01 奄美剣星 著 チョコレート 『隻眼の兎の憂鬱』
白いロールスロイスが、道路の端に寄せて停車した。
耳の尖ったタキシードの青年が顎に人差し指をあてた。
魔界執事ザンギスの能力は強大だ。しかし、結果的に、有栖川家の食客であるヒトラーに戦車を贈ってしまった経緯があり、トリックスター的な要素が強い。こういう引っ掻き回し役ではなく、確実に敵を追い詰め、しとめるような片腕が欲しい。魔界王子ダリウスはそう考えた。
彼は、携帯電話を天空にかざす。ボタンを押した。晴れた空が突然曇って雷が鳴った。
――召喚。いでよ、シモーヌ!
現れたのは黒い外套で身をまとった若い紳士であった。長身細面である。車の窓越しから彼は主筋の彼にいった。
「お呼びでございますか、ダリウス殿下?」
「用があるから、呼んだのだ」
黒い貴紳は、片脚を退かせる礼法メイク・ア・レグを自然にこなした。
現在のメキシコシティーは、かつてアステカ帝国の首都だった。皇帝は一日二十杯ものチョコレートを口にしていたという。ミルクやら砂糖は入っていない。どちらかといえばブラック珈琲を飲む感覚だ。
黒い貴紳もそれを好んだ。彼が指を鳴らすと、カップとソーサーが宙から現れた。カップはマイセン窯で焼かれたような染付白磁である。シモーヌは、立ったまま、一口つけて、宙に放るとそれは霧のようになって、消えてしまった。
有栖川家の呼び鈴が鳴らされた。この家の長女ミカは、時空を捻じ曲げて、異空間に迷い込んでしまう特異体質をもっている。
なんて美麗な殿方なのだろう。どことなく優雅で貴族的でさえある。少女は顔を赤くした。シモーヌは、ダリウスにしたようにメイク・ア・レグをしてみせたのであった。すると、長身の少女の肩を、過去からやってきた客が、つかんで後方へ押し返した。娘は、きゃあ、と悲鳴をあげた。
招かれざる客がいった。
「第六天魔王・信長公、私はシモーヌといい、魔界では、黒い貴紳とも呼ばれています。以後、お見知りおきを……」
信長は、南蛮帽を被った伊達な衣装の男だった。なんの躊躇もしない。黄金で装飾された小型火縄銃を相手にむけ、引き金を引く。
だが、シモーヌは、ひらりと、外套をひるがえし、弾道をそらしてしまった。その際、天にむかって、手を上げて、指を鳴らした。
するとどうだろう。また、マイセンのソーサーとカップが現れ、宙空から、チョコレートが注がれたではないか。それを、まだ構えている信長の銃身に、ちょこん、と載っけた。人を喰った奴だ。
黒い貴紳の登場により、有栖川家一門・食客たちの物語は、新たな段階に入ることになる。
隻眼の兎とサーベルタイガーを載せた、サイドカー仕様のKATANAが、同家を訪れたとき、男の姿はなかった。
了




