13 柳橋美湖 著 宝物 『戦国サーガ』
水戸城下・佐竹義久の屋敷である。正殿は書院造で、いくつかの施設を連結している。中央広場たる庭に臨んで、茶室である数寄屋が離れとしてあった。招かれた前田慶次郎は四畳半のそこで、当主から茶を振る舞われた。
「見事な御点前でござる」天目茶碗の茶を干した慶次郎がいった。
戦国後期、常陸国南部に割拠していたライバルたちを滅ぼして同国を一統した佐竹氏は、五十四万国の大封を得、本拠地を北部の太田から水戸に移していた。東家と呼ばれる一門筆頭・佐竹義久は、陪臣ながらも鹿島郡・真壁郡六万石を所領に与えられた大名であった。慶次郎は、多黒蛇黒衆とのいざこざを収めた縁で、義久の屋敷に寓居していたのである。
茶室は四畳半ばかりで狭いのだが、そのぶん、当主と客は近いところで、身分やら縁戚の別なく親しく腹を割って話しをすることができる。
「お主は信長公を直に拝顔したことがあるか?」義久が訊いた。
「遠くからではありますが……」慶次郎が答えた。
義久は僧のように頭を丸めている。その小柄な彼が、見上げるような大男にたじろぎもせずに話を続けた。
「信長公の楽市楽座の意義とは?」義久は興味津々で慶次郎の顔を見遣る。
「ああ、あれですか……」
中世の宿屋に関して、こんな話しがある。旅人は、一般民家を間借りして宿にする場合場合もあるのだが、戦国の世とはいえ、各大名家の領国をまたいで移動する、交易商人なんかは、各大名にいちいち国境の関所を通過するたびに、通行税を支払っていては、立ち行かなくなる。そこで、寺社を中核に、強力なギルドを形成するようになる。いわゆる「座」というものだ。
寺社は総本山・総社から末寺・末社というものを全国津々浦々に巡らしている、そこには大小の門前町があって詰所・宿坊が所在し、城下町であっても神社付近には檀家や氏子の屋敷がある。商人たちは、聖職関係者ということで、免税特権と、全国の各宿泊施設ネットワークを渡り歩くサービスが提供される。もちろん、収益の一部をギルド「座」の運営資金として寄付する恰好になるわけだが。
金を生む経済システム・マーケットは至高の「宝」だ。「座」が支配するマーケットを「市」という。
戦国時代後期に、この巨大経済システムを利用した、共和国や都市国家が出現する。土地と農民を支配する戦国大名とはまったく違う経済システムだ。共和国・都市国家の国民たちは、ある種先進的でもあったのだが、往々にして、洗脳され、狂戦士化していることがあった。
ふつうの大名たちは旧システムに迎合し、既存の枠内での勢力拡大あるいは維持を図った。
その中にあって、ただ一人、真っ向から対峙して、閉塞した市場を破壊し、新興商人にビジネスチャンスを与え、自由競争をやらせようとした人がいた。それが魔王を自称する織田信長という男だった。
本能寺の変という覇者の暗殺クーデターは、保守勢力の騎手になろうとした明智光秀による反動だった。しかし「宝」は、もはや新システムに移っていた。時代が反逆者を許す道理はなく太閤秀吉に討たれるという展開で幕を閉じる。
丸坊主の武将が、「ふん、なるほど」とつぶやいた。それから二杯目の茶碗を客人に振る舞ってから、「傾奇者といってお主を馬鹿だという輩がおる。しかし事実は逆のようだ」と頭を軽く叩き笑った。
巨体の武士が、庭に臨んだ部屋に戻ると、一匹の小さな黒猫が縁側に座っていた。
慶次郎が、「猫又というものは尻尾が二つあるというわけではないのだな?」と黒猫にいった。
猫又といわれた黒猫が答えた。「そうそう、別に、尻尾を二つ生やさなくとも猫又」
慶次郎が笑った。「そうそう、未唯は、猫と人との姿を行き来する。二つの世界を股に掛ける猫だから猫又……」
夜になった。猫に化けた妻が主人と同衾する。満ちた月が欠けた。すると、小顔で色白の女になった。服は着ていない。夜具にくるまった二人である。男が女の長い髪を撫でた。
END




