09 柳橋美湖 著 多黒蛇黒 『戦国サーガ』
常陸国・多黒蛇黒神社に伝わる『多黒蛇黒縁起之書』を目にしたものはごく限られている。外来の士で、これを目にしたのは、前田慶次郎ただ一人だといわれている。
加賀国太守・前田利家公と甥の慶次郎は反りがあわない。慶次郎は同家を出奔し、隣国である越後の太守・上杉影勝公の食客となった。本来、無頼な性分であり、主君は奔放な彼の生き様を理解して、好きなようにさせていた。とはいえ、職務がないというのは家中の憤懣を鬱積するところ大であり、百害あって一利なしだ。そういうわけで景勝公は、彼に近隣諸国の偵察を命じたのである。
「常陸国ですね」娘が言った。
「常陸国だ」慶次郎が答えた。
娘は、越後国、真淵湊で囚われていたところを、たまたま内偵にでかけていた慶次郎に救われたのだ。名前を未唯という。未唯は助け出されてしばらくは放心状態が続いたのだが、慶次郎の懸命の介護のかいあって健康を回復した。いまは片時も彼の傍から離れようとしない。
越後国から岩代国に抜けた慶次郎たちは、岩城国・白河を経て、常陸国府に向う途中、多太という集落を通りかかり、宿を借りた。そこは佐竹領だった。
このころの佐竹家は、常陸国を一統し、一時は岩城国の岩城家、岩代国の芦名家へ養子を送り込んで、実質的に分国化せしめた、群雄の一つである。
佐竹家の鉱山を統べる一族がおり、多黒蛇黒衆といった。それが一門の呼び名だ。当主は三百貫取りの大身ではあったのだが、表にはでてこない。黄金、銅、鉄、そして謎めいた、あの硝子に似た透き通る金属を精錬していたのである。
山中に縦坑を掘り、鉱脈の露頭をなすところに水を流し込む。毛細管現象で水が鉱物にしみわたったところで、軸棒を突っ込み、縦坑周辺を牛に惹かせて鉱石を砕いてゆくのだ。奇妙な噂があった。多太館の御館様は、旅人を捕えて、館に連れ去る。囚われた者が、そこから帰ってきた試しはなく、冶練の際、生きながらにして溶鉱炉に沈めて、邪神を呼びよせるための生贄となる。そんな噂があった。
当時の宿は、旅籠や木賃宿のような旅館に近いものではなく、街道沿いにある百姓屋が大部屋を貸して男女の区別なく雑魚寝する民宿のようなところだった。
話をしていたのは旅の僧侶だった。僧侶は宿の家人が、薪をくべにくると、慌てたように口を塞いだ。
慶次郎と並んで、囲炉裏で話を聞いていた、未唯が顔色を変えた。
「真淵湊とは違う、けれど、ここはどこか似た匂いが漂っている」未唯が耳打ちした。
「そうだな。同じような空気が漂っている」慶次郎もつぶやいた。
翌日早々、出立しようとしたとき、未唯が厠に寄った。慶次郎は、馬小屋を前に、彼女をかなり待ったのだが、戻る気配がなく、慶次郎は様子を探りに出かけた。そこに、櫛が一つ落ちていた。手にしてみると、強い「念」を感じた。それを上にかざしてみると、、彼女が黒装束の一群に連れ去られた「絵」が脳裏を横切った。行った先は、里を囲んでいる山稜の西にむかったところだ。
行こうとすると、昨夜囲炉裏を囲んで里にまつわる奇怪な出来事を語った、僧侶が現れた。小柄な老人だ。
「あのお連れさん、奥方だったね? 取り戻すんだったら、後を追うと逆に遠回りになる。なにぶんにも坑道を掘るには長けている連中だ。やつらが入った坑道は、蟻の巣みたいな迷路になっている。そこに入っちまったら、もう判らねえ。救い出すどころか、逆に閉じ込められちまうだろうぜ。まあ、手っ取り早い方法は、多黒蛇黒神社に伝わる『多黒蛇黒縁起之書』を、奪ってしまうことだ。そうすれば奴らは、お連れさんを返すばかりか、黄金を積んで詫びてくるだろうよ」
僧侶に教えられた神社に向い、社殿に馬に乗ったまま突進する。『縁起之書』は校倉にあるとのことだった。その前にきて、錠前を、越後国にあった怪奇の島・真淵湊で手に入れた拍竿刀をして叩っ斬る。得物の刀身は硝子のようであり、それでいて硬質の金属だ。鉄剣をもってして斬れぬものでさえ斬ってしまう。
馬上の人の一振りで錠前は、からん、と音をたてて、地面に落ちた。倉の中はいくつかの棚がある。これら宝物はときに禍々しい一品を前の持ち主が嫌って神社に寄進するものが多く、瘴気を放つものまである。その中にあって、ひときわ強い「念」を放っていたのが、漆箱に収められたものがあった。
「これが、『縁起之書』か……」
慶次郎は、箱から綴り本を懐に収め、馬を戻そうとした。刹那、彼に気付いた敵の徒士五人が、取り囲んでいるではないか。しかし「質」を手に入れた強みがある。書物を破る真似をすると、連中は、道を開けるより手だてがない。
難なく、敵勢を食い破って、西にある坑道へと向かった。
番所のようなところもあったが、そこでもやはり、綴り本を破る所作をするだけで、道を開ける。
「それほどに大切なものなのか」
慶次郎は本を開いてみた。ひらがなと漢字で、呪文のようなものが、書いてある。だが、読み上げると、得体のしれない怪物を呼び出すであろうことを察するに十分な禍々(まがまが)しさがあった。
やがて、いつの間に現れたのであろう、坑道の入り口に、巨体の男が現れた。その男が、気を失った未唯を片手に抱えていた。数歩前に出ると、彼女をそこに降ろした。
「解し易きことだ」
慶次郎がつぶやき、人質と交換に綴り本を置いて、早々に立ち去ろうとしたときのことだ。男が、開いた本の呪文を読み上げたではないか。
みるみる男の頭部に鱗が生じ、舌先は割れて蛇となった。呪文はまだ続いている。嘔吐をもよおすような、すえた空気があたりに、どんより、漂っている。
だが、呪文を終わらせぬまま、体躯にめり込んだ格好の蛇頭を飛ばして、慶次郎に襲おうとしたのは、男の判断ミスといえる。戦国最強戦士は、その際、手にしていた種子島銃を開いた蛇頭の口に撃ちこみ、次いで、拍竿刀で両断にした。
慶次郎は、未唯を片手に抱きかかえ、地に落ちた綴り本を剣の先に刺す。後方に駆け付けた多黒蛇黒の徒士衆は、手も足も出ない。その人はしばし馬駆けして、里を抜ける峠のところで、例の僧侶に落ち合った。
僧侶は煙草をふかして、慶次郎にも一服を勧めた。
そのとき、慶次郎は、煙草の火を本に落とした。風が吹いて、瞬く間に燃え、炭になる。
「ああ、なんてことを……」僧侶がつぶやいた。
「そういいつつも、内心安堵しておるのだろう? 太閤から聚楽第に呼ばれた際、お目にかかったことがある。佐竹家御一門衆の方とお見受けするが?」
「バレていたのか……」
「僧兵にしても刀傷の痕が多すぎる」
僧侶に扮した武将が、照れくさそうに、丸めた頭を掻いた。
END