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 屋上へと到る階段に腰掛け、火子は誰かが来るのを待っていた。その「誰か」とは火子自身でも分からなかった。美衣か司か、あるいは司の友人たちか。それとも――仁を待っているのか。

 頬杖をついて暗闇に目を向けていると、向こうから美衣が走ってくるのが見えて、火子立ち上がった。美衣は火子が居ることを知ると、ぱっと表情を明るくして走り寄ってきた。

 「火子ちゃん、どうしているの!? もしかして司くんに……」

 美衣の考えていることが理解できた火子はきっぱりと否定した。

 「違いますっ。火子は、仁にぃを助けるために、自分の意思で此処に来たんです!」

 勘違いされては困る、と。私はあくまで仁側の人間である、と。そう告げるような口調だった。美衣はその言葉にひどく驚いたらしく、「何で!?」と声を上げた。

 「何でって、美衣お姉ちゃん。妹は絶対に兄の味方をしろなんて法律はないはずですよ? それに、火子はあんな人を兄だと認めていませんし」

 事も無げに自身の兄との繋がりを否定した火子を、美衣は困ったように笑う。

 「火子ちゃんは昔からそうだったね。司くんよりも仁くんと一緒に遊んでたしねー。……しかもお泊りもよくしてたよね?」

 「そ、そ、そ、そんなことは昔のことですっ! 今はお背中を流そうとするだけで逃げてしまうので一緒にお風呂も入れないし、添い寝もしてくれないし……って、何を言わせるんですか!!」

 顔を真っ赤にした火子を美衣が嬉しそうに笑って見ている。遊ばれていた、と知った火子は、緋織がするように咳払いをして、先へ行くように促す。

 「とにかく、美衣お姉ちゃんは早く仁にぃに逢いに行ってください。早くしないとほら――邪魔者が」

 火子が廊下の先に目を向け、美衣もつられてそちらを向く。そうすると、闇の中から白と赤の色が浮かび上がってくるのが見えてきた。

 「巴ちゃん、だ……」

 腕を伸ばしてストレッチを始めた火子が、階段から離れて巴の下へ向かう。未だに突っ立ったままの美衣に背中越しに言葉を掛ける。

 「んっふっふー! あの人、血の臭いがするねー? ほら、美衣お姉ちゃん。早く行かないと――殺しちゃうかもしれないよ?」

 カチリと、切り替わったようにふざけた口調になった火子。この時の火子に近づくことが許されているのは仁だけであるということを知っていた美衣は、何度か迷うように振り返って、結局は屋上へ到る階段を昇っていった。

 (やっと行ってくれたみたいですね。仁にぃ、頑張って!)

 口調とは違い、心の中で呟いた言葉は火子本来のものだった。

 (美衣お姉ちゃんが怖がるのは仕方の無いことですけど……)

 火子自身もこの状態が好きな訳では無かった。しかし、大切な”仁にぃ”が教えてくれたものであり、だからこそ彼と等しく大切なものだと思えた。

 仁の父親が習得していた格闘技とは、彼自身が編み出した、”炎燈寺流”とも言える独自のものだった。彼は様々な格闘技を学び、身につけた。しかし、彼は強くなるにつれて、ある事に怯えるようになった。

 それは、人を痛めつけている自分に対する恐怖だった。人を殴る、蹴る、壊す。この行為は紛れもない自分のもので、その行動を認証するのは自分の意思だ。身体は確かに強くなった。自分が編み出した”炎燈寺流”の雛形にも確かな手応えを感じる。しかし、それに心がついて来ない。様々な精神修行を行ったが、効果を感じられない。彼は、どうしようもないほど、”力に溺れる自分”を恐れた。

 そして、遂にあることに気付いた。その力に抗うから自分の心に重く圧し掛かってくる、と。ならば、その激流に身を任せてしまえばいい。

 しかしそのまま流されてはいけない。その”激しさ”を何かに押さえ込んで、理性が手綱を引かなければならない。その何かが、”人格”だった。暴力を行使する”人格”を作り出し、それを自在に切り替えて使いこなす。これが”炎燈寺流”の骨子であり、基礎となった。

 仁の父親はそのすさまじさから”鬼”と呼ばれ、その教えを受けた仁は”化け物”と呼ばれる程の強さを手に入れた。そして、その仁に手ほどきを受けた火子も例外では無かった。

 ただ、火子のソレは仁たちの物とは随分と違うものであり、彼らほどハッキリと切り替えられるものではなく、己を”闘いに抵抗が無い”性格へ変化させるだけのものであった。

 その”闘い”とは、物理的なものだけではなく、精神的なもの――恋愛も含んでいた。

 火子はこの能力を”我を押し通す”ために、本当は臆病な自分を奮い立たせる為に使っており、そんな正面から立ち向かうことが出来ない自分を暗に仄めかすようなこの”人格”を好きになれずにいた。

 しかし、今はその力が必要とされている。目の前にいる、刀を携えた少女と対峙する為に、自分の大切な人の為に、必要とされている。それが火子には存外に嬉しいことであった。

 「はい、残念でしたー。ここは火子が通さないよー?」

 巴は、口元に手を当てて、「シシッ」と笑う火子を憂いにも似た表情で見ている。

 「司さんの妹さん……火子さん、でしたね。貴女に憑いているソレは――鬼ですか?」

 不意にそんなことを言われた火子は、首をカクンと傾けて「オニ?」と鸚鵡返しをした。

 「えぇ、鬼です。知りませんか? 鬼というと一般的には大男が虎の腰巻を身に着けて、金棒を振り回す姿を想像されると思いますが、実際には違います。鬼は人の心、それも陰の部分から生まれ、そして心に棲み憑き――」

 「あぁ、もうそういうのいいからさ、ちゃっちゃと来ちゃってよ」

 巴の話の途中、火子は下らないと言わんばかりに欠伸をして話を遮った。

 「……分かりました、火子さん。司さんの友人として、貴女に憑いた鬼を退治してごらんに見せましょう」

 どこか悲しそうにそう言うと、巴は手に持っていた刀――打刀を鞘から引き抜き、それを右手に。袴に差していた脇差を抜いて左手に。その姿は化け物を討つ戦乙女のように凛々しく、二本の牙をちらつかせる獣のように猛々しかった。

 「――それでは一条巴、参ります。死ぬ覚悟は、よろしいですか?」

 月光を反射する刀を、興味無さげに見る火子は、

 「んー。それって死ぬ覚悟が無い奴が言って良い台詞じゃないよね?」

 挑発で返した。二人の時間が止まる。月明かりに照らされた廊下。一足飛びでは近寄れないほどの距離が二人の間には開いており、互いに飛び出そうとはしない。二人は相手の挙動、呼吸、震えを読み取り、動かない。一秒が一分、一分が一時間と無限にも感じられる時間が二人の間に流れ、そして遠くから聞こえてきた清十郎の叫び声を合図に、

 「――いざっ!!」

 巴が飛び出した。その勢いは突進に近く、まさしく猪武者と形容される、そのものだった。

 火子は煌く刃に恐怖を感じていたが、いま、可能な限りに己のスイッチを押し込んだ。そうすると、不思議と恐怖は和らぎ、巴の動きも先ほどより鈍く、隙だらけのように見えてきた。

 (初太刀を躱して、二の太刀を捌く。それで……沈める!)

 瞬時で動きを組み立て、飛び掛る巴を迎え撃つ火子。目前まで近寄った巴が、脇差を鬼神が如く表情で振り下ろす。

 火子は半身になって擦れ擦れでかわす。刀身はそのまま下へ。次に打刀が突き出され、火子はそれを手のひらで捌くことで後ろに逸らし、巴に致命的な隙を作った――ように思えた。しかし、巴は前に出ることを止めずに強引に突っ込んできた。

 「えっ!?」

 バランスを崩すであろう巴に一撃を見舞おうとしていた火子は驚きに目を見張った。巴は無理やり体勢を立て直し――いや、勢いそのまま、バランスなど考えない、完全に暴走といえる有様で火子に迫る。

 技術も何もあったものじゃない、強引に脇差を引き戻し、返す刃で火子を切りつけようとしてくる。

 「――ッ!?」

 逆袈裟に迫る刃を急いで躱すが掠めてしまい、制服が裂かれて皮膚から血が滲む。

 「ハァァァッ!!」

 裂帛の気合とともに巴は遮二無二、打刀を横になぎ払う。

 (次こそ……!)

 身を屈めて避ける火子。しかし――

 「――まだまだァ!!」

 次は脇差がしゃがむ火子に捻じ込まれる。それを見て弾かれたように後ろへ飛んで回避。当然、巴は絡みつくように追ってくる。

 (何これ……!? ありえない……!)

 火子の言うとおり、巴はまるで物理法則を無視するように動き続ける。二本の刀を手繰り、突撃する。巴に握られている刀はまぎれもなく本物で、決して軽いものではない。それをいともたやすく振り回す。そんなことがあってはいけない、いけないが――

 (兄側の人間は例外ってこと!?)

 火子の予想は正解だった。”主人公補正゛、それはあまりに絶大であり、人の”努力”によって生じた差をあっけなく埋めてしまうものであった。

 火子の戸惑いなどかまわず、巴は暴風のように二本の刀を振り回す。

 脳天に叩きつける、首筋を薙ぐ、胴体を突く、太腿を切りつける、急所に集中し始めた全ての攻撃を火子はかわす。いや、かわす事しか出来ない。捌いてもあの突撃の前には何も意味が無い。当然、反撃など出来るわけもなく、ひたすら後ろに下がりながらやり過ごす。

 (もう駄目! これ以上は……!)

 何十という斬撃。少しずつ身体が反応しなくなってきていることを火子は感じていた。息が切れている火子に対し、巴から疲れが見て取れない。その無尽蔵ともいえる絶望的な体力に勝つことは難しいと判断した火子が、相打ち覚悟で刃先に飛び込もうとしたとき、

 「え……?」

 巴は急に立ち止まり、刃を下げた。火子は不審に思いながらも距離を取り、肩で息をする。

 数多の白刃を受けた火子の制服は所々切りつけられて、彼女の白い素肌を露出させていた。更に、完全に躱すことの出来なかった部位からは血が流れ、ブラウスを赤く染めていく。

 一見すると満身創痍にも見て取られない姿だが、火子は行動に支障が出るような一撃はまだ受けていない。巴の猛攻が止んだことで呼吸を整えることが出来た火子は、自分の身体を試すように動かし、また全力で動けることを確認すると、

 「んー? 当たらないから諦めちゃった?」

 何てことない、と言ったように軽い口調で巴に訊ねる。先ほどまで追い詰められていた人間とは思えない、それは緊張感の欠損とも言える態度だ。

 「そんな態度を取ると、それだけ余裕の無さが浮き彫りになりますよ、火子さん? 私の剣技を躱し続けたことは賞賛に値しますが限界でしょう。どうです? 私を通す気にはなりませんか?」

 巴の提案に火子が黙りこくる。

 「それに、私はまだ本気を出していません。火子さん、あなたは良く頑張りました。ここで負けを認めても、誰もあなたを咎める者はいないはずですよ?」

 優しく、諭すような巴に対し、火子は頭をぽりぽりと掻いてつま先を廊下に打ち付けて音を鳴らしている。

 「仁にぃが言ってたんだよねー。最初から本気を出さない奴が勝利を手にする訳がないってね。……あと、さ。ここで尻尾巻いて逃げるような火子を、火子自身が許すと思える? 無理無理! そんなんだったら――舌噛み切って死んでやるッ」

 徹底抗戦と言わんばかりに「べーっ」と火子は舌を出す。その様子に、巴は溜息を、長い溜息を吐いてまた太刀を構える。

 「……分かりました。鬼に情けをかけた私が愚かでした。火子さん、待っていてください。今、助けてあげますからね?」

 「あーもう! 電波に刃物を持たせたら碌な事にならないっていう見本だねっ! 黄色い救急車が一台必要かなー!?」

 こめかみに人差し指をグリグリ押し付けて、あくまでふざけた態度を取り続ける火子に、ついに巴が怒りを現した。

 「黙りなさい!!」

 阿修羅が如き表情で迫る巴。その速さはもはや人間の限界に近い。それでも火子は、笑みを浮かべる。

 (仁にぃ……!)

 その声は助けを求めるためものか、自分を奮い立たせるためのものか。それは火子自身にも分からなかった。



ここで一旦終わります。また少し経ったらあげさせて頂きます。もし、問題などがありましたら教えていただけるとありがたいです。

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