05 E・Grey 著 チョコレート 『冒険商人シャルダン』より
積荷はたんまりとある。主に宝石と、銀製食器類なんかだ。その中には、ホット・チョコレート用のポットとチョコレートの原料になるカカオもたっぷり含まれている。
知っての通り、チョコレートは、スペインが征服した新大陸の産物だ。カカオナッツは貴重で、通貨としても使用されていたくらいだ。滅ぼされた現地のアステカ帝国皇帝モテクスマは「チョコレート皇帝」の異名をとるくらい一日何倍ものチョコレートを飲んでいた。彼を騙し討ちするコルテス将軍もふるまわれたのだが、とても不味いといっていたそうだ。コルテスはカカオを土産に本国・スペインに戻った。
後に、スペインは、砂糖やらミルクなんかを加えて、飲みやすく仕立てた。スペイン王女マリアがフランス国王ルイ十三世に嫁いだものだから、チョコレート好きな彼女が、フランスで流行させた。
僕はジャン・シャルダン、冒険商人だ。とはいってもそのころの僕は、少し背が高いだけであとはろくな特徴もない痩せこけた、駆け出し・青二才だったので、執事が付けられていた。
「御曹司、間もなくシリアに着きますぞ」
彼はそういいながら、革袋に詰めた葡萄酒の最後の一滴を名残惜しそうに飲み干した。無理もない。船を降りたらそこはイスラムの地だ。アルコールは大っぴらに口にはできないし、第一どこの店でも売られてはいない。もっとも例外といえば、密造酒専門の居酒屋があるという話だ。明るいところで飲める最後の酒だった。
執事の名はアントワヌ・レザン。昔、父の執事だった人で、その大事な片腕をそのまま僕に譲ってくれたというわけだ。熊みたいなもじゃもじゃの髭面で、腹がやたらに出っ張っている。酒好きで、唄と踊り、それから大の女好きときている。スケベオヤジなのだがどうにも憎めない。彼は旧教徒なのにも関わらず、迫害を受けたはずの父から、絶大な信頼を受けている。
僕らはロンドンから、トルコ帝国が支配するシリアに上陸し、シリア砂漠をラクダで抜けて、ユーフラテス川上流に抜ける。川沿いのオアシス地帯に沿った街道でバグダットを経て、そこから国境を超えて、ペルシャ王国に入ったのだ。
一六六五年僕たちはついに、旅の目的地、エスファハーン都城に着いた。アッパース二世治下のペルシャ王国の王都だ。
執事・レザンがいった。「御曹司、ここを訪れた商人は、口ぐちに、『世界の富の半分はエスファハーンにあるといっています。いい女もたっぷりいますよ」
僕たちのラクダ隊商が広場を抜けたとき、何人もの女たちとすれ違った。皆、黒いヴェールで顔を隠している。しかしそれを身に着けていない女たちがいた。それが娼婦というわけだ。彼女たちはマダムが経営している娼婦館の奴隷だ。
「ううん、いいねえ。世界のいい女の半分も、ここ、エスファハーンにいる。御曹司、今夜、一発抜きに行きましょうや」
エロオヤジめ。僕は苦笑した。
「御曹司、なら、お留守番なさって下さい」
「誰も行かぬとはいっていない」
慌てた僕の顔をみた熊髭のエロ執事が、白い歯をみせて、笑った。
街の色は青。巨大な四角いイマーム広場があって、アーケードが囲んでいる。よく整備された都市だ。ラクダが行き交う広場のむこうには王宮、それからモスクがある。
ここには西洋から来た者もそこそこ居を定めていた。例えば、エスファハーン・キリスト教会の関係者だ。さほど大きくもない教会なのだが、来訪者が住民と話しをすると、奇妙なことに気づくことだろう。あれほど憎みあっていた、新・旧教徒が教義の違いを超えて仲良く共棲しているということだ。僕の生まれは、フランスのロレーヌだが、国王が旧教を支持して新教を迫害するようになってので、一家を上げてイギリス・ロンドンに移住する羽目になった。
そこを根城として、熊髭の執事レザンは、有力者たちに渡りをつけ、最後には王国宰相を介して国王アッパース二世との謁見を許してもらった。
青いタイルの貼られた広間だった。幾何学文様の絨毯が敷かれ、奥に国王が、左右に王侯貴族が座っている。さっそく、僕と執事は、商品を山と積んで王にひれ伏す。
「ほお、チョコレート? 欧州で流行っているそうだな?」
国王は目を輝かせた。背が高く浅黒い痩せた人物だ。アッパース二世はまだ若い。このころ三十三歳。好奇心旺盛な青年だった。
僕は、銀製のポットにカカオの粉末、それから準備させた熱湯を注いで、黒い液体・チョコレートをカップに入れた。侍従がそれを受け取り、王にうやうやしく献じる。
国王は臣下にカップを回した。回し飲みがこの国の風習だ。臣下たちも、顔を見合わせ、「美味い」といってうなずいている。
「美味い。気に入った。そちたちが持ち込んだ品はすべて買い取ろうぞ。そうそう、汝に称号を与えよう、『国王の商人』だ」
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――国王の商人。
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ノンアルコールであるイスラム諸国の一つペルシャでも、チョコレートは流行りそうだ。
僕たちは、気前のいい若い国王に、またまた、ひれ伏した。勅許状が与えられ、街道沿いの宿泊施設の利用や免税といった、さまざまな特権を受けることに、素直に感謝したのだ。
今回の旅で国王が支払ったのは三千万トマン。(下品な)執事・レザン風にいうならば、「娼婦と三千万発やれる」代金だった。英国通過に直せば一万ポンド。紳士層の年収は三百ポンドくらいだから、紳士十年分の収入を一回のビジネスで稼いだことになる。
レザンが執事を引退した後も、僕は、何度かペルシャにゆき、さらにインドにまで脚を延ばした。やがてイギリスに戻り、シャルダン商会を設立。同国に帰化した僕は、一六八一年、イギリス国王から勲爵士の称号を与えられた。冒険商人の別名は、冒険貴族という。冒険貴族とは僕・シャルダンのことだ。
END




