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1-12

話数を合わせるために、一部の投稿となります。

 撃たれた。左肩を撃たれた。アリシアは実弾ではないと言っていたが、自分が今感じている痛みからして、そんなことはどうでもいい。とにかく、痛い。

 「ほらほら! 逃げんじゃないわよッ!!」

 教室へ飛び込んだ私を追ってアリシアが銃を片手にやってきた。二射、三射と弾が放たれ、教室の窓へ向かって走る私を掠めて、ガラスをけたたましい音と共に砕いた。

 「まったく、無粋な武器ですこと……!」

 減らず口の一つでも叩いてやらないことには気が済まない。私は椅子を踏み台に、机へ飛び乗り、駆ける。ハッキリとは確認出来なかったが、私の足元を目がけて撃たれた銃弾が机を抉り、木屑を飛び散らしたのがちらりと見えた。

 「あれだけの事を言っておいてやることっていったら逃げることだけっ? 待ちなさいよこのゴキブリ!!」

 (好き勝手言いやがって……!)

 ゴキブリと言われ、思わず汚い言葉が出てしまう。いけない、気をつけなければ炎燈寺くんに嫌われてしまうかもしれない。そんなことを考えながらジグザグに机の上を飛び回り、アリシアが割った窓に向かってハードルを越えるように跳ぶ。

 「え!?」

 アリシアの驚いた声を背中に浴びて、そのまま窓枠を潜り、ベランダをも飛び越えようとする。夜の風を全身に感じ、それがとても心地よい。

 きっと彼女は、私がまさか二階から飛び降りるとは思っていなかったのだろう。確かにそのまま校庭に着地したら捻挫なり骨折なりするかもしれないが――

 「――そォれっ!」

 闇の中、鈍く光を反射する銀色の手すりに左足を引っ掛け、中空へ勢いそのまま身を放り出す。そうすると、左足を基点とした振り子のように私は円を描いて二階のベランダから落ちていく。もちろん、スカートを押さえることも忘れない。淑女の嗜みだ。

 「アンタ、頭おかし――」

 そこまでしか聞き取れなかった。世界はグルリと縦の回転に滲み、視界に映るものは空から校庭の地面へと姿を変える。そして、タイミングを見計らって足を外す。

 自分の身体に発生した遠心力を利用し、無理やり重力に逆らうように身を屈めて回転させると――両足裏が地面に叩きつけられた。

 「くう……!」

 一階のベランダを塗り固めているコンクリートに激突した足裏が、ビリビリと痺れて思わず声が出てしまった。しゃがんだ状態での着地ということは、それなりに間一髪だったという訳だ。仮にもう一度やれと言われても無理だろう。

 「これも、炎燈寺くんのため……」

 「――誰の為だって? アンタに休んでる暇なんて無いわよっ!」

 アリシアが身を乗り出して私を狙っていた。殆ど逆さ吊りに近い状態でこちらに照準を合わせており、その顔は憤怒と愉悦の染められており、生々しい汗に濡れていた。

 「ゴキブリなのはそちらじゃなくて!?」

 私はすぐさま窓を破って教室へ逃げようとしたが、それより早くアリシアに撃たれた。脇腹と右腕の二の腕に何か異物が抉りこむ鋭い痛みが走る。しかし、立ち止まるのはさらに危険だと判断し、倒れこむように窓ガラスに身体をぶつけて割り、教室の中へ避難する。

 (乙女の柔肌に傷を……!)

 窓枠の下の壁に身体を隠し、やりすごす。アリシアが「出て来なさいよっ!?」とめくらめっぽう引き鉄を引いている。

 私は当然、そんな下らない要求は無視して、制服を捲り上げて自分の傷を確認する。脇腹には裂傷が出来ており、白さが目立つ傷口が気持ち悪い。二の腕には弾がめり込んでしまったらしく、とても此処で取り出すことが出来ない。流れ出す血がうざったいのでハンカチで強く縛っておく。肩の方はどうすることも出来ないので放っておく。

 「これじゃ実弾だろうが無かろうが関係ありませんわ……」

音が途絶えたので、制服のスカーフを外し、そっと窓から出してみる。そうすると数度の銃撃音とともに、

 「やった! ……って何よコレ!? アンタ馬鹿にしてんのっ!? あー! 弾も切れたし! こ、こ、殺してやるんだからぁぁぁぁっ!!」

 今度こそ引っ込んだようだ。早く移動しないと弾を補充して下りて来るかもしれない。

 (“弾が切れた”っていうのが本当のことなら、装弾数は全部で10発ということになりますわね)

 あくまで自分の数え間違えが無ければ、ということになるが。それでも一応の目安にはなるだろう。この状況ではどんな小さな情報でも集めておきたい。

 「さ、行こうかしら」

 私は注意しながら立ち上がり、アリシアが居ないことを確認すると教室を出て、一階の奥――生徒会室へと急ぐ。

 一階の廊下、私の向かう反対側、何故か電気が点いており、廊下を煌々と照らしている。恐らく、煙崎くんと竈門くんの仕業だろう。彼らは上手くやっているのだろうか。気になる。気になる、がその光に背を向けて走り出す。

 「……信じていますもの」

 ここで彼らに会うことは、自分の中の”何か”に負けてしまうことを意味しているような気がした。 それはきっと、自分が意地を張るため、強情で在り続けるために必要なものなのだろう。

 思い返せば、私は炎燈寺くんと出会うまで、悪い意味で”意地を張っていた”ような気がする。少し昔のことを思い出してしまった。


 あの頃の、炎燈寺くんと出会う前の私は誰かに弱みを見せるもの、頼るのも良しとしなかった。何より、誰かを認めることも是としなかった。

 生徒会長に就任した私は、殆どの仕事を一人でこなしていた。毎日遅くまで仕事をこなし、家に帰って勉強。そしてまた学校へ。私にとっての世界とは、ただこれを繰り返すだけのものだった。

 ある日の帰り道、私がトボトボと夕暮れに染まる河川敷の高台を歩いていた時のことだった。

 「何かしら、アレ?」

 橋の下に人だかりが出来ていた。その集団を構成しているのは木刀、ナイフ、金属バットを持った、素行の”よろしくない”人種だった。よく見ると、その社会のダニたちは寄り集まり、ある人間を囲っていた。

 その物騒極まりない空間の中心に居るのは、私の学校の制服を着た人物だった。

 「全く、面倒を掛けてくれますわね……」

 私が鞄から携帯電話を取り出し、警察に連絡しようとダイヤルをプッシュする。そして呼び出し音のする最中、

 「テメェ、俺らに手ぇ出して生きて帰れると思うなよ!?」

 「この街じゃあ二度と表歩けねぇぞ!!」

 如何にもレベルの低い脅し文句。顔のレベルも揃いも揃って悪い。いや、その生き方が顔にまで出てしまうのか、と下らない人間観察を続ける。

 四方八方から悪意の視線を受けている男が、ブレザーを脱ぎ捨てた。シャツはしっかりと第一ボタンまで閉められており、その上、着用義務がないネクタイまで身に付けている。

 「そんな事はどうでもいい。俺は、美衣ちゃんに手を出したお前らを――バラす。たったそれだけだぜ」

 風でネクタイをたなびかせた男の横顔は激情と冷静さを兼ね備えたものであり、まるでこの空に広がる夕焼けと夜の帳を映し出しているようだった。

 「ぶっ殺すッ!!」

 一人の男が殴りかかると、それを皮切りに地響きを鳴らしながらダニどもが私の学校の生徒に突撃する。

 『はい、どうされました?』

 やっと繋がった電話の向こうから、如何にも面倒そうな声が聞こえてくる。あの男がどれ程強かろうが、相手は少なく見積もっても20人以上いる。とても一人では無理だろう。 

 「あ、はい。ゴミ焼却炉の近くの河川敷で――」

 そこまで伝えた私は、目の前に広がる光景に目を疑ってしまった。

 「え……? なに、これ……」

 人が吹き飛ばされていた。比喩や誇張などではなく、人が宙を舞って地面に叩きつけられていた。放物線を描いて飛ぶ者、地面と平行に吹き飛ぶ者、砂埃を上げながら地面を滑っていく者、その様子は多種多様だが、その台風の目に居るのは依然としてあの男一人。

 『なんですか? 良く聞こえません』

 携帯電話が何か言っていたが、私は圧倒されて、言葉を失ってしまった。

 男が木刀を振り上げながら突っ込む。渦中の彼は木刀が当たるより迅く、蹴りを見舞う。腹に蹴りをもらった男が吹き飛んで、他の人間を巻き込んだ。後ろから金属バットが叩きつけられる。それを左腕で流し、顔に掌底を放つ。血飛沫をあげながら地面を転がっていく。独楽のようにあちらこちらへと向きを変える彼に、ダニたちは為すすべなく倒されていく。

 誰も彼に近づけない。彼は誰も近づけさせない。気合や数では越えられない、歴然とした壁がそこには在った。私は「大丈夫です、私の間違いでした」とそれだけ言って、電話を切ってしまった。まだ何か言っていたが、それどころではない。

 あっと言う間に闘いは終わり、彼の周りにダニどもは地面に倒れこみ、うめき声を上げている。彼は、

 「頭は誰だ?」

 と、寝転がる男たちに訊ね、誰かが口を割ったのか、ある男の下へ歩いていく。

 私はどうするべきなのだろう。彼は私の学校の生徒だ。当然、こんな後々問題になりそうなことは止めるべきだろう。しかし、どちらに正義があるのか、それははっきりとは判明していない。もしかしたら、万分の一という可能性ではあるが、あのダニどもが正義ということもあるだろう。どうしたものか……。

 私が迷っていると、彼は蹲る一人の男にしゃがんで顔を近づける。そのリーダーと思える男は、頬を引き攣らせながら笑みを作った。

 「へ、へへ……。あの女、憶えたぜ。あとでヤってやる! マワしてやる! ザマァみやがれ……!」

 小物丸出しで下卑た笑いを浮かべる男に、表情を変えることなく彼はそっと耳打ちした。

 幾分長い耳打ちが終わると、男はサッと顔色を変え、きょろきょろと周りを見渡した後、震えながら土下座をし始めた。

 額を地面に擦りながら謝る男の背中に、彼はズンと体重をかけて腰掛けた。何事かと、他の男たちが彼に注目する。

 一体彼は、何と耳打ちしたのだろうか。全く分からないが、彼は底冷えする声で話し始める。

 「――今から、お前ら全員の両膝を砕く。それで治る前にまた砕く。病院に居ようが家に居ようが必ず、だ。それでまた治る頃になったら砕く。その次も、次も次も次も次も次も! 歩けなくなろうが、千切れようが必ず砕きに行く。お前らがこの街に居る限り、ずっとな」

 そう言うと、自身の椅子となっている男の顔を蹴り上げて仰向きにさせると、思い切り膝を踏み抜いた。あまりの踏み込みに、足が反対方向に折れ曲がってしまっている。彼は悶え苦しむ男を見て――嗤った。

 転げ回る男を見ている彼の顔には何の感情も浮かんでいないようで、きっちりともう片方の膝も踏み砕いた。

 両膝がひしゃげた男は涎と涙を流しながら声にならない悲鳴をあげている。数度手をぱたぱたと振るとそのままガクンと首を落とし、時折痙攣するばかりになってしまった。

 その光景を見ていた他の男たちは一様、恐怖に染まっており、中には涙を浮かべている者もいた。彼は「朝は何を食べたんだ?」と言うような軽い口調で他の者たちに告げる。

 「じゃあ、こんな感じに砕いていくぜ? 大丈夫だ。千切るのは当分先だからな」

 彼も、きっと"正義の味方"などではなく、あのダニたちの延長線上の存在なのだろう。私は”彼”に対して何を求めていたのだろうか。そんなことを思いながら、私は男たちの悲鳴を背に帰路へついた。


 これが私の抱いた炎燈寺くんの第一印象だった。暴力で他人を支配する、とびきりの屑。この時の私は、不思議な話だが"炎燈寺仁"という名前と噂――"化け物"じみた力と頭脳を持つ――については知ってはいたが、それが河川敷で暴れ回っていた男の名前だとは知らなかった。

 次に炎燈寺くんと出会い、恋したのは夕日差し込む生徒会室でのことだった。


 私は仕事が終わらず、一人、机に向かって雑務をこなしていた。

 「……くそっ」

 思わずそんな言葉が漏れる。この終わらない仕事に対してもだが、何より――

 「――あの"炎燈寺仁"という輩、絶対に許しませんわ……!」

 今回も彼に学年一位を奪われた。別に、自分の成績が悪いわけではない。私は殆どの科目で満点近くの点数を取っている。なのに……。

 「入学以来全科目満点っておかしいでしょうに……!」

 滅茶苦茶だ。これはつまり、”私だけが一番”という状態を作れないということだ。私が彼と同じく全ての教科で満点を取ったところで、彼と同着だ。絶対に彼を抜くことは出来ないという事実に腹立たしさを感じる。

 「それにあのアリシアとかいう小娘、学校にシェフを呼ぶなんて非常識にも程がありますわ!!」

 バン、と机を叩いてしまった。ストレスが溜まり、集中できず、仕事がなかなか終わらない。そして何時までも終わらないことが更にストレスを生み出し……と、完全に悪循環に陥っている。

 「…………」

 思わず、黙りこくって周囲の音に注意を計る。さすがに生徒たちは帰宅しており、校内からは物音は聞こえない。外からは部活動に勤しむ生徒たちの掛け声が聞こえるが、その声は何処か遠くに感じる。

 「…………」

 私は何も言わず、スカートの下のある部分に手を伸ばす。いけない、と思っていても止めることが出来なかった。

 「……ぁ」

 いつからか自分でも憶えてはいないが、”コレ”が癖になってしまった。自宅とは違い、学校、それも生徒会室でする”コレ”は蠱惑的で抗えない衝動として私に襲い掛かった。

声を押し殺し、刹那的快楽を貪る。何が私をそうさせるのか。日常の閉塞感か、それとも……。

 「……っ!」

 考えられない。今は”コレ”に身を委ねることが最良なことだと思ってしまう。自分でも何を下らないことをと思うが、今は流されていよう。

 もう少しで、と思ったときのことだった。


 ――カシャリ。


 間の抜けた音とともに、私のいた世界は壊された。身体から熱が急速に失われ、情欲の汗は瞬間的に冷や汗へと変わる。

 私が慌てて入り口のほうを見やると、そこには下卑た笑みを浮かべる男子学生が二人。生徒会の者では無いため、当然ながら私の知らない人物だ。二人は携帯電話を弄びながらニヤニヤ笑いながら生徒会室へ入ってきた。

 「おいおい、あの”鉄血令嬢”が○○○ーしてたぜ? 写真にも撮っちゃったよー?」

 私を馬鹿に……いや、”女”という性を馬鹿にしているような口調に、思わず相手を睨みつける。

 「何睨んでんだよ? お前が学校なんかで××してんのが悪ぃんだろ? あーあ、この写真、誰かに送っちゃおうかなー?」

 「ふざけるなッ!!」

 着飾らせた普段の言葉ではなく、心の声が思わず口から出た。

 「何がふざけるな、だ。この淫乱がまともな口きいてんじゃねぇよ!」

 今すぐこの二人を殺してやりたい。だが、半殺しにしたぐらいでは意味が無い。やるなら全殺しだ。しかし、そんなことが出来るわけも無く。

 「……してください」

 「あ? 何か言ったか? お前、聞こえた?」

 「聞こえねー。もっとハッキリ言ってくんねぇ?」

 「……消してください! その画像を、今すぐ!」

 こんな奴らにお願いをするなんて全く、自分で自分を殺したくなるほど厭だ。それでも、どうしようもない。客観的に見ても詰みに近い。あの文明の機器が酷く憎らしい。

 「えー? どうしよっかなー? 俺もこの画像で家で○○○ーしようと思ってたしなー」

 ヒャヒャヒャと笑い出す男子学生、どんな教育を受けてくればあそこまで人でなしになれるのか、少し興味深い。

 「じゃあ、上脱いでよ。おっぱい見せてくれたら消そうかなー?」

 「お前本当におっぱい好きな。若干ひくわ……」

 うっせぇ、と男は言った後、携帯電話をこちらに向けてくる。

 「ムービーで撮るから。生徒会長のストリップ」

 「あ、じゃあ俺も俺も!」

 二人して携帯電話を私に向けて、ニヤニヤ舐めるような目線でこちらを見てくる。非常に不愉快だ。

 「…………」

 私は無言で制服を脱ぐ。上着を脱ぎ、シャツも脱ぎ、あとは下着だけとなり、

 「……っ」

 手が止まる。あぁ、私は今頃になって気付いた。私は涙が出ないほど絶望している、と。誰かに助けて欲しいと思っている、と。

 一度、そのことを自覚してしまうと身体が震えだす。手がぶるぶると震え、視界も涙で歪む。

 「何だよ、”鉄血令嬢”でも怖いことでもあんのかよ? しゃーねーなぁ、手伝ってやるか!」

 「おっ、最初からそうしてりゃ良かったんだよ、面倒くせえ」

 二人がこちらへ寄ってくる。その心底嬉しそうな顔は、もはや人間のそれとは思えず、私はみっともなく声を上げる。

 「来るなぁ!!」

 その悲鳴は二人の加虐心を煽るものでしかなかったようで、笑みを深めて寄ってくる。それだけの事がどうしようもなく恐ろしく、私は目を閉じ――

 「――おっと、ちょっと待てよ」

 目の前まで迫ってきていた二人の物とは違う、低く唸るような声が入り口の辺りから聞こえた。

 私が目を開けるとそこには、あの時河川敷で悪鬼羅刹のように振舞っていた男が、居た。息が荒く、 犬のように呼吸をしている。彼は男二人を睨みつけている。玉のような汗が額から吹き出ており、それを拭いながらあの時のように上着を脱ぎ捨てた。

 「え、炎燈寺!? 何でお前がこんなところに!?」

 (あの人が”炎燈寺仁”……?)

 驚いた。私は”炎燈寺仁”とは、もっと線の細い、もやしのような男子生徒だと思っていた。それがどうだ、目の前に居るのは憤怒に心を染めた仁王そのものだ。とてもじゃないが、彼が成績優秀な生徒には到底見えない。

 突然の闖入者に私が驚き、思考を停止していると、彼は私に微笑んだ。恐らく彼なりに安心させようとして必死に作り出した優しい顔だったのだが、やはり厳つさは隠せない。しかし、私はその不器用な笑顔に心を打たれた。

 「もう、大丈夫だぜ。少し目を閉じていてくれ――すぐ終わる」

 それだけ言うと、彼は一瞬で一人の男の下へ距離を詰め、回し蹴りを見舞った。あまりの速さ、鋭さに私には突風が通ったようにしか思えなかった。

 蹴られた男は何も言わずに吹き飛び、長机を巻き込んで壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。壁に椅子や机と共に倒れこんでいる男の顔面は完全に潰れていた。彼は、男が落とした携帯電話をまるで煙草の火を消すかの如く、文字通りすり潰す。

 「ば、”化け物”……!」

 もう一人の男は怯え、言葉を漏らす。歯の根が合わないらしく、カチカチと音を立てている。

 「そうか、じゃあお前らは”ケダモノ”だ。それでな、俺はその”ケダモノ”って奴が大嫌いなんだ」

 口調とは裏腹、”炎燈寺仁”は怒り狂っていた。目から、顔から、身体から、怒りが水蒸気となって吹き出るかのように、彼からは”憤怒”の匂いがした。

 「ひぃ……!」

 「ふんっ」

 逃げようとした男に彼は軽く足払いをした――ように見えたが、その威力は存外に高かったらしく、足首が捩れてあらぬ方向に向いてしまっている。男はどうと床に倒れこみ、それでも必死に這って教室から出ようとしている。

 「まだ帰って良いとは言ってないぜ?」

 「ぎゃああああ!!」

 “炎燈寺仁”は、わざと痛めている方の足首を掴んで男を逆さ吊りにした。男のポケットから落ちてきた携帯電話も、先ほどと同じようにすり潰す。

 「彼女の写真は誰かに送ったのか?」

 「お、送ってません! まだ何もしてません!」

 「ほう、じゃああそこでのびてる奴は?」

 「アイツも何もしてませんっ! だから、離して……!」

 彼は足首を掴んでいる左手に力を込めたようだ。ギリギリと私にまで痛々しい音が聞こえてくる。

 「あ、ぐぁ……! な、何で……!?」

 心外だと言わんばかりに”炎燈寺仁”は肩を竦める。

 「お前らは彼女の頼みを聞いてやらなかっただろう? なら俺もそうする権利があると思うんだが……どうだ? 何か反論はあるかい?」

 私の中で彼に対する評価が急速に変わりつつあった。嫌悪が好意に。まるでそれはオセロの駒が一気にひっくり返るように。

 「くっそ、”化け物”が! こんなことしてただで済むと思ってんのかよ!?」

 どう足掻いても助けてもらえないことが分かると、男はすぐさま本性を表わした。自分のしていたことを棚に上げて相手を責める。私がもっとも嫌いなタイプだ。しかし、それは彼も同じだったようで――

 「――そうだな、ただでは済まないだろうぜ」

 そう言うと掴んだ男をまるでタオルか何かのように振り回し、思い切り教室の壁に打ち付けた。

 ボキッともグシャともつかない音が聞こえた。彼は手を離すことなく、また吊るす。

 「……あ、あふぁ、たふへ……て」

 ボタボタとやけに粘度の高い血が床に流れ落ち、口と鼻からは血の泡が吹き出ている。もちろん、叩き付けた壁にもべったりと血が付いており、それは暴力が行使された純然たる証のようだった。

 「鼻と歯ぐらいで済んで良かったな。次は目でも守っているといいぜ?」

 「ああああああああああああっ!? 助けて、助けて、お願いです、助けて!」

 男子生徒は狂ったように許しを請う。圧倒的なまでの暴力の前では、人は思考を停止させ、何度も同じ言葉を繰り返すようになるらしい。――何度も繰り返される言葉がいつか意味を無くすとも知らずに。

 「悪いが、聞こえないぜ。お前がどれ程喚き散らそうが、俺の耳元で叫ぼうが、一生俺には――聴こえない」

 彼の言葉は男子生徒にとっては死刑宣告と同義だったのだろう。ついには失禁まで始末。その有様に興が削がれたのか、”炎燈寺仁”は呆れたように顔を軽くつま先で蹴り、つまらなそうに、もう一人の男子生徒の倒れているところへ投げつけた。

 二人の男子生徒はピクリとも動かない。”炎燈寺仁”は床に落ちていた自分の上着を拾い上げ、床に座り込んでいた私のもとへやって来た。

 「……婦女子がみだりに肌をさらすものじゃないぜ」

 そう言って上着を私の肩に掛けた彼は、申し訳なさそうにそっぽを向いた。

 「別に、好きでさらした訳じゃありませんわ……」

 私は大きすぎる彼の上着を両手でひしと握り締める。安心のあまり、涙が流れ、ついにはしゃくり上げるまでになってしまった。

 「お、おい! 何で泣くんだ!? 俺は変なことはしないぜっ!?」

 その巨体に似つかわしくない、ワタワタとした可愛らしい動きは先ほどまでの彼とは思えないほど可笑しかった。

 「……ふふっ、もう大丈夫です。えーっと炎燈寺くん、ですわよね?」

 「あー、そうだが……俺のことは”仁”でいい。俺はそっちの方が気楽だ」

 「いえ! 命の恩人を呼び捨てにするなど言語道断っ! 私は夏瀬緋織。”緋織”とでも呼び捨てにしてください、炎燈寺くん」

 しゃがんでいる彼は”命の恩人”という言葉に大層驚いたようで、

 「命の恩人とはおおげさだぜ? 俺は偶然、校庭からあの馬鹿どもが何かやらかしてるのが見えたから助けに来ただけだ。見かけたのが偶然なら未然に助けられたのも偶然だ、夏瀬くん」

 偶然という言葉に力を入れる炎燈寺くんに、私は何よりも大切なことを教えてあげた。

 「過程がどうあれ、私はこうして無事で居られているという結果が重要じゃなくて? あと、炎燈寺くん。乙女の貞操は命と同じくらい大切ですのよ?」

 彼はぐうの音も出なかったらしく、腕を組んでしかめっ面で悩み、悩み抜いて、

 「分かった、そうだな。確かに俺は命の恩人だな。だからと言って俺を祭り上げたり敬ったりするのは止めてくれよ? 俺は当然のことを、当然のままにしただけなんだから」

 (その当然が為せる人が世間にどれ程居ますか……!)

 やはり彼は大切なことが全く分かっていないらしい。それだけ”炎燈寺仁”という人間が間抜けなのか、それとも彼にとってはそれが日常なのか。

 「ま、何だ。詳しいことは聞かないぜ。だから犬に咬まれたと思って忘れるんだな。あの二人にはまた後で良く言っておくが、これも何かの縁、何かあったら……そう、それがどんな小さいことでもいい。俺を頼ってくれ。必ず、俺が助けてやる」

 そう言うと、炎燈寺くんは私の頭を軽く撫でて、生徒会室から出て行った。

 私は、血と尿と汗の臭いで充満した部屋で、炎燈寺くんの置いていった上着から彼の匂いを嗅いでいた。そして、自分の胸が次第に高鳴るのを感じていた。

 「あの人が、炎燈寺くん……」

 “化け物”と呼ばれ。

 全教科で満点を取り。

 数多の人間に恐怖を与え。

 正義を当然のように執行し。

 少年のように慌てふためく。

 不思議な人だ。先ほど会ったばかりの人間に”必ず助ける”と豪語するなど、よっぽどの自惚れ家か馬鹿かのどちらかでしか有り得ない。しかし、何故か彼なら絶対に助けてくれると思ってしまう自分がいた。実際に、たった今助けられた。それも映画か漫画でしか見たことが無いような方法で、だ。

 彼になら自分の全てを捧げても良いと思える。こんな感情を他人に抱けるとは思えなかった。私はきっと、初めて頼ることの出来る”誰か”に出会えたのだろう。そう考えれば、この胸が早鐘のように打っているのも納得できる。

 私の中で何かが劇的に変わってしまった。”捧げても良い”から”捧げるべき”へと。あの人に拾われた命はあの人の物であって然るべきだ。馬鹿げていると思うなら笑えばいい。私はそう思えることが幸せなことだと誇れる。

 「なら、善は急げですわ……!」

 明日は彼にこの上着を返しに行こう。そうしたら合法的に付き纏ってやろう。何処までも、地獄の果てまで追って行こう。そう決意を固め、彼の上着を抱き締めた。

 そうして私は炎燈寺くんについて調べ、彼がボランティア部に在部していることを知ると自分で書類を作って判を捺して入部した。既に煙崎晃という痩せぎすの男が居たが、話してみると彼も炎燈寺くんの人柄に惚れて入部した口であり、すぐ意気投合することが出来た。

 炎燈寺くんはその強引さに最初こそ呆れていたが、すぐに気を許してくれた。そうしてしばらくすると竈門清十郎という男も入部してきた。彼は少し喧しい人種ではあったが、良くも悪くも”馬鹿”であり、私たちと志を同じくするものであったため、入部したその日に馴染んだ。それからの日常とは、私にとって人生最良の日々だった。

 しかし、その日々も長く続かなかった。彼には思い人がいた。最初こそ驚いたが、今となっては完全に割り切っている。それが彼の為ならば、と。そして今もこうして――


 「――あった!」

 生徒会室に辿り着いた私は金庫の中に隠しておいたある物を取り出して、身に付けた。それは、もう何代も前の酔狂な女性の生徒会長が作らせたものであり、日常生活においては全く以って不必要な代物だ。

 『処分してはいけない、捨てようとすると祟られるぞ』

 と、生徒会でまことしやかに噂されるソレを自分が使うことになるとは思わなかった。私には重たいが、我慢するしかない。

 これならあの小娘に一泡吹かせることが可能だろう。当然、その為には私自身もそれなりの代償を支払わなければいけないが……。

 「っし! 夏瀬緋織、征きますわよ!!」

 彼が良くやるように頬を思い切り叩くと、生徒会室を飛び出した。あの日は炎燈寺くんが私を助けるために生徒会室に駆け付けてくれた。今度は私の番だ。彼の為に”この場所”から飛び出し、駆け付け、助けよう。

 そして覚悟を決めて、遠くで喚いているアリシアを黙らせるために私は走った。



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