1-8
ある少女が夜の学校へと辿り着いた。その目は不安と決意がせめぎ合い、揺れ動いている。
「仁くん……」
風がざわざわと木々を揺らし、少女を驚かせる。
彼女は怖かった。変わってしまった幼馴染にこんな時間に会うのが怖かった。彼は少し単純で、お人よしな優しい人だと自分は思っていた。しかし、最近の彼は違う。幼馴染である私たちを避けて、たまに会っても余所余所しい。
(あと昨日……あんな仁くん、初めて見た……)
昨日、彼が見せた姿はまるで”化け物”、”鬼”と言われるような得体の知れないものだった。言葉では「行くよ」などと言ったがあの時の彼の目を思い出すと体が震えてしまう。
「アタシが、悪いのかな……」
(あの子、確か生徒会長をやっている……そう、夏瀬さんだ)
彼女は泣きながら言っていた。
『橘さん、あなたは炎燈寺くんの気持ちを”本気で”考えたことがあるかしら? 小学校中学校高校と、10年以上一緒にいて彼の心に向かい合ったことはあるのかしら?』
確かに自分は彼のことなど考えていなかったような気がする。自分の頭の中には常に好きな人のことしか無かった。彼のことを蔑ろにしていたというのは本当だ。
「アタシが悪いんだ……仁くんがあんなになっちゃったのも、変な手紙を書いちゃったのも全部、全部……!」
涙が零れる。しかしその時――
「――そんなことはありませんよ、橘さん。炎燈寺さんの豹変は彼自身の問題だと思いますから」
美衣が振り返るとそこには巫女装束に着替えた巴が立っていた。その朱と白の色は夜の闇の中でも目を見張るほどに映えていた。巴は美衣を安心させるように柔らかい笑みを浮かべているが、肩に預けた刀と相まってどこか恐ろしい、作ったような笑顔という印象を受ける。
「そうそう、あの筋肉ダルマがぜーっんぶ悪いの! だから美衣! アンタはアタシのライバルなんだからそんな顔をするなっ」
巴だけじゃない。よく見るとアリシアもいる。彼女はそのツインテールはアリシア自身の感情を表す尻尾のように揺らしている。
「えっ!? 何で二人が……」
美衣が驚くのも無理はない。彼女は確かに仁についてのことは彼女たちに話していたが、今回の会合は「仁くんと二人きりで話したい」と、来ないように釘を刺しておいたのだ。それなのに、この場に巴とアリシアがいるという状況が信じられないでいる。
「――橘だけで炎燈寺に会わせる訳にはいかない、と藤堂に言われてだ。橘」
さらに長宗我部が暗がりから現れた。そして、その彼の影に隠れるように……司が立っていた。司は自分の姿を闇に溶け込ますように佇んでいた。
「俺自身、炎燈寺は根は良い奴だと思う。だが、今はそうじゃない。アイツは確かに”化け物”だ。薄皮一枚、それでアイツは人と”化け物”を行き来しているような気がしてならない。そんな危ない奴に夜中に二人きりで会おうとする橘を止めるのは友人としては当然の責務だと思うが?」
「そ、そんな……。仁くんは仁くんだもん! 司くんも何か言ってよっ!?」
長宗我部の、”幼馴染”を化け物扱いする言葉に美衣は声を荒げて、同じ”幼馴染”である司に助け舟を求める。
「……仮に」
ボソリ、と司が話し始める。
「仮に、仁が”化け物”で無かったとしても、俺は美衣がアイツと会うのを止める。今みたいに仲違いになってなくても止める。悪いが、これは譲れない」
その言葉に美衣は言葉を呑む。司がこれまで強い意思を秘めていることに驚いたのだ。普段の彼はいつも眠そうにしており、やる気の欠片も感じられない。それがどうだ。今、ここでこうしている彼は、動機はどうあれ、力に満ち満ちている。そう、司は”仁”という存在の影響を受けて今のような状態になっているのだ。
(そういえば、司くんがやる気を出すのっていつも……)
美衣がとある事実にたどり着きそうになったが、アリシアの怒声がそれを遮ってしまった。アリシアはズカズカと足を踏み鳴らして美衣の目の前まで来ると、彼女の鼻面に人差し指を押し付け、
「そもそもねぇ美衣っ! あんな男に会いにいくなんてアンタ頭おかしいんじゃないの!? 人が良すぎるってのは回りまわって唯の悪徳なのっ!! 美衣にも、アタシたちにも、あの筋肉ダルマにも良い事なんて一つないの、何でアンタはそれが分からないのっ!?」
一呼吸でそれだけ言うと肩で息を吸い始めた。アリシアの瞳には涙がうっすらと滲んでいた。巴がアリシアを落ち着かせようと肩に手を乗せ、ハンカチを差し出すが、彼女は制服の袖でゴシゴシと目を擦った。
「分かった!? ここであの馬鹿にハッキリと言ってやったほうがアイツの為なの」
目元が真っ赤になったアリシアから目線を逸らした美衣は巴、長宗我部、司と目線を移し、そして――無機質なあまり、冷たく見える校舎の屋上を見上げた。
(あの時の仁くん、この世界から消えちゃいそうだった……)
美衣の脳裏には、司に殴られたときの仁の姿が鮮明に映し出された。フェンスに身を預けた仁の虚ろを湛えた瞳を思い出した美衣は胸を締め付けられるような痛みを感じた。
あれ程暗い目をした仁を美衣は今まで知らなかった。いや、知ってはいたが無視し続けていた。小学生の頃、徒競走で負けたときも。中学生の頃、自分が除け者にされていたことを知ったときも。高校生の頃、二人が楽しそうに並んで歩くのを後ろから歩いていたときも。程度の差こそあれ、仁は暗い目をしていた。美衣はそれに気付きながらも自分の歓びを優先した。見て見ぬ振りをし続けた。
当然、それは当然だ。当たり前のことなのだ。人が自分の歓びを優先することなど。――しかし美衣はある言葉を思い出した。
『無いでしょう!? あなたたちは彼のことなどこれっぽちもッ! 炎燈寺くんの優しさに凭れかかって楽をしていただけ!』
(夏瀬さんの言う通りだったのかも……。アタシたちは”幼馴染”なんて都合の良い言葉で、楽して、ズルして……。仁くんは小さい頃から、ずっと……)
藤堂司、橘美衣、炎燈寺仁、三人の”幼馴染”の共通の思い出。それは幼稚園に通い始める頃まで遡ることが出来る。三人は同じ年に生まれ、同じ幼稚園に通った。最初は仁と司が友人となった。それも当然だ、家が隣同士、通う幼稚園も同じ、親たちも付き合いがあり、仲良くなるのは必然であったと言える。何より――男の子同士であったことが大きかった。仁と司が二人で庭で遊んでいるときに、その光景を羨ましそうに見つめる女の子がいた。それが、美衣だ。当時の美衣は今と変わらず、優しいながらも内気な女の子だった。その視線に気付いた司は、
「ねぇ、いっしょにあそぼう?」
誘った。途端、少女の顔が喜びで輝き始めた。しかし幼かった仁は露骨に嫌そうな顔で、
「ちぇっ、おんなとあそぶのかよっ」
そう言った瞬間、先ほどまでの嬉しそうな輝きは霧散してしまった。美衣はそのまましゃくりを上げて泣き始めてしまった。少女が涙を見た仁はやっとその時、己の過ちに気付いた。しかし、時は既に遅し、いくら司が宥めても美衣は泣くのをやめず、ついには大声を出して泣くにまでなってしまった。その様子に驚いた仁はどうすることも出来ず、立ち尽くしてしまった。
そこにその泣き声を聞きつけた大人たちがやってきた。泣く美衣、それを宥める司、そしてオロオロする仁。大人たちは苦労して事情を聞きだすと、仁の両親はその場で仁に拳骨を食らわした。仁は涙こそ浮かべたが泣き出すことはなく、ぎゅっと自分の半ズボンを握り締めた。美衣の両親は笑いながら、仁の心情を察し、彼に目線を合わせて言った。
「仁くん、仁くんは強いね。お父さんに拳骨をもらっても泣かないんだから。でもね、うちの美衣は臆病で、泣き虫で、弱いんだ。出来れば仁くん、美衣と友だちになってあの子を護ってあげてくれないかい?」
その提案に頷いた仁は照れ隠しと情けなさが相まって頬を赤く染めて、未だにぐずっている美衣の前まで行き、怯える目を向ける彼女に小指を差し出した。
「……ゆびきり。さっきはごめんなさい。もう、なかせたりしない」
「…………」
まだ怯える美衣に仁は、一人前に吼えた。
「みいちゃん、なかせるやつはおれがたおしてやる。みかただ!」
味方、という言葉に美衣はついに仁と小指をからめ、
「ゆーびきーりげーんまーん」
「うーそついたーら」
「はーりせーんぼーん
「のーまーす」
「「ゆーびきったー!!」」
この後、仁は自宅に帰ってから更にこっぴどく叱られた。女の子を泣かすとは何事か、男らしくあれ、優しくあれ、と。その言葉一つ一つを、仁は胸に刻み込み、顔を真っ赤にする父親に頭を下げて頼んだ。
「とうさん、おれにかくとうぎをおしえて!」
父親はその言葉に目を丸くしたが、その後ひとしきり馬鹿笑いをした後、仁の両肩をゴツゴツした大きな手のひらで包み、仁の目をいやに厳しい目で見つめながら言った。
「良いか、仁。武術ってのはとにかく辛くて痛い。俺は正直、仁にまでそんな事をさせる気は無かった。血は出るし、骨は折れるし、熱で夜も眠れなくなるかもしれないぞ? それでも、やるのか?」
仁は震えながら頷いた。
「それはあの女の子、美衣ちゃんのためか?」
仁はきっぱりと首を横に振った。
「ほう、じゃあどうして?」
仁は父親の目を見据え、言った。
「おれが、おれにまけないように。おれが、みいちゃんをなかさないように」
その言葉を聞いた父親はまた目を丸くし、さっきよりも大きな声で笑い、畳の上を転げ回った。
「あぁ、任せろ! 仁に俺の、家族の次に大切な、とっておきの”虎の子”をくれてやる!!」
父親の顔はとても嬉しそうなものだった。
「……うん?」
どうやら屋上で少し眠ってしまったらしい。フェンスに寄りかかっているうちにウトウトしていたらしく、上着がよれてしまっている。慌てて時計を見るとまだ8時前、携帯に何も連絡が入っていないところを見るとまだ美衣ちゃんは来ていないらしい。
「しかし、俺も神経が図太いぜ。それに、まさかあんな昔のことを夢で見るなんて」
俺も忘れていた記憶が夢の中で鮮明と映し出されていた。思えばあの時の親父の言葉が今の俺を形作っているような気がする。
(自分でも忘れてたようなことだから、な。意外に深層心理にまで食い込んでいるのかもな)
そう考えてみると、美衣ちゃんの出現が自分という存在を今のようなモノへ変えてしまったきっかけだと言う事になる。もし、自分が美衣ちゃんに会わなかったら、俺はただの凡庸な青年になっていたのだろうか。
「……それも、良かったかもな」
普通に学び、普通に遊び、普通に恋をして。人並みの喜びを噛み締めて生きていく。とても幸せなことだと思う。羨ましい、正直言って憧れる。しかし――
「――そんな風には生きられなかった。普通になんて生きられなかった。俺に流れる血が、ここで疼く何かが、そんなものを一切合切許しちゃくれなかった」
何よりも、だ。司という存在が目の前に立ち塞がっている限り、俺はずっとこうだろう。俺が司を打ち負かすその日まで、俺は変わることはないだろう。
「ははっ、まるで俺が変わりたいから司を倒す、みたいな話だな。……っと」
携帯がポケットの中で震えたので取り出すと、ディスプレイには『煙崎晃』という言葉が踊っている。俺は通話のボタンを押し、耳を澄ますと、何処か自信に溢れた晃の声が聞こえてきた。
『――こちら煙崎晃、竈門清十郎。対象を捕捉。これから接触し、行動する。どうか仁、君は僕たちの健闘を祈っていてくれ。それだけで、良い』
それだけ言うと晃は通話を切ってしまった。俺は夏瀬くんに晃からの連絡をそのまま伝えると、また携帯を仕舞って空を見上げた。
月は、夜空にぽっかりと開いた穴のように見える。きっとその穴からは、夜の世界なんかを好んで見る、とんでもなく性格がひねくれた神様がほくそ笑みながら世界を見下しているのだろう。その意地の悪い神様が大切な友人たちを弄ばないように、俺は月を睨みつけて言った。
「人の能力なんか平等じゃなくていい。だが、チャンスは平等に与えるべきだぜ、神様。そうでもしないと世界はドンドン腐っていくぜ?」
きっとこの言葉は、俺自身の望みだったのだろう。俺はフェンスに寄りかかって目を瞑ると、皆の健闘を形容しがたい、どこか曖昧な”神”というモノに祈り始めた。
晃と清十郎が睨む先、廊下を歩く者たちがいた。一番先頭を歩くのはアリシア、その次に長宗我部、巴と続き、最後に司と美衣と言った具合だ。アリシアは怒りを面に出しているが、他の者たちは無表情に近い。その中でも、美衣の顔色は真っ青で、今から親に叱られるのを怯えて待っている子供のようだった。
(嫌だって言ったのに……。一人で行くって言ったのに……)
美衣は自分の”我の弱さ”を嘆いていた。校舎の前でみんなに見つかったとき、振り切って行ってしまえば良かったのに、はっきりと「来ないで」と言えば良かったのに、と。そんな己を責める思考が彼女の頭の中でグルグルと繰り返されていた。
しかし、あの状態で自分がどんな行動を取っていてもこの状況は覆らなかっただろうと美衣は思う。そしてそんな風に諦めてしまう自分にさらに”自己嫌悪”という重しが圧し掛かった。
そんな美衣の心情を知ってか知らずか、司がぼそりと呟いた。
「……こいつらを最初に誘ったのは俺だ。皆は悪くない。恨むなら俺を恨んでくれ」
恨むだなんてそんな事は出来ないよ、という言葉を心の中で美衣は呟いた。当然、アリシアなり巴なり、彼女たちの行動は自分の身を案じてのものだ。感謝こそすれ恨みなどするわけが無い。しかし美衣はそれでも納得出来なかった。
「アタシは、仁くんと、二人きりで会うって約束したんだもん……」
「――そうだね。僕らもそう聞いている」
その言葉に反応したのは、司や長宗我部、ましてやアリシアでも巴でもなかった。闇に紛れて立っていた晃だった。彼はアリシアの面前、妖しく光る三つ目のセンサー越しに司たちを睨みつけている。
「結局、ぞろぞろやって来たね。まぁ、そんな気もしていたし、別段驚くことでもないが。しかし、それでも約束が守られないっていうのは厭なものだね。こう、腸が煮えくり返るって言うのかな? 割と最低な気分だ」
それは、全くもって怒りに染められた言葉だった。これは挑発だ。晃自身もその意味合いを多分に含んでいるし、長宗我部や巴も理解できた。しかし、あっさりとアリシアは食い付いた。
「アンタこそ何その格好!? いい歳した人間がするものじゃないわよ!! これが”オタク”って奴? やっぱり屑の周りには屑が集まるのかしらね? ウザいから退きなさいよっ!!」
「言い過ぎだぞ、アリシアっ」
長宗我部がアリシアの肩に手を掛け、落ち着かせようとするが、彼女はその手を振り払った。黒装束の晃を指差して声を大にして、言った。
「落ちこぼれ同士が寄り集まってお互いに傷の舐め合いだなんて馬鹿じゃないの!?」
「それは貴様らだろう、偽善者……! そんな貴様らが正義の味方みたいな顔をしてるのは反吐が出るんだよッ」
普段の晃らしからぬ声だった。彼は”落ちこぼれ”という言葉に過剰に反応していた。晃は咄嗟に自分を指差していたアリシアの手首を握り締めた。
「あ……っ!?」
「仁は屑なんかじゃない! 取り消せッ!! 仁のことをお前如きが馬鹿にするな! 仁のことを馬鹿にしたのはその口か? それとも舌か? それともその脳か!? 取り消せッ!!」
「な、何よ、アンタ……頭おかしいんじゃないの」
晃の豹変振りにアリシアがたじろぐ。しかし、晃に手首を握られてしまっているせいで、離れることが出来ない。
「徒党を組んで数にもの言わせるのも、差別するのもいつも貴様らだ……! そんなお前らがさも、『自分は道徳的で強い人間です』って顔でいるのを見ると僕は殺してやりたいほどムカつくんだ。そのお前が仁を”落ちこぼれ”だと!? 殺してやるっ、殺してやる!!」
晃が懐に空いている片手を突っ込んだ。その動きを見た巴が動くが、それよりも疾く、教室から飛び出してきた者がいた――清十郎だ。彼は晃を羽交い絞めにしてアリシアから離れる。
「オイオイ、落ち着けよ晃! お前が『藤堂たちに僕が説明してくるから君は教室にいてくれ』って言ったんだぞ!? 落ち着けッつーのォ!!」
押さえ込まれた晃はあっさりと力を弛緩させ、清十郎に身を預けて俯く。先ほどまでの激昂が潮のように引いていくのを、美衣とアリシアは目に恐怖の色を浮かべて見ていた。
その恐怖は得体の知れない、自分とは相容れないモノと遭遇した時の、未知に対する恐怖だ。身の危険などの表層的恐怖とは違う、もっと本能を揺さぶる、タールのように精神にへばりつく恐怖を、晃は彼らに与えた。その司たちの様子を確認した晃は心の中でほくそ笑んだ。
(なに、存外にうまくいくものだね。人を怯えさせるなんてことは)
畏怖は人の視野を狭ませ、動きを鈍らせる。さらに冷静な判断を下すことも的確に出来なくさえさせる。その足枷は闘いにおいて重要な要素となり得、有ると無いのでは雲泥の差だ。威嚇なんてものは他者を怯えさせる方法としての最たる例であり、恐怖に飲み込まれた相手なら戦わずして勝つことも可能であると、晃は以前呼んだ本でそのように学習していた。
(我ながら下らないことをしているとは思うがね……。怯んだのは橘とアリシアだけか。ふむ、迫力が足りなかったかな? やっぱり鍛えてる人間には効かないものだな……)
司は表情をピクリとも動かさず表情を崩さず、巴は晃を怪訝そうに見ている。長宗我部に至っては笑みを扇子で隠している。
「……すまなかったね、取り乱した。さて、橘さん?」
「え、あ、はい!?」
突然自分の名前が呼ばれ、美衣は驚き、しどろもどろに答える。
「君は仁と二人きりで逢いたいかい? もしそうなら早く行くんだ。この廊下の突き当たりの廊下を登っていけ。……ここまでは一人で来たんだろう? なら気持ちは決まっているはずだね?」
晃の声は何処か優しさを感じる、暖かいものになっている。その言葉に勇気付けられた美衣は、周囲の友人たちを押しのけて走り出した。
「ハッハー! 大将によろしく言っといてくれヨォーッ!?」
清十郎が自分たちをすり抜けて走っていく美衣にブンブンと大きく手を振っている。その美衣を追おうとした司たちは、両手を広げて立ち塞がる晃によって押し留められた。
「あ、ちょ、アンタ退きなさいよっ!!」
晃は片頬を吊り上げた。
「……退いてくれないか?」
司が幽鬼のような表情で晃に肉薄する。晃も一歩も引かず、むしろ、前に出た。
「退かない、と言ったら僕たちをリンチするのかな? そいつはいい、面白い。結局暴力に訴えるなんてまさしく屑、落ちこぼれって感じで」
「じゃあどうしたら良いのですか、煙崎さん? あなたたちは一体この夜の校舎で何をするつもりなのですか? 炎燈寺さんはともかく、煙崎さんたちは私たちを待っていたのでしょう?」
「ケッ、待っちゃいねェがな!」
巴は清十郎の言葉に眉を顰めたが、すぐ元の端整な日本人形のような顔に戻った。
「そうだね、滅茶苦茶な行動を取られる前に教えておこうかな。僕らは君たちが仁の邪魔をしないように時間を稼ぐ役っていうのかな? ちなみに僕らは君たちを止めるためなら暴力も辞さない。だから出来ればこのまま帰ってくれるか、ここで話をしていて欲しいんだけど……」
「そんな訳無いだろう、莫迦が。藤堂、行くぞっ」
長宗我部が晃を無視して先に進もうとすると、
「ッから、行かせねェッてのが分かンねェのかヨ? アァ!?」
長宗我部の顎先に、清十郎の右足の甲が触れるか触れないかのところで止まっていた。彼は蹴りを放ち、それを寸止めしていた。悠々と片足立ちする清十郎は水面に立つ鳥のように優雅だった。
「――貴様にはこの前の借りがある。藤堂、俺はこいつをやってから行く。一条、アリシアも先に行け。藤堂についていってやれ」
「そしたらアンタが一人になるじゃないっ! この胴着バカだけじゃなくてあの軍事バカもいんのよ!? 2対1よ2対1! 分かってんの!?」
「胴着バカって……。胴着脱いだらオレは何だ、ただのバカか?」
「僕はミリタリーになんて全く興味はないぞ? あるのは二次元だけだ」
顔を見合わせる晃と清十郎を尻目に長宗我部は自信満々といった感じで頷いた。
「……ふむ、あの二人なら別に俺一人で充分だと思うが。それとも何か、俺のことを心配してくれているのか?」
からかう長宗我部にアリシアは顔を赤く染めてそっぽを向いた。
「べ、別にアンタのことなんか心配してないわよっ。ほら司、巴! 早く美衣を追うわよ!!」
晃も清十郎もアリシアが駆け抜けていくのを今度は止めなかった。そして巴がそれに続き、廊下の闇へと消えていく。しかし司は走るそぶりも見せず、最初にいた場所から動こうとしなかった。
「どうした、藤堂。お前も早く行け。行って橘を止めるなり炎燈寺を懲らしめるなりしてこい。それともお前もアリシアのように心配でもしているのか?」
肩を竦める長宗我部。しかし彼の思惑と違い、司は、
「……なぁ、秀久。俺は間違ってるのか? 美衣を仁に逢わせるべきなのか? もしかして俺たちはこの前までただ、ただ――仁を虐めていただけじゃないのか?」
戸惑いと後悔に染められた声色で吐き出したその言葉は、彼自身に対する問いでもあった。司は今更、後悔した。自分を、省みた。
喝を入れようとした長宗我部より早く、晃がそんな揺れ動く司を刈り取るような鋭利な言葉を突き刺した。
「――何をいまさら。後悔するくらいなら最初からやらなければいいんだ。そんなだから貴様らは偽善者なんだ。もう仁は止まらないぞ? 彼は自分の鎖を外して遮二無二走り出した。君はずっとそこでそうしてろ」
自分をせせら笑う晃を司はかねてより疑問に思っていた、とある事を訊ねた。
「お前はさっきから”偽善者”って言葉をよく使うが、じゃあ仁は違うのか? 何でそこまで仁に肩入れするんだ? 何でそこまで俺たちを憎む?」
どうしたものかね、と呟いた晃は踵を鳴らして窓際まで近づく。まるで光を求めるかのように。
「質問したら必ず答えが返ってくると思っているその態度が気に食わないが、そうだね、教えてあげよう。仁は本物だ、本物の善人だ。それも清濁併せ呑んでいる。そんな彼を好きになるのは当然だし、助けたいと思うのは友人として至極当然だ。……あと、別に君たちを憎んでなんかいないよ。ただ、仁の敵は自動的に僕たちの敵になるだけさ」
「そーゆーこッた! こちとら大将の為に死ぬ覚悟できてンだ。分かったら帰ェんな」
月明かりを浴びる晃の首に腕を回した清十郎が舌を出して嘲る。
「さて……お喋りも飽きたし、時間も良い頃かな? 清十郎――いくぞ」
晃の指示で目元を手で覆った清十郎を訝しげに見ていた司たちは、その直後晃の手より現れた白い闇に眼球を切り裂かれるのを感じた。




