴は、小利口の鼠輩と相場が定まっている。
海に視線を戻したメアリーの眼が、すっと細くなった。
「船だ」
ぼそりと言った。
「何?」
見ると、遠くに小さな船影が見える。ラカムはにやりと笑った。
「おい、野郎共、集まれ! 勘定に出かけるぞ!」
と、声を張り上げながら船室へ向かう。
アン・ボニーは、エドワードの顔を見て、ぎくりとした。
たいがい仏頂面のこの男の口元に、凄惨な笑みがへばりついていた。
眼が濡れたように光っている。
およそ恐れというものを知らぬアンが、気圧された。
この男を敵に回したら、果たして自分は生きていられるだろうか――。
海賊船には似つかわしくない、理知的な男という印象を抱いていたが、やはり海の男だったということなのだろう。
人として大事な何かが、間違いなく壊れていた。
メアリー達の船は獲物の後方に回ると、ゆっくりと近付いていった。
海賊の襲撃は、ネコ科の肉食獣の狩りに似ている。そろそろと獲物の背後に忍び寄り、ある距離まで近付くと、一気に襲いかかる。
追跡は夕に始まり、夜のうちに距離を詰め、未明、行動が開始された。
獲物はオランダのブリガンティン船だった。
直前まで気付かれることなく接近することには成功したが、大砲の一斉射撃から接舷し乗りこむと、相手は猛烈な反撃に出た。どうやら密輸船だったらしく、荒事にも慣れているようだ。
激しい銃撃戦が展開された。
メアリーが驚いたのは、アン・ボニーの働きであった。
そこらの男どもより、はるかに使える。腕もなかなかだが、なにより度胸がいい。
自分には弾が当たらないという信仰でもあるらしく、弾雨に全身を曝して平然としていた。そして不思議と、弾丸のほうでもアンをよけていくようであった。
アンの働きはめざましいものがあったが、いかんせん火力が違った。
メアリーたちは、徐々に劣勢に追い込まれていった。
メアリーがマストの陰で銃に弾をこめていると、凭れかかってくる者があった。
「おい……?」
男は、そのまま力無く頽れた。
顔の半分を吹き飛ばされた、ジョー・バンスであった。
ハリー・ヘイズは、それを見た瞬間、頭にかっと血がのぼった。
「ちくしょう!」
あっ、と止める間もなく飛び出した。
次の瞬間、全身に銃弾を浴び、ヘイズがメアリーの足元に倒れこんだ。
不幸なことに、ヘイズはまだ息があった。
「エド……ワード……ら、楽に……して、くれ……」
メアリーは、無表情に銃を構えた。
「言い残すことはあるか」
ヘイズは微かに唇の端を歪めた。笑ったらしい。言葉はなかった。
メアリーは、ヘイズの頭を撃ち抜いた。
「どうせ俺達は、遅かれ早かれみな地獄行きだ。先に行って待ってろ」
言う間にも、ヘイズの後を追う者が続出した。
相手は武装した者が五十名以上、対するこちらは二十名にも満たない。長引けば不利なことはわかりきっていた。
「エドワード」
ラカムとアン・ボニーが、背を屈めてメアリーの所にやってきた。
「どうにもうまくねえな。そろそろ退くか」
駄目だなこいつは、とメアリーは思った。
船長の口から出るべきは決断だけだ。部下に相談してどうするのか。
「まだ早い。ボン」
「ん?」
「俺が出る。掩護頼む」
「わかった」
アンはにやりとしぶとい笑みを浮かべた。
メアリーがマストの陰から飛び出した。
同時に、アンの銃口が火を噴く。
メアリーは、舷側に向かって走ると、その側面を蹴って駆けた。
思いがけぬ動きに、敵の銃口が泳ぐ。
一発の銃弾がメアリーの脇腹を浅く抉ったが、彼女は構わずに駆け抜け、一気に敵の背後に回りこんだ。すぐさま剣を抜き、敵集団に飛びこむ。
近接戦闘では、銃よりも剣の方が威力を発揮する。メアリーの剣風の前に、たちまち四人の敵が倒れた。
ヒュウ、とアンが口笛を吹いた。
敵は銃で応戦したが、同士討ちを誘い、大混乱に陥った。
「今だ、野郎共、突っこめ!」
腹を食い破られた敵は、海賊達が一斉に襲いかかると、総崩れになった。
後は、一方的な殺戮だった。
二十分後、甲板上は血の海になっていた。
「よし、後はお宝を頂くだけだぜ!」
興奮したアンが船室に続く扉を開けた瞬間、剣が飛び出してきた。
中にまだ、敵の生き残りが隠れていたのだ。
アンの胸が刺し貫かれたと見えたその時、敵の剣尖がはね上げられ、天井に突き刺さった。
何者かののカトラスが、横から弾いたのだ。
その人物は、アンの体を突き飛ばして敵の前に出ると、無造作に敵の胸を刺した。
剣を抜くと、血が噴出し、敵は声もなく倒れた。
アンは、床に座りこんだまま、自分を助けた者の背中を茫然と見上げていた。
「大丈夫か」
振り向いたその顔は、湯に浸かったように返り血に塗れ、紅く染まった髪はよじれ、その先から血が玉となって滴っていた。
エドワード――メアリーであった。
「……あ、ああ」
「迂闊だぞ」
言いながら、メアリーは手を差し伸べた。
アンは、その手を握って立ち上がった。
アンの顔は、紅潮していた。