01 奄美剣星 著 蛇 『隻眼の兎の憂鬱』
正月は小春日和だった。駐車場、ラウンジ、係留場といった施設があるヨットハーバー。その横に、サンシャイン・ビーチがある。絶壁に囲まれた三日月型の小さな砂浜で、よく手入れがされた砂浜だ。後背の山の上にあるいくつかのホテルが共同で整備している。冬の海は、雲った日は鉛色なのだが、晴れた日はエメラルド色になる。
砂浜を踏んで歩くと、きゅきゅ、と奇妙な音がし、楽しい。ビロードのマントを羽織った南蛮帽子を被った男二人が、砂地に着くと、馬をゆっくり歩かせた。騎乗の武者は、すらりとした背の高い初老の男と、やや小さい体躯をした青年だ。織田信長と森蘭丸の主従だ。
行く先に、黙々と、砂の彫像を作っている男が二人いた。シャツに半ズボン姿の画伯・山下清と、軍服のようなスーツに棒ネクタイ姿の元独裁者・ヒトラーの二人だ。
「何をつくっているのだ?」信長が訊いた。
「みて判らんのかね? タイガー戦車だ」ヒトラーが誇らしげに訊いた。
「センシャ?」信長が訊き返した。
「車輪をつけた装甲軍艦のようなものだ。わが軍ドイツ帝国軍の戦車戦術は世界一だ」
「なぜ敗けた?」信長は素朴な、ぎもん、という顔だ。
「物量だ」チョビ髭の独裁者は絶句した。全身が痙攣している。十秒ほど経った。画伯とつくっていた砂の彫像に、勢い、鉄拳をくらわせる。
「ななな、なんてことをするんだな。ヒトラー君は乱暴者だな」山下清が叫んだ。
途端、砂の戦車が、どさっ、と崩れて、元独裁者が生き埋めになった。信長と蘭丸が馬から飛び降りて、砂を掻きだし、どうにか遭難者を救助した。ちょび髭の総統は砂が口に入ったのか咳き込んでいる。
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蛇紋岩という石がある。深い緑色をしたガラス質の石であるため、磨けば、光沢をもち、おびただしい数の蛇のような縞状の紋様が浮き上がるのでそう呼ばれる。縄文時代では磨製石斧やペンダントなど装飾品を造った。蛇紋岩は蛇の名を冠している。古代シューメールから伝わる世界最古の物語で不死を求めるギルガメシュから不死聖水を盗んで飲んだり、旧約聖書でいうところのイブをそそのかして余計なことを吹き込んだ蛇。そういう邪悪なイメージがある魔石だ。
ビーチサイドのアスファルト道路に、一台のリムージンが停まった。耳の尖った白いスーツを着た青年である。いわずと知れた魔界王子ダリウスだ。
「信長に、ヒットラーめ、わが使い魔にしようと思っていたものを裏切りおって……。ついでの絵師・山下にペット・蘭丸。今日は面白い小道具を持ってきた」白い歯をみせた魔界王子は蛇紋岩のペンダントを宙に放った。
いでよ、魔界執事エル・エガ・ザンギス!
コブラのように起こした上半身が老人で、下半身が大蛇のようになっている。全長六、七メートルはあろう。身長三メートルはほどあろうか。それが、ヒトラーが埋まった砂の中から噴出するように、現れ、片手をあげてペンダントを受け取った。
ワハハハハ……。
魔界執事の上半身は片眼鏡をつけている。シルクハットを被り、広い肩に黒マントを羽織っている。中はタキシードだ。豪快に笑った。召喚した魔界王子も白い歯をのぞかせている。
馬に飛び乗った蘭丸が構えた火縄銃に火をつけた。砂から救出されたばかりのヒトラーはまだのたうちまわって咳き込んでいる。山下清はなにゆえだか魔界執事のスケッチを始めた。信長はというと、腰にぶら下げたティーポットの栓を開いた。中には朝に注いだ抹茶が入っている。どろどろとした緑色はまるで蛇紋岩の色のようだった。
いまにも襲い掛かろうと、砂塵をあげて迫ってきた魔界執事は信長の前で、ぴたりと立ち止まった。砂煙が横に流れてゆく。海を背にした信長は下馬して手綱をとり、片手にもったティーポットを掲げていた。まあ、一服飲め、といわんばかりだ。半人半蛇の武人は、受け取って、ぐい、と飲んだ。
いける。感動したあ!
山下画伯とヒトラーがつくっていた、崩れた砂の彫象が、動画を逆転させたように崩れた所から元の形に復元されてゆき、タイガー戦車となり、砂浜を動き回りだしたではないか。戦車砲塔がぐるぐる回転し、砲筒から火が噴いて弾丸が発車される。それが白いリムージンを貫通した。
「ザンギス、お、おまえまで、私を裏切って、『あっち』につくというのか?」
半蛇の紳士は、飲み干したポットを信長に手渡し返すと、砂塵を巻き上げ、魔界王子のところに戻ってくる。目の前で止った。後方のリムージンは火を噴いていて逃げようにも逃げられない。
はぁひいいい。
魔界執事は、そこで白いタキシードの青年を抱き上げた。
「坊ちゃんを抱っこするのは三百年ぶり。ついさっきの出来事のようだ」そういって、また高笑いしだす。砂塵が平面円形の壁のように直立して舞い上がる。その際、信長を振り向いた。二人の視線が重なる。火花が散っているようだ。そして魔界の王子と執事は地中に消えていったのだった。
信長が馬に乗った。火縄銃を構えていた蘭丸が火を消した。
「上様、魔界執事ザンギスとやらは、なぜ襲うのをやめたのでしょう?」
「あれは挨拶だ。宣戦布告の口上を述べにきたようなものだ」
信長は空になったティーポットを腰に収めた。
さて、尖がり屋根の洋風二階建てをした有栖川邸である。芝生の庭には、馬匹二頭にタイガー戦車一両が加わった。ときたま、お茶をのみにくるサイドカー仕様のKATANAが加わる。時空警察の隻眼の兎とサーベルタイガーだ。
「すんげえ、生戦車、すんげえ」中学生の剛志が叫んでいる。
「じゃあ、皆さん、笑って。はい、チーズ」口髭のパパがいった。
「私、両手にヒトちゃんと信長さんしちゃうもんね」エプロンのママが笑った。
「変。うちの家族って、絶対変。ここまでシュールな展開なら、ふつう、動じるってもんでしょ!」そういう女子高生のミカは、どさくさに紛れ、ちゃっかりと、蘭丸の二の腕にしがみついて頬を寄せているではないか。蘭丸は照れているような困ったような顔をしている。
画伯は、パパが撮影している横で、無心にスケッチをしていた。隻眼の兎とサーベルタイガーはポーズをとっていた。青空だ。
了