七十八話 コクハク
「アル……」
静寂が僕とロッテを包み込む。
「夢があるんだ。昔……あたしが生まれるよりも前……手に入れようとして、あたしの手からすり抜けていった夢が……幸せな家庭を築きたい。そんな、当たり前でちっぽけな夢。ねえ? 不思議だと思わない? 死んでもまだその先があって……新しい命と人生を神様からもらって……アルに出会えたんだよ。色々すれ違ったけど……」
ロッテの夢。幸せな家族。
それは、僕が……いや、この旅に関わる者全員が、かつては持っていて……失ったもの。
「アル!」
ロッテの体が僕に覆いかぶさる。そして、木漏れ日が差す森の中で、僕とロッテは体を重ねた。
「ロッテ!?」
「(そのまま動かないで)」
僕の耳元でロッテが小さく囁く。心臓の鼓動が僕にまで伝わってくる。体の芯が熱くなるような……あふれ出してくる衝動。
「(気を付けて。誰かがあたし達を見てる)」
「(え?)」
ロッテに言われ初めて気が付いた。確かに……木の裏に人の気配がある。ロッテの告白で気が動転していたのもあるが、それ以上に巧妙に気配を隠しているせいもあって、気が付けなかった。
しかも、相手は相当な手練のようだ。こんな人気のない所で息を殺し、気配を消している……敵、か。
一体、何者なのか。それを考えている余裕は無い。こちらから仕掛けるべきだろう。
「(まだ気付いていないフリをして、先手を取るわよ)」
「(わかった)」
「(あたしが立ち上がったら、すぐに後の木に向かってルーンを放って)」
ロッテはそう言って静かに立ち上がった。
僕はそのタイミングで、風のルーンをロッテに向って放つ。
意識を集中する。研ぎ澄まされた刃をイメージして、烈風を巻き起こす。
ロッテがぎりぎり風の刃をかわすと、彼女の後ろにあった木を、風の刃が真っ二つにした。
「仕留めたか?」
同時に、僕の呼吸が圧迫され、地面から体が浮き上がっていた。
何だ!?
「ア、アル~~~~! あたしを真っ二つにするつもり!? いくらなんでもそんなトンデモ威力で、あたしにぶっ放すなんて! 何考えてるのよ!」
それは敵の攻撃ではなく、ロッテの攻撃だった。どうやら、僕はロッテに襟首をつかまれ持ち上げられているらしい。
「い、いや! ロッテならよけれると思って……だって、ロッテは強いから!」
そう弁解して上を見ると、緑色の塊が森の木々の隙間を縫って、降下してくるのが見えた。
「ロッテ、上だ!」
僕はロッテを突き飛ばすと、地面に尻もちを付いて倒れた。
緑色の塊は、人間だった。さらにその右手には鋭い鉄の爪。その爪の軌道の先にあるのは……僕の心臓。
「くそ!」
剣を抜く間が無い。僕は仰向けになって爪の位置を予測すると、下半身だけを起こし、右足を天に向って放ち、敵の顎を狙った。
「!?」
緑色の塊にそれが命中し、吹き飛ぶ。そいつは空中でクルクルと、まるで忍者のような身のこなしで軽やかに舞い、着地した。
「……」
改めてそいつを見る。長い緑色の髪は腰まであって、顔には白い仮面をしている。顔は見えない。さらに服装は黒一色のつなぎで、背は低かった。
体つきから判断すれば……子供。女だ。
「一体何者だ、お前!」
「……」
返事は無い。代りに左手が動き、3本のナイフが飛んできた。
「アル!」
ロッテが僕の前に出て、抜剣と同時にナイフを弾く。さっきまで静かだった森に火花が飛び散り、金属の重い音が響いた。
「……」
「あたしにケンカを売るとはいい度胸ね。エルドア王国ルーンナイト第六席、ロッテ・ルーインズと知ってのことかしら?」
敵は一瞬立ち止まったが、すぐにまたナイフを放ってきた。今度は倍の6本。
僕も剣を抜き、ロッテと共にナイフを弾く。
そのまま勢いを殺さずに敵に向って、突進。再び飛んでくる6本のナイフ。
「ロッテ!」
「解ってる!」
背後のロッテに向って叫んだ。それと同時に、僕は右に飛ぶ。
同時に、サッカーボール程度の火炎球がナイフを飲み込み敵に向っていく。
「……」
すると敵は、ロッテの火のルーンを、真上に飛んで避けた。さらに木の幹を蹴り、周囲の木々に飛び移ってかく乱してくる。
「こいつ……」
「動きが読めない!」
三次元的な動きに対応できない。上から下へ、右から左へと、変幻自在の動きで翻弄される。
この森の中は奴にとって、得意なフィールド、というわけか。
長期戦はフリだ。このまま、周囲の木を焼き払うか? そうすれば、奴の動きを封じることが出来る。
「リーザちゃーん。どこー?」
その時、さっきの男の子の声が聞こえてきた。一緒にいた女の子の姿がない。ここでかくれんぼでもしていのか。
くそ。こんな時に! これじゃ、無闇にルーンを使えない。それどころか、あの子に巻き込んでしまう。
「あの子は僕が引き受ける! ロッテは敵を!」
「アル!?」
意識を集中する。草原を走る疾風をイメージして、風のルーンを唱える。靴底に風を収束。音を置き去りにして疾駆する。
「何!?」
ルーンを使って移動力を上げたにもかかわらず、敵は僕においすがってきた。
――早すぎる。
僕は、なんとか男の子の前へたどり着くと、体を盾にして敵に立ち向かった。
「早く逃げて。ここは危険だから!」
「さっきのお兄ちゃん! でも。リーザちゃんがどこにもいないんだ。ぼく、どうしたらいいの? ねえ」
男の子が僕の背中にしがみついてくる。そして、泣き始めた。
「泣いてる場合じゃないだろ! 君がリーザちゃんを助けてあげるんだ! だから、泣き止んで、立ち上がれ。男だろ!」
「……ぐす。うん」
男の子はなんとか泣き止むと、立ち上がって前を見た。そして、唐突に駆け出す。
「あ! リーザちゃんだ!」
「え?」
森のさらに奥のほうに、小さな人影があった。
「リーザちゃーーん。ぼくだよ、ロイだよー」
男の子は人影に向って、走り出した。
何だ? あれは……。妙な違和感が僕の胸の中に渦巻いた。
「……タウロス」
「え?」
そう呟いたのは、僕でもなくロッテでもなく、目の前の仮面を付けた敵だった。
次回は9月9日更新です。