1-17
二階の廊下でアリシアは鬱憤を晴らすように窓ガラスを撃ち抜いて割っている。明確な理由など無い。ただ、彼女は暇で苛々するというそれだけの理由で学校の備品を壊している。
「あのゴキブリ、本当にどこいったんだろ……。ほらー! 殺さないから出てきなさいよーっ!!」
廊下の突き当りまで歩いた彼女は、三階に向かう階段へちらりと目を向けたが、緋織に対する怒りから頑として先に進もうとしない。
(馬鹿にされた分、しっかりと地獄見てもらわないと……。何ならお父様に頼んで……)
グツグツと煮立った何時までも冷めない怒りを、アリシアは己の爪を噛むことで紛らわせる。そして、その怒りが溢れるたびに引き鉄を引いた。
「――やれやれ、ですわ。割ったガラス代を”個人的に"請求させていただきたいですわね」
何処からとも無く聞こえる緋織の声に、アリシアはあちらこちらへと視線を泳がし、廊下の向こう側――アリシアとはほぼ正反対の――に居るのを発見した。
アリシアの視線の先に居る緋織は、先ほどは身に着けていなかった奇妙な布を腰に巻きつけていた。
その布は緋織の腰元から脛近くまで垂れ下がっており、その形状は下半身を護るかのようであった。それを見たアリシアは、
「……それって教室のカーテンじゃない? そんな布切れでこの”ゴモリ”の弾丸を防げると思ってるの?」
腕を上げ、肘を伸ばし、銃を構え、それを”骨”で固定することで正確な狙いを定める。
(この距離なら十中八九当てられるけど……どうするつもり?)
アリシアは緋織の行動を注視している。勿論、何時でも撃つ準備は出来ている。
「本当にそうかしら? 意外や意外、このカーテンは魔法のカーテンかもしれませんわよ? さて、私としてはもうここら辺で決着を着けたいので――」
ポタッ、と緋織の服を伝って血の滴が廊下に落ちる。彼女は眼鏡を外して胸元にしまい、
「――いきますわよ!」
普段の彼女とは打って変わって、飢えた狼のように走り始めた。
私は顔と首筋を守る為に両腕を目の前で交差させて疾走する。アリシアまでの距離は20mあるかどうか。この距離を走りきるまで、私が耐えることが出来れば勝機が見えてくる。
アリシアの飛び道具に勝つ為には、今の私ではこの方法しかない。彼女に”絶対的に有利”と思わせることが重要だ。勝利を確信させ、それを逃すのを惜しいと思わせる。その為に私は幾つもの餌を撒いた。
まず一つ目、それはこの直線の廊下。障害物の無いこの場所は、アリシアにとっては単なる射的場に過ぎない。その、彼女にとって好ましい空間が彼女を油断させるだろう。二つ目は”ただ走ってくる”、これだけだ。障害物や仕掛けを弄するのではなく、ただ阿呆のように走ってくる。まる玉砕覚悟の特攻かと思わせるように。三つ目は、こんなカーテンを切り札と思わせて、私が”打つ手なし”の状態だと錯覚させる。
これだけの餌が撒かれてれば、アリシアは逃げることなどせず、嬉々として迎え撃ってくれるだろう。私にとって何よりも面倒なのは”逃げられて、ヒット&アウェイを繰り返される”ということだった。そうでなくても、私を捨て置いて先へ進んでしまうかもしれない。それだけは避けなければならない。
本当ならばもっとしっかりした策を練って闘いたいが、それを実行する時間も準備も私にはない。こんな杜撰な作戦でも上手くいくことを信じて、ただただ足を前へ動かすだけだ。
アリシアが「馬鹿じゃないの……」と唇を動かすのが見えた。そして発砲。狙いは足だ。きっと彼女は足さえ撃ち抜けば動きを止められると思っているのだろう。そして私の想像通り動いてくれているアリシアに私は――ほくそ笑んだ。
弾丸はそのまま私の太腿目掛けて飛来し、カーテンを貫通して、
―――カキン。
と、やけに耳に響く金属音と火花を散らしながら跳ね返った。
「……えっ!?」
アリシアが目を見開いて驚き、二度三度と引き鉄を引く。それらの弾丸も先ほどと同じように火花を散らして弾かれる。
私は、アリシアの慌てぶりにほんの少しだけ溜飲が下った。あくまでほんの少しだけだが。やはりお返しは三倍返しにしなくては。私は来るべき時の愉悦を想像し、身体を前傾させてさらに加速する。
忙しなく足を動かしたせいか、アリシアの弾丸を受けたせいか、ついに巻きつけたカーテンがはらりと解けてしまった。そして、彼女はスカートの下から現れたものに驚愕した。
「……アンタ、それ何よ!? どっからそんなモノ持ってきたのよっ!?」
それも当然、そこに在ったのは私が身に着けていた学校指定の黒いスカートではなく……そう、それはまるで地面に向かって咲いた白百合かのような白銀の鎧、アリシアには見えただろう。
これは何代も前の、非常に”常識はずれ”な女生徒の会長が作ったモノであり、生徒会の皆には”鉄のスカート”と呼ばれ、ある意味では親しまれている。しかし素材は不明、大きさの割には軽く、そして硬い。表面は白く染め上げられており、朱色の文字で”校則上等”、”十三代目女会長炭谷煉”、”乞火不若取燧”などと所狭しと書かれており、一体どんなつもりでこんなモノを作ったのか本人に問い詰めてみたくなる代物だ。
私が生徒会へ向かったのはこの”鉄のスカート”を取りに行くためであり、カーテンはアリシアに警戒されないために巻いていたに過ぎない。どちらにしろ、走り始めれば金属が擦れる音でばれてしまうのだ、外れてしまっても問題無い。最初に気付かれず、そしてこのスカートで下半身さえ守れればいい、私はそう考えていた。
当然、この”鉄のスカート”に気付いたアリシアが次に銃口を向ける場所も予測済みだ。それは――私の顔だ。
(大丈夫、大丈夫……!)
何度も心に言い聞かせる。これから自分の身に何が起きるかは分かっている。分かっているからこそ沸き立つ恐怖を必死に抑える。アリシアが片手持ちから両手持ちへ移行。そして狙いを定め、次々とトリガーを引いた。
一射目/右耳の一部を抉り飛ばす。
二射目/左頬を掠める。
三射目/手の甲にめり込む。
目を閉じるわけにはいかない。飛んで来る弾丸が嫌でも視界に入るが、それが自分の目玉に飛び込んでこないことを祈るのみだ。
四射目/頭部を掠め、頭皮ごと持っていかれる。
五射目/顎を抉った後、胸元へ突き刺さる。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねェーッ!!」
人を傷つけるということに熱狂したアリシアが、呪いのように怨嗟の言葉を叫ぶ。
(本当、だから”幼稚”なのよっ!)
あと少し、もう少しでアリシアに辿り着く、そう思ったとき、
―――あ、左目に当たってしまった。
ブツリ、と部屋の電気が切れたように左目の視界が真っ暗になってしまった。何も、見えない。何故か痛みは麻痺してしまっているのか、感じない。
「アハハッ!! やっと命中ー!! このアリシア様に逆らうからよ。ザマぁみなさいっ!!」
ゆら、と身体が揺らめいてしまった私にアリシアが勝ち誇ったような戯言をほざく。怒りが込み上げて来る。それと同時に、今からこのクソ餓鬼を叩きのめしてやれると思うと、どうしようもなく楽しくなってくる。
力が抜けそうになっていた足を強引に奮い立たせる。左目が潰れたから何だ。右目があれば炎燈寺くんを見ることが出来る。耳があれば炎燈寺くんの声が聴ける。鼻があれば匂いが、舌があれば彼の料理が、感覚があれば――抱き締められたときの感覚が。どれか一つあれば私には、充分過ぎる。
さぁ緋織、前を向け。あの女を打ち伏せて、炎燈寺くんに誇らしげに「勝って当然ですわ!」と胸を張ってやろう。それをからかわれるのも一興、それを褒めてもらうのも一興。どっちを転ぼうとも最高じゃないか。だったら……だったらそうだ。
さぁ――走れ。
「うおおおおおおおっ!!」
狼の遠吠えにも似た、自分でもこんな声が出るとは思わなかった。狂人のように叫びながら走るなんて無様な上に無粋だが、あの餓鬼を黙らせることが出来るなら致し方ない。
「そ、それがどうしたのよ!? そんなので私がビビるとでも思ってんのっ!?」
声が上擦っている。怯えている、それも今すぐここから逃げ出したいぐらいだろう。アリシアの怯えが手に取るように分かってしまい、私は口角を吊り上げた。
七射目/手が震えて外れる。
八射目/弾は――出ない。
「へ、な、何で……!? ジャムったの!?」
驚いたアリシアが銃を叩く。焦っているためか、基本的なことをド忘れてしまっているようだ。
(その銃の装弾数は……10発!)
私の推測で合っていたようだ。やっとアリシアが弾切れということに気付き、懐からカートリッジを出そうとして、一度私の方を見た。そして……迷った。銃弾を装填するか、一旦逃げるか。
その迷いが、結果的にアリシアには致命的な隙を、私には絶好のチャンスを生み出した。結局、アリシアは最後の最後まで迷い、私はそんな彼女に文字通り――飛び掛った。
それはまるで喉元に食い千切ろうとする狼のように、爪と牙を突き立てようとするジャガーのように。私は腰元に身に着けた鎧ごと跳んだ。
スローモーションになった視界の下、恐怖に顔を歪めたアリシアが今更になって逃げようとしているのが見えた。そんな彼女に止めをさすように、中空から”鉄のスカート”を私自身のアギトに見立て、体全体を使って振りかざした。
「きゃあああああああっ!!」
喧しい、真綿を引き裂くような声を上げながらアリシアは倒れこみ、その上に私は馬乗りとなる形で鎧と共に着地する。
その白百合の花弁のような形状のため、裾の部分は鋭利な牙が如く廊下に突き刺さり、アリシアの体を制服ごと貫いて標本の昆虫かの如く縫い止めた。その過程で何本かの牙は彼女の体を掠めたようで、ほんの少し血が滲む箇所が見られた。しかし、彼女の制服はアリシア自身の血よりも、私から流れる血で赤く染まる。
「――さて、"殺す”と宣言したからには”死ぬ”覚悟はよろしくて、アリシアさん?」
私は、先ほど彼女がやったように勝ち誇った顔で聞いてやった。勿論、物騒な銃は既に遠くへ払い飛ばしてある。
「くっ……!」
悔しさに歯を剥き出しにするアリシアの目からは、まだ光は消えていない。恐らく、まだ何か奥の手があるのだろう。
「私は炎燈寺くんほど人間が出来ていないので、充分にそこらへんを理解しておいてくださいね?」
私が懐に手を伸ばし、ある物を取り出そうとした時――アリシアの手がスカートのポケットへと向かうのを私は見逃さなかった。
「おっと、危ないですわね」
彼女の手首を掴んで床へ叩きつける。私が上に居て体重を掛けて手を押さえているため、彼女がどう踠いても、手が自由になることはない。さらにアリシアは悔しそうな顔をする。
「さて、何を隠していましたのか――あらあら、これは……」
ポケットから出てきたのは、やけに大きな黒い、正規品とは思えないサイズのスタンガンだった。私はそれをひとしきり眺めて、これも遠くへ投げ捨てた。
「全く、校則も守らない上に手癖まで悪いときましたか。これはお灸を据える必要がありそうですね」
「何が校則よ、バッカじゃないの! アタシに指一本触れてみなさい!! お父様が黙っちゃいないわよっ!!」
この期に及んでこんな下らないことを言うだなんて、本当に"ガキ"だ。どんな脅し文句を投げ掛けられようが、私が彼女を許すだなんて訳が無いのに。
私は胸元にしまっていたある物を片手だけで装着した。懐から右手を出し、何度か掌を試すように握り締める。うん、綺麗に嵌められた。これなら大丈夫だろう。
「ア、アンタ……。そ、それって……」
アリシアが私の右手に着けられたソレを見るなり、みるみるうちに顔色を変え、ついにはガタガタ震え始めた。
「あら? 先程まであなたが使っていた凶器に比べたら、私のコレなんてオモチャのようなものでしょうに。何をそんなに怖がっているのかしら?」
彼女の視線の先には、刺々しい、やけに鋭い突起が備え付けられている鉄塊――メリケンサック――があった。これは私が以前行なった荷物検査で男子生徒から没収し、生徒会室へ放置しておいた物であり、今回の闘いのためにあらかじめ拝借した物だ。
「じゃあ――取り合えず右手、で!」
言葉尻に力を込めて、押さえつけていたアリシアの右手を力の限り殴りつけた。グシャッと湿った、肉が叩き潰される音と感触がメリケンサック越しに骨を震わせる衝撃となって伝わる。
右手の中身が剥き出しとなり、熟れたトマトのようにひしゃげた。
「ああああああッ!? 痛い痛い痛い痛いイタイィィィッ!! お願い、もう止めてぇぇぇぇぇ!!」
たかが一度手を殴っただけで泣き叫んで許しを請う。その態度は私の怒りを誘うには充分すぎた。
「どうやらッ! まだまだッ! お仕置きがッ! 足りないようッ! ですわねッ!」
都合五回、追加で右手をミンチにするように殴りつけた結果、以前の絹で編まれたような美しい手は何処へやら、後に残ったのはユッケの出来損ないのようになってしまった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! お願い、お願いだからもう許してぇ……」
涙で目を腫らし、しゃくりを上げるアリシアは確かに可哀想だ。しかし、ソレはソレ、コレはコレ。どんなにアリシアが泣こうが私は痛くないし、これからすることは覆らない。
「謝ったら私の顔に付いた傷は消えるのかしら? 許してあげたら私の目は見えるようになるのかしら? どちらも無理でしょう? だったら、私はこの怒りを目の前に当人にぶつける。これは何も間違ったことではありませんわよね、アリシアさん?」
まるで出来の悪い生徒に物事を教えるように、私は可能な限り優しく教えてあげた。何をするにも責任が纏わり付く。この事を忘れてはいけない。
「めっ……目だったらお父様に頼んで治してあげるからっ! ねっ! もう充分でしょっ!?」
その言葉に私は満面の笑みで応える。アリシアもその反応に一縷の望みを賭け、さらに捲くし立てようとするが、それを人差し指で制する。
「それは安心しましたわ。しっかりとした治療を受けられることは安心できるものですからね」
ここで一旦区切ると、アリシアが嬉しそうに首を縦に振る。
「――それでも私の目を潰した、という事実は消えませんわ。ならば私も――あなたの顔面を"私の目のよう"に潰しても構いませんわよね?」
想像していたものとは違う言葉に、アリシアの唇から「ぇ?」と小さな声が漏れる。私はそんな彼女の反応などお構いなしに話を続け、
「だって――治るんですから。あなたが言いたいことはそういうことでしょう? では、御機嫌よう」
何か言おうとしたアリシアの顔に、右拳を引き絞った矢のように力を溜め、全身全霊を込めて――放った。
解き放たれた拳は彼女の鼻を叩き割り、そのまま肉を引き裂きながら食い込んだ。蛇口を捻ったように溢れ出す血は暖かく、見る見るうちに私の掌を朱に染めた。
その血の暖かさは何処か懐かしく、心を落ち着かせるものだった。思わず、その血を掌全体で味わいたくなってしまい、ぐりぐりと突起を更に奥へめり込ませようとする。
「かっ……かぺっ……!」
アリシアが何か言っているか分からない。どうしてそんな潰れた蛙のような声を出しているのかと思ったら、私の拳が彼女の鼻だけでなく、その下の口元にまで突き刺さっていた。メリケンサックの硬さゆえか、歯をへし折り、ピンク色の歯茎から鮮血を垂れ流して血を口内へと流し込んでいた。
「あらあら。私としたことがお恥ずかしい。少し夢中になってしまいましたわ。大丈夫ですか、まだ話せます?」
私はアリシアの言葉を聞くために一度体重を掛けて右手を押し込んだ後、ゆっくりと引き抜いた。血の糸を引きながら拳が離れると、そこには痛々しい何かに噛まれたように見える歯形にも似た傷が残されていた。
口を塞ぐ物が無くなると、すぐアリシアは横を向いて口に溜まった血を吐き出した。その吐き出された物の中には唾液や白い小石のようなものまで含まれていた。
「ゆ……ゆるひへ……! もうひゃひゃわらない……。あなははひにはひょっかい出さなひひゃら……!」
概ね、何が言いたいかは分かる。鼻水を垂れ流し、自らの血で美しい金髪を汚しながら哀願する彼女は本当に可哀想だ。
「大丈夫ですか? ちょっと待ってくださいね。確かここに……ありました。さ、このハンカチで顔を拭きなさい」
ポケットから出した白いハンカチを、アリシアの顔を隠すように被せる。そうすると、あっという間にそのハンカチは赤く染まってしまった。
「さて、この体勢にも疲れましたし……終わりにしましょうか? 先に宣言しておきますが、あなたが私を撃つのをやめなかったように、私は今から殴るのをやめません。流石にこの私でも、綺麗な顔がただの肉の塊に変わっていくのを見るのは厭なのでこれで隠させていただきますわね? ――あなたの顔が見る影も無く変わってしまっても、それでもあなたを愛してくれる人が居ることを祈っていますわ」
アリシアはビクリ、と体を一際大きく体を震わせた後、赤ん坊のように泣き叫ぶ。
「助けてっ! 司、お父様、助けてええええ!! イヤ、そんなのイヤイヤイヤイヤイヤイヤァ!! 誰か助けて、助けてよぉ……!」
叫びは嗚咽となり、嗚咽はただの呻きとなる。アリシアは逃げることもせず、死刑の執行を待つ罪人のように、自分の身に降りかかる絶望に嘆き始めたようだ。
「じゃあ、さようなら。その綺麗な顔を見た人が私だったとは、運命も皮肉なものですわね……」
私が話すのを止め、挽肉を作ろうと構えを取る。その動きが彼女へ伝わったのか、何時来るとも分からない恐怖に耐え切れず――失禁した。
流れ出す水流は止まるところを知らず、ついには床に零れて、膝立ちになっている私の足を濡らした。
あぁ完全に終わってしまったな、と私は空虚な満足感を感じていた。こんな虚しさでお腹一杯にしても悲しいだけだ。
「……全く」
ここまでしておけば大丈夫だ。もう逆らうこともないだろう。そう思って私はハンカチを外し、にこっと微笑んだ。
「――冗談ですわ。さすがにそこまでしませんよ。そんな事をしたら炎燈寺くんに嫌われてしまいますもの」
ハンカチの下から現われたアリシアの顔がぱっと明るくなる。それを私は今度こそ”満たされる”満足感を感じ――もう一度アリシアの顔目掛けて拳を振り下ろした。
水の混じった雪を踏み潰す時の感触を握りこぶしで感じるという稀有な体験を、アリシアの血にまみれた顔面で学んだ私は、”鉄のスカート”を外してアリシアの上から退くことにした。
アリシアは気を失っているのだろうか、それとも気を失ったふりをしているだけなのだろうか。そのどちらでも私は構わなかったので、地面に磔にされている彼女に背を向ける。
「さて、どちらに向かうべきですかね……」
私がひとりごち、迷っていると、闇の向こうから騒がしい声と足音が聞こえてきた。
「い、痛ェーッ! ヒッヒィ、痛ェよォー……」
「だからしょうがないだろう!? 君のほうが大きいんだからそんなに上手く支えられないよっ!」
晃と、彼に寄り掛かるというよりは覆い被さるような体勢の清十郎が二人三脚でやって来た。彼らは私に気付くと嬉しそうに笑顔を浮かべて歩みを早め、近寄ってくる。
「おォー会長!! その感じじゃア勝ったみてェ……ッて、目! 目ェ潰れてンじゃねェのかソレ!? ゥおい晃ッ! あれ治んのかよ!?」
「いや待ってくれ、僕はそこまで医学に明るくない。早く病院に行くのが一番だね。夏瀬さん、ここは僕たちに任せて――ってそんな気は無いようだね、全く」
仲間はずれにされかけ、私が睨むと煙崎くんは溜息を吐き出してかぶりを振った。竈門くんに至っては何故か嬉しそうに笑っていた。
「ヒャヒャヒャヒャ! そりゃア、ここで「帰れ!」って言われても帰ンねェよな! ほら晃! ちゃっちゃか行くゼッ! 会長もホレ、妹さんの助けに行こうゼ!!」
こんな時まで騒がしい竈門くんは、半ば無理やり周囲の人間に元気を与えている。煙崎くんも疲れきった表情はしているが、気力までは失われていないようで、竈門くんを引き摺るように歩き始めた。
私は、反対側から竈門くんに肩を貸す。そうすると二人は不思議そうな顔をした後、心底嬉しそうな顔で笑う。しかし、不思議と誰も口を開こうとしない。当然、私もだ。
私たちは三人で支えあい、ボロボロの体を寄せ合って歩き始めた。