04 奄美剣星 著 蛙 & 蜜蜂 『隻眼の兎の憂鬱』
01 蛙
南イタリア風トンガリ屋根住宅街の一角、有栖川家の庭である。
「ぼぼ、僕は、蛙さんをつくるんだな」
「蛙か。グロテスクだがなんとなく創作意欲を沸かせる。楽しそうではないか。つきあうぞ、ヤマシタ」
「ヒトラー君も手伝ってくれるのか、嬉しいんだな」
総統閣下はいつの間にか日本語を覚えていた。そんなわけで、蛙の塑像を坊主頭とチョビ髭の中年男がせっせと作り始めたというわけだ。
他方、その横では南蛮衣装をつけた親子ほどの歳の差のある騎馬の二人が空をみていた。やがて、五十近い男が火縄銃を構えて、空を撃った。すると雉が落ちてくる。
「さすがは上様!」蘭丸が笑った。
「汁にすると旨い。たまには世話になっている有栖川家に贈り物をせぬとな……」
信長は、下馬した蘭丸に雉をもたせ、厨房にむかわせた。
入れ替わりに、庭に面したベランダから、有栖川家の高二の少女が飛び出してきた。
「ああ、蛙さんだあ♪」
塑像に手を触れた時のことだ。塑像の粘土がミカがふれたあたりから、肉質化していったではないか。それが生命を得た。目をぎょろりと少女・ミカのほうにやった。彼女は固まった。製作していた山下画伯とヒトラー総統は腰を抜かした。
そこへ、サイドカー仕様のKATANAが停まった。ライダーはゴーグルを頭につけたサーベルタイガーで、コクピットに収まっているのは眼帯をつけたマントの兎である。隻眼の兎・ギルガメッシュが、身を乗り出して、サーベルタイガー・エンキドウにいった。
「むむむ。特異点娘・ミカが覚醒を始めている」
「異次元からの食客たちが、有栖川家に集まったことで、刺激されたのに違いない」エンキドウは缶珈琲『プリンス・オブ・ブラック』を飲んだ。
「魔界王子どもは、ミカのこの能力を狙ってストークしていたのか!」
「どれほどの悪事が働けることか、計り知れない」
そのとき異界から、有栖川家の屋根の上に現れたのは、魔界王子ダリウスではなく、黒い貴紳シモーヌであった。肩には一つ目のコウモリが乗っている。
「有栖川ミカは魅力的な娘だ。ダリウスの小僧などにやるには惜しい」
「なるほど小僧になどやるには惜しい」一つ目コウモリがオウム返しにいった。
海望台と呼ばれる丘の上だ。魔女の帽子のように尖がった屋根の上に黒い貴紳は立っていた。黒い貴紳は表情を変えない。
そのときだ。全身肉質化した蛙が、全長三メートルはある大蛙が、大口をあけ、長い舌を、しゅっ、と飛ばしてミカを捕えようとした。信長が火縄銃で狙撃したが、一発では効かない。太刀を引き抜いて、駒をぶつけようとしたが間に合わない。
ミカが食われる!
誰もが、そう思った刹那のことだ。地面が割れて、調子の外れた高笑いがしてきた。上半身が肥った紳士で下半身が蛇になった体躯の持ち主・魔界執事ザンギスである。ザンギスの肩には耳の尖った吊目の青年・魔界王子ダリウスが乗っている。ザンギスは、笑ながら、尻尾で地面をばんばん叩きだした。
大蛙は萎縮して動けない。
「蛇に睨まれた蛙ならぬ、ザンギスに笑われる大蛙だ」厨房から、マダムと一緒に戻ってきた蘭丸がつぶやいた。
動けなくなった蛙を、ザンギスは、「ほふう」と息を吐いたかと思うと、一転して空気を吸い込みだした。猛烈な勢いで、ぺろりと大蛙を平らげられてしまったのだ。腹のあたりが、もっこり、膨れている。
「愉快、愉快、わははは……」
ザンギスは、一度ゲップして、なおも地面を叩きだす。
「この子が欲しいのですな、坊ちゃん?」魔界執事はミカを指さす。
「そうだ。この子が欲しい」王子も指さす。
「差し上げますよ、坊ちゃん。わははは……」
やがて、手を、固まっているミカに差し伸べ、肩に触れた。
(ザンギス、ずれたトリックスターめ)黒い貴紳が舌打ちした。
(ザンギス、ずれたトリックスターめ)肩に乗った一つ目コウモリが繰り返した。
有栖川家の食客たち四人が顔を見合わせる。
途端、塀に囲まれた有栖川家の四角い敷地が、すっぽり、抜けて、跡地に大きな空洞ができたではないか。
事件の後、報道各社が警察の発表を報じた内容は、戦時中に造られた旧陸軍の地下弾薬庫があり、天井が落盤を起こしたのだというものだった。果たして一家はどこへ消えたのか?
「なに、ここは……」
特異点少女・有栖川ミカがみたものは……。有栖川家一門食客の運命やいかに……。
02 蜜蜂
「バイ・リン・ガール。梅林にたつ乙女――」
梅林に囲まれたところにトンガリ屋根の家が一軒、ぽつん、とあった。アーチの門になった梅の樹。幹もたれて、長い髪の乙女がもたれていた。否、よくみれば少女ではない。青年が女装していたのだ。カツラをとった青年。オヤジギャグを飛ばしていたのは、耳の尖った、白いタキシードの青年。彼こそは魔界王子ダリウスだ。
「わはは、わははっ。上手い。坊ちゃん!」
魔界王子の言葉に合わせて、尻尾の先を鞭のように、ばんばん、叩いて笑い転げていたのは、上半身が老紳士、下半身が大蛇となった魔界執事ザンギスだった。
そこをだ。
ぱおおん…。
小札を連ね装甲で覆った戦象の群れが激突していた。
その合間に、馬二頭にひかせた戦車が、走り抜け、さらに、槍をもった徒士が駆け抜けていった。どうもそこは戦場らしい。物凄い勢いで走ってきた象に、王子が踏みつけられて、ぺしゃんこ、になった。
魔界執事は、像が通り抜けた後に、王子煎餅ができているのをみつけて、また笑った。
「煎餅に変身するとは、さすがは坊ちゃん。魔界随一・宴会芸の鉄人! わはは、わははっ……」
ひらひら、になった魔界王子の身体をつまみ、魔界執事は。また、地面を長い尻尾で鞭のように引っ叩きまくった。地割れができ、執事と王子は消えていった。
「事の顛末を見届けなくては……」そういって、閉じていゆく魔界への帰り道には行かず、大鷲に化けて宙空に舞い上がったのは、黒い貴紳シモーヌだ。上昇気流がおきたのだろう。恐ろしく速いスピードだ。その後を一つ目コウモリが追いかけてゆく。
激戦が行われていた。赤い旗をなびかせた戦象の部隊が前線に取り残され、横から飛び出してきた、黒い旗の軍団が退路を絶った形となった。包囲殲滅陣形と呼ばれる円陣を組んで、黒が赤を潰しにかかっていた。
赤い旗の戦象部隊の将兵が一斉に歌いだした。
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手を携えて 信じよう友よ
悲しみと試練の嵐は押し寄せてくるけど
闇夜には月と星の光がわれらの道を示す
やがてきたる明けのために
手を携えて 歩こう友よ
希望をもとう。風に旗がなびくから
勇気をもとう 傷を負ったら肩を貸すから
一歩一歩、また一歩、前に進もう
手を携えて 信じよう友よ
手を携えて 歩こう友よ
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ポジティブな歌なのだが、こういう、場面で歌うと悲壮なものだ。第二次世界大戦を舞台にした映画『遠すぎた橋』というのがある。連合国軍が、ドイツが死守する橋を奪取する作戦を敢行するのだが、結局失敗し主力部隊は退却する。このとき前線に取り残されたフランス兵たちが陽気な歌を口ずさむシーンがあった。そんな感じだ。
戦場は、有栖川邸の垣根の外側で行われていた。なんと、黒い軍団がとっている包囲殲滅陣形のど真ん中だったのだ。
有栖川家の一門食客たちの意見が割れた。
四人の食客のうち最年少である蘭丸がいった。
「この戦闘には関わるべきじゃないと思います」
ヒトラーがいった。「中立をとれば赤と黒の軍団・両者を敵に回すことになる」
信長が火縄銃を構えて、「この状況で赤は絶望的。常識的としては黒に味方すべきだ」と主張した。
山下画伯は悲鳴をあげながら頭を抱え込んで。戦車に逃げ込んだ。以前、魔界執事・ザンギスが砂の彫刻を、とんちんかんな魔法で、本物にかえてしまった代物だ。
ヒトラーが、「ノブナガ、意見が一致したな」というと、信長が大きくうなずく。
総統閣下も画伯に続いて戦車に乗り込み、信長・蘭丸主従は火縄銃鞍につけた馬にまたがった。
だが、サイドカー仕様のKATANAから、コクピットの兎と、本体にまたがったサーベルタイガーが、銃のようなものを向けていた。
「そこまでだ、君たち。異時空への不当な干渉は時空警察として看過できない」兎がいった。
サーベルタイガーが、本体から、時空警察本部に通信を送っているのだが、連絡がとれないでいた。兎にいった。
「変だ。通信機は壊れていない。連絡がとれない。どうもこの時空は、未確認時空域のようだ」
ヒトラーがいった。
「われわれには、生存権というものがあるのだよ」
しかし、このときだ。囲まれていた赤い旗をかざした部隊が、梅林に囲まれた有栖川邸のところへ駆け寄ってきた。
「中に誰かいるのか? 入らせてくれ」といっている。矢傷を負っている者ばかりで痛々しい。
このとき、「お入りなさい」と声をかけたのは、有栖川家のマダムがいった。家長のパパさん、娘のミカ、息子の剛志が、肩を貸して敷地に怪我人を運び込む。
「なんてことを――」総統閣下が嘆いた。
「だから有栖川家の人たちって、好きなんだ」蘭丸がいった。
蘭丸の横にいた信長がはにかむ。「しかしこの歌、なんとかならぬか。繰り返すから曲が耳にまとわりつく」赤い旗の軍が口ずさんでいる歌が気になるようだ。
「上様、耳障りでございますか?」蘭丸が訊くと、その人は、「そうでもない」といって笑った。
サイドカー・コクピットに収まっている隻眼の兎ギルガメッシュがつぶやいた。「賽が投げられてしまった」
本体にまたがっているサーベルタイガーのエンキドウが答えた。「彼らのいう生存権というのには一理ある。われらはわれらのできることを果たそう」
「そうだな。本部と連絡がとれるまで、できるだけ、魔界衆が不当にこの世界へ干渉せぬように監視するのだ」
赤い旗の軍団の隊将がいった。この世界は大陸と呼ばれている。有栖川邸を砦として逃げ込んできた赤い旗の軍団をファア王国、これを包囲殲滅陣形で囲んでいる黒い旗の軍団をジーン侯国と説明した。
他方、魔界衆は――
「ううむ。魔界への扉がすべて封鎖されている。これでは戻れないではないか!」
ひらひらになったダリウス王子を片手に、半蛇魔人のザンギスが、土の中からでてきたのは包囲陣の外側である。
上空から事の成りゆきを見守っていた大鷲に化けた黒い貴紳シモーヌ、従う一つ目コウモリがそこに舞い降りていった。
「敵味方が決まったようだな」大鷲に化けた黒い貴紳がいった。
「敵味方が決まったようだ」下僕のコウモリが繰り返した。
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戦場は慌ただしいままだが、大地そのものはのどかである。春花の薫が漂っている。蜜蜂が飛んできた。
(つづく)




