10 レーグル 著 蛙 『作戦名・初心表明』
若きヒーロー、ジャスティストラベラーこと大久保光太郎は悩んでいた。
「どうしたらいいんですかね」
私の目の前で。
「うーん。そうだな」
どうやら最近、人気が出過ぎたせいで、企業の広告に利用されたり、テレビに特に理由も無く出されたりしていて、ヒーローとしてこれで良いのか悩んでいるらしい。彼には私が半分嘘を吐いてヒーロー活動をしてもらっているので、私にも責任が無いわけじゃない。それに、彼にジャスティストラベラーを辞められても困る。
「ねえ、あれジャスティストラベラーじゃない?」
「あっ、本当だ。隣の子、誰だろう」
私たちは喫茶店の奥の席に二人で座っていたが、さすがにこの全身タイツ姿は目立つ。ちなみに今は事情があって、私がジャスティストラベラーの格好をしていて、学校帰りの光太郎は制服だ。
「それなら、これを使ってみたらどうだろう」
そう言って、私はポケットからある物を取り出した。
「カエル、ですか?」
彼の言葉通り、私の手の平に乗っているのは、一匹のカエルだ。今回は私がこのカエルを手に入れた過程から話をすることにしよう。そういうわけで、話は少し戻る。
世間は今、伝記ブーム。商業利用が許可されたタイムマシンを使って過去の偉人に『実際に』密着して書かれた伝記が大ヒット中。作家志望の私は世界を救った偉人、高畑願望の伝記を書くため、二十一世紀後半の日本に移動し、美木と名乗り、彼の研究所に助手として潜入した。
「ここがあの偉人の研究所か」
期待に胸を膨らませた私がマンションのドアを開けると、そこには白衣を着た男が立っていた。すらりとした長い手足、自信に溢れた立ち方、端正とは言えないが整った顔立ち、聡明そうな澄んだ瞳。どこか儚げにも見える。
「ようこそ。ガンボー秘密研究所へ」
そう言って不敵に笑った男こそ、高畑願望、その人だ。
「は、はい。きょ、今日からここで助手として働かせていただく美木です」
私は深々と頭を下げた。歴史の教科書に名前が載ってるような偉人と、こうして直接会うなんて滅多にあることじゃない。伝記を書くためにも、一字一句漏らさぬように真剣に聞かないといけない。なるほど、「ガンボー秘密研究所」か。
「秘密研究所?」
偉人の謎の迫力に圧倒されながらも、私が疑問を口にする。秘密主義なんだろうか。そう言えば、彼に関する情報は極端に少ない。
「そう。世界征服のための研究所だから、世間には秘密にしなければいけないんだ」
聞き間違いだろうか。「世界征服」と言った気がしたけど。
「聞いてしまったからには、もう戻れないぞ。さあ、僕たちの手で世界を恐怖と絶望に染めてやろうじゃないか」
高笑いしながら握り拳をぐっと掲げる彼を見て、私は何かの間違いに違いないと呆然とする。これが私と高畑願望の出会いであった。こんなこと書けるはずがない。
これは少し戻り過ぎ。そんな出会いから一年が過ぎ、三月十四日のこと。
「今月で美木君がこの研究所に来て一年になる」
リビングで雑誌を読んでいた私に、願望が話し掛けてきた。
「そうですね」
私は雑誌から顔を上げずに答えた。まだ何も知らなかった頃の自分を思い出す。タイムマシンがあったら、一年前の私に真実を教えてあげたい。
「そんなわけで、これをあげよう」
そう言って願望が私の目の前に差し出した手を見ると、そこには緑色の両生類、カエルが乗っていた。苦手な人間だっているだろうに、不意打ちだ。
「何の真似ですか」
私はカエルから目を逸らしながら、願望に聞いた。そもそも今日はもっと他にくれる物があるはずなんだけど。
「記念品だ」
カエルをあげるなんて子供なのかと言いたいが、こういう生き物に触れる機会は未来では無かったから、良い意味で少しドキドキしている。しかし、今日はもっと他にくれる物があるはずなのだ。
「それも良いですが、今日が何の日なのか、知らないわけじゃないですよね?」
願望はカエルの乗っていない方の手を口元に当てて少し考えてから、やっと思い当ったようで目を見開いた。
「いや、忘れてたわけじゃないんだが、しばらくこれを作るのに忙しくて」
忘れていたみたいだ。
「そんなことだろうと思って、欲しい物はすでにリストアップしています。あとは買ってくるだけですよ」
私はそう言って、最近雑誌を読んでいて気になったお菓子をまとめたメモを願望に差し出した。
「全部とは言いませんけど」
気になるものが多くて、メモには三十以上のお菓子の名前が書かれることになった。
「美木君は、バレンタインはチョコ溶かして固めただけだったじゃないか」
願望が反論する。
「ええ。ですから、博士のわがままを聞いてわざわざ手作りチョコを作ってくれた女性にあげたいと思う程度で十分です」
私はニッコリ微笑んだ。
「ぐぬぬ」
悔しそうに呻く願望の手に私の手を近付けると、大人しくしていたカエルがよたよたと歩いて私の手の平にやって来た。私はもう一方の手の人指し指でカエルの頭を撫でてみる。薄いゴムのようなかすかな反発と滑らかな皮膚の感触。そして、ちょっと冷たい。
*
「当たり前ですけど、ただのカエルじゃないんですよね?」
興味深そうにカエルを観察する私を複雑な表情で見ていた願望が、すばやく表情を作る。
「よくぞ聞いてくれた。このカエルはその名も『初心にカエル』。それを頭に乗せると、初心を思い出せる優れ物だ。さあ、思い出したまえ。美木君がこの研究所に来たばかりの頃のことを。まるで、僕のことを何か偉大な発明か発見をした研究者のように尊敬していたじゃないか。その時の気持ちを思い出して欲しい。忘れないで欲しい。そう思って作ったのだ」
自分のためなのか。自己中心的な男だ。私が思い付いてカエルの乗った手を伸ばして、願望の顔に近付けると、カエルはぴょんと飛び跳ね、願望の頭に飛び乗った。カエルが自分から飛び乗ったのは意外だったが、私の目論見通りだ。さて、どうなるだろうか。願望はカエルを追い払おうと焦って手を頭の上に伸ばしたが、途中で思い留まったのか、動きを止めた。
「残念だったな。美木君。僕は、常に、いつも、日常的に、初心を忘れずにいるのだ」
そして、腕を組み、勝ち誇ったように願望が言う。世界征服を始めた理由が知りたかったんだけど、上手くいかないか。
「そうですか。そう言えば、博士はどうして世界征服を目指し始めたんですか?」
思い切って、直接聞いてみることにした。
「今ならあの日のことがはっきりと思い出せる。よし。美木君にも教えよう。僕が世界征服する理由を」
目を閉じた願望が語り始める。
「大学生だった僕は、クラスメイトに初めて合コンに呼ばれたんだ。男女三人ずつの六人で居酒屋に行ったのだが、結果はすぐに出た。男側のイケメンに女性三人全員が群がり、僕ともう一人は完全に無視された。僕なりに女性の気を引こうと頑張ってみたんだが上手くいかず、合コンも終わり、帰る時にイケメンが『彼女が待ってるから』とか言い出して、解散だ。おかしいと思った。彼女がいるのに、さらに三人の女に言い寄られる男がいる一方で、全く相手にされない男がいる」
「そんなことがあったんですか」
いつの間にか話を聞いていたヤマモト君が相槌を打つ。
「ヤマモト君も一緒にいただろう」
願望が目を開き、ヤマモト君に言う。「もう一人」はヤマモト君か。
「そんなわけで、そんな見る目の無い女たちを見返し、さらに、女性に囲まれキャーキャー言われるために、僕は世界征服をすることにしたのだ」
まさか、そんなくだらない理由だったとは。私は絶句した。
「そのために世界を征服する機械、『世界征服機』を作ったりしたのだが、やはり地道にやるのが一番だ。結果だけでなく過程も求めなければ、彼女たちを見返すことは出来ないからな」
危険な香りのする発明品名をさらっと言ったが、今は触れないでおこう。
彼が世界を救うまであと三ヶ月。
私はため息を吐いた。しかし、理由が分かれば方向修正も可能なはずだ。
「それなら、別に世界征服じゃなくてもいいと思いますよ。それこそ、正義のヒーローとかでも」
発明が良い方向に向けば、私の心配ごとも減るだろう。
「いや、正義なんて駄目だ。良いことをすると言って良いことをするのは当たり前だし、失敗でもすれば容赦なく非難される。それより何より、人々を脅かすような悪がいないと正義は輝かん。ジャスティストラベラーが今持て囃されているのも、僕と言う悪の科学者が人々を不安にさせているからだ。まったく。毎回毎回邪魔をしてきて、本当に腹が立つ。どうしてあんなに対応が早いんだ」
それは私が事前に時間と場所を教えているからです。願望がブツブツ言いながら自分の部屋に帰っていく。カエルは間一髪で、願望の頭の上から私の方に飛び跳ねて来たので、私はそれを両手で受け止めた。でも、どうしようかな。これ。
そういうことがあって、私は上手なカエルの処分方法を探していたのだった。
「それを頭に乗せると初心に戻れるんですか」
カエルの説明をすると、光太郎は半信半疑という感じで言った。
「そういうことだ。ヒーローになったばかりの頃の気持ちを思い出せば、きっと君の悩みも解決するはずさ」
「初心に『カエル』ってことですね」
たしかそんな名前だったような気がする。彼は躊躇いながらも、カエルを頭の上に乗せ、少しの間、目を瞑った。
「ありがとうございます」
そして、彼はしばらくしてから目を開け、私にお礼を言うと、頭を下げて、喫茶店を出て行った。カエルは彼の頭に乗ったままだ。これで良かったんだろうか。少し心配だが、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
了




