03 みはる 著 チョコレート 『バレンタインの憂鬱』
また憂鬱な日がやってきた。
2月14日。
バレンタインデー。
チョコレートの甘ったるい香りに悩まされる一日。
「本品は本場ヨーロッパ仕込みのショコラティエによる、まさに芸術的とも言える……」
知らねえよ。甘いものは嫌いなんだ。
製菓会社の謀略に悪態をつき続ける一日。
「さあ。少しだけ勇気を出して。スイーツのようにとろけそうな甘い愛の告白を……」
バカらしい。誰が考えたんだ? こんな風習。
方々から浴びせられる嫌味にひたすら耐え凌ぐ一日。
「おい、ちょっと顔がいいからって、調子に乗ってんじゃねーぞこのクソ野郎が」
俺に文句を言う前に、てめえらのみっともない姿を鏡で見て反省したらどうなんだ。
結果、大量の荷物を抱えて乗り込んだタクシーの運転手に迷惑がられて終わる一日。
「お客さん。それ全部あんた宛て? ケッ、見せびらかせてくれちゃって」
うるせえ。料金払ってんだから、もっと愛想良くしろ。
同じことが起こる日でも、誕生日やクリスマスはまだいい。
祝ってもらったり恋人に会ったり、少しは自分も楽しめるから。
だけどバレンタインって、ただひたすらに一方的か、あるいは儀礼的でこっちは何も嬉しくない。
しかも苦手なスイーツ付き。
そのくせ、誕生日やクリスマスと違って、正々堂々と「見返り」を求められる。
それを返す日まで決められている。
ただの押し売りじゃないか。
去年は46個の「押し売り」を引きとらさせられた。
今年はどうなんだろう。1個でも2個でもいい。とにかく減っていてくれ。
俺が欲しいって言った訳じゃない。
勝手に送られてくるんだ。
しかもほとんどが誰だか思い出せない相手。
仕方ないだろ。モテるんだから。
階段を上がり、廊下を進んでいると、いつもの間仕切り戸脇のカウンターに、
すでに山が出来ていた。
「めんどく──」
言い終わらないうちに、後頭部をはたかれた。
「痛っ……」
振り返ると、いつも以上にふて腐れた表情の相棒が立っていた。
「何すんだよ」
「ええから、あのチョコレート何個か持って生安課(生活安全課)に行け」
「何で」
「ゆうべあそこがガサ掛けた現場にシャブ中の女が子供連れてひっくり返ってたらしい。女は病院送り、四歳の子供は児相が迎えに来るのを署で待ってるそうや」
相棒は腹立たしげに溜め息をついた。「腹が減ってるみたいで、さっきから泣き止まんのやて」
耳を澄ますと、少し離れたところからうめき声のような不思議な嗚咽が聞こえた。
「泣いてんのか、あれ」
「ああ。もうちょっとでえらい目に遭うとこやった」
相棒は女の涙を見るとパニックを起こす。そう言う病気なのだ。
「変な泣き方だな」
「……耳が聞こえへんのや」相棒は溜め息をついた。
「……分かった」
カウンターに向かいながら、胸の奥に突き刺さったままのナイフがずぶずぶと肉をえぐるのを感じた。
了




