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 一四九三年、世界は二分された。

 前年のコロンブスの新大陸発見を契機に、ローマ教皇アレクサンデル六世が、大西洋上に一線を設定し、その西をスペイン、東をポルトガルの勢力圏と認めたのである。

 翌一四九四年には、スペイン、ポルトガル間でトルデシリャス条約が締結され、両国による本格的な分割植民統治が開始された。

 納得がいかないのは、これによって巨額の利益を生む貿易から締め出されたヨーロッパ諸外国である。

 そのため、というのは極論だろうが、一五一七年にはルターによる宗教改革が起こり、旧教から分離した国々は教皇の権威を否定、よって教皇の定めた勢力分界線も無効とし、実力をもって新世界との貿易に参入した。といっても、巨大な富を背景とした強大な軍事力、とりわけ無敵艦隊アルマダを擁するスペインと正面きって戦えるだけの力は、まだ他の国にはない。彼らにできることといえば、せいぜい私掠免許状レター・オブ・マークを発行し、利益の一部をかすめとるくらいのものであった。

 私掠免許状とは、敵船に限り拿捕だほ掠奪りゃくだつを認めるとする、民間の船舶に対して与えた委任状である。戦争行為の一形態とみることもできるが、要するに政府公認の海賊である。ゲーテの言葉を借りれば、「戦争と貿易と海賊は三位一体にして分かち難い」のだ。

 時代がくだり、各国の関係が改善されると、私掠船の数は減り、それに反比例して無印の、つまり私掠免許状を持たない非合法の海賊の数は増えていった。かつての私掠船員の多くが、そのまま海賊に転職したのである。主な理由は二つ。一つは、再就職先をみつけるのが困難だったこと。もう一つは、一度覚えた蜜の味は、なかなか忘れられないということであろう。

 こうして、十八世紀初頭には、海賊たちはその黄金期を迎えていた。

 女海賊メアリー・リードが生きていたのは、そういう時代であった。


 ポールの直感は正しかった。

 エドワード・ジョーンズことメアリー・リードは、海賊の仲間になったその日、自己紹介もそこそこに、ポールに、規約書を見せろと言った。

 「ない」

 「ない? 馬鹿な」

 海賊にとっては常識である。今日でいえば、労働契約書のようなものだ。

 ないわけがないだろう、となおも提示を求めたが、どうやら本当にないらしい。

 「呆れたな。よくそれで海賊をやれたものだ。どうりで規律がなっていない」

 入りたての新参者が、仲間の面前で船長を痛罵したのだが、不思議と反感を抱く者はなかった。メアリーの人としての格がそうさせるのか、一同、教師に叱られた生徒のようにうつむいている。

 彼女はすぐさま規約書を作成すると、有無を言わさず、仲間全員に署名させた。

 内容は、報酬の分配に関する規定のほか、

 武器の手入れを怠るな

 無抵抗の相手に危害を加えるな

 獲物をくすねるな

 等といった禁止事項を記しただけの、ごくありきたりのものであった。

 どれも海賊にとっては常識である。べつに、道徳上の理由からできたルールではない。命知らずの荒くれ者といっても、死にたいわけではない。自らの身を守るために、自然発生的に出来上がった掟であった。

 その当たり前のことでも、きちんと言葉にして言わねばわからないのが、海賊という生き物なのだ。

 それにしても、とポールは疑問に思い、

 「やけに詳しいじゃねえか。海賊の経験があるのか?」

 「べつに。誰でも知ってる程度のことさ」

 メアリーは、つまらなそうに言った。

 確かに海賊あがりには見えないが、誰でも知っているようなことでもない。

 過去のことを言い出したらきりがない連中の集まりだ。ポールは、それ以上きこうとはしなかった。

 その後、彼らの組織は一変した。

 女を船に連れこむ者はなくなり、仲間同士の争いごとも減り、さびの浮いていたカトラスは、陽光がにじむほどに磨き上げられるようになった。

 メアリーが特に神経を尖らせたのは、獲物に対する取り扱いだった。あるとき、仲間の一人が獲物の娘にちょっかいを出そうとしたところ、いきなりその腕を剣で斬り落としたということもあった。

 この女はまた、腕っぷしも強かった。剣も銃も、仲間の誰よりも長けていた。

 過去のことを語らない女だったが、強さの理由について、酒席でぽろりとこぼしたところによると、軍隊にいたことがあるらしい。

 メアリーの提案で、船もそれまでのブリグ船から、捕らえたスループ船に乗りかえた。

 スループ船は、喫水きっすいが浅く、小回りがきく。

 海賊船の命は船脚の速さだということを、メアリーはよく理解していた。

 彼女はさらに、船底の掃除を徹底させた。

 船底に海藻やフジツボなどがつくと、速度も操作性も格段に落ちる。それは即ち、彼らの寿命が縮まることを意味するのだ。

 快足と規律を手に入れた結果、以前は食うや食わずの貧乏海賊だった彼らも、俄然がぜん実入りが増えた。追えば逃がすことなく、追われれば影も踏ませぬ。

 全てが順調に見えた、そんなある日――ひとつのニュースが、カリブ海に蟠踞ばんきょする海賊たちの間を駆け巡った。

 指定期限までに投降した海賊は全て、その罪を不問とし赦免しゃめんするという、英国王の布告が発せられたのである。

 海賊の横行に手を焼いた英国政府の、苦肉の策であった。

 状況は一変した。

 多くの海賊がこの布告に応じて投降し、その中に、ポール一味も含まれていた。

 ポールの特殊な嗅覚は、海賊というものの行く末を敏感に感じ取っていたのかもしれない。

 「ここらが潮時しおさ」

 メアリーを海賊の世界に引き入れた男は、そう言い残して、あっさりと海を去った。

 メアリーは、また、一人になった。

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