三
赦免を受けてから二か月。メアリーは、無為徒食の日々を送っていた。
日がな一日、海を眺めながら酒を嘗めている。
しかし、酔えない。
わかっている。
自分は、恋と血にしか酔えない人間なのだ。
だが、恋は、自分にはもう無理だと諦めている。
となると、残りは後者しかないわけだが、血は宿酔がひどい。
酔っているときはいいのだが、それが醒めた後、きまって猛烈な自己嫌悪に襲われる。こんなことはもうやめよう、と心の底から思う。しかし、暫くすると、またあのめくるめくような感覚が、血の沸き立つような興奮が欲しくなってくるのだ。
血の匂いを忘れようと思ってアメリカくんだりまで来たが、結局のところ海賊になり、そんな自分を再認識しただけであった。
その海賊すらもやめた。
酒でも飲むよりほか、どうしようもなかった。
一七一九年八月、無聊をもてあましていたメアリーの耳に、プロヴィデンス島の総督ウッズ・ロジャーズが、スペインに対する私掠船活動を企図しているという噂が舞いこんだ。
〝私掠船……〟
ざわり、と蠢くものがあった。
ちょうど、懐具合もさびしくなってきたところであった。
――あくまでも、金のためだ。
それ以上は、考えようとはしなかった。
私掠船は、私掠免許状を与えられた民間の武装船である。
その報酬は「買物なくんば支払いなし」、即ち獲物がそのまま報酬であり、逆に言えば獲物がなければ収入もゼロということである。その点は海賊と同じだが、海賊と違い、どこの国の船でも見境なしに襲うというわけにはいかない。私掠船活動は、あくまで戦争の一部なのだ。
ところで、赦免を受けて陸に上がった元海賊の連中の多くは、不満を感じていた。仕事が無いのだ。選ばなければ無いではないが、それでも充分な量ではないし、なにより海賊という自由気儘な職業に馴れてしまっている。
金も無い。海賊で稼いだ金はとっくに使い果たした。宵越しの銭は持たぬとばかりに稼ぐ端から蕩尽するのが、海賊の性である。海賊がどこぞの離れ小島に財宝を隠したというのはよくある話だが、実際にはそんな呑気なことをする者はほとんどいない。明日死ぬかもしれないのに、後生大事に金を持っていてどうするのか。
しばらくすると彼らは、かつての生活が恋しくなってきた。
そんな彼らが再び私掠船に乗りこんだとき、何を思ったか。
「うまい具合に、船が手に入ったじゃねえか」
――エドワード・ジョーンズこと男装のメアリー・リードが憮然としているのは、そういうわけである。
彼女の乗り組んだ私掠船でも反乱が起こり、海賊船に早変わりしてしまったのだ。どうも彼女は、そういう星の運りらしい。
首謀者はジョー・バンスという元海賊であり、メアリーと船長を除いた他の乗組員五人も全員、進んで彼の話に乗った。彼らも元海賊だった。
「さて、お前さんはどうするね?」
ジョー・バンスが、カトラスの腹でメアリーの頬をピタピタと叩きながら言った。
抵抗した船長は、今頃鮫の腹の中である。
「もちろん、俺たちの仲間になるよな?」
メアリーは、カトラスを意に介した様子はない。無言でじろりとジョーの顔を見る。
〝……何だ、こいつ……?〟
ジョーは、何か違和感のようなものを感じていた。
虚無の深淵を覗きこんだような心地がした。
猫のつもりでいたぶっていた相手が、実は虎だったのではないか?
ジョーの背を、冷たい汗が流れ落ちた。
と、不意に若者の手が持ち上がり、カトラスの刃を掴んだ。
いくら綿の手袋をしているとはいえ、無茶である。反射的に、ジョーは剣を引いた。
が、若者の指が落ちることも、掌が裂けることもなく、剣はピクリとも動かなかった。おそろしい力だった。
メアリーは、怒ったような顔で、じっと前を、いや、空を見つめていた。
事実、怒りに似た思いがあった。
こうも好き勝手に人の運命を弄ぶ権利が、世界にはあるというのか。
気に入らなかった。
「はっ、離せっ、このっ!」
ジョーが躍起になって引いていると、
「いいだろう」
メアリーがぼそりと言った。
「え?」
手を離した。ジョーが尻餅をついて倒れた。
メアリーは、ジョーを見おろし、
「全世界に、宣戦布告してやろうじゃねえか」
昂然と言い放った。