四
「くそったれ」
ジョー・バンスが、ラムを呷りながら吐き捨てた。
海賊に戻ったはいいが、それから二週間以上、獲物の影すら見ないのである。
くさる仲間たちをよそに、メアリーは一人、黙々と銃の手入れをしていた。
「見つけたぞ! 補給船だ!」
見張りについていたハリー・ヘイズが声を上げた。
ジョー・バンスが、テーブルを蹴飛ばして立ち上がった。
甲板に出てみると、二時の方向に、小さな船影が見えた。スループ船である。
「よし、野郎共、配置につけ! ダンスの時間だ!」
ジョーの号令で、海賊たちは配置についた。
獲物を油断させるために七人のうち三人は舷側に身を隠し、残りの四人は水夫のふりをした。マストにはスペイン国旗が揚げてある。
「へへ、こいつで、銃は頂きだぜ」
舷側に背を預けながら、ハリー・ヘイズが嬉しそうに言った。
獲物の第一発見者には、その船で得られた最高の銃が与えられることになっているのだ。
メアリーの乗る船が、海面を滑るように獲物に近付いてゆく。
獲物には、英国旗が掲げてあった。
舷側から顔を半分だけ出して獲物を見ていたメアリーは、妙だな、と思った。
遅すぎる。
相手のスループ船は、こちらのスノー船よりだいぶ速いはずだ。
〝もしかして……〟
気をつけろ、とメアリーが言いかけたとき、獲物の英国旗がおりてゆき、かわりにするすると揚がるものがあった。
「あいつは……!」
瞬間、獲物の大砲が轟然と火を噴いた。
砲弾は風上に落ち、飛沫がメアリーの顔を叩いた。
獲物のマストに翻っていたのは、海賊旗であった。
〝陽気なロジャー〟という名を持つこの旗は、別名黒旗、あるいは死の王の旗とも呼ばれ、一般的には黒地に頭蓋骨と交叉させた大腿骨を白く染め抜いたデザインになっていた。海賊の象徴のようなイメージが強いが、この意匠自体は、死のシンボルとして、当時は墓石にも普通に彫られたような、ごくありふれたものであった。もちろん「逆らえばお前もこうなるぞ」という恫喝の意味がこめられているのだが、裏には、「俺たちはいつでも死ぬ覚悟ができているのだぞ」という、死線に生きる男たちのある種の矜恃も含まれていた。
海賊旗の意匠は幾種類かあるが、今、メアリーの眼前に翻るそれは、大腿骨のかわりに剣が描かれていた。
「なんでえ、お仲間かよ」
ジョーは気の抜けた声で言うと、礼砲を指示した。
こちらも海賊旗を掲げ、相手の風下遠方に向かって砲撃を行う。
メアリーたちが同業者と知った相手も、同様にして答礼した。
両船からボートが降り、中間の海上で船長同士が挨拶を交わした。
「よう兄弟、俺は船長のジョー・バンスってんだ。よろしくな」
ジョーは右手を差し出した。
「船長のジョン・ラカムだ。こちらこそよろしく」
ラカムが手を握り返す。
「ジョン・ラカム!? もしかしてキャリコ・ジャックか!? こりゃ凄え、あんたみてえな有名人と会えて嬉しいぜ」
ジョーは、大袈裟に腕をひろげた。
ほう、こいつが、とボートに同乗していたメアリーは思った。
ジョン・ラカム――キャラコ(薄く光沢のある綿布)のジャケットとズボンをいつも着ているので、キャリコ・ジャックと呼ばれている男だ。なるほど、キャラコの服を着ている。
この界隈では知られた男だが、メアリーは、派手な男だ、という以上の印象は持たなかった。
「噂では、先日赦免を受けたと聞いたが?」
メアリーが言うと、
「男の仕事が恋しくって、自由の海に戻ってきたのさ」
「ふうん」
ラカムのにやけた笑みが、メアリーの癇に触った。
そらしたメアリーの眼が、ふと、ラカムの背後の男にとまった。
「あんた……」
「え?」
と相手がメアリーを見た。
女じゃないか、と言いかけて、メアリーはやめた。
男装してはいるが、確かに女だ。他の連中は気付いていない様子であったが、メアリーの眼には一目瞭然であった。
普通、海賊船に女は乗せない。船員同士の争いの種になるからだ。
だから彼女を見て驚いたのだが、考えてみれば自分がそうなのだから、他にもそういう者がいても不思議ではない。
「いや……なんでもない。エドワード・ジョーンズだ。よろしく」
メアリーは右手を差し出した。
「ボン・スチュアートだ」
相手が手を握り返した。
ボン・スチュアート――本名アン・ボニー。
メアリーとともに後の歴史に名を残す、女海賊であった。