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間が開いて申し訳ありません。
俺たちは一度自宅へ帰り、準備を整えて夕闇に染まっていく学校の教室に集まった。そして、今はこうして顔を合わせて今回の作戦について話し合っている。ここが正念場、今夜がまさしく天王山だろう。
「いいかい、何度も繰り返すが屋上へ到る道は三階の奥の階段以外は他にない。彼らが空でも飛ばない限りはね。そこで僕たちは、一階には清十郎と僕、二階には夏瀬さん、三階には……」
晃が夏瀬くんに視線を投げかける。彼女は任せておけと言わんばかりに胸を張り、
「三階には助っ人ですわ。私が前もって連絡しておきましたからそろそろ――あ、来ましたわっ」
言葉の途中で立ち上がり、教室から出て迎えに行った。夜のため、シルエットしか見えないが夏瀬くんの握手に応えているところを見ると夏瀬くんとは懇意の仲なのだろう。俺は助っ人について何も聞いていないので心当たりどころか見当も付かない。
(夏瀬くんと仲の良い人、か。彼女の友達なんて俺は一人も知らないからな。晃は以前は一人でいたみたいだし、清十郎はボクシング部の奴等とたまに一緒にいるところを何度か見てる。……冷静に考えると俺はこの三人ぐらいしか”友人”はいないんだな)
司たちは”友人”って感じじゃないしな、と思わず自嘲してしまった。そんな下らないことを考えていると、夏瀬くんが件の人物を連れてやってきた。教室を覆う建物の陰から月明かり差し込む窓際まで来たとき、俺は言葉を失ってしまった。
「お、おまえ……ッ!?」
「――火子だよーん。仁にぃ、ビックリした? したよね? ねっ!」
火子は制服の裾で口元を隠すと猫のようにクスクス笑った。彼女は藤堂火子――そう、司の妹だ。小さい頃、司と美衣ちゃんとで遊んでいるときによく俺たちの後をトコトコ追いかけて来ていた愛くるしい姿を思い出したが、今の姿とは当然、似ても似つかない。何故彼女が? と疑問に思ったが成る程、火子は生徒会に入っていた。恐らくそれで夏瀬くんと面識があったのだろう。
「……いや、火子。それに夏瀬くんも。どうして火子がここに? えーっと、意味が分からないぜ……」
俺だけじゃない。晃も清十郎も両方とも訳が分からないという顔をしている。いや、その前に二人は彼女の本名は勿論、誰の妹であるかも知らないのだ。
「仁にぃ、どうしたのー? そんな暗い顔しちゃダメだよぉ? ほら、火子のおっぱいでも触る?」
火子は自分の胸を持ち上げてムニムニと揉み始めた。いち早く反応した清十郎は「ほう……!」と眼鏡を掛けてもいないのに直すような仕草をしている。晃と夏瀬くんは無表情だ……当然、俺もだ。いや、俺は不愉快そうな顔をしているかもしれない。頬がピクついてしまっている。
「揉まんっ! 俺はお前をそんな風に育てた覚えはない!! 小さい頃は素直で良い子だったのにお前は一体全体どうしてこんな風に……!」
「えー? 火子がこんなことするのは仁にぃだけだよー? 他の人になんか絶対にしないもーん!」
「違う! 俺はそんな事を言ってるんじゃないぜ!? 女性として慎みを持て! それとその話し方もなんだ、だらしのない!!」
火子とは物心のつく前からの付き合いだ。司の代わりにお守りもしたし、宿題の手伝い、食事の準備とよく世話を焼いた。司が火子を放任していた、という事もあるが、一人っ子の俺は妹が出来たように当時は嬉しがり、今でも火子には兄として接してしまうきらいがある。
「俺は立派な”大和撫子”として火子を育てたつもりだぜ。あれだけ心身の修練を積んだお前が俺の言っていることを理解できない!?」
娘を持った父とはこんな心境なのだろう。俺はただ火子に清く正しく美しく生きて欲しいだけなのだが……。自分が世話した子ならなおさらだ。
「まぁまぁ炎燈寺くん、落ち着きなさいな! 火子さん普段は普通の良い子ですわ。私は将来的に”生徒会長”として推すつもりですし。ただ……炎燈寺くんの前でこんな風に振舞うとは私も思いませんでしたわ。私は火子さんが事情を知っていた上で「炎燈寺さんと会長のお手伝いがしたいです」と言ってくれたので呼んだまでですし……当然、彼女が”藤堂司の妹”という事も承知しておりますし、炎燈寺くんと火子さんの関係についても彼女から聞いて、信頼できると判断したからですっ」
夏瀬くんの言うとおり、信頼はできる。火子は嘘をつくような子ではない、少なくとも俺は今まで一度も嘘をつかれたことは無いし、俺もついたことが無い。そのため、火子は俺が美衣ちゃんのことが好きということも知っている。しかし、それよりも気になることがある。
(火子が俺の前でだけ態度が違う……?)
そんなこと知らなかった。小さい頃は引っ込み思案で俺の後をいつも付いて来ていた火子は、ある日突然、「弟子にしてくださいっ」と俺に頼んできたことがあった。当時の俺はその内気な性格を直したいのかと思い、稽古をつけてやった。さすがに今はごく稀に、という頻度になってしまったが小学生の頃はほぼ毎日会っていたような気がする。実際、よく笑うようになって俺としても嬉しかったのだが……。
(中学校でいきなり、”今”みたいな性格になったんだったな……)
そうだ、思い出した。中学の入学を機に変わってしまったのだ……今の性格に。何かあったのかと問い詰めたが火子は何も無いの一点張りだったし、周囲を探ってみても本当に何も無かったため不思議だとは思っていたが、日々の生活の中で忘れてしまっていたらしい。
「えーと火子さん、で良いのかね?」
晃の言葉に突如、凛とした空気を纏った火子が「えぇ、それで構いませんよ」と、笑顔とともに答える。その変わりように俺をはじめ、晃も目を見開いて驚いている。……夏瀬くんの言う通りだ。こんな火子を見たのは初めてなので度肝を抜かれてしまった。気を取り直した晃が話を続ける。
「じゃあ火子さん、話を纏めるに、君は”藤堂司”の妹でありながら、彼の恋路を阻むことに血道をあげている僕たちに協力するんだね? それはどうしてだい?」
矢継ぎ早に清十郎が質問する。殆ど晃の質問に重なるようにだ。
「つか強ェのかよッ!? ……胸はでけェがよォ……」
……清十郎のは質問というより只の彼自身の感想だったようだ。そんな下らない質問にも火子はしっかりと答えた。
「そうでした、晃さんと清十郎さんは知らないんでしたね。火子は血が繋がっているだけの兄よりも、今まで手を引いてくれていた兄を選びます。これは紛れも無い本心です。仁お兄ちゃんは火子の事をこれまでずっと見守ってくれていました。今夜はせめての恩返しにと微力ながらお手伝いさせていただきます。強いのか……と言われますと、仁お兄ちゃんには遠く及びませんが、これでもお兄ちゃんの一番弟子。簡単には負けません」
「そう、か。まぁ僕は仁が信頼するなら信頼するよ。彼の人選に間違いはないだろうし」
「大将の一番弟子かァ。大将! マジんところ強いのかッ!?」
晃の言葉に少し嬉しくなっていた俺は、清十郎の言葉に顎を擦りながら考える。火子は幼いころから必死に俺の訓練について来ていた。今はそれほど自己を鍛えることに執着していないようだが、普通の人間からしたら充分強いと言えるだろう。
「まぁ、強いぜ。さすがに俺みたいに『ブロック塀を上から下まで叩き割れ』とかは無理かもしれんが」
その言葉に「あァもういい。またベラボーに強ェんだろ?」と清十郎がパタパタと手を振った。彼なりに思うところがあったのか、少し不機嫌だ。不機嫌と言えば、夏瀬くんが先ほどの火子の言葉を聞いてから腕を組んでブツブツと独り言を繰り返している。目が見開かれており、不機嫌というよりただただ怖い。堪りかねた俺が呼びかけると、「ち、違いますのよっ!?」と手をパタパタと振り、慌てる。皆の目線が集まると咳払いをして話を始めた。
「――と、いう訳で藤堂火子、彼女が助っ人です。もう一度繰り返しますが一階に煙崎くんと竈門くん、二階に私、三階に火子さん……そして屋上に炎燈寺くん。橘さんが藤堂くんたちと一緒に来たとしても、私たちが責任を持って痴れ者を止めて橘さんだけを通します。要は私たちは防衛ラインという訳ですっ」
正直、この作戦には穴ばかりだと思う。しかし、それ以外には無いという結論に到ったのだ。最初は俺も含めて全員で闘ったほうが良いと思ったのだが「団結している”主人公”に勝てるとは思えないがね」と妙に説得力のある言葉に納得してしまった。
美衣ちゃんが学校に入ったら全ての出入り口を塞いで司たちを侵入不可にするというものも考えたが、作戦に穴が多く非現実であるということで却下。あれこれ考えた結果、各所各所で力を削り、闘いに勝った者が他の者の援軍に行き、どうにか司たちが屋上に着くまでに倒し切るという作戦に落ち着いたのだ。
「藤堂くんたちには「一人の相手を多人数でリンチするのか」と脅しを掛けます。まぁ、偽善者たちの集まりですから挑発に乗ってくれるでしょう。他の人たちは先に進んでしまうでしょうけど止むを得ません。各自、相手を倒したら急いで他の所へ加勢。これを繰り返してどうにか皆殺し。……もし、私たちがしくじって屋上に橘さん以外にも現れたら……」
夏瀬くんが言葉を濁す。まだ何も始まっていないというのにやけに申し訳なさそうだ。俺自身、もう少しまともな作戦が立てられたら、と思うが相手は”主人公補正”。とてもじゃないが奇策なんかで太刀打ちできないだろう。
「……勝つ、というのが前提条件で、自分たちはあらかじめ準備をしておいて、相手には”個”で戦うように強要する、か。ここまで卑怯だと逆に楽しくなってくるぜ! 大丈夫、屋上にまで来て美衣ちゃんに会うのを邪魔するような輩は俺がのしてやるぜ!!」
無理に笑顔を作って威勢の良い声を出す。本当は正々堂々が良い。当然だ、そうに決まっている。俺のそんな気持ちを察してくれたのか、皆が寂しそうな笑顔で応えてくれた。
「どちらにしろ! 煙崎くんと竈門くんは二人なんですから一番働いてもらうつもりですからね!? 火子さんはともかく、私は格闘技なんて学んでいないんですから!!」
夏瀬くんが元気を失っていた男二人に絡んだ。彼女なりにこの嫌な空気を吹き飛ばそうとしたのだろう。本当はこういうことが苦手なはずだ。それだけ”俺たち”を想ってくれているのだろうか。
「確かに、男が二人一緒か。これは負けられないな、晃、清十郎?」
俺が意地悪く片頬を吊り上げて軽口を叩いた。
「だ、だってよォ、俺一人じゃ説明すンのがメンドくなって殴っちまいそうだし……」
「――そもそも僕一人じゃ”闘う”という状態に持っていけないだろうしね」
そう言った二人が顔を見合わせて笑いあった。その光景を見て俺も頬が緩み、思わず微笑んでしまう。
暖かい空気が場を包む。すると、
「……嬉しそうだね、仁にぃ。火子と一緒のときはそんな顔しなかったのに。……ちょっと妬けちゃうなぁー」
何時の間に俺の背後を取ったのだろう、火子が俺の背中に擦り寄ってきて額を押し付けてきた。胸が背中に当たっているなんてことより、その哀しそうな声のほうが気になった。まるで、今ここにいるのに一人でいるような、酷く淋しそうな声だった。
「俺は……」
俺が声を掛けようとすると、火子がそれを遮って話を始めた。他の三人は気付いておらず、互いに冗談を言い合っている。
「仁にぃが頑張ってること、知ってるよ? 絶対に火子がその願いを叶えてあげるね」
それだけ言うと彼女は俺から離れた。そのとき火子が見せた顔は、あのふざけた態度のときの物ではなく、幼い頃からよく俺が知っている彼女本来の、優しい包み込むような笑顔だった。
夏瀬くんが何かに気付いたような素振りを見せたが、火子は既に俺から離れて猫のようにステップを踏んで教室をブラブラと歩き始めていたため、その姿を見た夏瀬くんは首を傾げたが気のせいと自分に言い聞かせ、考えるのをやめたようだ。
「さて、そろそろ時間も近くなってきたし僕たちは一階の準備に行かせてもらおうかな。清十郎は制服から着替えるんだろう? 行こう」
「じゃあそうすっかァ!! 大将! 会長! あと妹さん!! 武運を祈るッつーか、あのクソッタレどもにかましてやろうゼーッ!!」
晃がぎらつく目を抑えているのが分かる。彼の瞳がこの暗闇の中、輝いたような気がしたからだ。そんなことも露知らず、清十郎は手をブンブン振りながら晃に無理やり肩を組ませて教室から出て行った。最後まで騒がしく、時折薄闇に包まれた廊下の奥から「僕にそんな絡まないでくれっ!」という晃の叫び声が聞こえていたが、それもついには聞こえなくなってしまった。
「じゃあ、私も行きますわ……と言ってもここが二階なのでただ準備をするだけですが。炎燈寺くん、火子さんはどうしますか?」
夏瀬くんは先ほどまで皆が使っていた椅子を片付けながら問うてくる。やはり几帳面だな、いや、そうでもないと生徒会長なんて務まらないかなどと、下らない考えが過ぎった。
「いや、俺はもう少しここにいるぜ。屋上はもう開いているんだろう?」
俺に「えぇ、既に開錠しておきましたから」と得意げに夏瀬くんが答えた。
「火子も行きます。会長、一緒に途中まで行きましょう――仁にぃ、またねっ」
火子は俺にウインクすると夏瀬くんと一緒に教室から出て行った。俺は手を軽く振ったあと、
「二人とも、俺のためにありがとう! 全部終わった後、俺に出来ることなら何でもするぜっ!!」
二人のいるほうへ頭を下げた。いま、何故かこうしないといけないような気がしたからだ。
「ふふっ、そういう言葉は後で後悔することになると相場が決まっていますのに。……有り難く頂いておきますわ。ね、火子さん?」
「仁お兄ちゃんは昔から安請け合いして無理難題を何でもない顔でこなしてしまうので大丈夫ですよ、会長。……例えそれが一見すると不可能そうな難題でも」
あれ? 俺はいま火子の黒い部分を見てしまったような気がするぞ。それに何だ、やけに寒気が。
「クスクス、仁にぃ。ちゃんと約束は守ってもらうからね?」
その時の火子の、悪巧みを思いついた猫のような笑みを見てしまった俺は、「やはり幼い頃とは随分とは変わってしまったんだなぁ」としみじみ思ってしまった。




