11 レーグル著 作戦名 『ギブユーチョコレート』
世間は今まさに伝記ブーム。
商業利用が許可されたタイムマシンで、過去の偉人に『実際に』密着して書かれた伝記が大ヒット中。作家志望だった私にもチャンスが巡って来た。私は世界を救った偉人、高畑願望の伝記を書くため、二十一世紀後半の日本に移動し、美木と名乗り、未来の技術を使って、彼の研究所に助手として潜入した。のだが、何かおかしい。
二月になっておかしなことが起こるようになった。いつも行くスーパーにはなぜか黒い宝石が並んでいて、それを私がぼんやりと眺めていると、店員さんがぜひ買ってくださいと熱い目で勧めてきたのだ。私が質問すると、丁寧に教えてくださり、その説明を聞いているうちにあれもこれもと欲しくなり、ついついいくつもその宝石を買ってしまった。そして、家に帰った私がそれらを箱から取り出し、ああでもない、こうでもないと眺めていると、奇妙なことに朝には宝石は手元から無くなっていたのだ。そして、次の日も、そのまた次の日も、私はたくさんの店を回って、宝石を集めるようになっていた。
「なんでなんだろう」
二月十三日。いつもの午後。私は研究所のリビングで宝石を口の中で味わっていた。だが、不思議なことに宝石はいつの間にか口の中から消えてしまったのだ。甘い後味だけ残して消えてしまった宝石の謎を解くべく、もう一つ宝石を口に入れる。そして、しばらくすると、その宝石も消えてしまったのである。奇妙だ。
奇妙と言えば、最近、願望がヤマモト君と一緒に大急ぎで何か作っている。発明自体はもちろん珍しくないのだが、時間を気にして何か作るのは滅多に無いことだ。何かのイベントなんかに間に合わせようと作るなら、いつもは前もって計画をしっかり立てて、余裕を持って発明しているのに、今回はどうしたんだろう。
「出来たぞ」
「やりましたね。ドクターガンボー」
そんなことを思っていると、二人が作業していた台所から声が聞こえる。なんでこの時の声だけ、こんなにはっきり聞こえるんだろう。自分の耳が恨めしい。
「早速、試してみるぞ」
面倒なことが起りそうな予感があったが、その前に最後の宝石を一つと思って宝箱を見ると、あるはずの宝石が一つも無くなっていた。
「私のトリュフチョコレート!」
気付かないうちに食べ過ぎたのかと思ったが、いや、さっき見たときはあと三つ残っていたはずだ。
「成功だ」
願望の高笑いしながら、リビングにやって来る。
「よし。リビングまできちんと効果があったな」
そして、呆然とする私の手元を眺めて満足そうにうんうんと頷いた。
「な、何をしたんですか」
動揺を隠せないまま私が聞くと、願望は胸を張って説明し出した。
「バレンタインだの何だのと浮かれる民衆を混乱に陥れるため、カカオを含むチョコレートを消し去るスイッチを作ったのだ。その名も『もてないチョコレート』。この前は幽霊を目に見えるようにする機械を見せたが、今度は逆にチョコレートを幽霊に変えて見えなくする。本当に消すわけじゃなく、一時的に別次元に置換するだけだから、スイッチを切れば元通り。だから、『もてないチョコレート』と言うわけだ。今はこの部屋だけを効果範囲にしているが、明日のバレンタインデイの朝には外にも範囲を広げるぞ。」
なぜ彼はこんなことをするのか。それは彼が世界征服を目論んでいるからです。世界征服、関係無い気もするな。
彼が世界を救うまであと四ヶ月。
私は慌てて鞄の中の宝石たちの箱を開く。未開封だった生チョコレート、ボンボン、ロシェ、ホワイトトリュフ、きっと勝てる、オレノ、たけのこビレッジ。全部無い。一つ残らず。
「今すぐそのスイッチを切ってください」
私は涙目で訴えた。
「む。まあいい。本番は明日だからな」
願望はそう言って、台所に向かった。これで一安心。しかし、なんで急にあんな極悪な発明をしたんだろう。少し思い出してみる。
二月十日。なぜか数日前からそわそわしていた願望が「やっぱり研究には頭を使うから甘いものが要るな」などと言い出した。マウンテンきのことたけのこビレッジの味比べをしていた私は、咄嗟に箱を隠す。
「まあ、今日でなくても良いか。何かきっかけがあった時にでも」
ずっとチラチラこちらを見ていた割に願望はそう言って、あっさり引き下がった。今考えるとおかしい。いつもなら私が何かをたくさん食べていると注意してくるのに、それも無い。私は容姿変換装置のおかげで、食べ過ぎで太ったり、体調を悪くすることは無いが、それを言うわけにもいかず、毎回それとなく受け流していたので諦めたのかもしれない。私はたくさんの宝石に囲まれていたので、違和感に全く気付かなかった。
そして、それから願望の高校時代のクラスメイトの胡夏さんから電話があったのだ。たしか、そろそろバレンタインだという話で、私がチョコをたくさん買ってきたという話をしていたら、願望にチョコをあげるのか、という話になって私は「博士にあげるわけないじゃないですか」とか言ったはずだ。リビングで話したから、願望も聞いていただろう。
そして、願望はその日から何やら慌ただしく発明を始めた。
要は、バレンタインにチョコがもらえないことに対する僻みか。思い返せば単純な話だった。願望はほとんど研究所に籠もっていて、出会いもないだろうし、仕方ないことだ。そんなことより、早くチョコ戻らないかな。
「まだですか?」
私が台所に向かって声を掛けると、願望がゆっくり歩きながらやって来た。
「すまん」
そして、急に謝った。
「どうやら『もてないチョコレート』にカカオ成分を混ぜたせいで、スイッチごとチョコレートと一緒に消えてしまったようだ。これはどうにもならんな。以降、この部屋ではチョコは食べられないが、我慢してくれ」
絶句する。私の宝石たち、魅惑の黒、誘惑の白、里の筍。
「部屋に持ち込まずに、外なら平気だから」
「そう、ですね」
私はため息を吐いた。しょうがない。家に帰ったら、ストックしてあるのを食べよう。
「どうかしたんですか」
落ち込んでいた私に声を掛けたのは、いつの間にか現れた国友玲孝さんだった。国友さんは、願望の発明のせいで見えるようになった幽霊だ。未来では高濃度思念体なんて呼ばれている。いつでも来ていいと願望が言ったせいで、週に一度くらい、こうして前触れ無くやって来る。
「すごく久しぶりな気もしますし、この前会ったばかりのような気もしますね」
もうすっかり床を歩くのが上手になった国友さんが、にっこり会釈する。彼には時間や空間の感覚が無いので、会う度にこう言われる。
「これ、そこに落ちてましたけど」
そう言って、国友さんが差し出したのはチョコレート色の手のひらサイズの装置だ。縦横十センチ、高さ数センチほどの直方体に分かりやすいスイッチが付いている。直感的に分かったが、それこそ願望の作った『もてないチョコレート』に違いない。
「おお。そうか。玲孝なら持てるのか。すまないが、そのスイッチを押してくれないか」
「これですか?」
願望に言われて国友さんがそのスイッチを押すと、それは国友さんの手をすり抜け、ストンと床に落ちた。そして、私の宝石たちも戻って来た。一つを摘まんで、口に入れる。おいしい。願望がスイッチを拾った。
「よし。あとは調整して明日に備えるか」
私が安心したのも束の間、また願望が物騒なことを言っている。クリスマスに、もう願望の邪魔はしないと決めたが、今回は別だ。
「やめてください。みっともないですよ」
台所に向かう願望にそう言うと、彼は肩を震わせて振り向いた。
「だって、美木君がチョコくれないって言うから!」
必死の叫び、というやつだ。
「そのくせ、毎日チョコをたくさん持ってきて食べてるじゃないか。そんなにあるなら一つぐらいくれたって良いだろ」
確かに、一つもあげなかったのは私も悪いと思う。
「でも、バレンタインチョコって言ったら愛の告白じゃないですか。そんな簡単に誰かにあげるなんて、出来ませんよ」
私も抗弁する。残念ながら、未来人の私はこちらで誰かと恋人になるということは出来ない。
この時代に来る時に『恋愛』というものについて学んだ。ある年代以上に遡る人間には、必須の知識だ。未来にも夫婦や恋人はいるので愛は良く分かるのだが、身近で手頃な相手とする『恋』というものは、かなり非効率で運まかせな行為のため理解が難しかった。だが、それでも『失恋』という大きなデメリットを除けば、日々の生活に張りが出来たり、化学物質の脳内分泌による幸福感を得られるなど、メリットも多い。イベントと関連付けられれば経済効果もあり、バレンタインデイは純粋な『恋愛』用のイベントでは最大規模となるそうだ。
この日は女の子から男の子へチョコレートを贈って愛の告白をして、返事は一ヶ月後のホワイトデイにお返しのお菓子と一緒にもらう。『一ヶ月後』が一番短い二月に行われるのは微妙な乙女心なのだろう。だから、バレンタインに私が博士にチョコをあげるなんて、あるわけ無いのだ。
「美木さん、世の中には義理チョコというものもあるんですよ」
私たちの言い争いを聞いて、ヤマモト君が台所から出てきた。
「ギリチョコ?」
私は聞き返した。
「はい。日頃、お世話になっている人や友達に親愛の証として渡すチョコのことです」
そうなのか。知らなかった。
「なるほど。つまり、美木君はバレンタインチョコは告白オンリーだと思っていたのか」
いつの間にか冷静になった願望が偉そうに腕を組んでいる。
「分かった。美木君がチョコをくれるなら、この『もてないチョコレート』は永久に放棄しよう。だが、くれないと言うなら、この世からチョコレートを永遠に葬り去ってやる」
願望は今にもスイッチを押そうという格好で私の返事を待っている。極端だな。これじゃ選択肢は無い。
「あ、じゃあ、これあげます」
私はまだ手をつけてない『たけのこビレッジ』を箱ごと差し出す。
「僕はきのこ派だ」
なんと言うことでしょう。
「そして、手作りチョコ以外は認めん!」
今までで一番面倒な展開かもしれない。
「先生。私、チョコは作ったことありません」
仕方ないので、知識のある人に教えてもらうことにした。
「大丈夫です。作ると言っても、市販のものを溶かして型に流し込んで固めるだけです」
エプロンに三角巾とは自分でも古風だと思うが、今回の先生であるヤマモト君が、普段着じゃ駄目だと言うのでこうなった。二人で並んで台所に立つ。材料は願望の実験用に買っていたチョコを利用させてもらう。当の願望は部屋に籠もり、国友さんはリビングでくつろいでいる。
それからのことは良く覚えていない。溶けてとろとろになったチョコはとても美味しそうで、そればかり考えていた気がする。あとは、ヤマモト君の言葉を断片的に覚えているだけだ。
「チョコをお湯の中に入れちゃ駄目です」
「味見はしなくていいですよ」
「チョコの温度に気をつけてください」
「そう、冷やしてから、もう一度温めます」
「味見は要りません」
「速さが肝心です」
「はい。このハート型の型に入れます」
「味見は必要無いですよ」
「余ったのはこっちの小さい型に入れましょう」
「あ、それは食べても良いです」
「常温のままで固まります」
そして、一時間ほどでなんとかチョコが出来た。いつの間にラッピングまでしたんだっけ。
こうして、バレンタインデイの危機は去った。願望はそれなりに喜んでくれたし、新しくなって、一緒に消滅せず、範囲を狭く絞れるようになった『もてるチョコレート』のおかげで、国友さんにもチョコをあげることが出来た。
「メッセージカード読んだぞ」
一人で食べると言って、部屋に籠もっていた願望が出てくるなりそう言ったけど、さて、なんて書いたのか。よし。これは書かないでおこう。記憶が無いとかじゃ無いんだからね。
了




