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自作小説倶楽部 第6冊/2013年上半期(第31-36集)  作者: 自作小説倶楽部
第32集(2013年2月)/「チョコレート」&「宝物」
19/63

08 紅之蘭 著  宝物 『アラビアのロレンス 』

 オックスフォード大学を卒業した僕・ロレンスは、大英博物館の研究員として、中近東の遺跡調査をしていた。当時の考古学調査団というのは、仮想敵国の測量とかスパイの真似事を任務の一つとしていた。

 やがて第一次世界大戦がはじまった。敵は、ドイツ、オーストリア、トルコの枢軸三帝国で、それをとりまくイギリス・フランス・ロシアほか、連合国が相手をした。

 イギリス軍の主力はヨーロッパに釘づけとなっていて、中近東への援軍は小出しにしかできなかった。ために、味方は、落ち目になったはずのトルコ帝国にさんざんに打ち負かされていた。

 僕はアラブが好きだ。近東に舞い戻った僕の任務は、そのあたりの事情に明るいという理由でエジプト・カイロの司令部に預けられ、地図の作成にあたった。しかし、ほどなく内部抗争があり、よくしてくれた直属上司が追い出され、後任の上司である大佐がきた。はっきりいって人の脚を引っ張るくらいしか能がないアホだった。

「トルコを潰すのは簡単ですよ。アラブ民族に独立運動をもちかけ、ゲリラ戦で、電話網を寸断したり、鉄道を爆破するなどして攪乱する。情報網と補給線を殺してしまえば、一ひねりじゃないですか」

「そんなこと、できるわけがないじゃないか!」

 押し問答が毎日続いた。僕は、いい加減、うんざりしていた。孤立していた。新任上司の大佐から、僕はさまざまなパワハラを受けた。

 まず、対アラブ方面の担当から引きずり降ろす。事務室に押し込んで監禁し休暇もくれない。人の嫌がる膨大な事務書類に目を通す書記官みたいな役をやらせる。このイジメには取り巻き連中もつるんで、「おまえなんか同僚なんかじゃない」と唾棄してくる始末だ。

 もちろん、僕も報復してやった。書類の誤字脱字を意地悪く指摘してやるのだ。これには、出来の悪いお坊ちゃん将校どもも、グウの音が出ずに玉砕した。

 他方で、可愛がってくれた前任の上司に仔細を訴え、自分の考えを率直に述べた。彼は早速、カイロにあるイギリス外務省と陸軍省の出先機関に掛け合って、そっちからプッシュして、僕を牢獄から釈放してくれた。そこで、ようやくお預けになっていた休暇十日分をまとめてもらう恩恵を得た。

 類は友を呼ぶというのか、同僚にストァズという男がいて、メッカの大シャリーフと、政治交渉に行くというので、ヴァカンスがてらのガイド役で、その使節に同行することになった。外務省や陸軍省の僕の評価は、多少性格に問題張るのだが、アラブ事情に最も精通している人材というものだったので、ストァズを介して、ツアー参加を即刻受理された。

 それにしても、ここの夏はなんてくそ暑いんだ。

 エジプト・カイロから列車で、シナイ半島の付け根にあたるスエズ港に行き、そこで、ジッダ行きの軍艦ラーマ号に乗った。四日間の船旅になる。軍艦といっても、もともと小型の定期船だったもを徴用し、申し訳程度に機銃をつけ改装したものだ。短い紅海の船旅は、恰好の息抜きになった。

「涼しい。生き返った」

 ストァズが、「まったくだ」とうなずいた。

 彼はやや丸顔で額が広く口髭を生やしている。この旅行では軍服ではなく白のスーツを着ていた。僕と並んでデッキのアームチェアに座った。彼は、僕が本を読み始めると、デッキをひと巡りし戻ってきて、「乗艦している連中ときたら、なんて無教養な奴らだ。とても相手をする気にはなれん」とぼやいた。

 偏屈な奴。僕は内心思った。

 そんなストァズの横の席に、メッカの大シャリーフに仕える将校がやってくると、馬が合ったらしく話を始めた。二人の会話を横で訊いていると、流暢なドイツ語、フランス語、アラビア語が、ぽんぽん、飛び出してくるのには驚かされた。当時を振り返えると、僕は、中近東にいたイギリス人の中で、ストァズほど才気にあふれた奥深い人間を知らない。

 紅海には珊瑚礁があり、暗礁となっているところがあるのだが海図には載っていない。ラーマ号はそこを器用に抜けて、メッカの外港・ジッダに入港した。街から派手な陽炎があがっている。ひっ、焼け死にそうだ。

 デッキで、艦長が、「さあさあ、皆さん、上陸前の腹ごしらえだ。ランチにしましょう」

「なんか、僕、この船に残りたい……」

「わがままいうなよ、ロレンス」ストァズが苦笑した。

 ジッダは蒸している上に陰鬱な港町だ。建物はすべて灰色の珊瑚礁石灰でできており、五階建てほどの楼閣となった家々の上階には弓型の張出窓がついていた。細い路地でラクダの隊商が通り抜ける幅さえない。塵一つないくらい清潔で秩序はあるのだが、活気というものがない。住人は痩せこけていて、僕や白スーツのストァズと目を合わせようとはしない。というか、初めから存在していないかのように振る舞うのだ。その町にあるイギリス領事館で、シャリーフ家の二男アブドゥッラーに会った。

 預言者マホメッドの家系をシャリーフという。トルコ帝国に服属していた聖地メッカの太守もこの家系だ。当時の太守フセインには四人の息子がいた。

 シャリーフ一族の教育方法は独特だ。まず、帝都イスタンブールの士官学校に留学させ、そこで紳士としての素養を嗜ませる。メッカに帰郷すると、父親は息子が着ているトルコの盛装を剥いで、代わりにヴェドウィンの衣裳を着せた上で、諸族のいる辺境に放り投げる。水も食糧もろくに与えない。これではまるで罪人を砂漠に追放するようなものだ。

 サバイバルは、太祖マホメッドの修行そのものだ。やがて再び彼らがメッカに帰還するときは、とんでもなくタフな指導者になっている。ただ、この教育方法には致命的な欠陥があった。自己というものに強烈な自信を育たせることとは裏腹に、誰も信じなくなるということだ。それが家族であってもだ。四人兄弟の中で、ただ一人、その轍を踏まないカリスマが存在した。シャリーフ・ファイサルだ。

 アブドゥッラーが、話すうちに有能であり社交的なことが判る。しかしお喋りだ。こちらのいうことによく話を合わせる。預言者の末裔にしては軽い。どちらかといえば商売人で、なんとかこっちを上手く丸め込もうという狡猾な野心が言葉の端から理解できる。

 彼では駄目だ。メッカ住民の大半はインドやアフリカから来た自堕落な外国人ばかりだ。シャリフと一緒に戦う部族は砂漠のヴェドゥインのほかにはいない。だが連中は気まぐれだ。彼らをまとめ上げる者は、マホメッドの遺伝子が最も強い者でなくてはならない。

 シェリーフ家第三子ファイサル。第二子アブドゥッラーとの会談でその名が挙がった。現在、シャリーフ家とその藩国は、トルコ帝国からの分離独立を唱えて蜂起し戦っていた。メッカの北側に横たわる丘陵地帯が戦線だ。山間諸族を率いて交戦しているのだという。僕とストァズの興味は彼に向った。早速、ストァズはアブドゥッラーと交渉して馬を借りることに成功した。ジッダ駐在イギリス公使にもプッシュして僕の意見を通してくれた。そんなこんなでファイサルの陣営に向かうことができた。

 ファイサルのところに行く前にアブドゥッラーが宴会を催してくれた。楽士はもともとトルコが派遣してきた属州総督の麾下にあった連中で、総督が逃げ出すと、そのまま捕虜になったのだ。シャリーフ家はこういう宴に彼らを引っ張り出してきては演奏させたものだった。僕たちがトルコ音楽に飽きて、ヨーロッパ音楽を所望すると、リクエストに応えてくれた。ところがだ。

 ドイツ国歌『世界に冠たるドイツ』。それから、本来は合唱曲で、「歌詞神よイギリスに天罰を下したまえ」というフレーズが入る『憎しみの讃歌』が続く。トルコ人楽士たちもシャリーフも、歌の意味を理解していない。領事館関係者やストァズ、それに僕が苦笑していると、港町に吹く潮風の湿気で、太鼓の革が緩んだ。彼らは松明で革を張りなおし始めた。それにしても酷く調子の外れた音楽だった。

 可哀想なトルコ人楽士たちは、僕たちが興ざめしていることを知ると、すっかり凹んでしまった。

 トルコ帝国はシャリーフ領北部の都市メジナまで占領していた。ヒジャーズ鉄道を敷設しているので、補給には事欠かない。物量に押され、シャリーフの軍勢は、じりじり、後方に退いている。

 アブドゥッラーから借りた馬に乗った僕たちは、不毛な瓦礫砂漠と涸れ谷を抜ける巡礼路を通って北上した。食事といえばパンとなつめ椰子だ。ときどき通る集落で食糧と水を調達する。最後の涸れ谷が終わると、なつめ椰子の樹林が鬱蒼と茂ってきて、百戸ばかりの集落がみえてきた。戦闘用の駱駝なんかがつながれている。オアシス、ワーディー・サフラー地方だ。

 椰子の葉の緑から木漏れ日が射しこんでくる。小さな流れがあり、坂道からそこにかけられた石橋を渡ったその先は丘の頂になっている。長く低い家屋で囲まれた内庭に入る門を二つくぐったところで、その人は待っていた。

 非常に長身で柱のように痩せている。白絹の長衣をまとっている。そして手を前にさした短剣に軽く載せている。

 ゾクッ、ときたね。預言者特有のオーラ。僕はあなたに会うため、ここまでやってきたんだ。

 ファイサル。

 ついに出会った。あなたこそアラブ独立の指導者たる人だ。

「ロレンス君、ここ、ワーディー・サフラーはお気に召しましたかな?」その人が言った。

「もちろんですとも。しかしダマスカスは遠いですね」

 シリア地方の都市ダマスカスは世界で最も古くから人が住んでいた町だ。イスラム・ウマイア朝では、帝都が置かれていた大都市である。トルコ統治下の地方においては、シャリーフ一族が最も欲している拠点だった。当面の戦略目標はダマスカス侵攻なのだが、そこに行くどころか、逆に、ドイツの近代兵器を買い込んだトルコ軍の反攻を受けているのが実情だ。

 横にいたストァズが僕の顔をみた。嫌味ともとりかねない。周囲は凍りつく。預言者の再来は一度目を閉じ、それから、また開けて微笑んだ。

「ダマスカスに行く前に、目の前にトルコ兵がいる。これも神の与えたもうた試練というもの」

 凍りついていた周りの連中は、どっと、歓声を挙げた。

 ファイサルはアラブの宝だ。

 やがて僕は彼の軍事顧問になった。そして本当の意味でのアラブ独立戦争が始まった。

      END

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