01 E.Grey 著 雨 『公設秘書・少佐』
私がその事件に関わることになったのは、村役場事務所でのランチタイムからだった。女子職員がかたまって、噂話をしていた。
村に唯一ある映画館で上映されるのが、『雨に唄えば』だ。なんでも、洒落た煉瓦の街路を、スーツを着たダンディーな小父さんが、傘を持ってステップを踏みながら楽しげに歌うとかうたわないとか。
つとめて皆、おととい起きた事件の話を出さないようにしていた。だが、どこの職場にも空気を読まない子は一人くらいはいるものだ。
――あ、言っちゃったよ。
という感じで、その話になった。まったく、ご飯どきだというのに。
話題にあがったのは、土田舎の月ノ輪村としては大きな事件だ。村の奥で戦前に計画され、戦争で中断されていたダム建設が再開されたものだから、一種のバブルが生じていた。土木作業員のための仮説宿舎が出来上がり、そこの連中が夜になると、数件ある居酒屋やラーメン屋に繰り出してくる。それじゃ間に合わないものだから、スナックのようなものもできてきた。
下請けに入っている土建屋が何社かある。カタギのところもあるが、裏とつながっているところもあった。そこの一つ、マサ組が関わって、麻薬の取引を行ったらしいのだ。その情報を嗅ぎつけた刑事・篠田三郎、四十歳が、村の盛り場で麻薬取引きがあるとの情報を受け、倉庫に行き、消された。毒物による中毒死だった。
こういう事件が起こると、村長は警察の他に、「彼」を呼ぶことになる。村の出身で、東京に在住している国会議員のセンセイが、代理として派遣する公設秘書の佐伯祐だ。佐伯は皆からなぜか少佐と呼ばれている。
村役場総務課の私・三輪明菜は、どういうわけだか、いつも村長命で、佐伯の道案内をやらされるのだ。毎度の如く未舗装路を走るボンネットバスがやってきて、役場前で停まると、私は彼を出迎えた。
雨だった。
私は、片手で傘を差し、残る手でもう一本の傘を、バスから降りてきた佐伯に渡した。
「やあ、眼鏡ちゃん。相合傘は照れるみたいだな、無表情のくせに」
「ええ、せまい村ですから、そんなことをしたらいらぬ噂がたつのです」
「僕はいっこうに構わないが」
「私は困ります。もう一つ言わせて頂きますが、貴男だって無表情ですよ」
眼鏡ちゃんというのは佐伯が私につけたあだ名だ。のっぽの彼は両手の人差し指を、口の両端に当てて、笑顔もどきをつくった。また私をからかって、楽しんでいる。
いつもなら、村にある駐在所の真田巡査が、ギコギコ自転車で駆け付けてくるのだが、今回は同僚の弔い合戦という気運があり、公民館に捜査本部を立ち上げて、県警が乗り出してきた。ゆえに老巡査はそっちの対応で忙しく、佐伯の相手をするのは私一人になってしまった。例の如く、私はカッパと自転車を村役場から借りて、佐伯を案内し、雨の中を事件現場と証言者のところを回ることになった。
葡萄酒醸造元が所有する赤煉瓦の蔵が五棟ばかり並んでいる。戦前に造られたのだが、当時の日本市場は葡萄酒を好まず、すぐに閉鎖されてしまったのだという。つまりは空き家になっていたわけだ。
刑事殺しの事件があったのはその一棟だった。すでに、捜査本部に詰めている刑事たちが、いろいろ調べていた。陣頭指揮を執っている警部補・増村浩二氏に断りを入れて、中をみさせてもらった。
「噂の少佐と眼鏡ちゃんがお出ましか。事件の概要は知っている? 殺されたのは木村純一巡査部長。普通、こういう捜査をする場合、二人以上で行動するんだが、奴は署を出ると一人で動き出す。独自の人脈・情報網っていうのを持っていたようで、そこそこ手柄をたてていた。しかし単独行動には危険が伴う。タレこみがあって、麻薬取引のある現場に踏み込んだはいいが、待ち伏せを受けて殺されたんだ。何か毒物のようなものを飲まされたらしい。殺害時刻は、村診療所の医師によると、被害者の死斑や体温の具合から一昨日未明の一時過ぎ。また外傷とか、動かされた形跡はない。間違いなくここで殺されている――というのが現在わかっているところだよ」
「嘔吐した痕跡がありますね。毒物による殺害。モノは何でしょうね?」佐伯が言った。
「さてね、鑑識に出さんとね」
人が死ぬと血が下に降りアザのようなもの・死斑ができ、特徴から経過した時間がわかる。また、当然のように時間経過とともに体温が下がるから、そこでも時間がわかる。また、下にできるはずの死斑が、横にあったり、上にあったりすることで、どこかで殺されて発見現場に捨て置かれたか否かもわかるのだ。紐で首を閉められれば締めた痕が残る。
刑事の死体は腐るまえに片付けられていた。代わりに紐で、殺された状態が再現されている。
佐伯は、地面すれすれに視線をやったり、匂いを嗅いだりしてから、「じゃあ、証言者のところにゆこう」といって切り上げた。
増村警部補はスーツの内ポケットから煙草を取り出して吸った。佐伯にも勧めたのだが、貰っただけで、「さっき吸ったばかりなので、後で、ありがたく吸わせていただきます」といって、ハンカチで丁寧に包み、内ポケットにしまいこんだ。
みていた警部補が苦笑した。
「変わった方だ」
「よく言われます」
佐伯もいったのだが無表情だ。
警部が証言者のメモを手渡してくれたので当たってみる。その一人が、スナック蘭のママ・佐藤蘭、三十歳だ。愛想がよく、ほっそりとしていて美人の部類に入る。まあ、私クラスに達するには遥かに及ばないのであるが……。
ママは村ににわかに出来た居酒屋繁華街の一角に店を構えている。カウンター席だけのこじんまりしたところだった。日中なので店はまだ開けてはいない。佐伯と私はカウンターに座って、話を聞くことにした。
「篠田さんですか? あの刑事さん、何回か来られましたよ。おとといの晩もね」
「そのあたりのことを詳しく」佐伯が聞いた。
「篠田さんは、よく寝る前に、ここで一杯ひっかけ、旅館に戻っていかれたわ。その日は夜九時くらいだったかしら」
「そのときいた客は?」
「常連さんがけっこういたけれど。そうそう、みんなダムの工事できた人たちよ。そのうちの一人、西山さんが、篠田さんにからんできたので、口論になったの。でも篠田さんが刑事さんだと判ると西山さんは謝って、その場が収まった」
ママが客たちの名前を挙げたので、私はすかさずメモをとった。
その間、佐伯は、視線を下げて、店のカウンターや床を調べ、煙草の吸殻をいくつか採取して、ガラス容器シャーレに収め蓋をし、持参した鞄に仕舞い込んだ。
夕方近く、ダム工事の飯場に行った。作業員が雑魚寝するプレハブ小屋が多数あり、その小屋の一つが、お婆さんが切り盛りしている食堂だった。ガラの悪い作業員を、威勢よくお婆さんが怒鳴りつけていたりする。そんな場所だ。そのお婆さんに話すと、奥のプレハブに行き、大声で西山を呼んだ。
西山明二十八歳。小柄ながら筋肉質、ややビール腹。スナック蘭のマダムに熱を上げている様子だ。
「な、今の聞かなかったことにしてくれ。これやるからよ」「篠田っていうのか、あの刑事。蘭ちゃんは俺の女だ。横取りしようとしやがって……」
すると飯場のお婆さんが、西山の後頭部を平手で叩いて、「そういうことは軽々しく言うんじゃないよ。犯人にされちまうよ。まったくガキなんだから」と怒鳴った。
西山は、頭を掻いて、煙草を箱ごと佐伯に渡した。
佐伯は、箱から取り出した一本から、煙草の葉を微量につまんで口に含むと、テーブルに出されていた湯呑の茶で口をゆすぎ、外に駆け出して吐き捨てた。それから、西山を羽交い絞めにした。
殉職した篠田刑事の遺体発見現場に戻る。赤煉瓦の蔵には、増村警部補が陣取っていて、作業をしていた。
「――なるほど、現職警部補がヤクの元締めとはね。土木作業員の西山はその手先というわけだ。タレコミを受けて踏み込んできた篠田刑事を押さえつけて、毒を仕込んだ煙草を吸わせる。卒倒はするがすぐには死なない」
「少佐、それが君の仮説かね。しかし、検死結果はここ赤煉瓦の蔵で死んでいるとある。そのとき、私は県警本部にいたし、たしか西山と篠田巡査部長は美人ママと取り合って喧嘩した。そこでタレコミがあって、篠田巡査部長はすぐに帰ったが、西山はまだスナックで飲んでいた。それが真相だが……」
佐伯は笑った。表情を変えずに、声だけ笑った。
「違いますね。ヤクの売買はここ、スナック蘭でなされていた篠田さんはママとはそれほど親しくはない……というか初対面、もちろん西山と張り合う必然性はまったくない。」
「篠田巡査部長が店を出たのは夜九時だ。ここで発見された巡査部長の死斑に異常はない。赤煉瓦の蔵で間違いなく死んだんだ。一時にな」
佐伯は、先ほど警部補から貰った、ハンカチにくるんでおいた煙草を取り出して口にくわえると、土木作業員・西山から貰った箱詰めの煙草を一本取り出して警部補に勧めた。自分がくわえた煙草に火をつけうまそうに吸う。警部補にライターの火を近づける。
「うまい煙草ですよ。どうしました、変ってますね?」
増村警部補は、煙草をだす代わりに、スーツ懐中に収めたニュー・ナンブ銃を構える。
「僕を撃ったら弾痕から銃が特定され、足がつくでしょうに……」
「莫迦め。すぐそこにダム工事現場がある。工事の飯場じゃ喧嘩なんかしょっちゅうだ。工事で死者がでるのは当たり前だ。生コンクリートを型に流すときに、殺した奴の死体をそこに放り込むのさ。完全犯罪が一丁上がりさ。篠田のときには残念ながら、雨で、生コンクリートを型に流す日じゃなかった。明日、それがある。ちょうどいい」
不覚にも私は震えた。
佐伯は大胆不敵にも煙草の煙を宙にふかしている。
無表情な公設秘書に向けた警部補の指が、トリッカーを引こうとしたとき、停年に近い駐在所の真田巡査が、拳銃を警部補に向けて近寄って来た。もし増村警部補が、佐伯から、巡査に銃を向き替えたとしよう。その間に巡査はトリッカーを引く。撃たれるのは間違いなく警部補だ。
――大逆転!
佐伯が説明した。
「警部補にやった煙草には青酸カリが仕込んである。青酸カリは製錬を扱う町工場で触媒としていくらでも扱っているから入手も簡単だ。増村警部補や西山は二種類の仕込み煙草を用意していた。一本はヘロインの煙草、もう一本は、そう、青酸カリの煙草だ。それは、胃液と反応して硫化水素ガスを作り出し、それを吸い込んだ肺細胞を壊疽させる。その間、水とか飲ませることで、死に至る時間を引き延ばすことが可能になる。増村警部補の代理人がママだ。事件当日、スナック蘭にいた客は全員、裏社会とのつながり深い土建会社マサ組職員だった。」
「なるほど……」
駐在所の真田巡査が拳銃を構えたまま聞き入っている。
のっぽの公設秘書が話を続けた。
「客を装って入ってきた篠田巡査部長は、西山から煙草を勧められる。自然を振る舞おうとした彼は断らずに、それを吸った。まさか青酸カリが仕込んであるとも知らずに……」
警部補の逮捕は一大スキャンダルになった。しばらくマスコミが騒ぎ立てたので、役場も対応に大わらわになってしまった。
事件は解決し佐伯は東京に帰ることになった。役場前停留所には紫陽花の植え込みがあり見頃を迎えていた。雨がまた降りだした。見送り役の私は念のためもってきた傘を開く。ボンネットのバスがやってくるまで、佐伯と同じ傘の中にいた。
END




