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自作小説倶楽部 第6冊/2013年上半期(第31-36集)  作者: 自作小説倶楽部
第36集(2013年6月)/「雨」&「スイーツ」
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07 レーグル 著  雨 『作戦名・あの雨がくれた名前』

レーグルさんのこのシリーズは、今回が最後とのことです。レーグルさん、長らくの連載、お疲れ様でした。そして読者の皆様のご拝読に心より感謝いたします。著者に代わり、管理人より御礼申し上げます。

 超次元危機。一般的にそう呼ばれる事件は地球の暦で二十一世紀後半に起こった。

 エネルギーは形を変える度に少しずつ減少していく。これをエネルギーロスと言うが、エネルギーの行き来しない閉空間内ではエネルギーの総量は変わらない、というのがこの時代の考え方だ。要するに、「エネルギーは減っているのでは無く、別の形のエネルギーに変わっているだけ」ということだ。その考え方自体はそれほど間違ってはいないが、エネルギーの行き来しない完璧な閉空間がこの三次元上に作れないのと同様に、別の次元へのエネルギーの移動も遮断することは出来ない。具体的には、エネルギーロスと同時に、上位の次元から下位の次元へとエネルギーはどんどん流れていくようになっているのだ。

 そうすると上位の次元の者たちは面白くない。自分たちのエネルギーが下位の次元に「盗まれている」。エネルギーの流れ込まない最上位の次元の者たちは、エネルギーの枯渇問題を調査し、その事実に気付くと、ある兵器を開発した。それは巨大なエネルギー変換施設。エネルギーを変換しながら循環させるだけの何の意味も持たない施設。しかし、そこで発生した大量のエネルギーロスは下位次元に流れ込み、許容量を超えるエネルギーによって、いくつもの次元のいくつもの宇宙が消滅の危機に瀕した。

 それは地球が所属する、所謂『第三宇宙』も同じだった。そして、『第三宇宙』の『宇宙評議会』はこの危機に対し、対策を練ったが解決は出来ず、宇宙消滅予想時刻の地球時間で約一ヶ月前に、存在の確認されている全ての知的生命体に『宇宙消滅宣言』をしたのだ。しかし、この事件はたった一人の人間によって解決される。その人間こそ、高畑願望のぞみ。だから、彼はこの地球、いや、この宇宙が誇る偉人なのだ。

 タイムマシンの商業利用が可能になった未来では、過去の偉人に『実際に』密着して書かれた伝記がブームになっており、作家志望だった私はその高畑願望の伝記を書くため、この二十一世紀後半の日本に移動し、美木と名乗り、彼の助手として研究所に潜入した。しかし、彼は世界征服を企み、おかしな発明ばかりしている。そして、潜入から一年以上経って、ついに『宇宙消滅宣言』が発表された。


 いつもの午後。いつものリビング。いつものワイドショー。あの『宇宙消滅宣言』からすでに二週間。願望には何の動きも無い。いや、願望だけじゃなく、世の中全体がまったくいつも通りなのだ。混乱や暴動の類も起こらず、かと言って、宇宙消滅を信じていないわけでもないらしい。

「宇宙消滅まであと二週間を切りましたね」

「ええ。やり残したことがある人は早めに行動を起こしてはいかがでしょうか」

 テレビでは、ワイドショーの司会とコメンテーターが和やかに会話している。

「おかしい」

 私は呟いた。何もかもおかしい。未来の知識から想像していた事態とはかけ離れ過ぎている。どこからおかしくなったのかと考えを巡らすと、この偉人との出会いから全てがおかしかった。私はじろりと願望をにらむ。

「なんだ?」

 私の視線に気が付いた願望がこちらを見る。

「いえ、あまりにも世の中が静かなので、おかしいなと思って。何かしたんじゃありませんか?」

 願望は何も悪くないのだが、ごまかしも込めて少し八つ当たりする。しかし、願望の答えは私の予想外なものだった。

「よく分かったな」

 彼は腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。

「美木君にも名前ぐらいは聞かせたことがあるが、『世界征服機』を使っているのだ。これは世界中の人間を自分の思い通りにコントロール出来る機械だ。細かい命令を出せるわけじゃないが、無駄な騒動を起こさないぐらいなら簡単だ」

 いつか聞いたことのある発明品だ。名前からして危険なもののような気がしていたが、やっぱりかなり危険なものだった。

「そ、そんなものがあるなら、どうして、名前の通り、すぐにでも世界征服しなかったんですか?」

「僕の最終的な目的とは違うからな」

 願望がうんうんと頷く。そう言えば、彼はもの凄く不純な動機で世界征服を目指していたような気がする。

「そうですか」

 ほっとしたような、どっと疲れたような不思議な感覚で、私はため息を吐いた。

「でも、どうして騒動を起こさないようにしてるんですか?」

 そう言えば「無駄な騒動」ってどういう意味だろう。まさか、この事件を解決する方法を知ってるから?

「美木君、驚かないで聞いてくれ。最近見ないが『ジャスティストラベラー』がいるだろう。実は、やつのパワーの秘密を暴くために、僕はやつのスーツ表面を調べたのだ。すると、やつのスーツには未来の技術が使われていることが分かったのだ」

 『ジャスティストラベラー』は願望が世界征服活動のせいで公権力のお世話にならないために、私が未来の技術を一般人に貸与して仕立て上げた半分架空のヒーローのことだ。まさか、願望があのスーツを解析してたなんて。

「つまり、未来が存在する以上、宇宙は消滅しない」

 つまり、私のせい?

「どこの誰かは知らないが宇宙消滅を止める人間が現れて、地球も無事、というわけだ。それなら、自暴自棄になって争いや暴動を起こすのは全くの無駄だからな」

 慌てて端末を取り出す。

『過去改変率十八パーセント』

 血の気が引くような数字が浮かび上がる。こんな数値見たこと無い。

 過去改変については、時空間移動の前に何度も講義を受けた。過去の因子を変更することはある程度は許容されている。それは、ほとんどの過去の変化は最小の系内で最大まで影響を与えると、その後は収束し、未来の改変にまでは至らないからだ。そうでなければ、私たちが時空間移動することそのものが過去改変になってしまう。

 しかし逆に、系内の影響がその系を内包する系に影響を与え、水面に波紋が広がるようにどんどん影響が大きくなる因子が存在する。バタフライエフェクト。小さな差が時間経過とともに大きな差になってしまうという理論から名前を取って、そのような因子は『バタフライ』と呼ばれている。もちろん、いくつもの次元に大きな影響を与える願望は『バタフライ』の一つなので、私の端末には『過去改変率モニター』が組み込まれていた。改変率が一パーセントを超えると、過去改変の可能性が有る。つまり、『過去改変率十八パーセント』というのは、非常に高い確率で過去や未来が変わるかもしれない状態であることを示している。今すぐにでも時空管理局が現れて不思議じゃない数値だ。

「いつかは僕が征服するわけだからな。無用な血は流れない方が」

 得意気に話していた願望が、私の様子がおかしいことに気が付いて言葉を止める。

「美木君?どうした?」

 今の私はどんな状態なんだろう。自分で自分の状態が知覚出来ないほど、動揺してしまっている。いっそ叫び出したいくらいの気持ちなのに、体が全く言うことを聞かない。心配そうに見つめる願望の姿がゆがむ。

「おい。大丈夫か?」

 願望が私の肩を掴むと、少しだけ震えが収まった。私は息を吐き出すように、なんとか言葉を紡ぐ。

「あなたが、博士が、救うんですよ。世界を」

   ☆

 願望の右腕でアンドロイドのヤマモト君が淹れてくれたお茶を飲んで少し落ち着いた私は、願望たちに全てを話した。願望がこの危機を解決して世界を救う偉人であること、私は願望の伝記を書くために未来からやって来たこと、ジャスティストラベラーのこと、宇宙消滅の真実。

「そうなのか」

 願望は意外と落ち着いて聞いてくれた。

「しかし、それなら話は簡単だ。僕がどうやって世界を救ったか知っているんだろう?」

「いえ、それが、詳しくは知らないんです。エネルギーの発生地点が火星の近くなので、行けば分かるのかもしれませんけど」

 願望に関する情報は極端に少ない。世界征服を企んでいたことも、おかしな発明をたくさんしていたことも、この時代に来て初めて知った。私の伝記執筆は歴史的なミステリーの解決を目的とする部分も大いにあるのだ。

「そうか。いや、だが、それならタイムマシンで過去の僕たちに警告に行けば」

「時空間移動には管理局に申請をしないといけません。そんな理由じゃ許可が下りません」

 もちろん、緊急事態への対処として管理局が同じようなことをする場合はある。だが、その時は私を存在ごと消してしまう時だろう。最悪の事態となれば仕方ないが、それでも未来が正しい方向に向かうとは限らない。

「つまり、あと二週間以内に僕が世界を救わなければいけないのか」

 願望は腕を組んで少し考えてから言った。私は俯いて手で顔を覆う。私がもっと早く気付いていれば、時間の余裕もあっただろう。願望なら一ヶ月もあれば新しい発明で何とか出来たはずなのに。

「すみません」

「いや、もともと僕がやるべきことなのだろう?」

 私が顔を上げ謝ると、願望は首を横に振った。

「世界を征服するなら、これぐらいのことはやれなくてはな」

 願望はいつものように不敵に笑う。強がりなのか、解決出来る確信があるのか、私には分からない。端末を見ると過去改変確率は十五パーセントになっていた。おそらく、願望が世界を救う方向に動き出したことで、少しだけ低くなったのだろう。

「よし。早速、活動開始だ。しかし、時間が無いからな。今あるものでなんとかするか」

 願望はそう言って、発明品を収納している部屋に向かった。私とヤマモト君もついて行く。

「まず、宇宙に出なければいけないのか。使えるものは」

 願望が腰に手を当て、発明品たちを見回した。


 一時間後。私たちは近くの公園に移動していた。目の前には巨大なドラゴンが佇んでいる。金色の鱗、大きな翼、高さは十五メートルぐらいで、胴体部分にはメタリックな装飾がしてある。名前は『龍艦ドラゴンシップ』。去年の冬に街でインフルエンザを流行らせるために願望が作った怪人だ。しかし、こんなに大きくはなかったはず。

「いつか宇宙に飛び立つ時があるかもしれないと思って作っておいたのだ。巨大化機能で、中に乗りこめるようになっている。この前はこの機能を使わなかったがな」

 でも、たしかこの怪人には空を飛ぶ能力は無かったはず。

「そして、重力圏脱出用の推進力はこれだ」

 そこに現れたのは『台風Oたいふうおう』だ。去年の夏は扇風機として活躍した、大気中の水分だけで動く送風機型の怪人。久しぶりの登場だからなのか、大きくガッツポーズをする。この怪人は台風を飲み込んでエネルギーに変えるため、願望の発明品でもトップクラスの出力だろう。

「でも、エネルギー源が無いんじゃ」

 『台風O』のエネルギーの調達には台風そのものが必要になるのだ。今、日本の近くには台風は来ていない。

「安心しろ。こいつらを使う」

 桜の木の姿をした『桜樹サクラージュ』とバスケットボール大の地球儀のような形の『氷河機』、そしてどう見てもただの傘にしか見えない恐ろしい兵器。『桜樹』は枝からほぼ無制限に花びらを出すことが出来る。その花びらをただの傘にしか見えない兵器『ミズニナール』で原子レベルで分解して純水に再構成する。強力な冷凍庫である『氷河機』は中を冷やす代わりに外側表面が高温になるので、発生した水を掛けて蒸発させる。こうして、『台風O』に必要な大量の水分を確保した。

 本当になんとかなるかもしれない。端末を見ると過去改変確率は十パーセントまで下がった。

「最後はこれだ。『爆発太郎』よ、スペシャルユニフォームチェンジだ」

 真っ白な体に翼のような両手、頭のとんがりの先端に金色のアンテナが付いている『爆発太郎』は、人の服を分子レベルで分解して別の服に再構成する『爆発ビーム』を放つ怪人だ。その怪人が願望とヤマモト君に『爆発ビーム』を照射すると、二人の衣服が爆発し、いつも街で世界征服活動をするときの白衣とマスクの姿になった。

「いつもの服だと思っただろう。実は、ジャスティストラベラーのスーツと同じ機能を持っているのだ」

 未来の技術をコピーするなんて、普段ならとても看過出来ることじゃ無いが、今はそんなこと言っている場合じゃない。

「さあ、これを巻いてくれ。それで完成だ」

 そして、願望が私が彼の誕生日にプレゼントしたマフラーを私に手渡す。私は何も言わずに、それを願望の首に巻いた。ヤマモト君はなぜか目を逸らした。未来人の私に出来るのは、ここで見送ることだけだ。実際のところ、一緒に行ったとしても、未来の技術は使えないし、私は何の役にも立たないだろう。願望も分かっているのか、一緒に来いとは言わなかった。

「私が言うことじゃ無いかもしれませんが、頑張ってください」

「もちろんだ」

 願望には言わないが、もし彼が歴史通り世界を救えたとしても、私が彼と会うことは二度と無いだろう。私は未来の情報を彼に与えすぎた。認識や記憶、記録は未来の技術を持ってすれば、どうとでもなる。管理局は私をこの時代から『回収』して、しかるべき処罰を下すだろう。今、私が無理矢理『回収』されないのは、私が未来を守るために動いていて、管理局にとっても都合が良いからと『バタフライ』への過剰な刺激が『規則』違反にあたるからだ。きっと、これが願望との最後の会話になる。

「何か、私に聞きたいこととかありますか?」

 最後なのに、気の利いたことも言えない自分が情けない。しかも、相手から話題を振ってもらおうなんて。

「未来のことは教えられないんじゃないのか?」

 願望が笑いながら逆に質問する。

「こんなに話したんですから、もう大した問題じゃありません」

 本当にもう、大した問題じゃない。どうせ、願望の記憶も消えてしまうのだから。だから、これは私の自己満足に過ぎない。

「なら、美木君の本当の名前を教えてくれないか?」

「『美木』が本当の名前じゃ無いって言いましたっけ?」

 意外な質問に私は驚く。

「考えてみれば、『美木』だけしか知らないから」

 私のいた時代では、名前とは数字と大小の英文字を組み合わせた二十五桁の認証番号と十六桁の私人番号を合わせたもののことを言う。認証番号は国籍、性別、生年月日時刻などの個人を特定する情報を暗号化したもので、政府によって与えられるものだ。対して私人番号は、両親が子どものために自由に付けることが出来る番号で、一般的にこの私人番号の一部や、あるいは一部をアレンジしたものを普段の呼び名として使用する。だが、この時代の人には番号を言うのでは分かりづらいだろう。

   ☆

 私が生まれた日は『予報外れの雨』が降った。完璧なシミュレーターによって計算された天気予報は、その時代にはすでに予知の域にまで達していた。いや、天気だけじゃない。地球上のあらゆる事象がシミュレートされ、人々はそれに従うことで幸せになれると信じられていた。人は産まれると能力検査を受け、入る学校や就職する企業、どんな仕事をするのかまで決定される。

 しかし、その日は『予報外れの雨』だった。父はその雨のせいで三百年ぶりに起こった交通事故による交通渋滞で私の出産予定時刻に間に合わず、また母も気圧の変化のせいなのか予定時刻よりも三十分早く私を産んだ。この『雨』をきっかけに世界中で「やはり未来は分からないものだ」という認識が広まり、シミュレーターや能力検査は参考程度のものになるようになった。そして、私も自分の希望で作家を志望することが出来たのだ。

 この『予報外れの雨』の原因は未だに特定されていないものの、おそらく過去の気象記録になんらかの不備があったせいではないかと言われている。ほんの少しのミスが小さなズレになり、長い時間を掛けて予報を外すズレになったのだろう。そのミスがあった時代と地域はほぼ特定されている。簡単な話で、シミュレーターが参考にする気象記録を各年代や地域ごとに分けることで、予報外れが発生する記録とそうでない記録が区別出来たのだ。二十一世紀後半の日本、今まさに私がいる時代だ。しかし、その本当の原因は私以外は知らないだろう。


 「みき。『未来』って書いて『みき』です」

 私は願望に本当の名前を告げた。両親が「自分で未来を切り拓く子になるように」と付けてくれた名前だ。私の私人番号の最初の四桁を『miki』にして、漢字を当てている。『美木』という偽名も、音から付けたものだ。

「そうか。美木未来みきみき?」

「違います。私の時代では名字みたいなものは無いんですよ。未来みきだけです」

 私は笑った。

「なるほど。未来君。それじゃあ、行ってくる。」

 龍艦に願望とヤマモト君が乗り込むと、巨大な機体が宙に浮かび、高度を上げ始めた。ゆっくりと遠ざかる姿が空の彼方に消える頃、私がいつもの研究所に帰ることは二度と無いという事実を告げる言葉が聞こえた。

「JmH5W4Ms6eewXdCtQK59LTfX9さん。時空管理局です。あなたを『回収』します」


 私は時空管理局によって閉次元牢獄に収容された。ついさっき収容されたばかりのような気もするし、すでに長い時間経ったような気もする。おそらく、どちらも正しいのだろう。閉次元は『零次元』とも呼ばれていて、時間や空間の狭間に存在する「一瞬の合間に永遠が繰り返される空間」のことだ。閉次元には時間や空間の概念は無く、『一瞬』が『永遠』で、『今ここ』が『遠く彼方』でもある。老いることも飢えることも無く、ただ『永遠』が精神を蝕むだけの場所だ。この牢獄には、故意による未来改変、あるいはその未遂、未来情報の提供などの時空間犯罪者のみが収容される。時空間犯罪には裁判は無く、時空管理局の判断で処罰が下る。

 時空間移動者に与えられる特殊な機器はすでに彼らに回収されており、何もすることが無いし、全て無駄だと分かっているので、私はただ考え事をしていた。もし、願望が失敗して未来が変わったならば、時空管理局は私が願望に接触する前に抹殺し、未来を正しい方向に導くだろう。それならば、今私がこうして無事でいるということは、願望は世界を救ったのだろうか。しかし、この閉次元ではあれからどれぐらい時間が経ったのか分からないし、果たして『過去』の私を抹殺することで『今』の私も消えてしまうのかという疑問もある。タイムパラドックスは複雑なのだ。

 ただ確かなのは、私が願望と過ごした時間は消えてしまった、ということだ。私も何度か使ったが広域情報操作装置で一定の空間内の記録や記憶、認識に関する情報を操作出来る。もし願望が世界を救うことに成功しても、私がいなくなっても支障が出ないように情報を操作されるだろう。失敗していれば、願望と私は出会うことすらない。私がこうして辛うじて覚えていられるのも、あと少しのはずだ。閉次元では『永遠』が精神を蝕み、『一瞬』のうちに発狂出来る。その時を、ただ思い出にしがみ付きながら待つしかないのだ。でも、そうして最期を迎えられるのは、むしろ幸せなのかもしれない。もし彼が何も覚えていなくても、知らなくても、何も残っていなくても。

「なんて顔をしているんだ」

 どこからかとても懐かしい声が聞こえてきた。幻だろうか。たぶんすでに気が狂い始めているんだろう。温かい手が私の頬に触れて、涙を拭う。私は必死にその手を掴んだ。

「嘘。どうして」

 ぼやけた視界が少しずつはっきりしてくる。そこには二度と会えないはずの人の姿があった。

   ☆

 願望が目の前で穏やかに笑っている。これは幻だろうか。それにしては随分とはっきり見えるし、触れた手の感覚も本物みたいだ。

「どういうことですか?」

 これが私に都合の良いただの幻だったとしても、全然構わない。私は確かめるように願望の手を強く握った。

「僕だけじゃないぞ」

 願望がそう言って左右に目配せすると、ヤマモト君と国友玲孝あきたかさんがいた。私は慌てて願望の手を離す。国友さんは願望の発明品で見えるようになった幽霊だ。未来では『高濃度思念体』と呼ばれている。時間や空間の感覚が無く、願望がいつでも研究所に来て良いと言ったので、たまに遊びに来ていた。

「玲孝とは宇宙で合流したんだ。エネルギー発生地点の調査している時に見つけてな」

「久しぶりのような、そうでもないような気がしますね」

 そう言って、国友さんが手を差し出す。国友さんは見えるようになったとは言え、幽霊なので物理的に触れることは出来ないはずだ。それは私を含め四人とも知っているはずなのだが、願望は私を促すように頷く。そろそろと私が手を出すと国友さんがその手をしっかりと握った。国友さんとヤマモト君が見つめ合って悪戯っぽく笑う。

「つまり、そういうことだ」

 全然、さっぱり分からない。混乱している私を見て、国友さんが手を離した。そして、私が理解していないことを理解した願望が、説明を続ける。

「うむ。この閉次元空間は、玲孝の元々いた世界なのだ。チョコを別次元に置換する『もてないチョコレート』を改造して、他の次元にも移動できるようにしたわけだ」

 次元移動装置を作ったっていうことか。

「ああ、ついでに十六次元の連中にも軽く説教してやった。次元が上位なら偉いとでも思ったか。エネルギー問題は、この閉次元のエネルギーを自由に取り出せる機械を作って解決してやったしな」

 願望が得意気な顔で報告する。閉次元は最下位の次元で、全ての次元からエネルギーが集まる。時間や空間の概念が無いという性質もあって、使用できるエネルギーは理論上無限であると言われている。その装置に制御装置などを付けたのが私も使っていた次元間エネルギー活用装置だ。

「これで、『史実通り』世界は救われたわけだ」

 どうやら私から得た情報もそれなりに活用されたようだ。それ自体も少し危ない気もするが、技術を提供したわけじゃないからセーフだろう。情報操作をすれば、「閃き」として違和感の無いものになるはずだ。しかし、そうなるとどうして願望がまだ私のことを覚えているのかが気になる。全て終わったのなら、願望の記憶から私の存在は消えてしまうはずなのに。

「どうして、ここに?」

 もしかしたら、世界を救った「ご褒美」として、最後の時間が与えられたのかもしれない。

「君を迎えに来たに決まっているだろう。君は僕の助手なんだから」

 願望が少し照れながら答えた。

「でも、私は未来改変未遂と未来の情報を漏えいした罪で捕まってるわけだし、博士だって私の記憶は消されるはずでしょう」

 管理局の下す処分は裁判が無いのと同様に、再検討や変更も無い。そもそもこの閉次元牢獄に入れられることが死刑執行のようなものだ。

「そのことだが、事情が変わったのさ。あの時間はそもそも未来が不安定で『過去改変率』とやらが跳ね上がるんだそうだ。僕が『史実通り』に世界を救えたのは未来君のおかげだから、未来改変は未遂どころか正しい方向に導いたと言えるだろ」

 タイムパラドックスが複雑なのは知っているけど、未来から来た私が関与した過去が『史実通り』というのは少し納得がいかない。「複雑」と言うより「いい加減」なのかもしれない。

「それと、他の次元のエネルギー発生を食い止めるために他の次元に移動を繰り返しているうちに、どうやら僕はタイムトラベラーになったらしい。他の次元を経由して時間を遡るのは未来では一般的な方法なんだそうだ。つまり、タイムトラベラーに未来の情報を与えても、何の問題も無い。というのが、時空管理局とやらに聞いた話だ」

 私がした時空間移動もこの閉次元を経由するものだ。時空管理局の本部が閉次元に隣接しているのも、閉次元を経由する時空間移動がかなり一般的な方法だからだ。しかし、そうやって閉次元を経由する際は、この閉次元牢獄のように心が壊れてしまわないように、精神を保護する装置を携行するものだ。願望たちはもちろんそれを発明したか、管理局に受け取っているのだろうが、私はなぜこうして普通に話しているんだろう。

「私、ここに入れられてからどれぐらい経ったんですか」

 無駄な質問だと分かっていたが、せずにはいられない。自分が狂ってなんかいないことを確かめたい。

「さあ、ここでは時間なんて概念は無いからな。あの管理局の奴らも『どうせ無駄だから』とか言っていたが、僕は未来君なら大丈夫だと信じていたぞ」

「何を無根拠な」

 やっぱり私はもうおかしくなっているんだろうか。目の前の願望は夢か幻なのかもしれない。そう思った時、どこからか生き物の鳴き声が聞こえた。ゲコゲコ。私の頭の上から聞こえる声に手を伸ばすと、何かに触れた。冷たくて不思議な感触、そしてこの鳴き声はカエルに違いない。でも、普通のカエルがこんなところにいるわけない。たしかこれは願望の発明品で、名前は『初心にカエル』だ。頭の上に乗せると初心が思い出せるというが、見た目はただのカエルだ。バレンタインのチョコのお返しとして願望にもらったものだ。一体、いつの間に。まさかこのカエルが常に私の心を初心に戻すことで、私が発狂するのを阻止してくれたのだろうか。

「なぜ、そんなものを頭に乗せているんだ?」

 願望がカエルに気が付いて、私の頭に手を伸ばすが、私は両手で頭を守るように覆う。

「とにかく、私も出て良いんですよね。なら早く帰りましょう。研究所に」

 私は慌てて提案する。

「お、おう」

 願望は私の態度がいきなり変わったことに少し驚きながら同意した。

   ☆

 あれから少し経って、私たちはいつもの日常を取り戻していた。

 いつもの午後。いつもの研究所。リビングで寛いでいると、願望が自室から現れた。

「未来君、見たまえ。新しい衣装だ」

 本格的な夏に向けて、願望は新しい衣装を用意したようだ。と言っても、マスクが変わったこととマフラーが無くなったこと以外は見た目の変化は無い。今までのマスクは冬用の厚手のものだったし、マフラーももう暑いからだろう。私が新しい通気性の良い白衣をプレゼントしたのも原因かもしれない。ただの世界を救ったお祝いと助けてもらった感謝なのだが、願望は意味深に笑っていた。

「まだ世界征服やるんですか?」

 私が呆れながら聞いた。

「だって、世界を救えばもてもてになると思っていたのに、誰も僕が世界を救ったことすらしらないじゃないか」

 世間では、宇宙が消滅しなかったという事実が安堵と混乱をもたらしている。一部では暴動も起こっているようだ。

「博士の功績が認められるのは、『宇宙評議会』が『超次元連盟』に加盟してからですから、数千年後?」

 次元移動装置がこの時代から数千年後に作られ、それから連盟が誕生するので、もし願望が作った次元移動装置を今公表すれば、もっと早く認められるかもしれないが、未来人の私は未来を改変しないために黙っていることにする。

「なら、その時代にタイムトラベルすれば、もてるんじゃないか?」

「時空間移動は時空管理局の許可が必要ですよ。そんな理由じゃ、まず下りません」

 願望の提案を私が却下する。

「やっぱり世界征服をするしかないのか」

 私の言葉を聞いて、願望が決意を新たにした。

「博士が世界征服したっていう史実は無いので、諦めたらどうです?」

 結局、博士の記憶は消えなかった。私が未来人であることも、願望の伝記を書いていることも知っている。

「未来なんか変えてみせるさ」

 格好良く願望が言い放つ。本当に変えそうで怖い。

「ところで、これをクリーニングに出しておいてくれないか」

 今度はそう言って、願望が服をさし出す。

「はいはい。わかりました」

 私がそれを受け取ると、服の間から一枚の紙がはらはらと落ちてきた。願望は気付かずに自分の部屋へと行ってしまったので、私がそれを拾い上げる。


『未来の英雄様へ。あなたがきっと世界を救うと、私は信じてます』


 それにはこう書いてあった。どこかで見たことがあるなと思ったら、これは私が願望にあげたバレンタインチョコに付けたメッセージカードだ。なんで服の間からこれが出て来るんだろう。すごく気分が盛り上がってたとは言え、かなり際どいことを書いたな、と思っていると、願望が慌ててやって来た。

「それ」

 願望はそう言ってメッセージカードを指差す。

「ああ、服の間に挟まっていたみたいです」

 私はカードを願望に差し出した。

「そうか」

 カードを受け取った願望がふうっと息を吐く。

「なんでそんな焦ってるんですか?」

 あまりの慌て様に少し呆れて、私は言った。

「大事なものだろうが」

 願望がすごい形相で反論する。チョコをもらったのがそんなに嬉しかったのだろうか。服の間から出てきたのだから、きっと肌身離さず持っていたのだ。少し心配になる。もうちょっとぐらいもてた方が精神的に良いんじゃないだろうか。

「ところで、未来君はいつまでこっちにいるんだ?」

 私の不安げなな眼差しに気付いたのか、願望が取り繕って聞く。

「こっちって、この時代ってことですか?」

「ああ、そうだ。僕が世界を救うのを伝記に書くのが未来君の仕事だったんだろう。もうそれは終わったのだし、向こうに帰るんじゃ」

 願望が世界を救った後、私は今まで溜まっていた仕事をまとめて一気に片付けた。願望が昔の発明を引っ張り出したせいで、それらについて説明しなければいけなくなったからだ。今まで何もやっていなかったから、これが私の目的だと願望が勘違いしたのだろう。だが、もうこれで踏ん切りがついた。書きたくないことも書くしかないのだ。

「博士。伝記っていうのは、一生分の記録をまとめたものなんですよ」

 私は講釈するようにもったいぶって言う。

「ですから、ずっと一緒です」

 まだまだ書くことがたくさんあるのだ。


 彼がもう一度世界を救うまであと……。

  

    END

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