10 まゆ 著 チョコ 『チョコレートアタック』
バレンタインデーなんて、くだらねえぜ。女が好きな男にチョコを渡して告白するだと?
バレンタインはキリスト教関係者のようだが、チョコを渡す習慣があるのは日本と韓国と台湾くらいだって言うじゃねぇか。
お菓子屋の宣伝だろ。何、乗せられてんだよ。バカバカしい。俺には関係ねぇな。
と、思っていたのは去年までのことだ。
今年のバレンタインデーには、俺のポケットにチョコの入った包みが入っていた。
やべぇ、告白されちまった。
しかも、相手は微妙だ。
高木京子。
俺と同じ二年だけど、隣のクラスだ。
一応、気になったので隣のクラスのヤツに聞いたのが、バレー部のアタッカーだということだ。
その強烈なスパイクは「コロニー落し」と言われているらしい。
コロニー落しを知らないヤツは、ガンダム好きなヤツに聞くかググるかしてくれ。
高木の骨太の体格からして、うなずけた。
顔は特にカワイイってわけじゃない。
十人並みってくらいか。
誰もいない音楽室に手紙で呼び出され包みを渡されたのだ。
一応、恥らっている風には見えた。
何か言っていたみたいだが、声が小さくて聞き取れなかった。
俺も、突然のことで、あっという間に時間がすぎてしまい、気が付いたらチョコの包みを持った自分が一人で音楽室に取り残されていたと言ったところだ。
話は変わるが、俺には夢がある。
俺は、同じクラスの橘香蓮が好きだ。
橘は、小柄で可愛らしい。くりくりした目がたまらない。ぎゅーっと抱きしめたい。
このチョコが橘からのものだったら、俺は死んでもよかった。
いや、死んだら困るが……。
俺は小柄な女子が好みなのだ。大柄な高木みたいなのは好みではないのだ。
付き合うのだるいな。三年になったら受験勉強だし足を引っ張られるのもごめんだ。
そうだ、断ろう。
それで一件落着だ。
もしかして、俺って贅沢な悩みを抱えているもてて困る男子ですか?
翌日の放課後、木枯らしが吹くひと気のないグラウンドの隅に一本だけ立っている冬枯れの桜の木の下で、俺は高木に言った。
「ごめん。好みじゃないから付き合えないよ」
高木は、口を半開きにして俺を見つめた。
「だ、だめですか、そうですか、これからもチャンスはないですか?」
食らいつくような表情をしている。
スパイクを決める時もこんな顔をしているのだろう。
「ああ、好きになることはないと思うよ。まあ、やりたいときにやらせてくれる関係ならいいけどね」
高木の少し茶色がかった瞳が俺を射た。
そうだ。俺は最低男だ。嫌いになってくれればそれで一件落着だ。
高木が一歩俺の方へ歩みよってきた。
怒ったな。眉が吊り上っているぞ。
高木は下唇を噛んだ口を開いた。
「わたし、それでもかまいません」
ええええっ! それはまずいんじゃねぇ?
「あ、あのな、俺がやりたいって言ったらやらせるんだぞ……それでもいいのか」
俺は、高木の視線に耐えかねて、目を下へ移す。
けっこう、オッパイありそうだな。
「かまいません。彼女にしてくれるのなら」
俺は反射的にうなずいていた。
高木は、瞳に涙を浮かべたと思うと俺の左腕にしがみついてきた。
ああ、俺、こういう女、苦手だけど付き合うしかねえのかな。
見上げた冬空に、糸が切れた凧が飛んでいくのが見えた。 俺と高木は、そのまま並んで帰路につく。
何も話すことを思いつかない。
俺は高木のこと、あまり興味がないものな。
「あの……、手をつないでも良いですか」
高木が、うつむいたまま蚊の鳴くような声で言った。
おれは黙って、右手をコートのポケットから出した。
高木をちらりと見ると、髪の毛が分けられている生え際が見えた。背が高いと言っても女は女だ。男の俺よりは背が低い。
これが橘だったら、俺の肩までも身長がないからな。かわいいだろうなぁと思った。
指と指が触れあって、俺の指をまとめて高木が握る。
「ありがとう」
なんで礼なんて言われるのかわからない。
「まあ、良いってことよ」
高木は、セミかバッタのように腕にしがみついてくる。
あれ、このままいくと繁華街の方へ行くことになるな。腹も減ったしラーメンでもおごってくれるかな。
普通は男がおごるものかな? 学生だし割り勘でいいか。
歩きにくいなと思いながら、他愛のないことを考える。
住宅街が途切れ、上り坂になると小高い丘の脇を通る。
丘は杉の木に覆われ、うっそうとしていて昼でも薄暗いのだ。
普段は意識したことはないが、この辺、ラブホテルが多いな。
紫やピンクに塗られたブロック塀がやたら目についた。
俺の腕にしがみついている高木の手に力が入る。
高木の胸が俺の腕に押し付けられる。
お、おっぱいっ! や、やべっ、誘われているの?
あのこと、真に受けているのか!
俺の歩調が弱くなり立ち止まってしまった。
俺の腕に押し付けられている高木の頬が下に下がるのを感じた。
うなずいたのか!
ま、待てよ。
ラブホって、五千円くらいかかるよな。こいつとやるのに五千円かよ。
橘なら、一万円払ってもいいけどさ。
高木、半分くらい出してくれるかな?
そんなことを考えていると、こちらへ向かってくる人影があった。
柴犬を連れて小走りに駆けてくる天使のような姿は、まぎれもなく橘香蓮だった。
やっぱり、かわいいな……って、この場面を見られるのはまずい!
しかし、俺の体は硬直して動かなくなっていた。
橘は、俺と目を合わせることなくすれ違っていった。
その姿は風の精だ。軽快に跳ねるように遠ざかる小さなお尻を見送る。
そのとき、俺の腕が引かれた。
「あ、あの……いいですよ。お金ならわたしが払いますから」
おおおおっ、高木を忘れていた!
目をつぶって、橘だと思って抱いてしまえばいいか。
でも、女に金を払わせるのはプライドが……って、もてる男はしょうがねえか!
俺は、自由な左手をコートのポケットに突っ込んだ。
とりあえず、落ち着けっ。
ああっ、チョコがあったんだ。
「高木、あせるなよ。チョコでも食べるか?」
俺は、ポケットからクシャクシャになったチョコの包みを取り出し、高木の顔の前に進めた。
その瞬間、俺の右腕が自由になった。
目の前に星が飛んだ。
破裂音が鳴り響く。
俺の頭がバレーボールなら三枚ブロックを抜きコートに突き刺さっているだろうし、スペースコロニーなら地球へ落下し都市を丸ごと吹き飛ばしていただろう。
頬を押さえて立ち尽くす俺が見たものは、遠ざかっていく高木の背中だった。
反対方向を見ると、明らかに一度こちらを見て、また向き直って遠ざかる橘の後ろ姿が涙ににじんで見える。
このチョコ、高木からもらったヤツだった……。
俺は、ラブホの頂を見上げながらつぶやいた。「明日から、受験勉強でもはじめよう……」
《おわり》




