表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自作小説倶楽部 第6冊/2013年上半期(第31-36集)  作者: 自作小説倶楽部
第31集(2013年1月)/「蛇」&「珈琲」 
12/63

12 レーグル 著  珈琲 『珈琲を一杯』

 その老人はなんでも持っていた。富、名声、権力。仮に持っていないものがあっても、望めばすぐに手に入れることが出来るだろう。それ故に、邪な考えで彼に近づく者も多かった。昔はそういった輩を探しては、出来るだけ自分から遠ざけていたが、年を取った今になっては、そういう関わりすらどこか嬉しかったりする。

 九十を超えた彼の世話を買って出た孫の嫁は、おそらく彼の財産目当てなのだろうが、それを感じさせないほど熱心に世話を焼いてくれる。彼は、まだ自分の頭がしっかりしているからだろうと微笑んでいた。たとえ、偽りや一方的な繋がりでも、あんな人生よりはマシのはずだ、と。

 はて、あんな人生とは、どんな人生だったろうかと訝しんだ彼は、記憶力だけはやはり衰えているようだと結論付けた。そして、少し考えれば思い出すだろうと記憶を掘り返し始めた。

「お爺様。珈琲が入りましたよ」

 ソファで考え事をしていた老人に、若い女性がテーブルから声を掛ける。彼は顔を上げると、ゆっくりと立ち上がり、しっかりとした足取りでテーブルまでの数歩を旅した。


 ピィーという甲高い音に目を覚ました。笛付きのやかんが水の沸騰を知らせる音だ。明日の試験のために勉強をしていたのに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「はいはい」

 自分一人しかいないのに、なぜか返事をしてしまう。それもやかんに。だんだん大きくなる音にすっきりと目が覚め、コンロまで足早に向かった。火を止めて、やっとどうして湯を沸かしていたのか思い出す。眠気覚ましにコーヒーを飲もうと思っていたのだ。棚からマグカップとインスタントコーヒーのビンを取りだして、テーブルに並べる。

「それにしても」

 やけにリアルな夢だった。夢の中の自分は才能溢れる男で一代で莫大な財産を築いた。他人をあまり信用出来ない代わりに、お金も権力も有り余るほど持っていたし、客観的に見れば家族にもかなり恵まれていた。そんな男のほぼ一生を体験したのだ。

「『邯鄲の夢』か」

 あの話は確か粟が炊けるまでの間に人生を体験する話だけど、自分の場合はコーヒーを淹れるお湯を沸かすまでの間の夢か。

「フフフ」

 自然と笑いが漏れてきた。コーヒーを淹れながら、夢の内容を思い出す。おかしいのは『邯鄲の夢』という話を自分が読んだことは無く、夢の中で男が読んでいたことだ。あれもまた夢の中の話なのだろうか。

「人生はそんなものさ」

 助手がドリンクバーから飲み物を持って来ると、二人がけ用の席で待っていた探偵は船を漕いでいた。

「ちょっと」

 助手は慌てて探偵の向かいの席に座り、テーブルをトントンと叩く。

「いや、寝てないぞ」

 探偵が顔を上げる。

「ちょっと夢を見ていただけだ」

「寝てるじゃないですか。ターゲットが動いたらどうするんですか」

 助手が声は小さく、しかし鋭く叱責する。そして、ターゲットの席にちらりと目を向ける。

「どうだ?」

 探偵からは見えないので、助手に状況を確認する。

「大丈夫です。どうやら何か注文したようですね」

「だから、大丈夫だと思って夢を見ていたんだ」

 探偵が偉そうに言う。今回の仕事はある女性からの依頼で夫の浮気調査だ。依頼前に女性が集めた情報を見る限り、浮気は確実だろう。二人は仕事帰りにファミレスに寄った夫を別の席から監視していた。

「そんなに難しくない仕事だ。気楽にやろう」

 探偵は助手に持ってきてもらったアップルティーを見つめる。ティーバッグの紐が伸びるカップからはまだ湯気が立っていた。探偵は猫舌だった。

「難しくない仕事だから、確実にやり遂げないといけないんですよ」

 助手が自分の分のコーヒーに三つ目のコーヒーシュガーを投入する。その手元にはまだ未開封のシュガーが五つもあった。助手は甘党だった。

「コーヒーでも良かったかな」

 探偵は見た夢の影響なのか、ほんの少しコーヒーが飲みたくなっていた。そうだ。もう少しで飲めるというところで目が覚めたのだ。気の利かない助手だ。

「あげませんよ」

「いらないよ。そんな甘そうなの」

 探偵の鼻にコーヒーの香りが届いた。


 ジャックがコーヒーの香りで目を覚ました。

「起こしちゃったかしら」

 テーブルに肘をついたクレアが悪戯っぽく笑いながら言う。。

「いや、良い匂いだ」

 男は少し目をしばたたかせながら答えた。

「あなたの分も淹れるわ」

 クレアが席を立ち、キッチンに向かう。ジャックはその様子を幸せそうな顔で眺めていた。

「どうしたの?」

 男の視線を感じて女が尋ねる。

「いや、ちょっと、夢を見ていたんだ。レストランで向かい合わせに座った相手が自分のコーヒーに砂糖をたくさん入れるんだ。僕はアップルティーを頼んだんだけど、その時になってコーヒーが飲みたくなるんだよ。それで、なんでコーヒーを頼まなかったのかって考えたら、相手と同じ物を頼むのが嫌だったからっていう子どもみたいな理由なんだ。おかしいだろ?」

 クレアが眉をひそめる。

「それで、向かいの席にはどんな女が座ってたの?」

 ジャックが少し寝ぐせがついてしまった髪を撫でつけながら驚いた。

「どうして女だって分かったんだい?」

「カンよ」

 クレアが短く答え、男を睨む。

「まいったな。でも、勘違いしないでくれよ。夢の中の僕は僕じゃ無かったんだ。違う人間だったんだよ。生まれも育ちも考え方も、何もかも違う別人だったんだ。そんな別人が他の女と一緒にレストランに行っても関係無いし、それに、ただの夢の話だろ」

 冒険家が目を閉じて十数秒後、息を整えた考古学者が声を掛けた。

「どうしたの?」

 さっきまで走り回っていたので、やっと一息つける状況になったのは嬉しいが、まだまだ油断は出来ない。

「いや、もし僕が冒険家じゃなくて、君も考古学者なんかじゃなかったらどうなってたかなって思ってたんだ。つまらないことで喧嘩したりもするけど、なんだかんだで上手くやっていくんじゃないかってね」

 冒険家が目を閉じたまま答えた。

「もしあなたが冒険家じゃなくて、私が考古学者じゃ無なかったら、あなたと私はニューヨークとロンドンで出会うことも無かったでしょうね。そして、こんなところでミイラの群れに襲われることも無かった」

「それもそうだ」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「ちょっと休憩しましょう」

「賛成だ」

 考古学者がリュックから水筒とコップを二つ取り出し、コーヒーを注ぐ。

「コーヒー?イギリス人なのに?」

「イギリス人がコーヒーを飲んだらおかしい?」

 考古学者が冒険家にコップを手渡す。

「いや全然」

 冒険家はまだ湯気が立っているコーヒーを冷まそうと息を吹きかける。

「サンドイッチもあるわよ」

 考古学者がリュックから潰れたパンを取り出す。

「サンドイッチは大好きさ。ハムが挟んであるからね」

 冒険家はパンを受け取って微妙な笑顔を見せた。

「ミイラが、襲ってくる」

 ミイラやゾンビの文献を調べているうちに眠ってしまったらしい。自分の声で目を覚ますとリビングのソファに窮屈に横になっていることに気が付いた。身体を起こす。無理な体勢で寝たから体中が痛い。

 十日前、村の北の洞窟の『異形』についての調査を村長から依頼された。おれは魔法学院を卒業した後、実家のあるこの村に戻って来て在宅の仕事を始めたのだが、なぜか周りの人たちには家でだらだら過ごしていると思われていて、何かトラブルがあるとおれに話が来る。村長さんはおれの仕事を理解していて、正式な依頼にしてくれるのだが、そのせいで村の人にはますます理解されなくなっている気がする。

 目撃された異形は半月ほど前に隣村で死んだはずの男にそっくりだったそうだ。現場を調査した時に洞窟の近くで動かなくなったその男の死体を見つけてから、おれは死者を蘇生させる魔法について調べ始めた。男の死体は報せを受けた警備隊が元の場所に戻した。

 死者蘇生について集めた資料はミイラやゾンビが主で、中には完全に創作の小説も混ざっている。ここ数日はそれらの資料を読み漁る日々だったため、なんだかおかしな夢を見てしまった。墓を暴くと魔法が発動してミイラが襲ってくるなんていうのは今回の事件には関係無さそうな話だ。

「コーヒー淹れましたよ」

 そう言って、お盆にカップを二つ載せ、台所からリビングに入って来たのは年の離れた姉の娘、つまりおれの姪だ。姉夫婦は優秀な傭兵で、たまに長期の仕事で家を空けるので、その間、姪をおれに預けていく。と言っても、もう姪もそれなりの年齢なので特におれが何かすることはない。それどころか、積極的に家事をこなしてくれるのでむしろ助かっているぐらいだ。今、仕事に専念出来るのは彼女のおかげだ。

「ああ、ありがとう」

 おれは指を鳴らし、床に散らばった資料を浮かせ、一まとめにした。

「いつ見てもすごいなあ」

 姪がきらきらした目でおれの魔法を見つめる。おれは調子に乗って、テーブルの上も魔法で片づけ、さらに彼女の持っているお盆から二つのカップを浮かせ、テーブルの空いたスペースに置いた。おれが得意な顔をすると、姪がふふふと笑う。

「さあ、飲もうか」

 そこで急に手が上から伸びてきて、教科書に隠していた小説を取り上げた。

「『辺境ドラゴンのコーヒーサイフォン』か。なかなか良いセンスだな」

 河西先生が取り上げた本のタイトルを読み上げる。

「これが私の授業より面白いのは認めるが、君の成績で私の授業を聞かないのは認められないな。没収」

 周りの生徒たちが笑う。僕は恥ずかしさと悔しさで俯いた。

「放課後、職員室まで来るように」

 河西先生がそう言いながら教卓の方に戻るのを黙って眺めているしかなかった。

 その後は大人しく真面目に授業を受け、放課後、本を返してもらいに行った。

 職員室に入って声を掛けると、先生はコーヒーを片手に振り向いた。

「すみませんでした」

 とりあえず謝る。

「次からは見つからないように」

 もっと怒られるかと思ったが、拍子抜けするほど簡単に本を返してくれた。

「それは先生も、君ぐらいの年の時に読んだことがある。面白い本だ」

「そうですか」

 自分が面白いと思ったから「良いセンス」って言ったのか。それはどうなんだろう。

 その男は何も持っていなかった。男が生まれてすぐ両親が事故で死に、頼れる親戚も無く施設に入れられた。男は五体満足だが健康というわけではなく、勉強やスポーツで特に何か得意ということも無かった。顔も良いわけではなければ、話術があるわけでもない。学校を卒業した後、なんとか小さな会社に入って、二十年以上特に何か大きな成功や失敗をすることも無く働いている。恋人はおらず、また、今まで恋人がいたことも無い。

 中年と呼ばれるようになった今になって、自分はどうして生きているのだろうかと漠然と考えるようになっていた。趣味も特技も無い。なんとなく入った生命保険も、受け取る相手がいない。男は本当に何も持っていなかった。

 男は最近普通の人生というものをよく妄想している。学校でたまにずるをして教師に怒られたり、反発してみたりする、そんな普通の学生。だが、今更、そんなことを考えても仕方がないのだ。

 そして、彼は決めた。これから意味のない人生を無駄に消費するよりも、今しか出来ないことをしようと。計画は何年も考えたものだ。失敗は許されない。

 まず、男は手袋をしてタンスをあけ乱暴に中の服を床に投げ捨てた。そして、机の引き出しや台所の棚も同じように中の物を掴み出す。ベッドのマットレスを強引にひっくり返し、絨毯も剥がす。思っていたよりも重労働だったようで、男は軽く汗をかいた額の汗を腕で拭った。狭い部屋を見渡すと、誰かに荒らされたように見える。

 少し休憩しようと男は台所に行き、珈琲を淹れる。だが、これも計画の一つだ。出来るだけ自然な日常を演じる必要がある。男は少し寂しそうに自分の部屋を見渡したが、意を決して冷凍庫の扉を開ける。そこには大きな長方形の氷が入っていた。前もって固めたのだろうが、その氷の上面には包丁が柄の方から真っ直ぐに突き刺さっている。

 男はしばらくその氷を見つめていた。これを床に置いて椅子などから背中向きに落ちれば、まるで誰かに後ろから包丁で刺されたような状態になる。男には訪ねて来るような人間もいないので、誰かが異変に気が付いたころには氷は解けて消えていて、仕掛けは残らないはずだ。通帳や財布などの金目の物は数日前にゴミに捨てたので物盗りの犯行に見えるだろう。まさに、計画は万全だ。

 男は人生最後の珈琲を口に運んだ。


 椅子に座ったところで、老人は長い夢から覚めたような気分になって驚いた。先ほどまで座っていたソファからテーブルまで、ほんの数歩の距離なのに、まるでどこか別の場所で別の誰かになって何十年も、あるいはもっと長い年月を過ごしたかのような気がした。

「お爺様。どうかしたんですか?」

 彼に珈琲を淹れてくれた若い女性が不思議そうな顔で尋ねる。どうしたかというのは老人自身が一番知りたいことだろう。目の前の珈琲をまるで何十年も待っていたような気がするというのは、言葉では説明し難い感覚だ。

 老人は少し時間を遡って考えようと、さっきまで何をしていたのか思い出そうとした。たしか、何も無い男の人生について考えていたのだ。自分とは正反対の男、何も持っていない男のことを。

 老人はなんでも持っていた。富、名声、権力。仮に持っていないものがあっても、望めばすぐに手に入れることが出来るだろう。それ故の悩みもあったが、何も持っていない男について考え始めてからは、その悩みも少し変った。

 何も持っていない男は常に自分が死ぬことばかり考えていた。出来るだけ他人に迷惑を掛けずに死ぬ方法についてだ。そして、最後には他殺に見えるような方法で自殺し、生命保険を含めた遺産を自分の育った施設に送った。あまりにも惨めだと老人は思った。

 それに比べたら、たとえ見せかけでも家族としての情のある自分の生活はマシだろう。

「いや、孫は良い女性と結婚したなと思ってな」

「あら、珍しい」

 女性が頬を緩ませる。老人は熱い珈琲に口をつけた。

 そして、私は珈琲の最後の一口を飲み干した。

     了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ