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自作小説倶楽部 第6冊/2013年上半期(第31-36集)  作者: 自作小説倶楽部
第31集(2013年1月)/「蛇」&「珈琲」 
11/63

11 まゆ 著  珈琲 『おいしい珈琲の入れ方』

「おーい、コーヒーを持ってきてくれ」

 主人の声がする。

 わたしは、返事を返して冷凍庫から氷を取り出す。

 純水で作られた透明な氷だ。

 コーヒーをグラスに注ぎ、お盆に乗せ、氷の音を響かせながら、彼の書斎へ向かった。

 彼は、少し売れっ子の小説家。

 机に向かった彼は、頭を抱えながら原稿用紙とにらめっこをしている。

「おまちどうさま」

 わたしの声に彼は振り返り目を輝かせた。

「待っていました! 明美の入れてくれるアイスコーヒー! こいつが俺の活力源さ!」

 彼はグラスを取ると、ストローから一気に吸った。

 コーヒーはみるみる減り、一息で大きめのグラスの半分になった。

 彼は、うはって息をつくと、満足げに笑い叫んだ。

「おおおおっ! ストーリーがつながったぞ! そっか、真紀子と直樹は夫婦だったんだよな!」

 意味不明のことを言いながら、原稿用紙に何やら殴り書き始めた。

 彼の創作スタイルは、はじめに何やら原稿用紙に殴り書く。

 それをパソコンに打ち込んでいくのだ。

「そんな二度手間、やめたら?」と尋ねたこともあったけど、原稿用紙に書くという行為を省くことはできないのだそうだ。

 わたしも手伝いたくて、パソコンに打ち込む作業を買って出たことがあったのだが、原稿用紙の上の字なのか絵なのか模様なのか分からないものを読み取ることが出来ずあきらめてしまった。

 でも、今では、彼の注文に応じて、コーヒーを持って行くことが、わたしが出来る一番のお手伝いだとわたしも彼も思っている。

 それは、出会った頃から、変わらない彼とわたしの不文律なのだ。

「あの、あなた」

 わたしは彼が振り返るのを待って、「がんばってね」と言って笑顔をサービスした。 わたしたちが出会ったのは、大きなスーパーマーケットにテナントとして入っていたファミリーレストランでわたしがウエイトレスをしていたときだった。

 お昼が過ぎて、お客がほとんどいない時間態に彼が入ってきた。

 肩を落としてうつむく男が、一番はじの薄暗い席に腰を下ろした。

 注文を取りに彼に近づくときに、まるで雨の中に捨てられた段ボールの中の子猫みたいだと思った。

 わたしが注文を聞くと、彼は低い小さな声で「コーヒー」と言った。

 アイスですか? ホットですか? と聞くと、じゃあアイスで、と言った。

 彼は、テーブルの上に原稿用紙を置き、頭を抱えていた。

 わたしが文をつたえると、マスターは慣れた手つきでアイスコーヒーを入れた。

 彼のテーブルへグラスを置く。

「ご注文は、これでよろしいでしょうか」

 彼は、わたしを見上げた。

 彼があまりにも惨めでかわいそうに見えたので、笑顔をサービスしてあげた。

「は、はあ、これでいいです……」

 彼は、すぐに目を伏せると、原稿用紙に向かってぶつぶつ言い始めた。

 わたしが戻ろうとすると、「あああああっ」と彼の叫び声が響いた。

「こ、このコーヒー! う、うまいっ!」

 店の中の人たちの視線に気がついた彼は、「すみません、すみません、すみません」と、三回別方向へ頭を下げて座り込んだと思うと、猛然と原稿用紙に何やら書き殴り始めた。

 そんなことがあってから、彼はよく訪れるようになった。

 そして、アイスコーヒーを注文して、それを飲みながら原稿用紙に何やら書いている。

 店は喫茶店ではなくファミリーレストランなので、普通ならアイスコーヒー一杯で粘られるのは困るのだが、彼は昼食や夕食などで店が混み合う時間帯には姿を消した。

 ちゃんと店に対する気配りが出来る人なんだとわたしは感心していたし、マスターもコーヒーの味でも褒めてもらえれば悪い気はしないらしかった。

 結婚してから、彼に聞いたことだが、気を遣っていたわけではなく、大勢の人がくると気が散るから出て行っただけだそうだ。

 そんなことがつづいて、わたしたちは、店に他のお客がいない時など、世間話をする仲になっていた。

 ある日、見たことも無いような慢心の笑顔をした彼が店に入ってきた。

「やりましたっ! やりましたよっ!」

「何をっ?落ち着いてください」

「直金賞を受賞したのです! 三作目での受賞です! これからベストセラーをバンバン書きますよ!」

「よかったですねっ」

 わたしも飛び上がるほどうれしかった。

「そ、それで……お願いがあるのですが」

「はあ、なんでしょうか?」

「それには、君が入れるアイスコーヒーが、是非、必要なのです。ぼくと結婚してください!」

 アイスコーヒーを入れているのはマスターなのですが、わたしは毎日、何回もそれを見ているので同じものを作れる自信があったので、「はい」と返事をした。

「やったーっ」

 彼は私を抱きかかえた。

 マスターは目を細めパンパンパンと大きな音で拍手をした。 彼と結婚したわたしはコーヒーを運び続けている。

「おーい、明美~っ! あと一息だ! コーヒー持ってきてくれっ」

「はーい」

 彼の一息コール。

 最後の仕上げ。

 あの声音は、かなりいけている。

 アイスコーヒー一杯で、ベストセラーが生まれる予感がした。

 わたしは、冷凍庫から、純水で出来た透明な氷をグラスに入れる。

 冷蔵庫の扉を開けて、大手スーパーのマークが入った百六十八円の紙パックを取り出す。

 口を開け、アイスコーヒーをグラスに注ぎ入れる。

 缶詰に開いた口から練乳を注ぎ入れ、ストローを差して、かるく回す。

 グラスをお盆にのせると、軽い氷の音を響かせながら、彼の書斎に向かった。

     《おわり》

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