09 真珠 著 チョコレート 『嫉妬』
バレンタインの翌日は、祭りの終わった後のような気だるい熱さはなく、なにか寒々しく淡々とした空気だった。それは単に季節が冬だからそう思わせるのか。
2月15日朝、中学校脇のとおりには、葉のない街路樹の横に、白い軽トラックが停まっていた。青い作業服の剪定作業員がふたり、木のまわりで熱心に作業している。こんな真冬に 樹木の枝を切っているようだ。葉がない分だけ効率的なようだが、少し注意深い人がみれば、おかしいと気づくはずだ。作業員が手にしているのはテレビショッピングで手に入るような高枝切り鋏だ。これでは、街路樹の剪定などできよう筈がない。
だが、誰も彼らのことを気にする様子はない。たいていの人は、寒さに首をちぢこめながら、今日の仕事のことや、厄介事を考えているのだ。
作業員しているのは、天空針除去員だ。彼らの任務は、空から伸びてくる謎の釣糸と釣り針を撤去する事である。その糸は特別な人間にしか見えないのだが、人々に引っかかり、その人の運命を操り翻弄する。放置しておくと危険なのだ。
「先輩、コレひどいですね。こんなにまっ赤っかなのって、初めてです」
道路の左右の街路樹は、忍者グッズのくもの巣を連射されたかのように、赤い糸くずで覆われていた。
街路樹の間隔は10メートル程だろうか。とにかく、そこら中まっ赤だ。
聖は額の汗を袖で拭うと、落ちそうになった作業帽を後ろ前に被り直した。少し色の薄い柔らかなショートヘアの前髪が濡れて、いく筋か額にはりついている。
「まぁ、バレンタインの翌日はこんなもんだ」
村上も黙々と動き続け、全身から湯気が煙っているようだ。結構な肉体労働である。
「赤い糸がこんなにあるってゆー事は、こんなにいっぱい、失恋した女子がいるって事ですよね?」
「さあな」村上は少しうるさそうに鋏を動かした。
普段だと、糸は切らずにほどいて天に返すのだが、こうも大量にもつれていると切って回収するしかない。本部へ持ち帰り、焼却するのだ。
「なんだか、切ないですねぇ……」ため息混じりに聖が道路に落ちた糸をほうきで集めてゴミ袋に突っ込んでいく。
「しみじみしてる場合じゃねえぞ。私立の中高一貫校だからな。あっちの道もだ」村上が顎で示した先はグラウンドの向こうで、フェンス越しに赤い色がかすかに見えた。
「へいへい。覚悟しやす」聖は肩を落としてほうきを動かしながら、恋に敗れた乙女たちに思いを馳せた。
幻想の恋の量。
若い彼女たちは、相手を知ることよりも自分の創り上げた恋を形にすることに、躍起になっていたんじゃないだろうか。
少し前の自分も、同じような学生だったのに、ピンとこない。彼氏いない歴=年齢だからだろうか。聖だって、本当の恋はわからない。聖がゴミ袋の口を縛っていると、視界の端で何かが動いた。そちらの方に首を回すと、ひとりの少女が屈んでいた。
「先輩、あの子……」
午前中のこの時間は、授業中のはずだ。セーラー服の髪の長い少女は、地面をキョロキョロと見回し、歩いては屈み、またあるいては屈んでいた
街路樹1本分に近づいたとき、聖が声をかけた。
「ねえ、なにか探してるの?授業は平気?」少女は一瞬身をこわばらせると、聖を見て思い切ったように、しかしつぶやくように言った。
「昨日、チョコレート落としちゃって……でも、絶対みつけないと……」
「ありゃ、バレンタインの?」
少女は、頷いた。
「手紙とか入れちゃったから、誰かに見られる前にみつけないと……」
「うーん、それは厄介だね。お姉ちゃんも探してあげよう」
聖は、ちらりと村上の様子をうかがったが、黙って作業していたので、気にせずに少女を手伝うことにした。
「えっと、この辺で落としたのかな?」
「はい、たぶんですけど……」聖は、じっと少女の全身をみた。
ほっそりとした体。ブラウンのセーラー服の袖口から覗く手首が華奢だ。その手首から、うっすらと赤い糸がみえた。長く続いていそうだ。
そのさきを辿りながら歩いていく。いきなり歩きだした聖に驚きながら、少女も後を追った。
街路樹の脇から、中学校の敷地に入って、少し奥の方には、校舎の壁を背にベンチがいくつか並んでいた。小さな中庭だ。糸は、そのベンチの間のゴミ箱に続いていた。
「まさかね……」
聖の表情が曇ったのを感じた少女は、勘がいい。ゴミ箱に向かって走っていった。
「あっ、ちょっとまっ」聖の静止も間に合わず、少女はゴミ箱の前まで来ると、立ち尽くした。
「あっ」ゴミ箱のなかをのぞきこんだ聖は、思わず声をあげた。
赤い包装紙が剥がされ、無残に潰れたチョコレートの箱が、そこにあった。そして、開封された封筒と便箋が、使い終わったティッシュのように、くしゃくしゃに捨てられていた。
「ひでえな」太い声とともに、太い腕が横から伸びてきて、迷うことなくチョコの箱をゴミの中からすくい上げた。
それを見つめる少女の目からは、今にも涙が零れ落ちそうだった。
「これ、探してたのか。中身はまだ無事だぞ」
少女は、村上を無視して、ゴミの中に頭を突っ込むようにして手紙を拾うと、丸めて握りしめた。
「それって、ライバルにやられたの?」
聖は、震える少女に心配そうな眼差しを向けた。
「ちがう……と思う。私、嫌われてるから」ついに少女の目から涙が溢れ出した。
「その、チョコあげようとした彼に?」少女は、大きくかぶりをふった。
「クラスの女子に」
「女子って……」驚きで、聖は言葉を詰まらせた。
村上の箱を持つ指に力が入った。
「あれだ、アンタ、クラスのリーダーっぽいのに、嫌がらせされてんだろ。だから、他の子も一緒になってやってんだろ」少女は、こっくりと頷いた。
「ひど!それってイジメじゃん!」
「嫉妬だな」
「……しっと?」少女の濡れた長いまつげが瞬いた。
「そいつは、まあまあ可愛いだろ。勉強もできて、みんなからチヤホヤされてんだろ」
少女が頷くのを見て、村上は続ける。
「だがな、そいつの中にはアンタに対する嫉妬が住み着いてんだ。アンタは全く悪くなくてもな、嫉妬は怖いぞ。ただ嫌いなだけならアンタを無視するだけだが、嫉妬しちまったから、アンタになにかしないと気がすまないんだ」
「そんな……」聖は困惑して呟いた。
確かに、この少女は可愛らしい綺麗な顔立ちに、ほっそりとした佇まいは、なにか香り立つものがある。集団の中にいても、まず、目につく。嫉妬をうけても当然かもしれない。
すると、村上がにっこり笑ったかと思うと、少女の手に形を直してマシになったチョコレートの箱を持たせた。
「もう大丈夫だ。ここまでひでーことしたんだから、相手もスッキリしてるはずだ」
「はい……」
「おっ、靴にゴミついてるぜ」村上は、いきなりしゃがんで、少女の足元に手を伸ばした。そのとき、村上が少女の踵から何かを外すのを聖は見逃さなかった。
「あの、良かったら、これあげます」少女は満面の笑みを浮かべると、村上の胸にチョコの箱を押しつけた。思わず受け取った村上に、少女は深くお辞儀をした。
「ありがとうございます。なんだか、気持ちがスッキリしました」
「おう、さっさと授業行け」少女は、校舎の方に走り出したが、振り向いて手を振った。
「ありがとう、おじさん!」村上と聖は手を振り返した。
「おじさんですって、ぶふふ」ニヤニヤする聖の頭に、ゲンコツが命中。
「先輩、さっきあの子の踵から、何をとったんです?」
「これだ。嫉妬の糸な」その黒い糸は、ネバネバとした質感で村上の指に絡みついている。糸の先端の針先は鋭く、糸よりもさらに嫌な黒さだ。村上は、針をつまむと近くの植木に突き刺した。
「こんなもんが踵に刺さってたら、相当痛いぞ。たとえ見えなくても、ここがな」村上は、自分の胸をどんと叩いた。
少女は心の痛みで、幾度ともなく涙を流したのだろう。
「で、嫉妬の糸、木に刺しちゃっていいんですか?」
「ああ、一度嫉妬が心に巣食うと、癖になるみたいだからな。歪んでる奴が、これ以上他の人間に嫉妬しなくていいように、ここにくっつけとけばいいさ」ベタベタした糸を木になすりつけるようにして指から外すと、「しかし、あの子は美人になるなぁ~。やばいな、俺好みになりそうだな~」
聖はむっとして、村上を睨んだ。そして、ハッとして自分の服を払った。
(嫉妬の糸、でてないよね……?)
「仕事するぞ」
道路に歩いて行く村上の大きな背中に、慌ててついていく聖だった。
了




