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十二

 ラカム達は、大急ぎでいかりを引き上げ、逃走した。

 が、追手の船脚は速く、じりじりと迫ってくる。

 〝サブリナ号だったら……〟

 メアリーは思った。

 今のゴールデン・グローリー号は二代目で、かつてジョン・ヘイマンから奪った初代の方は、以前の戦闘で大破して破棄したのだった。

 今の船も遅くはないが、やはり初代とは比ぶべくもない。ラカムが脅してプティオガ船から来た客人たちにも無理矢理漕ぐのを手伝わせていたが、追手との距離は縮まるばかりであった。

 「しつけえ野郎だ」

 ラカムはいまいましげに吐き捨てた。

 やばい相手だ、とメアリーは思った。

 彼女の鋭い嗅覚は、追手の船から放たれる獰猛な気配を敏感に察知していた。

 ついに捕捉された。

 追手の船のマストには、英国旗がはためいていた。

 「くそったれ、撃て撃て!」

 ラカムの合図とともに、ゴールデン・グローリー号の大砲が一斉に火を噴いた。

 「早いよ」

 メアリーが憮然として呟くのと、

 「慌てるな、当たらん」

 追手の船長が言うのは同時だった。

 その言葉通り、砲弾は全て外れた。

 「よくひきつけてから撃てよ」

 追手――ジョナサン・バーネットは、不敵な笑みを浮かべた。

 グレイハウンド号は獲物との距離を一気に詰めると、片舷斉射を見舞った。

 ゴールデン・グローリー号のセールには穴があき、大砲も一門吹き飛んだ。

 更にバーネットは船を寄せると、大声で呼びかけた。

 「キャリコ・ジャック、ジョン・ラカムだな」

 「誰だ、てめえ」

 ラカムはどなり返した。

 「旗を見ればわかるだろう。英国王の名において命ずる。無駄な抵抗はやめて、速やかに投降せよ」

 「寝言は寝て言え!」

 言いながら、ラカムは銃を撃った。

 そう来なくてはな、とバーネットは嬉しそうに肉食獣の笑みを浮かべた。

 両船が接舷すると、鉄掛け鉤が投げられ、バーネットの部下達がゴールデン・グローリー号の甲板になだれこんできた。

 初めこそ両者の間で激しい銃撃戦が展開されたが、カトラスによる白兵戦になると、先刻まで酒盛りをして酔っているラカム達は、たちまち劣勢に追いこまれた。

 その中にあって、獅子奮迅の働きを見せていたのが、アンとメアリーの二人である。

 二人は甲板上を縦横に駆けながら、剣をふるい銃を撃ち、次々と血の雨を降らせていった。

 「ほほう」

 戦況を見つめていたバーネットは、眼を細めた。

 〝面白い奴らがいる……〟

 バーネットは、アンとメアリーを倒せば敵は瓦解すると見て、この二人への集中攻撃を指示した。

 と、そのとき、メアリーは、信じられない光景を目撃した。

 状況不利とみたラカムが、

 「こりゃやべえ」

 と船倉へ逃げ隠れてしまったのである。

 戦場において、指揮すべきはずの司令官が真っ先に逃げ出してしまったのだ。

 およそありうべきでことではない。

 これにより、彼の部下たちも元々乏しかった戦意を完全に喪失し、雪崩をうって船倉へと駆けこんだ。

 後には、アンとメアリーの二人だけが残された。

 絶句するしかなかった。

 とりわけ、アンの受けた衝撃は大きい。既に熱が冷めていたとはいえ、一度は愛した男が、自分を見捨てて逃げたのである。

 バーネットもまた、意外な展開に、肩すかしをくったような気分を味わっていた。

 狩りは、獲物が必死の抵抗をするからこそ楽しいのだ。

 軽い失望を感じつつ、バーネットはアンとメアリーの捕縛を命じた。

 しかし、二十人以上の敵に囲まれてなお、二人は抵抗を諦めなかった。

 短い茫然自失の状態から立ち直るや、アンはラカムへの怒りを叩きつけるように、敵に斬りかかった。

 メアリーもまた、自らの運命を切り拓こうとでもするように剣を揮う。

 二人の戦いは凄まじく、さらに数名の敵を倒したが、数の差はいかんともし難く、二人は徐々に追いつめられていった。

 その様子を船倉から見ていたウォルターが、思わず本名を叫んでいた。

 「メアリー!」

 「来るな!」

 メアリーは振り向きざま、叩きつけるように怒鳴った。

 「メアリー……」

 「来るんじゃない!」

 もう一度言った。

 そうだ。

 こんなところで捕まってたまるか。

 あと少し、あと少しなんだ。

 あと少しで、あたしとウォルターは船を降りて、子供と三人で幸せに暮らせるんだ。

 こんなところで……!

 歯を食い縛り鬼神と化して戦う二人の前に、さらに数名の男が血の海に沈んだ。

 と、突然強烈な斬撃を受け、メアリーは吹っ飛ばされた。

 「メアリー!」

 アンが叫んだ。

 「……大丈夫だ……」

 メアリーはきこみながら、剣を支えにして立ち上がった。

 腕がしびれている。

 〝ガードした剣ごと持ってかれた……〟

 心の中で呻きつつ、打ちこんできた者を睨みつけた。

 四十代半ばだろうか、射抜くような炯眼けいがんった大男が立っていた。

 筋肉男マッチョなら大勢見てきたが、こういう肉体は初めて見た。骨格が違うとでもいおうか。立ち上がった獅子をイメージさせる肉体であった。

 手には、狭い船上で振るにはいささか不向きと思われる大剣を握っている。

 「相手をしてもらおうか」

 男は、太い声で言った。

 「……名は?」

 「ジョナサン・バーネット」

 聞いたことのある名だった。

 「……大船長直々(じきじき)のご指名とは、いたみいるぜ」

 「お前の名は」

 「エドワード・ジョーンズ」

 バーネットは、小さく首をかしげた。

 「メアリーというのが本名じゃないのか」

 ぎくりとした。

 聞かれていた。

 「エドワード・ジョーンズだ」

 メアリーは、硬い声で言った。

 「まあいいさ、どうでもな」

 実際、男か女かなど、どうでもよかった。バーネットにとっては、相手が強敵でさえあればそれでいいのだ。

 この男もまた、血にしか酔えない人種であった。

 「来い」

 バーネットは、構えもとらずに言った。

 「あいよ」

 しッ、という鋭い呼気とともに、メアリーの手からバーネットの顔に閃光がはしった。

 「むっ!」

 バーネットが柄頭ポンメルでナイフを弾いたときには、メアリーが懐にとびこんでいた。

 「ぬうっ!」

 戦慄を奥歯で噛み殺し、バーネットは剣を打ち降ろした。

 が、メアリーの体は既にそこにはなく、剣は空を斬るのみであった。

 バーネットの脇腹が裂け、血が飛沫いた。

 「船長!」

 「騒ぐな!」

 バーネットは、傷口を手で押さえながら、騒然としかけた部下を一喝して静めた。

 バーネットの脇を駆け抜けたメアリーは、渋い顔をしていた。

 「浅かった」

 同じ手が二度通用する相手ではない。

 ウォルターの方を見たくなる気持ちをぐっと抑え、メアリーはバーネットの方に向き直った。

 バーネットは、メアリーに眼を据えながら、呼吸を整えていた。

 内臓には達していないとはいえ、相当な痛みがあるはずだが、微塵も顔に出さない。

 「今度はこっちの番だ」

 バーネットは、鋭い踏みこみとともに、雷光のような斬撃を見舞った。

 まともに受ければ、剣ごと頭を叩き割られる。

 メアリーは剣を立て、バーネットの剣をどうにか受け流した。それでも足元がぐらつくほどの衝撃があった。

 続けざまに、バーネットが剣をふるう。

 銀色の雨が降る。

 そのどれもが、一撃必殺の破壊力を有している。

 メアリーは、防戦一方になった。

 「メアリー!」

 アンは助けに行きたかったが、できなかった。こちらも他の連中を相手にするので手一杯だ。

 メアリーはバーネットの猛攻をしのぎながら、じっと隙をうかがっていた。

 が、その隙が見当たらない。

 バーネットの攻撃は、乱暴のようでいて、実に無駄がなく洗練されていた。

 チェスのように、理詰めでメアリーを追い込んでいく。

 攻撃の間に継ぎ目がなく、反撃する前に次の打ち込みが来る。

 受け流していても、一撃一撃が重く、骨に響く。

 それでもメアリーは辛抱強く耐えながら、一瞬の好機を待っていたが、徐々に体力が削られてゆき、とうとう弾きとばされた。

 今だ!

 と、バーネットとメアリーの双方が同時に思った。

 弾きとばされたように見えたのは、バーネットの隙を誘うための擬態であった。

 待ち望んだ僅かな隙が見えたと思ったそのとき、予期せぬことが起こった。

 擬態を真実と信じたウォルターが、愛する女の危機を救うべく、甲板上に飛び出してきたのだ。

 「メアリー!」

 「バカ、来るな!」

 その瞬間、銃声がとどろき、ウォルターが倒れた。

 「ウォルター!」

 メアリーは、バーネットの突きを転がってかわすと、反射的にバーネットのすねをカトラスでいでいた。

 すぐさま跳ね起き、ウォルターのもとへ駆け寄る。

 既にメアリーの頭から、バーネットの存在は消えていた。

 「ウォルター! ウォルター!」

 メアリーは、ウォルターの肩をがくがくと揺すった。

 「メアリー……大丈夫か」

 ウォルターは、薄く目を開けると、苦痛に顔を歪めながら言った。

 「どこだ!? どこを撃たれた!?」

 半狂乱になりながら、メアリーは傷口を探した。

 ウォルターの腿から血が流れ、ズボンを赤く蚕食さんしょくしていた。

 「ウォルター……血が」

 メアリーは、消え入りそうな声で言った。

 気を失いそうだった。

 「……大丈夫だ」

 「でも、血が……!」

 「大丈夫だ……僕は医者だぞ」

 ウォルターは、無理矢理笑ってみせると、メアリーの頬を撫で、ベルトで自らの脚の付け根を縛った。

 「大丈夫……人間は、これ位じゃ死なない」

 「ウォルター……」

 気がつけば、アンも後退し、メアリーの背を守るように剣を構えていた。

 「アン……」

 「やばいね……どうする?」

 アンは、前方を見据えたまま言った。

 メアリーは、ウォルターを見て、周囲を見て、それから再びウォルターの顔に視線を落とすと、

 「ウォルター」

 覚悟を決めたように言った。

 「ウォルター、聞こえる? ……ウォルター」

 「……なんだい? お姫様……」

 ウォルターは、失血のために意識が朦朧もうろうとしているのを悟られまいと精一杯の気力を振り絞っていたが、あまり成功しているとはいえなかった。

 メアリーは微笑すると、優しい声で、囁くように言った。

 「よく聞いて……いいかい? あたしとあんたの関係は、秘密にしておくんだ……」

 「……何?」

 「裁判の話さ……大丈夫、あんたは無理矢理船に乗せられたんだし、仕事(、、)にも加わってないんだから、きっと無罪になるよ」

 「何を言ってるんだ、メアリー……秘密って何……」

 「言ったろう? いい母親になるって……母親が海賊だってんじゃ、子供が可哀想じゃないか……」

 メアリーはこの時、すでに自分の運命を予感していたのかもしれない。

 「メアリー、何を言ってるんだ、メアリー……」

 「大丈夫……あんたと子供の命は、きっとあたしが守る」

 「メア……リ……」

 ウォルターは、気を失った。

 「……愛してるよ、ウォルター……」

 メアリーは、ウォルターの額に、そっとキスをした。

 「挨拶は終わったかい?」

 剣を構えたまま、アンが言った。

 「ああ……ありがとう、アン」

 アン・ボニーは、ふふん、と微笑を浮かべると、剣をおろした。

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