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自作小説倶楽部 第6冊/2013年上半期(第31-36集)  作者: 自作小説倶楽部
第31集(2013年1月)/「蛇」&「珈琲」 
2/63

02 真珠 著  蛇 『せつない干支の露天風呂』

 この冬の雪は、早く、多い。もうもうとした湯気が、黒い湯面を隠し、ぐるりと風呂を囲む岩々にも、どっさりと雪がのっている。特に大岩の雪は見事で、下のほうが氷になっており、つららから滴る無数のしずくは、宝石のように昼の日光に輝く。

 巳妃は肩まで湯につかりながら、ぼんやりと、しずくが黒い湯に吸いこまれるのを見ていた。

 昨年の秋に脱皮した巳妃は、以前と見違えるほど色が白くなり、棒っきれのようだった躰も、しなやかな弾力をもった大人に近づいていた。

 巳妃は、また半月ほど前の年越しの夜を思い出していた。

 元旦から每日、あのときの事を思い浮かべては深く溜息をついた。すると、湯屋のほうからガラリと戸の開く音がした。続いて、コツコツと足音が近づいてくる。湯気が濃くて、すぐ近くまで互いの姿はわからなかったが、巳妃は足音だけで相手がわかった。

「まーこ。久しぶりだ。いちねん間違ってない?はやいよ」

「遊びに来たんだよぅ。みいが退屈じゃないかなぁって思ったから!」

 まーこは、午年うまどしの神で馬子。巳妃とは年が近く、十二支のなかでは一番気の合う友達だ。

 ピンクのフリルのついたバスドレスを胸にひっかけ、手には重そうな、ピクニックバスケットを持っている。つやつやした肌に、栗色の髪をポニーテールにした彼女は、健康的で躍動感があった。馬子は、可愛いバスドレスを乱暴に脱ぎ捨てると、やはり乱暴にしぶきを上げて湯に入った。

「やー、髪濡れると凍るじゃん」 巳妃はしぶきがかかった髪を気にする。

「気にしない、気にしない。ほら、差し入れだよ。今朝作ったんだぁ」

 嬉しそうに馬子がバスケットから取り出したものは、茶碗蒸しだった。

「バスケットと中身のギャップがすごいね」

「うふふ。だって、これしか作れないもーん」

「まーこの茶碗蒸し、好きよ。栗が大きいんだもの」巳妃は馬子から茶碗を受けとると、蓋を開けた。

 ほわんと浮かんできた湯気は、風呂の湯気とすぐに一体になったが、甘くてだしのきいた香りが食欲をそそる。

「いい香り~」

「食べよ」

 馬子はさじを巳妃に手渡すと、自分はぷるんとした茶碗蒸しに、いきなりさじを突き立て、ぐっちゃぐちゃにかき回した。そして、勢い良く飲み干した。

「茶碗蒸しは、飲み物よ」親指をたててキメる馬子に、巳妃は声をあげて笑った。

 そして、その笑顔に馬子はほっと胸をなでおろすのだった。

 もう、成人式の日になるというのに、お正月気分でくつろいでいた馬子のところに戌之介が来たのは今朝の事だった。

得意の茶碗蒸しを作っている最中に、母に呼ばれて応接間に行くと、神妙な顔の戌之介が座っていた。

(なんだろう?)

 訝しく思いながら、向いに座ると、戌之介は言った。

「巳妃ちゃんを、元気づけてくれないかな」

 あっと、思った。

 馬子には、心当たりがあった。

(みい、やったんだな。ついに龍五郎に告白したんだ……そして……)

 戌之介は多くを語らなかったが、馬子にはだいたい、状況がわかった。巳妃とは、互いの恋の悩みなどを相談しあっていたからだ。巳年の巳妃は、種族の違う辰年の龍五郎に告白したのだ。そして、失恋した。

「まかせてください!わたしが、みいを励ましてくる!」

傷心の親友を慰めるのは、自分しかいないと、作りたての茶碗蒸しを持って家を飛び出したのだった。

 ふたりは茶碗蒸しを食べ終わると、次に馬子はバスケットから、なにやらカラフルな丸いものを何個も取り出した。

「まーこ、それって、もしかして、この前言ってたやつ?」

「うん、そうそう、やっちゃおうぜ~うひひひん」妙な笑い方をする馬子に、巳妃もニッと笑って頷いた。

 二人は、カラフルな丸いものを何個も湯に投げ入れた。たちまち、あたりには果実のような甘い香りがたちのぼった。

「じゃあ、かき混ぜるよ」

 馬子はおもむろに、近くの岩に両手をのせると、うつ伏せに湯に浮かんだ。そして、激しくバタ足をはじめた。どっぷん、どっぷんと湯柱があがり、あたり一面に降り注ぐ。するとしぶきとともに、湯が泡立ち、どんどん黒い湯が泡で覆われていく。

 巳妃も負けじと、手で湯を泡立てた。

 かなりの広さのある露天風呂だが、ものの数分で、そこは真っ白な泡露天風呂と化した。

「見よ。このわたしの脚力を」

「すっごーい、こんなの初めてだわ! やばいね、これは!」

「でしょ~」馬子は満足そうだ。

 雪がこんもりと積もった岩々と、湯を覆う白い泡が、湯気に蓋をして、青い空が見える。ふたりがつくりあげた世界は、真っ白な雪原のようだった。しかし、そこは温かく、静かな繭に包まれたような優しい世界だった。

「まーこ、ありがとね」

「ん、みい、頑張ったね……もう……あきらめるん?」

「……駄目だって言われたけどさ、そう簡単に、やめられないよ。好きな気持ちは」

「だよね。わたしさ、変だと思うもの。種族とかさ。関係ないじゃん?大人の都合だよ」

「ありがとー」いきなり巳妃は馬子に抱きつくと、ふたりは泡に沈んだ。口と鼻に泡が入って、むせながら二人が立ち上がったとき、割れ鐘のような怒鳴り声が響いた。

「こぉーらー!また馬子かっ!」湯屋のほうから、顔を真赤にして怒った風呂じじいが走ってきた。風呂じじいは、干支の露天風呂の手入れをしている爺さんだ。その泡取るのに何日かかると思ってる!」禿頭も真っ赤になっている。

「ぎゃあ、やばい、みい、あとヨロシク」馬子は泡だらけの体にバスドレスをひっ掴むと、そのまますごい速さで走り出した。「風呂じじー、お説教は来年ね!」もう、姿は見えない。

「あの、じゃじゃ馬め。裸で逃げよったわい」苦笑いしながら、風呂じじいは馬子が忘れていったバスケットを拾うと巳妃を睨んだ。

 巳妃は、口元まで泡に沈んで身を縮めた。

「ごめんなさい」

「ま、お前さんも気が晴れたんじゃろ、元気なかったからのう。やっと笑い声を聞いたわい」その言葉に、巳妃は照れ笑いした。

「さて、泡ぁすくう網とってくるから、お前さんも手伝えよ」

「げ」

 風呂じじいが湯屋の方に去って、あたりが静まり返ると、巳妃はまた、あのときの事を思い浮かべた。

 ――龍五郎さんっ、好きなの。待って

 龍五郎は、迷惑そうな顔をそむけると、天に向かって隆々とした両手を広げた。

 たちまち、露天風呂の上の空だけが黒く雲が渦巻きはじめた。

 巳妃は慌てて、浴衣のまま湯に飛び込んで、龍五郎にしがみついた。

 ――まだ行かないでっ。

 白い浴衣が肌にぴったりとまとわりついて、動きにくいが、必死で龍五郎にしがみつく。

 とっさに巳妃を受け止めた龍五郎は、それでも目を合わせてはくれない。

 ――お願い……。

 ――駄目だ。

 龍五郎の発した言葉は、やけに静かで、巳妃をしおれさせるのに十分だった。だが、その後の龍五郎の不可解な動きが巳妃にはよくわからなかった。

 一瞬、頬を預けていた龍五郎の胸と腕の筋肉が緊張したかと思うと、巳妃の背に腕がまわされた。ほんとうに、僅かな間。

 ぽうっとなる巳妃の目前に、空から黒い竜巻が伸びてきて、龍五郎を連れ去った。

 その刹那、龍五郎の指先が、そっと「の」の字を描いたような感触が、まだ巳妃の背中の下の方に残っている。

「あきらめないもん」

 次のひと回り後の交代のときは、巳妃は龍五郎の理性を完全に崩壊させるような、「おんな」になるかもしれない。

     了

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